10話 私は側仕え
私の名前はヒナギク。平民なので苗字はありません。
つい先日、皇女様をお救いできた功績で、な、なんと、皇女様の側仕えとなることができました。抜擢です。たぶん脱走されてお怪我をなされたら、側仕えのせいということにしたいという思惑もあると思いますが構いません。
皇女様は僅か8歳でこの地の領主様としてご就任なさいました。この『ラショウ』の街は瘴気の森の最前線。古来より皇族の方がご就任され、勇者の力で魔獣を倒し、土地を癒やします。
私は土地を癒やした姿は見たことはありませんが、魔獣を倒す皇子様の姿は覚えております。前任は第十八皇子でして、たびたび瘴気の森に兵士を連れて入り、魔獣を倒し朽ちたる船から遺物を持ち帰っておられました。
兵士の人たちは嫌がっていました。瘴気の森に入るのは文字通り命懸けです。中にいる時間が長ければ長いほど魔に汚染されて魔物へと堕ちていくのですから。
ですが、強引ではありますが、魔獣の数が大幅に減り、街に攻めてくる魔獣が少なくなったために、作物などの被害が少なくなったのは確かでしたので平民には人気がございました。
人伝てに聞いたところ、私生児という方で、功績をもって、帝都に帰還するつもりであったようです。
ですが、この地に送り込まれるのは、私生児ばかり。いわゆる捨て石だそうでして、わざと平民との間に子供を作り、後ろ盾もない私生児を領主として送り込むのだそうです。人柱だと昔から噂されておりました。
この地には伝統で必ず皇族を配置しないといけないらしく、私生児がその役目を昔から負っているそうです。
そうなると当然いくら珍しい遺物を回収しても、どんなに強力な魔獣を倒し、素材を送っても皇子様が帰還を許されることはありませんでした。
そうして、最後はいくら功績を上げても帝都に凱旋できぬことに苛立ち、魔王に決戦を挑み敗れ、皇子様は兵士たちも合わせて、大変な被害を出してお亡くなりになりました。
次がレイ皇女でした。これは8歳という歳を考慮に入れなくとも珍しいものでして、通常は男性が領主となります。
どうやら私生児の男子を作ることができなかったらしいと、まことしやかに囁かれており、初の女性領主となったレイ皇女様は、震えて部屋に引きこもってしまいました。当然です。いくら皇族といえど、歳が若すぎますし、武芸も魔術も嗜んではいなさそうでした。
それを良いことに、代官となったテンナン子爵がこの街を牛耳ったあとは、重税がかけられて、皆は今までも悲惨な生活を送ってきたのに、もっと辛い生活になりました。
レイ皇女様は領主としての責務を放棄して、魔獣も倒さない方と街の皆から嫌われることとなったのです。
ですけど───私は勇者の末裔たる皇女様を信じておりました。同情心もありました。なので、重圧に負けたのでしょうか、それとも別の目的があったのかはわかりませんが、瘴気の森へとこっそりと向かった皇女様の探索隊に参加して、幸運にも見つけることができたのです。
ですが、弱々しい性格でいらっしゃったレイ皇女様の性格は一変しておりました。強く威厳のあるお方へと変わっていたのです。
流れるような美しい銀の髪は背中まで伸びており、可愛らしい小顔の瞳は意思の強さを感じさせる強い目つきのルビーの瞳。スラリとした鼻梁に、色素の薄い唇、真っ白なお肌には黒子さえもありません。
その身体つきは将来性を感じさせる良さです。胸は可愛らしい膨らみで、腰は細く脚はスラリとしております。レイ皇女様は流石は皇族と思わせる絶世の容姿でしたが、そこに威厳と意思が加わりました。あと数年すれば男性が放ってはおかないでしょう。
初めて側仕えとなってから、魔術を使う皇女様に注意させて頂きましたが───。
「この水は少し冷たいですね、ヒナギクさん。どこから取水しているのでしょう?」
考え込んでいた私はすぐに気を取り直します。
