26話 使徒の現在
「いやぁ〜、助かりましたよ、皆さん」
あれから四人が森から現れる敵を倒して、ようやく商隊の待機していた場所に戻ると、商人がニコニコと笑顔で歓迎してくれた。
狐のように細い目をして、中肉中背のあまり存在感のない青年。背中に両手を回して、綺麗な立ち姿。四人を保護してくれた恩人である商隊の当主だ。
20代に入ったばかりの青年は四人へと親しげに近寄ると商隊が待機している方向へと指し示す。
「さぁ、ごゆっくり休んでください。森林の幻獣をあれだけ倒したのです、お疲れでしょう?」
「たしかになぁ〜。なぁ、あんたの言っていた幻獣の数は教えられていた数よりも遥かに多かったぜ」
「ほんと。あーし、疲れちゃったぁ〜。もう魔術を使いすぎてくったくた」
「ですね。エゴノキさん、私たちは退治する幻獣はゴブリン10体程度、とお聞きしておりましたが、幻獣はゴブリンの他に角狼に蝶の翅を持つ蜂、バタフライビー、まぁ、他にもそれはもう色々と現れたのですが、これは依頼内容と違いすぎると思います。そこらへん、詳しくお聞きしたいですね」
松生が面倒くさそうにジロリと睨み、口元をニヤニヤと歪める。小梅は、杖に寄りかかり疲れちゃったと口を尖らせながらも、目元は笑っている。竹光ができる男だとわざとらしく丁寧な口調で商人へと尋ねるが、やはり口元はニマニマと歪めていた。
一見責めているような光景だが、三人共に思っていることは一つであるのが、短い付き合いでも稲穂にはわかっていたために、半眼となって後ろからその様子を眺める。
三人は「こういう話をするのがずっと夢だった」と、異世界オタクの魂を全開にして楽しんでいたのだ。優秀な能力を持つ主人公たち。言葉巧みに騙して、三人の能力をこき使う悪徳商人といった光景に憧れていたのだ。
勝手に助けてもらった恩人を悪徳商人にする三人である。細目の中肉中背の青年。その見た目は怪しさ溢れて、悪役に相応しいと第一印象から決めていたのだった。
きっと今回も危険な依頼を簡単な内容として伝えてきたのだろうと、ここに来るまでに問答を繰り返して、セリフもバッチリな三人。
「エゴノキさん、申し訳ありません。依頼内容は正しくゴブリン10体程度。あと数匹は現れましたが誤差の範囲です」
なので、稲穂が頭を下げて謝罪をすると、驚きの顔になる。
「おいおい、真面目もそこまでいくと搾取される社畜になるぜ? 黙って他の仕事をしているとどこまでも押し付けられるんだ」
「そうだよ〜。ニュースとかでよく見るじゃん? ブラック企業に都合の良い社員。俺がやらなくちゃ〜とか、夜遅くまで残業、休日出勤。そして疲労で倒れたらお疲れとクビになるの」
「ですね。真面目にも程があります。あれだけの幻獣を倒したではありませんか。幻獣を倒すと証拠は残らないとはいえ、ここははっきりと伝えるべきです」
委員長タイプは仕方ないなぁと、責めたてる三人。面倒くさいなぁとの気持ちがあるし、せっかくの異世界ザマァイベントを止められた不満もある。
だが、三人の責める様子に、こめかみに指をつけて稲穂は呆れたように首を振る。エゴノキと呼ばれた商人はタハハと笑っているだけだが、ここは言っておかないと駄目だろう。
「皆さんが魔術を好き放題に使ったからではありませんか! 森林を焼き払う勢いで暴れたから、他の幻獣たちが集まってきたんですよ!」
今回の依頼内容は商隊が通る前に、斥候が見つけたゴブリンたちを退治してほしいとの簡単な仕事であったのだ。しかし、三人は自分たちで幻獣を集めて、難易度を急上昇させたのである。
今も森林内から燻る煙が見える。自業自得であったのだ。
「へ? そうなのか?」
「魔術を使っただけじゃん」
「少しやりすぎたとは思いますが」
自覚ゼロの三人は不思議そうに首を傾げる。
