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3話 貴女を見つめます

「そうなのよ、洗面用の水を飲んだのよ。信じられる? あまりにも可笑しくて笑っちゃったわ」


 レイ姫のお付きのメイドは先程の光景を面白おかしく皆へと話していた。鼻はぷっくりと膨らみ、頬は僅かに紅膨し、その声音は得意げでとても嬉しそうだ。


 屋敷の召使い用の食堂にて、昼休みをとっていた召使いたちは、興味深げに聞き入っている。


 頑丈な木の長机に椅子が並び、召使いたちはめいめいで座り、玄米を炊いた飯を主食に、野菜を煮たものを口にして、今日のスターとなったメイドの話に耳をそばだてていた。


 レイ姫の噂話は娯楽の少ないこの屋敷では、格好のネタである。最近のことも含めて話せば、気になっている男性も近寄って聞いてくれるので、ここぞとばかりに力を入れて、尾鰭をつけてメイドは話を続ける。


「洗面水って、確かに綺麗な水だけど飲むかぁ? あんなものを飲むなんてありえないだろ?」


「そうなのよ。いくら綺麗な水とはいえねぇ……。私も目を疑って慌てて飲むのを止めたらどういう顔をしたと思う? あぁ、せっかくのスープがと呟いて悲しそうにするのよ。目を疑ったわ」


 合いの手を入れる男性へと手を振って、先程の光景を話す。泥水であったことは言わない。そんなことを口にすれば、たとえ誰もが見てみぬふりをする暗黙の了解での苛めであっても、罰せられる可能性があるからだ。


「うへぇ……。そりゃ、やばいな。この地に領主として就任して何年だ? 予想以上に新しい領主が来るのも早いかもな」


 後ろ手にして椅子にもたれかかる男が箸を咥えながら呟くと、皆もそうだなと頷く。年若い、若すぎる領主の様子を心配する者はほとんどいない。


 しかし、数人はその言葉を聞いて、心配顔となり、その中の一人が咎めるように反論の声を出す。気弱そうで小声ではあるが、それでも意志を込めての言葉だ。


「ふ、不敬でふ。姫様はそんな簡単に魔に汚染されません。否定してくらはい」


 皆が面白がる話なのに、腰を折ってくる者に、メイドはキッと目つきを厳しくして睨みつけて、その後に声をかけてきた者が誰か理解して、馬鹿にしたようにニタァと嘲笑う。


「あら、誰かと思えば犬っころじゃないの。なぁに? 自分とは違うっていうの? そんななりになっちゃった自分とは違うって? あぁ、もう頭まで犬っころになったのかしら? あんたが姫様を助けたんだっけ? 犬みたいに懐いちゃって、無駄なことなのにね」


 声をあげたのは、犬のような姿をした少女であった。下女であることを示すように、服は接ぎはないが古く、擦れて薄くなって今にも穴が空きそうである。頭は犬そのものであり、舌をダラリと出して、ハッハッと息をする姿も犬そのもの。人の言葉を話すのは難しいのか、どこか言葉が崩れている。


 服から覗く手足は茶色の毛皮で覆われており、尻からは尻尾を生やして、人間である証拠は辛うじて人の形の手足をして二本足で立っていることだけに見える。少女である証拠は胸が膨らみ、その体つきがたおやかなものだからだ。


 犬っころと呼ばれた少女へと、皆が見下すようにクスクスと嗤う。だが、その嗤いはどことなく不安げで、嗤うことで不安を消そうとしているようにも感じる。


 他の者よりも扱いが悪いことは明らかで、犬のような少女のテーブルには粥が一杯の他は、副菜も何も置かれていなかった。


「す、すみません、私たち仕事が残っているんでした。ほら、早くご飯を食べて行こう?」


 そのテーブルに座る同じようにノミのような身体や、蜘蛛のような顔の少女たちが犬のような少女へと声をかけて助け舟を出すと、急かして席を立っていった。

 

「あ〜、やだやだ。あんなになったらお終いよね。男なら強く頼もしさも感じるけど、女ではねぇ。哀れで同情しちゃうわ」


 すごすごと去っていく異形の少女たちを見て、同情どころかせせら笑い、メイドは後ろへと向き直る。


「ねぇ、貴方もそう思わない? ……あら?」


 だが同意を求めて声をかけた先には誰もいなかった。誰も座っていない椅子が並ぶだけであった。


「確かに強い視線を感じたのに………。ねぇ、ここ誰か座っていなかった?」


「なにを言ってるのよ。貴女の後ろには最初から誰も座ってなかったわよ?」


「そ、そう? ……変ね、気のせいだったかしら」


 おかしいとは思ったが、気のせいであったろうと気を取り直し、再びメイドはレイ姫の話を続けることにした。なぜか、背中に強い視線を感じるので、何度も振り向くが、やはり誰もいないことに首を傾げながら。


