81. 晴れ間からのぞくのは
収穫作業は夕方、暗くなる前に終わった。その頃には、もうへとへとだった。
僕は足腰が痛くて仕方なかったけれど、小作人たちはまだまだ元気で、終わり際でも笑顔が見える。
(なんでみんな、そんなに余裕そうなんだろう。体力おばけにも程があるよ……!)
やっとこれで一日の作業が終わりだ!……と思ったけれど、そう甘くはない。むしろ、ワイン作りはここからが本番だ。
収穫した葡萄は、このあと醸造所に運ばれ、さらに人の目と手で丁寧に選別される。
そして、職人たちが体を使ってひたすら実を潰し、濾した果汁を樽に詰めるところまでが、一日の作業だった。
子どもの僕は、その後の作業には参加せず、家に帰って朝までぐっすりだったけれど。
寝る間際に眺めた闇夜の葡萄畑は、醸造所のある真ん中だけ、いつまでも煌々と灯が燈っていた。
「仕込み作業がすべて終わったのは夜半過ぎだったと思うのですが、レオンさんたちはとてつもなく元気でしたよ」
翌朝、少し遅れて朝食にやってきたレミーが、そう話す。その目の下には、うっすらと隈ができていた。
レミーを初めとした事務員たちは、昨夜は交代で作業を手伝ったり、ワイン作りの様子を見に行っていたらしい。
(レミーもだけど、レオンさんたちも、大丈夫かな? 九日間だけとは言え、朝早くて夜も遅いなんて、体調を崩しそう……)
ここが正念場だとわかってはいるけれど、体調が心配だ。
「旦那様。今年は仕方がありませんが、来年からは季節労働者を雇ったほうが良いかと」
「ああ。そうだな。ヴァレーも大きくなったものだ。葡萄の栽培も、醸造も、もうこの町だけでは賄えないのだろう……」
さすがのレミーも、今の体制や人手では来年はもう無理だと悟ったのだろう。
その忠言に、おじいちゃんは静かに頷いていた。
♢
朝から葡萄を順々に収穫し、夕方から夜にかけて選別・仕込み作業を繰り返すこと九日間。
予定通り、今年の収穫は終わった。
──覡の言う通り、十日目に雨が降り出したのだ。
内心、半信半疑ではあった。
けれど、十日目の朝。ぐっと気温が冷え込み、寒さに肌が粟立った。冬服を引っ張り出し、慌てて着込んだほどだ。
外を見ると、深いもやが立ち込めている。
(真っ白で、よく見えないな……)
自分の手さえ、見えなくなるような視界の悪さだ。これでは、外出もままならない。
日が高くなるにつれて、晴れてくれることを祈ったけれど、そのまま朝もやは霧雨に、霧雨はやがて小雨へと変わり、しとしとと降っている。
そんな状況に、2階の事務室には珍しくおじいちゃんや、事務員全員が集まった。
「……まことに、降ったな」
「ええ」
「それで、今年のワインの出来高は、どれくらい見込めそうだ?」
限られた日数で、できる限り収穫したとはいえ、喜ばしい数字ではないのだろう。
みんな少し暗い表情をしている。代表して、レミーが口を開いた。
「正確な数字はまだです。しかし、概算でおそらく例年の三割から四割減が見込まれるかと」
「そうか……。全滅でなかっただけ、御の字であろう。みなもよくやってくれた。農園や醸造所、そして町のものたち全ての協力のおかげだ」
おじいちゃんの労いに、空気がふっと緩んだ。
みんな最大限、できることを尽くした。あとの出来栄えは、もう神々に祈るくらいしかできない。
(神々と言えば……)
「雨が降るとわかっていなければ、収穫の効率が最大化できず、損失はもっと大きかったはずです」
「ああ、そうだな」
「あの。結局、覡はどうして雨が降るってわかったんだろう?」
「そうですね。町の者たちも、気にしておりました」
僕とレミーがそう言うと、おじいちゃんに視線が集まる。
この中で、唯一おじいちゃんだけが、次代のことを知っていた。
「……『予知』であろう」
「では、やはりスキルだったのですね」
「ああ。おそらくな。先代の巫女……あの婆は『神託』だった。加齢とともに力が衰え、ここ十数年は形式的なお役目に過ぎんかったが」
おじいちゃんが、苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「……変ですね。ヴァレーの者に、次代さまの存在を知らせていなかった、なんて」
「神殿内は婆が仕切っておったからな。何を考えておったのか……」
雨は止む事なくいつまでも降り続き、湿気た風が白く世界を覆うような、そんな天気が丸四日も続いた。
そうして、五日目の朝、やっと白の山脈の山間から、厚い霧を切り裂くように光が差し込んだのを見て、あまりの眩しさに僕は目を眇めた。
細かい霧の粒子に光が乱反射して、虹が輪のように、白の山脈に掛かっている。
(すごく綺麗だ……)
収穫間際の雨を予知した出来事と、この神々からの祝福を受けたような光景から、次第にネージュ様は「真白き予知の覡」と呼ばれるようになった。




