27話 神狐
夜もとっぷりとふけて、虫すら眠る丑三つ時。商隊も三人も寝静まり、見張りの数人だけが焚き火の周りで警戒している頃。稲穂は自身に与えられた天幕にてそっと身を起こした。
「………小梅さん……どうやらすっかりと寝ているようですね。それだけ体力を使う戦闘だったということですが、それを抜かしてもタフなものです」
スカーと寝息を立てて寝ている小梅は起きる様子は全くない。だが、幸せそうで辛そうな様子はまったくない。
異世界転移を本気で目指す者の力を甘く見てたと、内心で呆れ半分、感心半分だ。なにせ異世界は中世文化、体力勝負のところもあると、体育会系の部活に誘われるほど、熱心にマラソンに励んでいたのだから恐れ入る。
オカルト的な場所ならば、たとえ山深き奥の洞窟でも、道の通らぬ樹海でも探検に行くためにも体力作りは必要であるとの言い分からであった。
(まさか本当に異世界転移するなんて……。三人は残された家族が恋しくないのでしょうか?)
自分の場合は特殊な環境だったので、しばらくは心配しないだろうが、それでも音信不通となれば慌てるに違いない。家族のことを思うと心が痛む。恐らくはお役目に失敗して死んだと考えられている可能性が高い。
悲しげに顔を歪めて、稲穂は天幕をそっと開く。焚き火の前に三人の護衛。稲穂たちも護衛ではあるが見張りをお願いされるほど信頼関係は結んでいないために、夜はゆっくりと就寝できた。
(小説とかですと、助けられた主人公が見張りを買ってでて、夜の見張りをやるといったこともありますが、確かに夜に裏切られたら皆殺しに合うかもしれませんもの。当然といえば当然の話)
やはり現実は違うと、苦笑しながら体内の生気を練る。自身の気配が希薄となっていき自然と同化したかのように変わる。目で追わなければ、もはや誰も気にしないだろう気配の薄さを保ちながら、そっと天幕を忍び出ると、商隊から離れてゆく。
サクサクと草を踏む音だけが夜の中に微かにして、稲穂は満月の月明かりのもとで、昼間に決めていた少し開けた場所に辿り着く。そよ風が吹くと、サラサラと草が靡き、緑の気持ちの良い香りが身体を軽くするかのようだ。
「この土地は肥沃ですが………人の手が入らない場所とはいえ、ここまで土地に生気が漲っているということがあるのでしょうか?」
繁茂する草木は枯れているものなどない。みな、すくすくと天へと目指すかのように元気よく育っており、木陰に隠れてしまっている若木すらも生気に満ち溢れているのだ。稲穂の霊視で全てが生気に満ち溢れているのが見えるのである。
そのことに怪訝な面持ちで、稲穂は不思議に思う。聖地レベルでないと、ここまで生気に満ち溢れることなど普通はない。どこかで澱みがあったり、枯れ果てた場所などがあるものなのだ。
それは、天秤のようなものだ。光あるところに闇がある。等価であり生気のみということはあり得ない。
「そういえば、ここまで旅してきた土地も全て生気に満ち溢れていました。田畑は肥沃で、肥料をあげずとも実りは多かった………。異世界とはここまで恵まれているのでしょうか。少し信じられません」
違和感がある。この秘密はなんなのかと疑問は湧くが、すぐに気を取り直し、パンと頬を手で叩き気合いを入れる。今はそんなことよりも、目の前のことを片付ける必要がある。
そろそろ秋が近いのか、そよ風が冷たく感じられる中で、リーンリーンと鈴虫の奏でる音が耳に心地よい。深呼吸をして、身体に巡るような気持ちの良い森の空気を吸い込むと、懐に手を入れて小さな手乗りサイズの酒盃を取り出し、突き出しており座るのにちょうど良さそうな岩の上に置く。
そうして、先程エゴノキから譲り受けた酒をとりだして、トトトと酒盃に注ぐ。酒盃が月を映し出して、ゆらゆらと水面を揺らすのを確認すると一歩押し下がり、両手を天へと翳す。
その面持ちは凛々しく真剣で厳かな空気を醸し出していた。
フゥと息を吸い込むと、稲穂はぴょんと飛び跳ねて