 ────だが、気のせいではなかった。


 その後で、新人下女を苛めて、仕事を押し付けて、気になる男性へとアプローチをしたり、こっそりとレイ姫の宝石を身に着けて遊んでいたりしていたが、どこからか常に視線を感じた。


「お、おかしいわ。ねぇ、そこに誰かいるんでしょ? ちょっと本当に誰もいないの?」


 夕方になり、夕食も終わり姫の側付きに相応しい自分の一人部屋に帰った後も強い視線を感じていた。


 見られている。しかも凝視されている。自分を常に観察しているような不気味な視線をメイドは感じていた。


 お昼から、いや、朝からだろうか。人が大勢いる所では気のせいかで済ませていたが、誰もいない廊下や、裏庭でも視線はずっと感じていた。


 誰かが悪戯でもしているのだろうと、廊下を走って角を覗き込み、裏庭では草むらに身体をツッコんで探したが、猫の子一匹いなかった。


 そして、その視線は一人部屋に戻った今も強く感じている。


 室内にはベッドにタンス、机と椅子と簡素な部屋であり、隠れる所はどこにもない。机の上にぽつんと置かれているランプの火が日が落ちて暗くなった部屋をぼんやりと照らしているが、光の届かない所でも、とてもではないが、人が潜むことはできない。


 だが感じるのだ。嫌な視線を感じる。まるで獲物を見つめるような、自分を訳のわからない所に連れて行くような言葉にはできないなにか不気味さをずっと感じていた。


「そこにいるんでしょ!」


 床に伏せて、ベッドの下を覗き込むが、やはり誰もいない。だが視線は隠すことなく自分を見ているようで、身体がブルブルと震える。


「きょ、今日は疲れているのよね。なにせ洗面水を飲む姫の介護もしていたんだし。きっとそうよ」


 身体がずしりと重い。やけに疲れていて動くのが少し億劫に感じる。いつもと違う疲れな感じがするが、気のせいだと首を振り、努めて視線を無視するようにすると、ベッドに潜り込む。


 まだ夏も終わりの季節なのに、やけに寒い。視線を感じる。毛布を頭から被り、小声で呟く。


「気のせい。気のせいよ……。もう寝ないと。明日も顔だけが取り柄の姫の相手もしなくちゃならないんだから。そうよ、明日はもっと泥を入れてやろう」


 できるだけ楽しいことを考えようと、ギュッと強く目を閉じて眠りにつこうとし───。


『ミテイルヨ』


 耳元でナニカが語りかけてきた。声は男か女かもわからない。ただ不吉なる声音であり、耳に入れてはいけないものだった。命の危険を感じるもの。このままではいけないもの。


「だ、誰よ!? 誰がいるの? 誰よ、魔術でからかってるんでしょう! メイド長へと言いつけるわよ!」


 金切り声をあげてベッドから飛び出すが、シンと静まり返る部屋には自分一人。タンスを開けて、机をひっくり返し、ベッドをひっくり返す。


 あまりにもの騒音に、心配した他のメイドが見に来たときには、髪を振り乱し、恐怖で顔をくしゃくしゃにしたメイドの暴れる姿があったのだった。


 その場ではなんとか収まって、次の日も仕事に出たが、メイドの顔はたった一日でげっそりと痩せ衰えていた。


 ───そして、メイドの狂乱は一週間続く。


 誰かが見ている。誰かが耳元で囁くの。ナニモノかが私を連れて行こうとするのと。


 一睡もしないで、夜になると、一人になると暴れるメイドは遂にレイ姫の側付きをクビになるのであった。


 実家に返される時、彼女はブツブツと誰かが見ているのと呟き、その姿は痩せ細って見る影もなかったという………。


          ◇


「ふんふんふーん」


 鼻歌を歌いながら、私はベッドに寝そべり、手の中にある透明なキャラメルのような物を転がす。ふわふわとした良い気分。この一週間、具合が悪いからとベッドに潜り込み、すやすやと寝ていたのだ。

 

 身体の調整と使える能力の検証もしなくてはならないから、ちょうど良かった。


 そして人間の身体で眠るということがどれほど素晴らしいことなのかも再確認できました。睡眠は人間の三大欲の一つと言われるが納得である。誰にも邪魔されずに眠ることがなんと素敵なことなのか、言葉にもできません。二度寝サイコー。


 ご飯は粥で、たぶんアワとかヒエとか呼ばれるものが入っていた。健康に気を使ってくれたらしい。優しい料理長には感謝しかありません。


 この身体を強化レベルアップさせたら、真っ先にお礼を言いに行く所存です。


 転がす透明なキャラメルのような物を口にパクリと放り込む。いわゆるおやつタイムというやつ。口の中に入ると淡雪のように一瞬で溶けて、じわりと温かさが感じられて、僅かだが甘みを舌に感じて、頬を緩ませる。


