86. ちゅるちゅる
豪華な晩餐会の歓迎が効いたのか、テオドアさまにヴァレー家の顧問を快く引き受けてもらえた。
専門家・知識人として相談や助言をしてもらったり、ヴァレーの植生調査や研究に協力をしてもらう予定だ。
おじいちゃんは、来春以降、テオドアさまの自宅兼植物研究所を用意したいと言っていた。
それまでは我が家に滞在してもらい、僕の家庭教師をお願いすることになる。
(テオドアさまに、また講義をしてもらえるなんて……)
セージビルでの講義は、対話形式やフィールドワークがほとんどで、とても楽しかった。また、あの講義を受けられるのかと思うと、わくわくする。
晩餐会のあと、テオドアさまは三日ほど休息を取って、旅の疲れはすっかり癒えたようだ。
さっそく今日から講義が始まった……のだけど、まずはテオドアさまと従者さんにヴァレーの町を案内することになった。
ヌーヌおばさんやレオンさんと顔合わせする必要もあるし、白トリュフが見つかった白の山脈の麓や、葡萄農園を実際に歩いてみたい、とテオドアさまが言ったのだ。
白の山脈までは、歩いていくと時間がかかるので馬車を出してもらう。僕たちが玄関で待っていると、下女に手を引かれ、ちょうど保育園に行こうとしていたリュカとかち合ってしまった。
「う? にいにー、おでかけー?」
「そうだよ。リュカは保育園、いってらっしゃいね」
「……。りゅー、ほいくえん、いかにゃい」
「え?」
「りゅー、にいにとー、おでかけ、いく!」
「えええー!」
リュカは下女の手をほどき、僕の足にしがみついた。
すっかり僕とおでかけに行くつもりで、意地でも離さないぞとでも言うかのようだ。
「いやいや。リュカ、今日はだめだよ。ほら、保育園に行っておいで。お友達が待ってるよ」
「やー! にいにと、いっしょぉ!」
なんとかリュカの手を服から剥がして、下女に預けようとした。けれど、リュカは絶望したような顔をして、その場に体育座りで座り込んでしまった。
「う"う"〜、ひっく、おでかけ……いくの……ひっく」
「リュカ……」
わがままを飲んではいけないと思いつつ、かわいそかわいくて仕方ない。
僕が途方に暮れていると、テオドアさまが助け舟を出してくれた。
「なに、今日はいわば散歩じゃ。わしは構わんよ」
「テオドアさま……」
その言葉に甘えてしまっても良いのだろうか。ここは、リュカに「だめだ」とちゃんと言い聞かせた方がいいんじゃないか。僕はぐるぐると悩んでしまった。
「リュカと言ったかのう。どれ、この爺と一緒に、散歩に行ってはくれまいか」
「……おしゃんぽ?」
「おお。そうじゃ。散歩じゃ。めんこいのう」
「にいに、いっしょ?」
「そうじゃよ。ルイも一緒じゃ」
リュカは、僕も一緒と聞くと、ぴたっと泣き止んだ。
そして、ちっちゃなお手々で目をぐしぐしこすると、両手をついてお尻からよいしょと立ち上がった。
「おしゃんぽ、いく!」
「ほっほっほっ。機嫌が治ったようで、よかったの」
「テオドアさま、ありがとうございます……」
「なんの、なんの。かわいい弟君じゃ」
そういえば、リュカはまだちゃんとテオドアさまにご挨拶をしていなかった。
抱きついてきたリュカを、テオドアさまの方に向けて、僕は促した。
「ほら、リュカ。こんにちはって、ちゃんとご挨拶しよう」
「あい! りゅーぅか、よんさい、ですっ! こににちは!」
ちょっとずつ惜しい。それに、五歳なのか四歳なのか、あいまいな本数の指を立てているけれど、リュカ本人は得意気だった。
「これはこれは、ご丁寧に。わしは、テオドア・フィールドじゃ。爺でもじじいでも、好きなように呼んでくれていいのじゃが」
「おじいちゃんが『じいじ』なので……。リュカ、『テオじい』なら呼べるかな?」
「ておじー!」
リュカは、にぱあっと笑っている。けれど、その目線はテオドアさまの顔ではなく、その上、頭の方に向いている気がした。
僕は嫌な予感がして、咄嗟にリュカの口を塞ごうとしたけれど、一歩遅かった。
「……ておじー、あちゃま、ちゅるっちゅる?」
剃髪頭なんて初めてみたリュカの、まったく悪気のない一言が、玄関に響き渡った。
ぶーっと、テオドアさまの従者さんが吹き出した。エキゾチックな雰囲気で、目元に黒子のあるイケメンが、くつくつと肩を揺らして笑っている。
下女も、ポーカーフェイスを取り繕っているけれど、肩が揺れていた。
(あっちゃー)
僕はあまりの申し訳なさに空を見上げ、頭を抱えそうになってしまった。
「テオドアさま、リュカがごめんなさい……!」
「かっかっかっ! こりゃあ、やられたわい。 たしかに、わしはつるつるじゃからのう。ほれ、このとおり」
そう言って、テオドアさまは自分の剃髪頭を丸っと撫でて、最後にぺちっと叩いた。
その様子が面白かったのか、リュカはきゃらきゃらと笑っている。
「おもしろ〜い! もっかい!」
リュカが自分から近づいて、テオドアさまのローブをくいくいと引っ張っている。
人が良く、茶目っ気もあるテオドアさまは、せがまれるままに自分の頭を撫でていた。その様子は、まるで祖父と孫だ。
喜んでいいのかどうか迷うところだけど、リュカはすっかりテオドアさまに懐いてしまったようだ。
(結果オーライ、なのかな?)