『第五命術:生気具現』
ぽふんと煙に包まれると、宙返りをして降り立つ。その頭からはぴょこんと狐耳が生えており、お尻からはもふもふの尻尾が現れていた。ただし、この世のものではない証に青白く半透明だ。
変化した稲穂は狐っ娘と変わり、ふわりと一回転して舞い踊る。その姿は酷く幻想的であり、神秘的な触れてはならぬ美しさを持っていた。
「コンコンキツネ、コンコンキツネ、そは神の使徒にて、我らの導き手。コンコンキツネ、コンコンキツネ、そなたは我ら人の導き手。どうか我らに導きを。明日の光を見せてくださいませ」
舞いながら朗々と歌う稲穂。一回転するごとに、生気の光が舞い散り、この地は幻想の舞いの中で、人の世から外れていく。
草むらからうさぎが顔を出し、鹿が無警戒に姿を見せて、獲物がいるにもかかわらず襲いもせずに、散歩でもするようにオオカミたちが姿を現す。フクロウがその背中に乗り、猪がのそのそと歩いてきた。
あり得ない光景であった。草食動物と肉食動物、狩るものと狩られるもの、獣たちは以前からそのような関係などなかったかのように集まってきて、その様子を見た稲穂は額に汗をかきながら、ますます熱を入れて舞い踊る。
そうして気づいた時には、空に散りばめられた宝石のような星空が光の帯となって世界を流れており、チラチラと雪のように神秘的な光が粒子となって降ってきて────。
「あれ、今年はもう導きの儀式はないと思っていたのですが、どうして今頃儀式をしているのでしょうか? それに異世界で呼び出されるとは思いませんでしたよ」
可愛らしい少女の声が聞こえてきて、神秘的な力が感じられて、魂が震え始める。
稲穂が舞を止めて振り向くと岩の上にちょこんと少女が座っていた。稲穂の偽物の狐耳と尻尾とは違う。磨いた銀よりも美しい透き通るような銀髪で、魅力的に輝く狐耳と尻尾を持ち、ルビーよりも紅き瞳の巫女服姿の少女だった。
その姿を見て、すぐさま稲穂はスライディング土下座をした。
「かくも賢き、我らが陰陽師の導き手、神なる狐様に
ご挨拶にもふもふ申し上げる。小鳥遊家が陰陽師たる稲穂、神狐様の前に。ふぉー、もふもふ。お狐様サイコー」
少女の尻尾へと、スライディング土下座をした。
土下座というか、もふもふ尻尾に顔をつっこんでいた。先程までの凛々しい顔はどこにもなく、とろけた顔で頬を紅膨させて、口元からはよだれを垂らしている。
「小鳥遊の者ですね。稲穂と申すか。初めましてかの?」
そして、動揺せずに銀髪狐っ娘は、やさしく稲穂の髪を撫でてあげる。感激で体を震わせて、稲穂は尻尾をぶんぶんと振っていた。本物の狐なら、お腹を出して、撫でて撫でてとお願いするレベルである。
稲穂はケモリストであり、モフリストであった。獣であれば必ず手を出し、子猫とかの鋭い爪の餌食になる者たちのことだ。それでもめげずに傷だらけとなり、子猫を触る業の深い者たちのことである。
「はい、神狐様。陰陽師連合が盟主、小鳥遊家の長女稲穂です。今宵のご降臨は銀髪っ子なんですね。よくお似合いです。後で写真を………くっ、もうスマホのバッテリー切れてました」
ようやく正気を取り戻したのか、片手で神狐の尻尾を撫でながら正座になる稲穂。血の涙を流すほどに悔しげにカメラがあればと呟くが、見かけは大和撫子のような静謐なおしとやかさを持つ少女に見える稲穂を見て、コテリと首を傾げる神狐。
「そなた、他の者たちはどうしたのです? 膳は? ぜーたくな料理が乗った膳は? 一年に一回の楽しみだったんですが」
神にしてはやけに俗物的なことを口にする神狐。ペチペチと尻尾で稲穂の手を叩くと、稲穂は尻尾で叩かれても、嬉しそうにしながら、申し訳なさそうにするという器用さを見せる。
「やはり………既に神事は行われてございます。しかしながら毎年降臨される神狐様ではなく、神狐様の主たる稲荷神が降臨なさったのです」
その言葉にピクリと眉を跳ね上げる神狐。