 地味で食べごたえもないが、それが良い。毎日食べられる美味しさというやつです。これがとても美味しかったら、三日で飽きただろう。何事もほどほどが良い。


 口の中で無くなってしまったことに悲しく思いながら味を反芻する。


「生気って、美味しいんですね。主食にするのもわかります」


 今食べたのは、泥の洗面水を持ってきたメイドから貰った生気と霊気が混じった物だ。今までは霊気しか食べられなかったが、意外や生気も美味しい。


 かつての仲間たちの中で、人間の生気を食べる輩が多かったことに納得だ。咀嚼するにも消化するにも霊気が大量に必要なため、生気を食べて消えていく者も多かったことから、私は生気は食べなかったが、今なら肉体を持つ存在。霊気を使わずに吸収できるから拒む必要はない。


 それどころか、身体がだいぶ回復してきた。ほとんど生気と霊気がない身体に多少なりとも生気と霊気を吸収できたので、ヨロヨロと覚束ないが、それでも命術を使わずとも、辛うじて身体を動かすことができるようになった。


 『霊術』を使った甲斐があったものだ。


 人が持つエネルギーは生気と霊気がある。


 そのうち生命を根源とする生気を触媒とする『命術』は身体能力強化など肉体的な能力を高める。退魔師などが使う術だ。


 『霊術』は対照的だ。人間の魂を覆う衝撃吸収材のような物が霊気であり、霊気を触媒としてオカルトめいた効果を発揮するのが『霊術』なのである。


 『霊術』は霊気を触媒とするが、霊気を持つ生命ある者は使えない。霊気を奪い取る私みたいな者たちが使える専用の術だ。受肉してもその本質は向こう側の私は『霊術』が普通に使える。


 『第一霊術:見つめるモノ』はかけた相手に何者かに見られていると感じさせて圧迫感と不安感を与え、恐怖で魂を雁字搦めにする。


 そうして1日に10%の生気と霊気を奪い取る。オカルトを見た代価である。まぁ、3キロ程度をマラソンした程度の疲れだし、寝れば回復する。


 ただ一度かければ、破られない限りは常駐する初級にしては便利な霊術である。


 昨今は『疲れからくる自律神経失調症ですね、睡眠薬を出しましょう』と医者に診断されて破られてはいたけど。


 この霊術を打ち破るには、視線に慣れるか、強き精神で打ち払うか、心の底から違うことが原因だと信じるかなので、昨今では、自律神経失調症か鬱病と診断されて破られる残念霊術になってしまったけど。


 即ち、効果が続いているということは、異世界ファンタジー万歳、低い文明ヒャッホー、素朴な人々ウェルカムなのである。


 メイドから未だに生気と霊気が流れ込んでくることから、しばらくはこの霊術は保ちそうだ。


 どうやら、レイという名前が私らしい。メイドからもう少し生気と霊気を奪い取って身体が回復したら、本格的にこの地を調べるつもり。


 それまでは今日も眠ろうと強く誓う。決して怠惰なわけではない。疲れやすい赤ん坊のような体力しかないから仕方ないのだ。


 誰に言い訳するかも不明だが、鼻歌を再開しベッドに潜り込むと寝ることにする。


「名も知らぬメイドさんに感謝を。貴女はたいへん美味しかったです。悪意を向けられていなければ、私は弱って動けなくなるところでした」


 攻撃的な霊術の使用条件はやたら厳しくて、悪意や殺意を向けられなければ発動できない物が多い。目には目を、歯には歯をと言うやつです。低位霊術だと尚更使用条件は厳しいのです。


 なので、弱りきっていた私に悪意を向けてくれたメイドさんは知らず生気と霊気を私のご飯としてプレゼントしてくれたのだ。


 メイドさんへの感謝の言葉を口にして、銀髪の見目麗しい美少女は、女神のような慈しみを魅せる優しげな笑顔で寝るのであった。

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[良い点]  無敵のチートではなく「対価や縛りがある中での異能」なのが昨今のファンタジーとは違いジジイな読者には「そうそう指先ひとつで強敵があっさりコロコロされるお気楽な令和のノリはちょっと味気ないん…
[気になる点] 誤字を1つ >>その体つきがたよやかなものだからだ。 →その体つきが『たおやか』なものだからだ。 [一言] おや、根こそぎしないのか。 優しいのではなく条件が厳しいだけっぽい?
[良い点] 更新ありがとうございます。 次も楽しみにしています。 [一言] 現代医術に敗北するふぁんたじー
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