22話 浄化
『打ち首』。それは言葉の響きだけで不穏な言葉であった。
そして、おばばのつばは汚いなと、絶叫してつばを飛ばすおばばは迷惑だった。
とはいえ、『打ち首』とはだいたい想像できる言葉だ。予想できると言っても良い。群衆の一人がおばばへとさらに教えてくれるようにと水を向ける。
「『打ち首』ってな、あれだろ? 首をちょん切るのかい?」
「そうじゃ………古来の法。邪魔な者、罪ある者を首を切って殺す恐ろしい法じゃ。それを防ぐには柿を食べるしかないと言われておる………。馬鹿げた法じゃと、柿を食べなかった石田三成は『打ち首』にあったとの古代の歴史じゃ」
『名言、迷言集』で読んだことがあるのじゃと呟くおばば。たしかそんな感じじゃった。関ヶ原の決闘で柿の早食いに負けた石田三成が殺されたのかもと、内心では少しだけ疑問が浮かんだが、知識を披露できるチャンスを逃したくないおばばは、そういうことにした。
「そんなっ! それじゃ、バルコニーに立つ少女たちは『打ち首』にされちゃうの? そんなことってないわ!」
「魔物に堕ちる前に殺す………非情ではあるが合理的なのかもしれぬ……。そして殺すのに、皇女様は魔術を使うつもりじゃろう。つもりじゃろう〜」
またもや自前でやまびこのように科白を繰り返すウザさを見せるおばばだが、赤ん坊を抱えた妻は涙目となり、他の人々も不安そうにする少女たちを見上げて、可哀想と同情の眼差しを向ける。
「可哀想に………そういうことだったのか」
「魔術を使えるようになったからって酷すぎるわ」
「そんな自分勝手な奴はすぐに魔物に堕ちるさ。畜生め」
人々はまだ見ぬ皇女に対して、罵りの言葉を発する。ザワザワと不穏な空気が醸し出される中で、ジャーンと銅鑼の音が響き渡り、兵士が声を張り上げる。
「これより太陽の如き偉大なる結城皇帝が第13皇女たる結城レイ皇女様のお力をご披露なされる。皆静かにせよ!」
なぜかアフロヘアーの兵士だが、その言葉にさすがに人々は口を噤み静まり返る。皇女への侮辱は不敬罪となるので、さすがに本人の耳に入ったらまずかろうとの考えからだ。
耳に入るのはチュンチュンと可愛らしい声で鳴く、見たこともない茶色い小鳥の鳴き声のみ。
しかし、その静寂もすぐに終わる。しずしずと楚々たる足運びでバルコニーに入ってきた皇女に目を奪われたのだ。
「おぉ、なんという美しさだ」
「あの方が皇女様? デブだって聞いてたわ」
「本当だ。あれ程の美少女はお目にかかったことがねぇ」
人々は目にした美しい少女に感嘆のため息をつき、ただ歩くだけでも威厳を感じさせるその姿に、無意識に敬いの心を持つ。
靡く髪は月明かりを集めたかのように美しい銀。背中まで伸びるその滑らかさと艷やかさは清流のようだ。瞳はどのような最高級のルビーも敵わぬ深い紅さで、見つめていたらどこまでも吸い込まれそうな魅力を持っている。スラリとした鼻梁と色素の薄い淡い桜色の唇。幼い可愛らしさと、大人の色気を合わせたような小顔。
背筋を伸ばして歩く姿は堂々たるもので、まだ11歳であるのにその肢体は美女となるだろうスタイルであった。銀のティアラを頭に飾り、宝石のついたネックレスを首から下げて、肩を見せているドレスを着ているが、豪華であるはずの服装は完全に皇女の美しさに負けていた。
バルコニーに立つと、レイ皇女は群衆を見下ろして、その小さな唇から言葉を紡ぐ。
「皆さん、私が第13皇女結城レイです。勇者の末裔として神の巫女として覚醒した『神女』である!」
バッと優雅に手を広げるレイ皇女。
「へへぇ〜」
と、皆は無意識に膝をつき平伏する。その威厳は言葉に発さなくとも「ひれ伏せ」と語っているのを感じたのだ。
先程までの不満や憎しみは霧散して、人々の心の底から怯えてもいた。なぜかその紅い瞳から底知れぬ恐ろしさを魂が感じ取ったのだが、それには気づかない。
「哀れなる少女たちよ。私の神聖術により、今そなたたちの呪われた身体を解放しましょう。見事解放できたら、お捻りをお願いします」
なんだか余計な一言があったような気がするが、平伏して畏れに身体を震わせる皆は聞き流した。
『神術:太陽神の神剣』
レイ皇女が白魚のような手を合わせると、光が満ち溢れてくる。その光は太陽の暖かさと神聖さを持っており、周囲を照らしていく。
手を広げていくと、その間に純白の剣が姿を現していき、白き炎が吹き出すと、レイ皇女を包み込む。炎に包まれても毛筋一本燃えることなく、炎により銀髪が吹き上がり、ドレスがはためく中で、ニコリとレイ皇女は微笑む。
幻想的な光景に人々は言葉を失い、その姿を焼きつけんとする。自分たちは神代の力を目の当たりにしているのだと自然に理解して魂が揺さぶられ、涙が零れ落ちていく。
レイ皇女は白炎が吹き出している神剣を横手に構えると、ゆっくりと息を吐く。その構えは素人のものではなく、素人の目でも達人を思わせる。
「一切の不浄を燃やし、全ての呪いを解く神剣の力。浄化の一撃です!」