「呼ばれた? 神事を行なったというのですか。ですが、私は降臨の舞を感じなかったですよ? それに稲荷神が現れた?」
「はい。稲荷神はそこそこの霊気を纏っており神秘的な神々しさを見せておりました。無論、神狐様のお力には程遠く、おかしいとは思ったのですが………。申し訳ありません、いつも敬虔なる小鳥遊を祝福せんと降臨したと言っていたのです」
稲穂は拳を握りしめて、心底悔しそうにする。小鳥遊家は日本の退魔師のトップである。裏では悪魔、妖魔、妖しを退治することを生業とし、表では複数の企業を持つ日本の隠れた資産家であった。
日本トップの退魔師と言われる小鳥遊家は毎年春の満月の夜に祭りを行なっていた。表向きは豊穣を願う祭りだが、本当は自分たちの崇める神狐を呼び出す祭りだ。
昔々、田畑を荒らし、家畜を食らう大蝗という妖怪を倒さんと神社に戦勝祈願をした折に、勇敢なる先祖様の心に感心し、お力を授けてくれたのが神狐である。以来、毎年一回ご馳走を乗せた膳を用意して呼び出す儀式だった。
「毎年導きの儀式を行う私共を狙い撃ちしたのでしょう。どう見ても、神狐様よりも遥かに弱い霊気でありましたが、邪悪なる気配は欠片もありませんでしたので、半信半疑ながらも問題はあるまいと考えてしまったのです。ですが偽物だったのでしょう」
「なんと……そんな理由があったのですね。神事が廃れるのはよくあることとしょんぼりしていたのですが、我が主稲荷神を名乗るとは、おのれ偽物。許すまじです。偽物って、本当に許せませんよね!」
「我らが神事を廃れさせるわけがございません! 騙された我らがいけなかったのです。しかも稲荷神を名乗る女はモフらせてもくれませんでした! 写真撮影も禁止とかほざいて、お高く止まっていたのです。我が一門は邪悪なる妖怪かと疑ったくらいです! 神狐様は常にケモロリ少女の姿で耳と尻尾はお触りオーケー、撮影もえっちぃの以外はNGなしであったのに!」
そして一族揃ってケモリストで、モフリストでもあった。そして一部はロ……。紳士諸君が愛するものでもあった。
「それは許せませんよね! お料理を貰う以上は少しはサービス必要です。まったく偽物はまったくもう!」
目を空に向けて、神狐は手をぶんぶんと振ってプンスコと怒る。可愛らしい狐っ娘の怒る姿も可愛らしい。
「そのとおりです! モフモフの感触が最高なのです。崇めたてるは神狐様!」
プンスコ怒って立ち上がる神狐。それに同調して今度は耳を撫でるモフリスト稲穂。
傍目からしたら、警察にお世話になるレベルの危ない少女と、可愛らしい狐っ娘コスプレ少女である。
だが、その纏う空気は普通ではあり得ない濃密な生気と霊気を放っていた。力の無駄遣いのような気もする二人である。
「で、稲荷神はどのようなことを伝えてきました?」
「はい。偽物はある霊を討伐するため、高校に入学し、そこである三人と共に行動するようにと言ってきたのです。そして、三人が向かう廃墟の中で、無傷で聳え立つ柱を見つけたら切り倒すようにと命じました。その柱が霊の宿る本体だと言うのです」
従った小鳥遊家が白羽の矢を立てたのは歳がちょうど良い稲穂だったのだ。
稲穂たちはその言葉に従った。そして───。
「そしてしばらくは色々な所に行き、ある廃墟にて、言われた柱を見つけました。そこで柱を切り倒したところ、天照大神が光とともに現れてこう言ったのです」
稲穂が真面目な顔で悔しげに拳を握る。
「貴女たちは、邪悪なる霊を倒しました。しかし、霊は最後に貴女たちを呪い殺そうとしましたので、守るためにも異世界に避難させようと。そこでチートスキルを与えるので、幸せに暮らしてほしいと。ですが……恐らくは……」
「………そうですね。嵌められたのでしょう。どんな霊を倒したと言ってました?」
「霊帝と呼ばれるものです」
「へー、ソレハタイヘンデシタネ」
神狐は厳しい顔で頷き、稲穂は経緯を話し続けるのであった。




