28話 人柱
「なるほど、やってくれたようですね。人の顧客を騙して使うとは。逆恨みというやつです。きっとハルマゲドンで負けた恨みを晴らそうとしたのでしょう」
「ハルマゲドン! そのような戦いが神と悪魔との戦いであったのですか!?」
なにげない感じて話す神狐のハルマゲドンとの言葉に興味津々で、勢い込んで稲穂は身を乗り出す。ハルマゲドンとは、少し信じられないセリフで、しかも退魔師心をくすぐるからだ。
乗り出すついでに神狐の尻尾にコテリと倒れ込んで、またもやモフモフするモフリスト。モフリストはモフモフを前に我慢はできないため仕方ない。
「はい、そのとおりです。霊帝率いる魔の軍団と神々との間で、神域を戦場とし激しい戦争が最近あったのです。奴らは負けて逃げ去ったのですが、虎視眈々と仕返しを考えていたのでしょう」
「なんと……そのような戦いあらば、わたくしたちもお呼び頂ければ、僅かなる力しかありませんが、それでも命をかけて戦ったものを………」
尻尾をマフラー代わりにしてモフっている少女の言葉は説得力がある。
「あれは人が戦える次元では、なかったのですよ。ですがその心は嬉しく思いますよ稲穂さん。そして奴らはほとんどの霊気をうばわれたため、力では敵わぬと搦め手で来たのでしょう」
しかし神狐は慣れているため、一切動じない。この家門は常にモフる隙を探す因果な家門なのだからして。なので、超人的な精神力で慈愛の笑みを浮かべて、稲穂の頭を優しく撫でる。
「それはどのような?」
ふにゃふにゃの蕩けた顔で、稲穂は話を聞いていたが、次の話の内容は看過できなかった。
「貴女の切り倒した柱は神の存在を保つ『魂柱』の一つです。神域にあるため本来は侵入すら不可能。退魔師の貴女を鍵として侵入させたのです。無論、その柱一つで神が消滅することはありませんが………」
「くっ、そうして神々を弱らせて、私共を異世界に送ることで証拠を隠滅させたのですね。おのれ、霊帝! なんと卑怯な!」
謀略に引っかかり、しかも神の『魂柱』を破壊してしまったと聞いて、稲穂は激昂する。悪辣な罠に引っかかってしまったのだ。
「許すまじですね! そんなに深く考えられた作戦とは! 神狐嘘つかない! なぜならば神狐だからです!」
嘘は言っていない。しっかりと見ていたのだから間違いないと、神狐はその神性から嘘はつけないのだ。言わないことはあるかもしれないけど。
神狐も怒りコンコンこほんこほんと狐らしく鳴いて、稲穂は悔しそうにウンウンと頷き、サワサワと尻尾を撫でる。人間相手ならたとえ少女でも捕まっている可能性がある娘である。
「おかしいと思っていました。チート能力をあげると言われて、ステータスが見られるこのようなゲームじみた力を手に入れたのですが……罠でしたか」
そんなモフリストの稲穂の前に半透明のボードが現れて、稲穂の名前とステータスとスキルが表示される。
たかなしいなほ
しょうこう:えらはれしゆうしゃ
しょくきょう:まとうし
れへる:99
ひっとほいんと:999
えむひー:999
ちから:255
たいりょく:255
すはやさ:255
まりょく:255
うん:255
しゅまん:まとうわさ
そこには稲穂の名前、ジョブ、身体能力と持つスキルがある。ふーんと神狐はステータスボードをペチペチと触り、半眼となってしまう。
「チートではないですか。なんだかメガバイトも使っていなさそうなステータス表記ですが。濁点も使えないし、じゅもんではなくしゅまんに打ち間違えてもいるバカバイトを使っていそうですが、稲穂さんはこんなに強いんですか?」
「いえ、まったく変わりません。恐らくは命術が関係しているのかと。他の三人は普通よりも遥かに強靭な肉体です」
「ふむ……そうなのですか。呪術と命術は共有できませんからね。過去にも呪術にかけられた際に命術を教えて、弾き返すといった教えをした覚えがあります」
「さすがは神狐様! 常に人々を助けるそのお姿。わたくしは感嘆しきり、感動で尻尾に潜りたい程です!」
