78. 真白き次代
沈黙が広がるなか、爽やかな風が通り過ぎていった。
(なんで、未来の天気のことを、こうも断定できるんだろう? ……もしかして、何かのスキル?)
「……その話を信じろ、と? 万が一、そうだとしても、なぜ本人が来ないのだ」
「噂を知っているご当主様なら、次代が来られないことも察していただけるかと。彼の方がいま来ようものなら、いらぬ衆目を集めることになります」
おじいちゃんは、次代について何か知っているようだった。
真っ白な眉毛を指で触りながら、難しい顔をしている。
「はっ……ちょっと、あんた! いま、十日後に長雨って言わなかったかい!? なんでそんなこと、わかるんだいっ! 嘘だったら承知しないからねっ!」
「おう。そうだ! そうだ! その話が本当か嘘かによって、話が全然変わってくるんだぜ!?」
「う、嘘ではありませんよ!」
正気を取り戻したヌーヌおばさんが、夢に出そうなほど怖い顔で神職に詰め寄っていた。それに便乗して、レオンさんも凄みを利かせて問いただしている。
さすがに、これには神職も一歩二歩後ろに下がって、たじろいでいた。
「はあ……。二人とも、そこまでにしてやれ。それで、ほかには」
おじいちゃんが痛そうに頭を抑えながら、神職に聞く。
神職は、仲裁が入ったことに安心して緩めた顔を、またきりりと引き締めて、その場に片膝をついた。
そのいきなりなことに、みんな困惑した表情だ。小作人たちも、こっそりこちらを伺っている。
「これは私からのお願いです。もし此度のことが真実だと認められたら、お三方には、次代への力添えをお願いしたく」
「ふむ……」
「そうは言ってもねえ。あたしなんてただの農婦さっ。旦那様ならいざ知らず、力添えも何も、元々そんなご大層な力なんてないよっ」
「俺だって、力になれるようなことなんて、何もないぜ?」
伏せていた顔を上げた神職が、頭を振る。
「いえ。少なくとも、ヴァレーのワインを支えるお三方が、『次代を認めている』と言うだけで、周囲の目は変わってきます。……彼の方は、力こそ本物なれど、その風貌は忌避の対象になりかねません」
「あたしらは、その次代さんを知らないからねっ。そう言われても……。ねえ」
「ああ」
ヌーヌおばさんとレオンさんは、顔を見合わせてしまっている。
「……話はわかった。が、今はともかく収穫が最優先だ。アヌーク、レオン。明日から総出で収穫だ」
「「! はい!」」
「全滅は、なんとしても避けねばならなんだ。忠告を信じるのであれば、明日から始めても期限は九日。そのつもりで、準備を進めるように」
「「はい」」
おじいちゃんが、決定を下す。そして、神職に向き合った。
「神殿も、明朝儀式を執り行ってもらおう。問題ないか」
「はい」
「それともう1つ。……次代の言が本当だと明らかになれば、ヴァレーの民は自ずとついてくるものだ」
「……はい」
おじいちゃんのその姿を、僕はずっと見ていた。いつかは、僕がしなくてはいけないことなのだ。
♢
もう朝日が昇る頃だが、天気はあいにくの曇り空。薄灰の分厚い雲に覆われている。
物の輪郭がぼやけるような曖昧さのなか、祭壇の左右に焚かれた篝火だけが、赤く辺りを照らしていた。
(ふわぁ〜、ねむい……)
僕は必死であくびを噛み殺す。
普段なら、まだこの時間は眠っている頃だけど、今日からしばらくは早起きだ。
慌ただしい収穫開始にも関わらず、同じようにまだ眠たそうな顔をした人たちが、たくさん葡萄畑の裾に集まっていた。
おじいちゃんとレミーは、ヌーヌおばさんやレオンさんと話すことがあると言って、ここにはいない。
それに、四歳児のリュカはもう抱っこ紐で連れてくる訳にもいかず、おばあちゃんと一緒に家で留守番だ。
リュカは昨夜、「ぶどう〜♪ぶどう〜♪」と興奮してしばらく寝つかなかったので、きっとまだ夢の中で葡萄を食べている頃だろう。
そんなことをぼうっと考えているうちに、着々と儀式の準備は進んでいる。
けれど、去年はこの時間にはいたはずの、巫女の姿がなかった。
(? どうしたんだろう?)
目を凝らして辺りを見るが、神職はいれど巫女の姿は見当たらない。
周囲の人々からも、例年とは違った様子に「おい、巫女はどうした」「もう始まるのに」といった声が上がり出した。
そこに、一台の輿が静々とやってきて、止まった。
(神職が四人で担いでるってことは、巫女が乗っているのかな)
多少の遅刻感はあるけれど、無事に巫女が来たことにほっと胸を撫で下ろす。儀式がないまま、収穫をはじめることにならなくて良かった。
輿がそっと地面に置かれる。担ぎ手のうち、昨日の壮年の神職が、乗っていた人物に手を差し伸べた。
御簾の合間から、その手を取った白く透き通るような指先に、誰かが息を呑んだ音がした。
はじめに思ったのは、「真っ白」だった。
立ち上がり、歩き出したその巫女……いや、顔の輪郭や首の筋ばった感じから多分男、だと思う。その髪、肌、眉、伏した目を縁取るまつ毛、何もかもすべてが白かった。
(アルビノ……?)
白い装束と相まって、全身がほのかに光っているようだ。歩くたびに、しゃらしゃらと白糸のようなおかっぱが揺れる。
そして、祭壇に辿り着くと一礼して、斜め向きにこちらを振り返った。
「……臥した先代の巫女に代わり……このたび、私、ネージュが……覡を受け継ぐこととなりました。……白の山脈の神々と……このヴァレーとを善く結ぶと……ここに誓約します……」
覡は白を通り越して、青白い顔でそう気だるげに宣誓すると、祭壇に向き直った。あっけに取られる僕たちを取り残して。
一つ呼吸を吸って、覡は高く柔らかく響く声で、祝詞を唱え始める。
咄嗟に指を組むけれど、みんなの視線は覡に注がれていた。
パチーン……パチーン……パチーン
その拍手の音に、僕ははっとした。
気がつくと、いつの間にか祈りは終わり、覡は深々と一礼していた。
慌てて、最後だけでもと僕も一礼する。
(?? なんだったんだろう……。夢でも見てたみたいだ)
目を瞬きながら頭を上げると、集まっていた人たちも不思議そうな顔で見合わせていた。
覡はそんな僕たちに目もくれず、さっさと輿へと歩き出している。
去年は儀式が終わるやいなや、みんな一斉に葡萄畑へと向かっていた。
それなのに、今日は覡が輿で去っていくその後ろ姿を、なぜか僕たちはその場でじっと見送る。
──まるで、神のような
誰かがぽつりと言った、言葉がやけに響いた。
■ 補足
巫女→女性、覡→男性




