91. うれしうらめし「あ〜ん」
「にいにー! りゅー、おかし、たべるぅ!」
しばらくネージュ様と遊んでいたリュカが、はっとお菓子の存在を思い出してねだってくる。
その言葉に、邪魔になるからと一度収納にしまっていたお菓子の皿を取り出して、リュカとネージュ様に手渡した。
今年のお菓子は、二種類あった。去年とはまた違ったものだった。
一つはゼリーのような茶色のお菓子で、大皿からスプーンで無造作に掬って、盛られただけのシンプルなものだ。
もう一つは子どもの手のひらサイズの、餃子みたいな形のパイ菓子、だろうか。
「やっちゃ〜! おかし! いたっきま〜す!」
「「いただきます(いただき……ます……)」」
きゃあきゃあと喜ぶリュカの声と、勢いよくぱちんっ!と合わせられた手につられて、僕とネージュ様もいただきますをする。どちらを食べようか迷って、僕はまずはゼリーを一口頬張った。
(う〜〜〜ん、なんだろう。この微妙な食感……。葡萄味の水羊羹?)
ゼリーは少し粉っぽいような、ぷるもちねとっの不思議食感だ。思っても見なかった苦手な食感に、僕の食べる手が止まる。
リュカを伺うと、僕の膝の上でむぐむぐと一生懸命食べていた。相変わらず好き嫌いなく、食欲旺盛だ。
(この調子だと、絶対食べたりないって言うはず。なら……)
そっとリュカのお皿に、僕の残したゼリーをすべて移す。リュカは好物のお菓子をおかわりできて、僕も兄の威厳を損ねずに、苦手なお菓子を食べなくて済む。立派なwinwinだ。
僕はしめしめと思ったのだけど……。
「にいに〜! はい! あ〜〜〜ん」
「あ、あ〜ん」
リュカは幼心に気を遣ってくれたのか、ゼリーをちょびっとスプーンで掬って、にこにこと僕に差し出した。
あの食べるのが大好きなリュカが、自分のお菓子を分けてあげようと「あ〜ん」してくれたのだ!そんなの僕には断れない!
控え目に開けた口に、スプーンが喉を突きかねない勢いで入ってきて目を白黒させながら、僕はリュカの差し出すゼリーを食べた。
(うう。リュカ……。にいに、本当にすっごく嬉しいんだけど、そのお菓子だけは苦手なんだ……!)
口を抑えながら、なんとか飲み込む。リュカは、自分が二〜三口食べるごとに一回、僕に「あ〜ん」してくれる。「全部リュカが食べていいんだよ」と言っても差し出されるスプーンを恨めしく見ながら、なんとか黒葡萄ジュースで流し込んだ。
結局、1.5人分はリュカが、0.5人分は僕が食べたのではないだろうか。可愛い弟の成長と優しい思いやりを感じつつも、僕は複雑な気持ちだった。
気を取り直して、口直しに残っているもう一つのお菓子を手にとる。端を齧ると、パリッサクッとした食感で、黒葡萄ジャムがとろ〜と垂れてきた。
(これ、パイじゃなくて、ピザ生地でジャムを包んだお菓子だ!)
軽い食感の生地に、煮詰めたことでぎゅぎゅぎゅっと凝縮した濃く甘い黒葡萄ジャムが良く合った。それにお腹に溜まる。
リュカのは白葡萄ジャムみたいで、少し僕のピザを齧らせてあげると喜んでいた。ネージュ様も、二つに割って、ちびちびと食べている。
そうして、僕たちがすっかりお菓子を食べ終え、ジャム塗れのリュカの手を洗い終えた頃。今年も、大道芸の始まりを告げる音楽が流れてきた。
派手な羽付き帽子を被った男を真ん中に、お供のパイプがひゅ〜ひょろ、リュートがぽろんぽろんと音を奏でながら、人波を割って噴水に近づいてくる。
(何が始まるんだろう……!)
大道芸人の後ろから、子どもたちが頬を紅潮させてぞろぞろとついてくる。まるでハーメルンの笛吹き男みたいだった。
ゆっくりと歩いてきて、ちょうど僕たちの正面から少し先に立ち止まる。
そして、派手な羽付き帽子を被った男が手を前に出すと、噴水の水が細い筋となり、僕とネージュ様の頭を越えて、その男の手に集まった!
(えええ! なんで!?)