腰を捻り、力の乗った一撃をレイ皇女は繰り出す。振られた剣は綺麗な剣筋にて、白炎を剣身へと変えると、たった一撃で三人の少女たちの首を通り過ぎ、炎と共に切り落とすのであった。
「あぁっ、彼女らは浄化のお力により魔に堕ちることなく、あの世へと行ったのじゃぁぁぁ! これは伝説となろう。儂は必ず語り部として人々に伝えていこうぞぉぉ」
おばばはここぞとばかりに大声を張り上げ、額に血管を浮き出しにして熱弁する。今後、おばばの語りは、この光景から始まる予定だ。
「やっぱりそういうことだったのね……ううっ」
落とされた首も、残った異形の身体も白き炎により燃やされていくのを見て、赤ん坊を抱えた妻は嘆き悲しみ崩れ落ちそうになる。僅かな希望はたった今潰えた。浄化とは殺すことであったのだ。
「仕方ないよ。見なさい、あの炎には黒き魔が一切無い。きっと神聖なるお力なんだ。きっと少女たちの魂は救わアヂィィ!」
肩を撫でて慰めようとする夫だが、自身が燃えて悲鳴をあげる。
「キャァァー、熱い、熱いわ!」
「えーんえーん」
見れば妻も白き炎により燃えていて、大切な赤ん坊も同じく炎に包まれていた。悲鳴が響き渡り、苦しみもがく。白き炎は強烈なる眩しさで瞳を焼き、肉体を燃やしていく。
見ると、レイ皇女が持っていた神剣が砕けて、白い灰となり周囲へと降り注いでいた。その光景に似たようなものを見たことがある。
瘴気の黒き灰だ。あれは触れると身体が魔に汚染されるが、この白き灰は対照的に、神聖を人に与えるのだろう。
そして少なからず魔に汚染されている者にとっては致命的な灰であったに違いない。灰は間近の者にしか降り注いでいない僅かな量であったので、最前列に来なければと悔やむが、なんとか炎を消そうと歯を食いしばり、赤ん坊から炎を消そうとする。
───が、すぐに炎は消えた。強烈なる痛みも消えて、なぜか身体に爽快感がある。最近ではまったく感じなかった心が洗われたかのような気持ちよさに戸惑ってしまう。
だが、その感覚は妻の叫びによりかき消えた。
「ねぇ、見て! 赤ちゃんの手が、手が!」
赤ん坊の虫の前脚が、人間の手に変わっていた。いや、戻ったと言うべきなのだろう。赤ん坊は機嫌良さそうにキャッキャッと笑っており、先程の炎に焼かれた記憶などないようだった。
いや、自分の記憶にも炎に焼かれた痛みの記憶がないことに気づく。違う、考えるのはそこではない。
「浄化されたんだ! 白き灰のお力だ! あの灰に触れると浄化されるんだ、瘴気の灰が魔に汚染させるように、神聖の灰は身体を浄化させる!」
「そうよ。だって貴方の目も二つに戻ってるもの!」
「あぁ、君の蛾の翅も消えて元の耳に戻っているよ」
妻も異形の部分が消えて元に戻っていた。自分の目も視界が狭まっているので、二つに戻ったのだろう。
何ということだ。まさか魔に汚染された身体が本当に元に戻るとは思わなかった。そういえば、首を切られた少女たちはどうなったのだろう。
「こ、これって……人間の身体だ!」
「私の身体。こんな身体だったんだ」
「少しお腹が出てるんじゃない?」
「もぉ〜、か、からかわないで………うぅ、グスッ」
そこには三人の少女がいた。魔物であった身体は消えて、人間の身体に戻って、お互いに泣きながら抱き合っている。
それはそうだろう。いつ魔物に堕ちるかわからなかったのだ。その恐怖に耐えて生きてきたのだから。
「見える。二つの目でもよく見えるよ。少女たちの姿が」
「あら、見なくて良いですよ?」
「ぎゃぁぁ、二つしかない目が、目がぁぁ」
そして口元だけで笑う妻に指で目潰しを食らった。ぐわぁと目を押さえて蹲る。かなり痛い。
「きゃー! なんで服も燃えちゃうんですか! こんなことになるかと思ってだぶだぶの服を着させたのに!」
「ギャー、私真っ裸!」
「いやぁ〜、見ないで〜」
「なにか目覚めそう……ポッ」
「その扉は鍵をかけとこうよ〜」
白い服も燃えてなくなり、すっぽんぽんの少女たちであった。仕方ないのだ、男の性なのだ。見てしまうのは。だから、頭を踏みつけてくるのを止めてくれないかな? 妻は気立ての良い嫉妬深い女性だったと思い出し、懇願するのであった。
「ぎょぇえ! 儂の便利なミミズの身体が元に戻った! なんだか身体が重い。重い〜」
おばばが地面に転がり、苦しむ様子が目に入り苦笑をする。
「あぁ、魔に汚染されていた身体が元に戻ったんだ。そりゃ、魔物の特性も失ったんだろうさ」
「明日からの農作業は大変だな、こりゃ」
人々がこの先の苦労を口にするが、その顔は明るい。魔物の特性などよりも、人間の身体が良いのだ。
明日から2倍頑張らなくてはいけなくとも、皆は人間の身体を選ぶ。
浄化されたこの人間の肉体で。
「成功を祝いまして、ダーイブ!」
「へ?」
「うわわっ!」
「皇女様!?」
最後に満面の笑顔の皇女様がバルコニーからダイブして受け止めようと、皆が右往左往するのであった。