既に尻尾に包まれて潜っているような感じもする稲穂。だが、たしかにそのようなことをしていたのだから神狐は嘘つかない。
墓で彷徨く幽霊を見に、胆力のある青年が酒場で本当にいるのかとの言い争いになり、それでは見てくるので、本当にいたら酒を一杯奢れよと命の価値を酒一杯にした青年。墓に行ったら本当に幽霊がいた。なんだか身体が寒くなり慌てて酒場に戻り、仲間は顔を青褪めさせた青年を心配する。
そこに坊主が現れる。おや、そなたは呪われておると。このままでは三日後に死ぬだろうと伝え、慌てて泣き叫ぶ青年に助かるには全ての財産を捨て、坊主になりなさいと言うのだ。そうして坊主になった青年はお坊さんに呪いを弾く命術を教わり、後に有名な退魔師となるのである。
そして財産はお坊さんが貰っていきました。めでたしめでたし。三日後に死ぬのに、なぜ命術を習得するまで死ななかったかは、幽霊とお坊さんに聞かないといけないだろう。多分一回で聞き取りは終わるだろう。なぜかはナイショだけど。
「しかしこの雑な呪術……異世界に堕とすためのものだったとはいえ、適当すぎます。たぶん初期の呪術ツクールを使ったんですよ。何十年前のものを使っているのだか、呆れてしまいます」
「この呪術は人を堕とすためのものだったのですか?」
「そうです。呪術の対価は常に等価。異世界に堕とすためには、かなりのエネルギーが必要。そのためのエネルギーとしてそれ相応の力を与えなければならなかったのでしょう」
「あぁ、なるほど理解しました。チート能力を与えたために異世界に堕とされたのではなく、異世界に堕とすためには、力を与えないといけなかったのですね。反対だったのですか」
ポムと手を打って、稲穂は眉を顰める。さすがは退魔師の一門。どうしてチート能力を貰えたかを簡単に推理して真実を突き止めた。
「悪辣なことにこのチート能力は長く使えないようにしてあります。使い続ければ、予想だと……。まさか小鳥遊の一門がいたとは思っておりませんでした。ちょっと失敗です」
「いえ、この場に降臨してくださっただけでも、この稲穂は感謝しかありません。自分で罠だと気づかなければならなかったのです。モフモフさせてくれない時点で稲荷神を名乗るあやつを怪しむべきでした」
好意的に捉える稲穂。きっと神狐様は助けてくれようとしたのだろうと、気遣いに感謝する。
「しかし、事態を理解したからには放置はできません。少し離れてください稲穂さん」
「わ、わかりました」
真面目な雰囲気で告げると、空気を感じとり、稲穂は残念そうに尻尾から離れる。それを見終えて、空気を厳かな空気に変えて、神狐は立ち上がる。岩の上に置いてある酒盃を手に取ると、スイッと回転して酒を周りに撒くと呼気を吐く。
「あらゆる呪術を打ち消す太陽の炎を」
ボウと手のひらから一瞬白き炎が吹き出る。その光は強烈なれどとても優しく、稲穂の目には心を和ませる力を感じさせていた。周りの獣たちも、その炎を前に怯えることもなく、お座りをして顔を緩めて寛ぐ。
━━━だが、あらぬところから、声が響く。
「ギャー! 目が、目が〜」
少し離れた草むらから悲鳴が響き、誰かが転がり出てきた。苦しみ呻き、ゴロゴロと転がる。
「む? あれは見張りの方ですね。どうやらつけられていたようです」
稲穂がこっそりと天幕から離れたことを怪しく思ったのだろう。だが、なぜ目を押さえているのだろうかと、不思議に思う稲穂。
しかし、神狐にはピンときた。
「あの者は目が変ではありませんでしたか?」
「ん〜……全然興味がなかったので注意深くは見ていませんでしたが、普通でしたよ?」
「稲穂さんが気づかなかったということは、たいしたレベルではなかったのでしょう。k@sg:?oなのです」
「……申し訳ありません。一部聞き取れない箇所がありました神狐様」
やはり一部の言葉にノイズが入ると、稲穂は顔を顰める。ふむと、神狐はその言葉を聞いて、ジッと稲穂を見つめて、紅い瞳が妖しく光る。そして、面白そうにクスクスと笑う。
