11話 幸福は露と消え
「私は少しお昼寝をします。お昼寝って名前からして、ドキドキする良さがありますよね。たぶんカステラと同じ幸せの響きです」
タライから出ると裸で大の字になり、皇女様はお昼寝を始めます、カステラってなんでしょうか? でも、仰っしゃりたいことはなんとなくわかります。
それよりも大の字にお昼寝されると、ちょっと危険です! 全体的に危険です! 皇族の方は皆同じ感じなのでしょうか。うつ伏せなら大丈夫というわけではないのですよ、皇女様!?
「ヒナッ、お洋服をお着せにならないと!」
「うん! まずはお身体を拭かないとね! えっと、皆が手伝って!」
「ラジャー! 抱きあげれば良いかな」
「タオル持ってきた!」
石床に寝っ転がると秒で寝息を立てる皇女様に、ここ数日で鍛えられた私達は阿吽の呼吸でタオルを持ってきて、優しくお体を拭き寝間着をお着せします。
「よっしゃー! ナイスコンビネーション!」
「2分切ったよ、やったね!」
ハイタッチして、私たちは訓練が生きたことをお祝いします。そうして、すよすよとお眠りになる皇女様を横目にタライへと顔を向けます。
チュンチュン、チチチ
小鳥の可愛らしい鳴き声が新たに聞こえます。
見るとタライには新しい雀が水浴びしてました。身体から煙が出ると、どろりと溶けてその中から本来の可愛らしい雀の毛皮が現れます。
どうやらこの水が魔を浄化すると本能で理解したようです。あの不気味で嫌われ者だった雀が可愛らしい姿になってパタパタと飛び立つのは、自分たちの立場を鏡に映すようで嬉しいです。
そうなのです。信じられないことに皇女様の浸かる水は魔を浄化する力を持っていました。効果は明らかですが、その時間は皇女様が出てから数分で消えてしまう儚い聖なる水です。これを誰かに話しても信じてはもらえないでしょう。
でも、今いる仲間たちは信じます。なにせ、元の身体を取り戻し、空を気持ち良さそうに飛ぶ雀たちの姿があるのですから。
「飛んでいくよ。羽を広げて……」
「とっても可愛らしいね。あれが本当の雀の姿だったんだ」
声を震わす子もいます。それだけの衝撃だったんです。
雀の様子を見て、意を決した身体が半分溶けた肉塊のような娘が片手をタライに入れます。
「ウグッ」
ジュウと音がして煙が立ち昇り、顔を苦しげに歪めるけど、それでも手を水から出しません。
ジュウジュウと音がして、煙が発生し、ますます顔が歪み───。
「無理だよ、止めなって!」
他の娘が、浸かっている腕を無理矢理引き出します。引き出された腕は火傷で火ぶくれして見れたものではありません。まだ腕からは煙が立ち昇り、ジクジクと溶けてました。
「だ、だって、だってだって、雀は元に戻れたんだよ? 私たちだって元に戻れるかも!」
人間の顔である半分がクシャクシャに歪み泣きそうな声となる。肩が震えて悲痛の声があがる。皆も顔を暗くして、掴んでいた腕をそっと離した。
「わかってるでしょ……きっと私たちは魔の汚染が進みすぎてるんだよ。だから、皇女様の浸かった聖なる水でも効果がないの………ううん、私たちごと浄化してしまうんじゃないかな」
「………そうね………た、たぶん、ううん、言ってること合ってると思う……うぅ………」
「………気持ちはわかるよ。でも、泣かないで……わ………た、私達もうぅ……うわぁーん」
皆が泣き出す。奇跡を前に私たちには意味がないと理解してしまったからだ。天から垂れてきた蜘蛛の糸は雀を救い上げるくらいの力しかなかった。
「でも………でも………。皇女様がいらっしゃれば、ラショウも良くなるかも。ううん、きっと良くなると思う。少なくとも、田畑を守るためにクジを引かなくても良い暮らしになるかも。家族は助かるかもしれないよ!」
拳を握りしめて、未来のことを、希望があることを皆へと伝える。私たちの身体は元に戻らない。でも、皇女様のお力があれば、家族が私たちのような姿になることはない。
「だから、皇女様にこれからも誠心誠意仕えよう!」
「……う、うん。泣いていても何も変わらないしね!」
「そうだそうだ! 私も頑張って側仕えを目指すぞ〜」
「それは私の仕事だから駄目です!」
「おにぎりも食べられるようになったし」
「言い方〜」
泣いた鴉がもう笑う。私たちは決意を固めて、冗談を言い合い、これからの家族の将来を考えて笑い合うのでした。
それが空元気だとしても。