「あ、はい。申し訳ありません。この水は地下水を汲み上げておりまして冷たいって聞いたことがございまひゅ」
洗濯場でタライに入って、身体を拭うレイ皇女様がお声をかけてくれました。ちめたいですと小さくつぶやく姿はとってもお可愛らしいです。
初めて洗濯場にお顔を出して以来、皇女様はいつも洗濯用のタライに水を入れて、身体を洗っております。お労しい。本来はきちんとしたお風呂に入れて差し上げたいのですが、メイド長が許してくれないのです。
ここ数日は「ナニカが私を見ているようなの。ねぇ、私の後ろに誰かいないかしら」と顔色を悪くしてブツブツ呟いているので、お疲れなのでしょうが、皇女様への態度はいただけません。抗議しても流されてしまう自分の立場の弱さに密かに泣きたいです。
私は、いや、この洗濯場で働く皆は下女の中でも最低の扱いです。なぜならばかなり魔に汚染されており、農家でも働けないからです………。
両親は大丈夫だよと優しく声をかけてくれますが、周りはそうはいきません。魔物に堕ちた時には両親も兄も弟も周りの人にも、躊躇うことなく襲いかかるでしょうから。
その場合、農民では魔物を抑えることができません。兵士が常駐している城に勤めるしかないのです………。
ここにいる皆が同じ立場です。
今日は無事でも、明日魔物に堕ちてもおかしくありません。
「地下水からですか。地下水は汚染されていないのですね。………ううん、毒のように地下水を汚染しても良いはずですが………。これはどういうことでしょうか」
パシャリと水を手でお掬いになって、チョロチョロと流しながらレイ皇女様は難しい顔になります。いつもなにかを考えているのですが、今度は地下水のようです。
私たちとしては陽射しの下で輝くような白い肌と美しい肢体を魅せる皇女様のお姿に同性ながらも頬を赤くしてしまいます。流れ落ちる水が肌を通っていく姿はとても艶かしいので、目のやり場に困ってしまいます。不敬、不敬です。こんなことを考えてはいけません。
みんなもゴクリとつばを飲み込み、ぼーっとレイ皇女様を眺めていますので、つんつんと脇腹をつついて注意です。
気持ちはわかりますけど、とっても不敬です。
「ご、ごめんなさい。でも綺麗だねぇ」
「ほんと、私たちとは違うよね……」
芋虫の顔をした友だちがカチカチと牙を鳴らして、顔の半分が溶けた肉のような赤黒いスライムとなっている娘がレイ皇女様を褒めます。
「たしかにお身体のすべてが美しいよね。何処にも魔の疵はないし」
「うん、瘴気の森で気絶してたのに、さすがは皇族だよねぇ。羨ましいなぁ」
そうなんです。それが不思議です。あの日は瘴気の灰も降っていました。健全な人でも瘴気の灰に触れたが最後、魔に汚染された証として身体が少なからず変貌します。
ですが、身体は血で真っ赤でしたが、皇女様はどこも変貌しておりませんでした。そのお綺麗な肌には傷一つすらなかったのです。
これはおかしいことです。普通ならありえません。ですが───。
「そろそろお昼ごはんの時間ではないでしょうか? 今日のご飯はなんでしょう? そろそろお肉が食べたいです」
考え込むのをやめて、皇女様はへこんだお腹をなでて悲しそうにします。ちょっとおへそが見えて変な気分です。
「申し訳ありません。今日も玄米おにぎりと野菜の煮たものとなります。お肉は在庫がないそうでして……」
「むぅ、それでは空からお肉が降ってくるまで待つしかないですね。では、全員の分をここに持ってくるように」
頭を下げて私は謝罪しますが嘘です。テンナン子爵たちは腸詰めとかを食べています。ですが、料理人は皇女様にお肉を出してくれません。何度抗議をしても駄目でした。
それでもアワやヒエのお粥はさすがに無くなりましたし、その上「全員」の分を持ってくるようにとお命じになってくれますので、私たちも玄米おにぎりがお昼は食べられるのです!
