18話 名乗りましょう
燃え盛るヒナギクウルフ。身体をよじり、苦悶の表情で断末魔の悲鳴をあげる姿は勝利を確信させますが──。
「ル、ルルルゥ……ガォォ!」
ヒナギクウルフが炎を消そうと暴れていたのをピタリと止めます。そうして、大きく口を開けて息を吸い込み、炎が肺に入っても、燃える自分の身体も無視して、胸を風船のように膨らませていく。
嫌な予感です。
……ああいう構えって、十中八九………。
「ワォォォォン!」
『魔狼息吹』
翠に黒が混ざった息吹を吐き出しました。ブレス名は脳内で私が勝手に命名──。
「遊んでいる場合ではありませんか!」
刀を捨てて、右に横っ飛び。ブレスは極大で私の身体をあっさりと呑み込む太さ。捨てた刀がブレスに焼かれ、どろりと一瞬で溶けるのが目に入る。ブレスは消えることなく一直線に地面を溶かし、瘴気を撒き散らし外壁にぶつかると紙ッペらのように簡単に貫通していきます。
とんでもない威力です。───しかも途切れることなく、こちらを呑み込もうと、ヒナギクウルフは口の向きを変えてくる。
通り過ぎる大地を更地にし、迫りくるそのブレスの威力に思わず笑いが零れてしまいます。
節々が痛み、切られた箇所からは血が流れて、今にも倒れそうなほど疲れも溜まっています。正直大ピンチです。
ですが、だからこそ、私は生を感じているのです。
「ははっ、楽しいですよ、ヒナギクさん。貴女に感謝を。これほどまでに生きていることを感じ取れるのは、戦いの中と美味しい物を食べる時と、寝る時だけでしょう」
結構多いですね。でも、本当のことなんですもん。生きるということはそういうことなのです。そして、今は強敵との戦闘を楽しみます。
身体をそらして、銀髪を靡かせて、私は地面を蹴りながら迫るブレスを躱す。頭上を超えて、横回転。躱されたとヒナギクウルフが首を曲げてブレスの方向を変えるが、今度は敢えて肉迫するブレスに向かい、スライディングでブレスの下をぎりぎりで通り抜ける。
「当たりませんよ、ヒナギクさん。さて、貴女の肺活量はどれくらい…………?」
アクション俳優結城レイを見せて、楽しげにヒナギクウルフへと顔を向けると浄炎にさすがに耐えられなくなったのか、口を閉じている。
いや、それだけではないようです。
口を押さえて、苦しげに身体を捩りながら、掠れた声を出します。
「ウ、ウゥ、コ、コロシテクダサイ……オォジョサマ」
言葉を失い、耳を疑いました。思わず立ち止まり、ヒナギクウルフを凝視します。こんなことはあってはならぬことだからです。
ヒナギクウルフの魂は真っ黒になり、もはや光の欠片も無かったはずなのに、今は信じられないことに、たった一筋の光ですが、暗闇から漏れ出ていました。
いえ、暗闇の中にあるからこそ、その光はとても眩しく、私の目を焼かんばかりの輝きを持っています。
「浄炎により呪いが少しだけ解除されて、正気を取り戻したのですね。しかし……一度堕ちた魂が輝きを持つなんて……」
ゴクリと息を呑みこみます。古今東西、一度完全に呪いがかかって魂を囚われた者は自力で抜け出すことは不可能。いえ、時折、私の記憶の中では数百年に一人という確率でいました。
ですが、最近は漫画の中でしか見たことありません。もはや高潔なる魂を人が待つことは無理なのだろうと考えていましたが………。異世界ということも関係……。
いえ、それはヒナギクさんに申し訳ない。彼女は自身が高潔なる魂だと魅せてくれました。
ぴちょんと───。
ぴちょんと───。
たった一滴だけ、私に人の心というものが感じられます。
「ハ、ハヤク、ワ、ワタシガオサエテ………ウゥッ」