そして寝ているはずの皇女様の目が薄っすらと開いていることに気づきませんでした。
───そして、未来に夢を持つということが、絶望への幕開けだとも知りませんでした。
絶望は夜にあっさりとやってきたのです。
◇
太陽が落ちて、夕闇が終わり、夜の帳が落ちる時間。
蝋燭やランプなどという贅沢品を使うことが許されているはずもない私たちはベッドに潜り込んで寝ていました。
そして、夜の静寂の中でカーンカーンと鳴る鐘の音を聞きます。激しく鳴る鐘の音はたまに耳にする、聞きたくない音です。
「この音、どこ?」
「南、南門の方! 音からして……外区!」
「……外区。第一門が突破されたんだ………。また田畑が魔獣に………」
外区とは街の外壁に近いところを言います。そして、外区から鐘が鳴ると言うことは……言うことは………。街壁の外、農園区を囲む背の低い外壁が魔獣に突破されたのです。
街に攻め込まれたら、内区の鐘が鳴りますが、街壁は外壁など比べ物にならないほど高く、魔獣では侵入は不可能です。なので、内区の鐘が鳴ったところを聞いたことはありません。
農園区、私たちの家族が育てている田畑を荒らされる。稀に発生する襲撃です。
そして、私たちがこのような姿になった原因でもあります。
「だ、誰が今回は行くの?」
「夜の上に……この激しい鐘の鳴らし方はかなりの数だよ」
「わ、私が」
ノミの身体を持つ娘が泣きそうな目で手をあげようとしたけど、私はその手を押さえる。
「私が行くよ。今回はもう私の番だよね」
「ヒナギク? でもヒナギクはもう限界でしょう? 今回は私がいく!」
「ううん、私の番なのに、皆気を使って飛ばしたでしょう? それにあと1、2回は耐えられるよ」
むんとガッツポーズをとって、元気だよとニカリと笑ってみせる。私の身体を気遣って、皆は私の番を抜かしていたのは気づいていた。優しい仲間たちで、嬉しいけど、夜中にこれだけ激しく鳴る鐘の音は只事ではないとも思うんだ。だから、私が行くのだ。
───田畑を魔獣から守るため、私たちは順番に魔術を使っていた。だから、ここまで魔物に堕ちていたりする。でも、仕方ないのだ。田畑で働く父さんや家族を支える母さん、弟はまだ小さいし、魔術を使って魔物を追い返すにはこれしか選択肢がなかった。
それに男性だと、魔物に堕ちた時に強力な魔物になる時がある。その場合、兵士たちはたくさんの被害を出してしまう。女子供なら強い魔物になる前に堕ちるだろうから、その点でも私たちが選ばれる理由となっていた。
かつて、王子様が魔獣を狩っていたころから、度重なる探索で勇敢な兵士は命を落として数を減らしていたし、今はテンナン子爵のせいで、兵士は怠惰だ。田畑を助けるために急いで向かうことなどしない。
のろのろと緩慢に出動し、田畑の作物を食い荒らして満足して去っていく魔獣は追わず、彷徨く残りの魔獣を討伐するだけ。重税がある今、農民には田畑が荒らされるのは死活問題なのに。
「それじゃさくっと倒してくるからね! なぁに、私の力なら魔獣なんてラクショーだから大丈夫!」
なるべく平気そうな顔で皆へと告げると、体内に眠る魔力を活性化させる。魔の力、呪われし触媒、人を魔物に堕とすもの。
『人狼変化』
私の身体を漆黒のオーラが覆うと、筋肉が膨張していく。肌を覆う毛の一本一本が鉄よりも硬くなり、手から生える爪が短剣のように長くなり、暴力と血を求め、万能感に酔いしれる。
「ワオーン」
遠吠えは窓ガラスをビリビリと震わせて、皆の精神が恐れをいだき萎縮させて身体をブルブルと震わせ戦慄させる。命の危険を感じさせる咆哮であった。
「それじゃ行ってくるね!」
窓枠に足をかけて皆へと声をかけると、軽く踏み込む。それだけで私の身体は矢のように窓から飛び出して空を飛ぶ。
風が毛皮を撫でて、私は月を背に地に足をつけると、疾走する。その速さは狼すらも上回り、闇夜では一瞬の影が通り過ぎたようにしか見えない。
裏門は開け放たれており、私たちの誰かが通ることを予想されていた。いつの頃か兵士たちは私たちが魔獣を粗方倒すまで待機をするようにもなっていたのだ。
門の脇に兵士たちが白々しい顔で歩哨をしているので殴りたくなるが、グッと我慢する。街へと入ると真っ暗で遠くの外壁にかがり火が燃えているのがわかる。そして、炎に照らされる魔獣たちの姿も。
(ゴブリスの集団! そろそろ収穫期になるから、餌を食べに来たのね!)