「ハハハ……ま、まぁ、これで森林の街道はしばらくは安全です。魔術を使った痕跡を感じて、獣たちはもちろんのこと、他の幻獣たちも近寄らないでしょうからね。……人間も通ることを躊躇うかもしれませんが」
「魔術の痕跡を感じ取ってですか?」
「えぇ、魔術を使った痕跡は数日は残るのですが、ここからも見られるほどの被害。もしかしたら、一ヶ月は残るかもしれませんね」
「………たしかに物凄く臭いですからね。獣なら近寄ることなどしないでしょう。納得です」
エゴノキの言葉に眉を顰めて、稲穂は通ってきた森林へと目を向ける。黒目が微かに紅く染まり、なにかを確認して顔を歪める。
「これだけの生気に溢れた森林です。魔術を使ったら、透明な水に墨を落とすようなもの、汚れが目立ちます」
「仰るとおりです。いやはや、皆さんは大丈夫でしょうか?」
商隊の集まる場所に歩きながら、エゴノキは目立たぬように四人へと目を向ける。細目のエゴノキはどこをどう見てるのかわからなそうに見えるが、訓練された稲穂にはわかる。
ジロジロと上から下まで観察している。なぜかはわからないが、肌を見つめている。そこには厭らしい視線ではなく、実験動物を見ているかのような気持ち悪い感じが混ざっている。
「お疲れ〜。ゴブリンたちは片付けたから安心してくれ」
「そうそう。もうここらへんには誰もいないから安心安全だよ〜」
「まぁ、少々やりすぎたようですがね」
休んでいる人たちへと近寄り、三人は集団に加わる。コミュニケーション能力が意外と高い三人である。それか、相手との距離がわからない三人かもしれない。
その証拠に商隊の皆は半笑いで、三人を迎えていた。魔術を恐れてもいるのだろう。
「ふーっ、疲れたぜ。わりぃんだけど水くれない?」
「あ、はい。これはまだ汲んだばかりですよ」
「おぉ、これこれ。やっぱり水と言えばこれだよな」
松生の言葉に革袋に入れた水を手渡す。松生は嬉しそうに革袋に口をつけてごくごくと飲む。生温い水で革の匂いもきついが、これもまた異世界ファンタジーだと喜んでいた。まだまだ異世界転移して10日間。ガチで異世界転移をしようとしていた少年は飽きてはいない。
「皆さん、水は足りなくありませんか? 僕が呪符で水を作りますよ。温水でも良いです。お風呂とか入りたいんじゃないですか?」
テンプレの野宿で、快適な生活を、お風呂にも入れますを地でやらうとする竹光。だが、人々はビクリと顔を強張らせると、ぶんぶんと首を振る。
「いや、大丈夫です。そんな大変なことをさせるわけにはいきません。ほら、魔術ってとても疲れるでしょう? それに皆さんがいなくなった後に、苦労しそうですから。楽なことはあまり覚えたくないのです。み、水も川や泉から採って十分ですから」
「皆さん、本当に遠慮深いんですね。お風呂は気持ち良いのですが、そういう文化のない世界なら仕方ないかなぁ。ゆっくりと啓蒙していくしかないか」
せっかくの異世界テンプレだったのにと、これが風呂かと感心してくれる人々の様子を見たかった竹光はつまらなそうに、目元をクイと触る。
旅に出てから、何回か呪符による便利魔術を勧めたのだが、商人たちは全て断ってきたのだ。水すらも魔術による補充を断ってきたのである。
それは途中途中で立ち寄った町や村も同じであった。酒場では、コップに魔術で作った氷を入れて冷たいので美味しいですよと勧めたのに、誰も飲まない。看板娘がとっても美味しいですと笑顔を見せてくれるかと勧めたのに半笑いで仕事中なのでと逃げられる始末。
「やっぱり魔術って、一般的じゃないんだよなぁ。僕のようにポンポンと魔道具を作れる者はいないんだろ。ふふふ、チート能力万歳だな」
きっと魔道具は高価でこんなに気楽に使うことはできないのだろうと考える竹光。たしかに前の世界でも、いきなりスーパーカーにただで乗せてあげるとかレストランで高価な料理を食べても良いよと勧めても、裏があるのではと警戒するものだ。無理もないかと納得していた。