ありえない現象に、僕は心底驚く。魔法、なのだろうか。知っている魔法だと浮遊はあるけれど、あれはものを浮かすだけで、動かすことはできないはず。であれば念動とか、水魔法とかだろうか。
そんなことを考えているうちに、集まった水は1つの丸い大玉になり、さらに5つに分かれた。男は音楽に合わせて、その水をくるくると軽快に回してお手玉する。
子どもたちから「すごーい!!」という声と拍手が上がる。リュカも口を開けて、熱心に見つめていた。
しばらくすると、男が前に立っていた子ども五人を指でちょいちょいと合図して、こちらに来るように指名する。
指名された子たちが前に出て、言われるがまま手のひらを差し出すと、男が水の玉を1つずつ乗せた。そして、ぱちんと指を鳴らすと、玉がパシャッと崩れて子どもの手を濡らしたのだ。
濡れた子どもたちは、きゃあきゃあと楽しそうに笑っている。
男はその子たちの頭を順に撫でると、また噴水に手をかざして水を集める。そして、今度は一本の筋のまま、螺旋を描いて空に昇らせていった。
水は高く高く上がり、おそらく限界点になったのだろう。男が両手をえいっと勢い良く空に押し出すと、頭上で細かい霧状に弾け、一瞬だけ七色の虹となり……さあと尾を引くように消えていった。
(おおー! すごい!)
それをぽかーんと口を開けて見ていた子どもたちが、次の瞬間には甲高い声で騒ぎ、虹に触ろうと手を伸ばしてジャンプしている。ものすごい興奮だ。
でも、弾けるような真っ赤な笑顔を見ていると、こちらまで幸せになってくるようだった。
隣ではネージュ様も小さく拍手して、少し興奮したようにつぶやいた。
「すごく……綺麗で……優しい……魔法だ……」
(ネージュ様、楽しめてるようでよかった)
一人で神殿を抜け出してくるほど、来たいと切望していたお祭りだ。方法は褒められたものではないけれど、少しでも良い思い出になってくれれば良い。
大道芸人がお辞儀をして、また音楽を鳴らして練り歩いていく。それと同時に人の流れも動いて、中央広場の方から騎士と神職が人を掻き分け、小走りでやってくるのが見えた。
「ネージュさま!!」
「ノエ……」
髪を振り乱し、汗を流して駆け寄ってきたのは、収穫期に雨の予知を畑まで伝えに来た、あの壮年の神職だった。
必死にネージュ様を探し回っていたことがわかる、すごい形相だ。
「あなたは何をやってるんですか! 勝手に神殿を抜け出して! 私たちがどれだけ心配をしたと……!」
「……ごめん。……でも……お祭り、だめだって……言うから……ボクだって……もう十六なのに……」
「いくら成人したからといって、自由に外出できるわけないじゃないですか! ああ、もう! 体調は? 大丈夫なのですか?」
「うん……」
壮年の神職……ノエと呼ばれた人は、怒りつつも心配そうに体調を確かめて、手に持っていた傘を開いてネージュ様に差し出す。
そこで初めて、僕は気がついた。
(ああ。そうか。確かアルビノは陽の光に弱いって、テレビか何かで見たような……)
「ルイ様。ネージュ様を保護いただき、ありがとうございました。正式なお礼は後日にも。今日は、ここでお暇させていただければ。……さあ、ネージュ様、帰りましょう」
ノエさんは僕に深々と頭を下げると、ネージュ様を促す。けれど、ネージュ様はふるふると頭を振って、僕のジャケットの裾をぎゅっと握った。
「……やだ……まだ……帰りたくない……」
「何を言ってるのですか。もしお倒れでもしたら……!」
悲しそうに肩を落とし、小刻みに震える指先。そんなものを見てしまうと、身につまされてしまう。
ノエさんの言うとおり、ネージュ様の体調のことを考えれば、帰った方がいいと思う。けれど。
年に一度。町中の人々が華やかに着飾り、楽しそうにはしゃぐ賑やかなお祭りの声を。一人、神殿で聞くのは、どんなに悲しく寂しかっただろう。
「ノエさん。このあと、中央広場で花娘の踊りがあります。僕たちも、その踊りを観終わったら帰る予定です。……ネージュも、一緒にどうかな? 中央広場なら、おじいちゃんたちも騎士もたくさんいるから安全だし」
「……!」
理由はわからないけれど、こうも懐かれれば情が湧く。だから、僕がそう提案すると、ネージュはこくこくと頷いた。
ノエさんは難しい顔をしたけれど、てこでも帰りそうにないネージュに諦めたようだった。
「はあ。ネージュ様、踊りを観終わったら、ちゃんと帰るんですよ」
「うん……!」
そうして、僕たちは騎士と神職たちに守られながら、中央広場へと歩き出す。
「ねえね。おてて、ちゅなぐの! まいご、だめよー」
そう言って、リュカが僕とネージュの間に入って手を繋ぐ。
僕がお祭りのはじめに言いつけた言葉をしっかり覚えていて、僕だけではなく、ネージュも守るのだと。ふんすと鼻息荒く、張り切っていた。
■ 補足
作中に出てくる「葡萄のゼリー」は、正確には「葡萄のプディング」です。
イタリアでは「ソーギ」、ギリシャでは「ムスタレヴリア」と呼ばれるお菓子になります。
基本は葡萄のジュース+小麦粉(最近ではコーンスターチ)の2つから作られる、シンプルなお菓子です。日本人には「ういろう」っぽい食感という説明が一番わかりやすいかもしれません。
もう一つは、ピザ生地で具材を包んだ「カルツォーネ」です。
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お祭り編、終わりませんでした。もう1話だけ続きます。