「なるほどなるほど。考えましたね。この呪術、かけた相手は貴方たちを片付けるようにとも考えていたと。では、そこの男を見てみなさい」
神狐が指差す男は、既に痛みは消えたのか、不思議そうに立ち上がる。そして、ハッと気づいて辺りを見渡す。
「暗闇だ! 明るくねぇ、お、俺の目が普通に戻ってる! な、なんでだ?」
「ん? 暗いのは当たり前ではないでしょうか?」
慌てふためく男の言葉から、神狐は楚々と微笑む。
「恐らくは『暗視』の特性を持つ者だったのでしょう。ですが、炎に照らされた程度で消えるレベルと。では結果もわかったことですし、稲穂にはこれを」
小さな手を差し出す神狐。その手には白き塊があった。その塊の数は四個、
「これは一切の不浄を打ち消し、穢れを消滅させるナンコ、いえ、神狐特製飴です。一つ食べなさい」
「ありがたく頂きます」
稲穂がパクリと口の中に入れると、コリコリとした少し硬い感触がして━━その次の瞬間、体内が燃えるように熱くなり、白き炎が一瞬身体から吹き出して消えた。
そして、ステータスボードに乱れが入ると、ザザッと消えていってしまう。
「これは……呪術を解いてくださったのですね?」
「はい。いかに命術で身を守っていても、か、敵がかけた呪術は極めて強力。いつ魔に汚染されるかわからなかったですから」
今までよりも身体が軽くなり、気づいていなかったが、肩に重りでもついていたのかという程に調子が良くなっている。それどころか今までよりも命術が強力になっていそうだ。
それも気になったが、それよりも気になる一言がある。
「魔に汚染ですか?」
「そのとおりです。どうやら認識阻害の呪術も解けたようなので重畳。あとの飴は残りの三人に差し上げなさい。そして……魔に汚染されるとどうなるかは、そこに隠れているもう一人に聞くと良いでしょう」
ニコリと微笑む神狐の視線の先、草むらからがさりと音がすると一人の男が出てきた、細目の男は、神狐たちのそばに来ると膝をつく。
「これは申し訳ありません。魔の汚染を浄化なさるとは、いずれ名のある神さまであるとお見受けします。供物もなく、隠れ潜んでいたことには謝罪を。こちら、皇族にも納めております菓子となります。こちらをお納めくださいませ」
それはエゴノキであった。どうやら見張りに聞いてついてきたのだろう。恭しく菓子を神狐に奉納する。その差し出されたものを見て、ピクリと片眉を上げるが、素知らぬフリで神狐は受け取る。
「では、元の世界に戻す方法は考えておきますので、元気に暮らしなさい稲穂さん。さらばじゃー」
貰ったものを懐に入れると神狐はぽんと煙をあげて、あっさりと立ち去る。周りの獣たちも我に返ったかのように、ゆっくりと巣へと帰っていく。
「神狐様、今回はわたくしの呼びかけに応えてくれてありがとうございました」
立ち去った神狐へと深々と頭を下げると、稲穂はエゴノキを睨む。
「こちらも黙って抜け出したのは謝りますが、そちらも一声かけてください」
「すみません。ちょっと信じ難い目を疑う光景でしたので。まさか魔を祓うことのできる力の持ち主が現れるとは想像もしてませんでした」
ちらりと向ける視線の先は、『暗視』の能力が無くなり慌てふためく男の姿だった。ただの人間に戻ったのだ。
「光の使徒にしては魔術を使うのでおかしいと思っていたのですが、真実は貴女だけが使徒であったということなのですね」
「はぁ……まぁ、勝手に思っていてください。わたくしは友人たちにこの飴を食べさせないといけませんので」
稲穂はそんな厨二病的な言い回しには興味はない。とりあえずは友人たちの呪術を祓おうと立ち去る。これで大事には至らないだろうと。正しさを信じる稲穂はそう気楽に思っていた。
「さて……使徒様には申し訳ありませんが、彼らがその飴を食べることはないと思います。ふふふ、ですがあの飴は万金の価値があるのですよ」
細目を僅かに開き、エゴノキは怪しく含み笑いをして稲穂を見送るのであった。