だからこそ、これから大量に魔道具を作って売れば、大金が入るだろうし名声も上がるのだろうとほくそ笑む。将来は貴族になり、便利グッズを広めて歴史に残る錬金魔術師となる。「異世界に落ちたけど、チートな錬金魔術士なので人生楽勝です」とかタイトルがつけられるだろう。
「今日はここで終わりなんだよね。それじゃ、あーしはお風呂〜。たけ〜お風呂作って〜。誰にも覗かれないやつ〜」
「はいはい。仕方ないなぁ」
「俺も飯の前に風呂だ。竹光よろしく」
汚れちゃったなと三人は集団の外れに歩き出す。
「小鳥遊さんもどうですか? 覗きなんかしないので安心してください」
「いえ、私は大丈夫です。……お風呂のお湯がどうにも肌に合わないようなので。ほら、この間お湯に触っただけでヒリヒリしたでしょう?」
「う〜ん、普通のお湯を作っているつもりなんですけど、なにかアレルギーみたいなものがあるのかなぁ。今度研究してみます。では、申し訳ありませんが、僕たちはお風呂に入ってきますね」
竹光が稲穂を誘うが、ニッコリと微笑み断る。確かに呪符で作ったお湯に手を入れたら、稲穂の手は少し赤くなり拒否反応を示したのである。そのことを知っている竹光はなにかアレルギー的なものだろうと気にせずに外れで呪符を使い土の囲いを生み出し、お風呂を作っていった。
「いやぁ、皆さん度胸があると言いますか……やはり普通とは違う方たちですね。あれだけ魔術をポンポンと使うとは、私共ではとてもとても」
「……そうですね。エゴノキさん、どうして魔術を使うといけないのでしょうか?」
三人が風呂に入るのを見ながら、エゴノキが多少顔を引きつらせているので、目を細めて白々しく稲穂は尋ねる。
「そりゃ、@※P8!──KDだからですよ」
エゴノキが理由を語ってくれるが、その言葉はノイズが入り、要領を得ない。他の言語は日本語なのに、これだけは毎回聞き取れない。文字で書いてもらっても、そこだけ文字化けしてしまう。
嘆息して稲穂は聞くのを諦める。魔術の副作用がどのようなものなのかわからないが、ろくでもないことは稲穂は専門家として予想はつく。
三人はそもそもこのことについて、尋ねる気持ちも浮かばないようだ。
(なにか頭に術をかけられましたか……。このままではいけませんね………)
「ありがとうございます。では、わたくしも休ませていただきます」
「いえ、これくらいは。ですがご友人にはあまり魔術を使わないように忠告をなさった方がよろしいかと」
「あの三人が聞いてくれると良いのですが、ご忠告ありがとうございます」
いえいえ、ではとエゴノキが離れていくのを見届けて、稲穂も休むことにする。もう陽が落ちてきて、少ししたら夜になるだろう。
誰からも距離をとり、木の根本に座ると身体を休める。なんだかんだいって幻獣たちとの戦闘は疲れた。
「幻獣……。倒したら溶けるようにすべてが消える化け物……。魔物とか魔獣とかこの世界では言わないのですね。異世界ファンタジーも色々と不思議なものです」
倒したゴブリンたちはまるで最初から存在しなかったように消えてなくなる。倒しても良いことはなく、苦労ばかりする相手だ。幻の獣とはよく言ったもので、最初に戦闘した時は驚いたものだ。
「まぁ、この世界のことはまだまだ放置しましょう。それよりも今日は満月……これならば、問題ないはずです」
空をあおぐと、ゆっくりと姿を現す満月が目に入る。こんなことになってしまったが、この世界でも月は変わらずあるみたいだ。
「こたびのお役目……。どこか変です。そもそもいつもの神狐様ではなく、稲荷神自身が現れたことからおかしかったのです。ですが、こたびの儀式でそれもわかるかもしれませんね……」
そう呟くと、夜中になるまで稲穂は身体を休めるために目を瞑るのであった。