ゴブリスはリスが魔獣化したものだと言われている。私は見たことないけど、本来は手乗りくらいの大きさと昔に聞いたことがある。背丈は子供ほどで繁殖力が高く、素早い上に牙も爪も鋭く多少知恵がある魔獣だ。
収穫期になると大群で襲撃してくる嫌われものだ。
かがり火に照らされる魔獣の姿は見覚えがあった。毛皮も表皮もなく、筋肉組織だけであり、眼球は飛び出して、手の爪は鋭く、牙は短剣のように伸びていた。ギョロギョロと周りを見て、餌を探している。
呼気を整えて、深く踏み込むと空高く舞い上がり、眼下に見える家の屋根に着地して駆け出す。まるで平地を走るかのように屋根から屋根へと飛び、街中を走り抜けていく。
一般人なら街門まで半刻はかかるだろう距離を僅か数分で駆け抜けると、開いている通用門から外に出た。
黒い石畳が敷かれた街道の周りに田畑が広がっており、畦道で農民たちが懸命になって、ゴブリスたちを撃退せんと、鍬や手斧を振り回しているのが目に入る。
だが、筋肉の塊に手足が生えたかのようなゴブリスたちは力が強く素早い。しかも多少の知恵を持ち、連携しながら戦っているので、農民たちは劣勢でした。
「加勢します!」
狼の脚に力を込める。ギュウと捻るように筋肉が収束し、私は爆発的な加速で今にも殺られそうな農民の前に出ると、爪を振るった。
「ギッ!?」
鋭き4本の爪はゴブリスの頭を裂いて血の花を咲かせる。頭をパックリと切られたゴブリスが倒れ込むのを横目に、他のゴブリスたちへと獣のように踊りかかる。
腕を振るえば敵は肉塊となり、爪を振るえばバラバラになる。タックルをすれば身体を潰されて、ゴブリスたちは私のヒナギクの猛威の前にろくな抵抗もできずに屍を重ねていった。
「ヒナギクちゃんだろ? 助けてくれてありがとうね」
「いえ、気にしないでくらふぁい。こんな奴らパッパと片付けます!」
鍬を持って戦っていた知り合いのおばさんが申し訳なさそうにお礼を言ってくるので、手を振って気にしないようにと笑う。
私の微笑みにビクリとするけど凶暴な狼の笑みだ。少し悲しいけど、牙を剥く狼に怯えるなとは言えないので、気にすることはない。
「それにしてもやけに今日は多いですね?」
「あぁ、なんでこんなに………収穫までまだ二週間はあるのにおかしいだろ!」
もう30匹は倒しただろうか。倒しても倒しても、地面から湧き出るように次々と現れるゴブリスに怪訝に思う。戦っていたおじさんも眉を顰めて訝しげにする。
いつもは多くて百匹ほど。とっくに駆逐してもおかしくないのに、尽きる様子がない。周りにはまだまだゴブリスたちはいて、その数は百匹を楽々超えている。
(このままじゃ押し負けてしまう。兵士はまだなのですか? 勝利しても田畑が荒らされては………)
作物がろくに収穫できず、冬を越せない家族たち。想像して、その恐ろしい想像に総毛立ち、ますます力を込めてゴブリスたちを倒していく。腕が返り血で血塗れになり、身体が熱くなっていき、視界が赤く変わっていく。殺戮の愉悦にのまれそうになっていき───。
「え?」
眼前をひらひらと蝶が飛んでいた。夜中なのにその蝶は青白く発光し酷く人の心を揺さぶる美しさだった。
ひらひら
ひらひら
青白く発光する美しい蝶はいつの間にか周りを埋め尽くすかのように増えて羽ばたいていた。
戦闘中であるのに、その美しさに皆が見惚れて、戦う手を止める。
「見ろ! ゴブリスたちが倒れていく! 倒れていくぞ!」
誰かが叫ぶその声に、ハッと気を取り直し周りを見るとゴブリスたちは血に伏して目を閉じていた。あれ程の凶暴な魔獣が全て。
「その化け物は全て寝ています。慎重にトドメを刺すのが良いでしょう」
そして、涼やかな声が聞こえてきて、銀髪の美少女が暗闇の中から現れるのだった。