立派です。最初に出会う人が貴女で良かった。素晴らしい魂を魅せてくれる貴女へ真摯な態度をとらないといけません。
自身の燃える身体を押さえて苦しむヒナギクさん。周りを見渡すと人々はブレスに巻き込まれないように遠巻きに離れています。ならば聞かれることもない。
「ヒナギクさん。貴女の立派なる魂に敬意を払い、改めて自己紹介を致しましょう。今の貴女の記憶には残らないでしょうが、私の尊敬の気持ちです」
ふわりと優しげに笑みを向けて、ゆっくりとした口調で教えます。
「この世界の在り方からご説明しましょう。つまらない話なので聞き流して良いですよ」
フフッと悪戯そうに笑います。
「この世には創造神たる神々と人などの生命が存在します。神々は世界を創造した時点で世界は完璧であると位置づけておりますので、人の世界に理を変えてしまう神力で介入することは、世界が完璧ではないと認めてしまう行為。すなわち自身の存在を否定することになるため、ほとんど神力での介入はできません」
神々は見守るだけだ。創造した世界で遊ぶだけ。人間を駒にすることもなく、好き勝手に自由に。それは奇跡を求め、救いを願う人間にとっては、無慈悲とも言えるでしょう。
「人間は理を変えられません。ただ、生者として存在するだけです。世界を回す生命の歯車の一つ。生きることでその生命を輝かせ世界を彩る存在なのです」
そのために人間は存在する。生者として世界を回すために。
「では、天使、悪魔、妖魔、妖しはどうでしょうか? 彼らは時に奇跡を。時に悲劇を齎します」
人々の間で囁かれる存在。理を超える者たち。
「実はそんなものはいないのです。全ては死者にして、現世に残る霊たちが人の願いを叶えるべく行っていること。意識的に、無意識的にと違いはありますが、実はこの世界、生命たる動植物と神々、そして霊しか存在しないのです」
チロッと小さく舌を出して悪戯そうにくるりと回転する。裾が花のように広がる。
「願いを叶え、物語を演じ、世界を彩るもう一つの存在。死者たる霊。人々から僅かな霊気を報酬に貰い、糧として輪廻転生を拒否して漂うモノ。霧のように虚ろにして、灯りのもとにある影のようなモノ」
大天使ミカエルも、悪魔王サタンも、ピクシーのような妖精、雪女のような妖しまで、実は全て霊が演じています。
舞うのをやめて、裾をつまみ、カーテシーをして挨拶を。
「万霊に敬われて、死霊の導き役。哀れなる霊たちの頂点に立つハリボテの霊帝。それが私です。改めてよろしくお願いしますね」
哀れにして儚い霊帝たる私をよろしくお願いします。簡単に消えてしまうか弱き存在を。
「貴女は人の願いを叶えるだけの機械のような私に一筋の光を見せました。その輝きは私に小さな良心を宿らせて、蛍の光のような仄かな罪悪感を抱かせました。これは驚くべきことです。感謝の念とお礼をしなくてはならないでしょう」
ヒナギクさんの頑張りを見て、意思の強さと、高潔さを目に入れて、チクリと心が傷んだのです。人の意思を映し出す鏡のような私に初めて自身の心からの想いを感じさせました。
両手を合わせて、生気と霊気を掛け合わす。最後の切り札を切ることにします。
それは生者も死者も使えぬ神の業。世界の理に介入する奇跡。本来ならば、気軽に使えない秘奥です。
『神術設定:器の階位の数だけ一日に使用可とする』
自身に『縛り』をかけていきます。それは永遠にして破られぬ誓い。
そして、この世にて『神術』を可能とします。
「さぁ、見なさい。感じなさい。神の奇跡を。世界の理を変える術を」
合わせた手から白き炎が吹き出して、私を包みこみ周りへと広がっていきます。