いつ魔物に堕ちてもおかしくないこの身の上。いつも私たちはアワやヒエのお粥のみでした。副菜などこの城に来てから食べたことがありません。最低限の食事でも普通に動ける程に魔物に堕ちてしまっているため食事は酷いものでした。
ですが、皇女様はふやけるほどに水に浸かり、いつもお昼ごはんはここで食べます。私達の為にわざとでしょう。その御心遣いが泣きたくなるほど嬉しいです。
「おにぎり持ってきました!」
ノミの身体をした仲間が、細い虫の腕に皿を乗せて跳ねるように走ってきました。辛うじて口は人間なのですが、その口は嬉しそうに綻んでいます。
見かけは魔物に堕ちていて、お粥だけでも生きていけても、私たちも人間なのです。人間らしく最後まで生きていきたいのです。
「ありがとうございます。今日は玄米のおにぎりと胡瓜の漬物ですか。いただきまーす」
ヒョイとおにぎりを手に取り、小さなお口でかぶりつく皇女様。食べる所作も私たちのようにかぶりつくことなく、上品にお食べになるので見惚れてしまいます。
「おいひいね、おにぎり」
「うん、とっても美味しい。えへへ、皇女様に感謝だね」
「お漬物も美味しいよ。食べてみて」
「こんなに幸せで良いのかなぁ」
皆は嬉しそうにおにぎりにかぶりつきます。私も口に入れて、お米の味に思わず涙目となってしまいます。ここ数日はとっても幸せです。これも皇女様のおかげです。
最近皇女様がいらっしゃる時は、皆は明るくお喋りをします。私もお喋りに加わります。
チュンチュン
と、小鳥の鳴き声がして、皆はピタリと食べる手を止めました。
「あら、今日もご飯を強請りに来ましたか、なかなか雀は頭が良いのですね。ほら、米粒を与えますので、雀のお宿への無料宿泊券をいつかくださいね」
チチチ、チチチ
「舌打ちで返すとは酷いです。もう一粒お米をあげれば良いのでしょう。半額割引ならどうです?」
今の鳴き声は舌打ちではないと思いますが、皇女様は手のひらに乗せた米粒を雀にあげてました。ここ数日で餌付けに成功したようで、何羽もいます。
皆、可愛らしい鳴き声で皇女様の手のひらに乗って米粒を啄む雀たち。食べ終わったら、タライにダイブして水浴びもしていきます。羽を羽ばたかせて茶色の毛皮につぶらな瞳の雀はとても楽しそうです。ひとしきり水浴びが終わると、皇女様の肩に乗っかり、スリスリと身体を擦り付ける懐きっぷり。
皇女様と小鳥の可愛らしい逢瀬ですが、私たちが黙ったのは他に理由があります。
「ねぇ………今日は身体に羽根が生えてるよ……」
「うん……あれって、本当に雀?」
「鳴き声が変わった時に変だと思ったけど……」
そうなんです。本来の雀は皮膜には羽根はなく、目玉が飛び出して牙のある嘴、そして鳴き声はギチョンギチョンと金属をこするかのようで耳障りの悪い不気味な鳥でした。
ですが、今はふっくらとした羽根、茶色の柔らかそうな毛皮につぶらな可愛らしい瞳、もちろん牙など嘴にはありません。
皇女様が餌付けを開始して、水浴びをさせるようになってから、その体が変貌しました。
あれが本当の雀の姿なのでしょう。即ち……皇女様は魔を浄化できるのです。
神聖術を使えると教えてくださった言葉が、私の頭の中を何度もリフレインします。
これが勇者の末裔たる皇女様の真のお力なのです──。