優しき光に人々は見惚れ、その強烈な炎に畏れを抱く。天まで燃え上がり炎の柱が聳え立ち、闇夜をまるで真昼のように輝かせます。
私は逆巻く白炎に巻かれて、髪を靡かせて、血だらけの服をはためかせる。
「私の手に入れた『受肉』は、どのような生命も創り出すことができる能力です。ですが、考えました。推測しました。生命が創れるのであれば、また反対に死も創れるのではないかと。死せし存在を創り出すのは、生命を創り出すよりも遥かに少ない神気で可能となることを確認しました」
合わせた手を離していくと、その間から白き炎を纏う剣が徐々に姿を現す。炎の形の意匠を施された純白の剣。
「それならば、神の骨を使えば武器が創れるのではないかと考えました」
『神術:受肉』
人を焼かぬ炎を生み出す剣が神秘の剣が完全に姿を現して、その手に入る。
「一切を浄化する太陽の神たる神剣。穢れを許さない炎の剣。ラーの骨より鍛えし剣です」
『太陽神の神剣』
莫大な神力が吹き出して、周囲を炎で覆い尽くす。それは穢れを浄化し、燃やし尽くす。その炎は浄炎とは比較にならぬほど、強烈な威力を持つ。
「キャウウゥン」
魔物たるヒナギクウルフには耐えられぬ炎なのだろう。苦しみが大きくなり悲鳴をあげる。再生が追いつかず、その毛皮も身体も徐々に灰へと変わっていく。
「終わりです、ヒナギクさん。終局といきましょう!」
重さを持たない神剣を片手に、私は地を蹴る。トトトとステップを踏みながら、間合いを一気に詰めようとする。
ヒナギクウルフはギラリと瞳を闇色にすると口を開く。痛みに耐えかねて、魔物の本能が優ったのだ。
『魔狼光』
闇光の球体を吐き出して、私を撃ち殺そうとする。ぎりと足に力を込めて、私は鋭角にステップを踏み、迫る闇光球を躱していく。
ヒナギクウルフは次々と、闇光球を撃ちだして、私を近寄らせまいとする。
後方に爆発音が次々と響き、強い衝撃と土塊の残骸が背中を打ってくるが、痛みに耐えて、剣を強く握り、さらに加速します。
「グォォォォォォ!」
肉薄する私へと両手の爪を伸ばして、挟むように、交差するようにヒナギクウルフは攻撃をしてくる。身体を屈めて左にステップして右爪の攻撃からかいくぐると、タムと強く踏み込み左へと飛翔。斜めに斬りかかるヒナギクウルフの腕の上へと飛び上がり足をつけて踏み台としてトトトと駆けて頭へと向かう。
「終わりです、ヒナギクさん。この戦いは大変面白く、そしてタメになりました。貴女に感謝を」
迫りくるヒナギクウルフへと優しく言葉を紡ぎ、さらに足を強く踏むと空高く舞い上がり、大上段で太陽剣を振り上げる。
「太陽神の神炎。その身に受けて光に消えてください」
『幽体変化解除』
肉体を元の重さに戻して、威力を高め、ヒナギクウルフへと完全なる綺麗な一筋の炎の軌跡を残す剣撃を繰り出す。
『神炎兜割り』
白炎を纏う剣を振り下ろす。ヒナギクウルフは両腕を前に交差させて防ごうとするが、腕ごと剣はヒナギクウルフを切り裂いてゆく。
なんの抵抗も感じさせずに、剣はヒナギクウルフの身体に白き軌跡を頭から股まで通し、私は地面へと降りるのであった。
「いかなる魔も太陽の前には無駄。光にかき消されるは闇の運命」
冷酷なる瞳に紅き光を魅せて、残心にて呟く。
「ア、アリガトウ」
そして、ヒナギクウルフの身体が縦に分断されると白き炎が激しく吹き出して、その身体を完全に灰へ変えるのでした。
「どういたしましてヒナギクさん」
太陽剣が先端から微細なヒビが入り、サラサラと崩れていくのを見ながら、私は銀の髪をかきあげて、慈愛の心で微笑むのでした。




