67. 葡萄の花蔭、小さなロマンス(前)
今日も今日とて、農作業をこなす。
一日働いて疲れた体で、僕は作業小屋へと、リュカを迎えに行く。
すると、いつもは室内で待っているはずのリュカが、泣きそうな顔で外に出ていたのだ。
その様子に、何かあったのかと、僕は慌てて駆け寄った。
「リュカ! 一体、どうしたの?」
「にいに〜。めろちゃん……うっく。ひっく。めろちゃあああん……うえええん」
リュカは、何かメロディアのことを話そうとしていたが、堰を切ったかのように泣き始めてしまった。大粒の涙が、ぽろぽろと頬を流れていく。
条件反射で屈んで手を差し伸べると、リュカは僕の首に手を回し、両足でがっしりと腰にしがみついてきた。
お尻を支えながら抱きかかえると、リュカは耳元でさらに大きく泣く。
(こ、鼓膜が……)
ちょっぴり顔を背けながら、背中をさすり、あやす。
周囲を見ると、確かに今日は保育園に着いてきているはずのメロディアが、見当たらなかった。
「……もしかして、メロディアが帰って来てないの?」
「ひっく……う゛ん……」
そう尋ねてみると、予想は当たっていた。
リュカは僕の胸に顔を擦り付けて、涙をごしごしと拭いながら頷く。
保育園にリュカが通うようになってから、メロディアはその日の気分で、保育園について来るか、家に残るかを選ぶようになっていた。
意思は尊重したいけれど、メロディアがリュカと一緒に保育園に行くと、小さな子どもたちは興味津々で、どうしても触ったり、構いたくなってしまう。
(だから、メロディアを連れて行くのは、最初は反対だったんだよなあ)
けれど、試しに一度だけ保育園に連れてきたら、メロディアはリュカの肩から飛び降りて、さっとどこかに消えてしまったのだ。
僕はびっくりして「メロディアがいなくなった!」と心配したけれど、リュカはなぜか平然としている。聞くと、「めろちゃん、おでかけ!」なのだそうだ。
赤ちゃんの頃から育てているとは言え、本来、ミンクリスは野生の動物だ。
自然に帰りたくなる時もあるだろう。
賢いメロディアは、午後のお茶の時間には戻って来たので、僕はそういうものかと心配をしなくなっていた。
そのメロディアが、まだ帰って来てないのだと言う。
もうそろそろ夕方になる。確かに、遅い。何かあったのだろうか?
「にいに! めろちゃん、しゃがしにいくっ!」
むんっと唇をアヒルにして、泣くのを我慢しながら、リュカは僕に訴える。
その必死の懇願には抗えず、僕たちはメロディアを探しに行くことにした。
♢
作業小屋の周囲や厩舎、裏手の薪・草用の小屋をリュカと手を繋ぎながら、ぐるっと見て回ったが、メロディアの姿はなかった。
これは、いよいよ嫌な予感がする。
(もしかして、何か大型動物に襲われたとか、もう戻ってくる気がなくなったとか……?)
リュカに言うと、身も世もなく泣いてしまいそうなので言わないが、僕はそう思い始めていた。
それに、僕たちも、そろそろ帰らないといけない時間が迫っていた。
このまま探し続けるか、諦めて帰って後日探すか。どちらが良いか迷っているとき、後ろから声を掛けられた。
「あのぅ……。ルイ、もしかして何か探してるの?」
その聞き覚えのある声に振り向くと、ヌーヌおばさんの娘のアネットが立っていた。
今日は日よけのためか、生成りのボンネットを被って、リボンを顎で結んでいる。そのリボンを指で遊びながら、アネットがこちらを見ていた。
(うわ〜。どうしよう。気まずいな)
アネットは、もちろん畑で見かけることがあるし、時々視線を感じるようなこともあったけれど、僕は当たり障りなく接していた。
だって、前世を含めたら、娘にしか見えない年齢の子なのだ。それに、正直いまは余裕が全然なかった。
「えっと。うん。うちのペットのミンクリスが、どこかに行っちゃったみたいで……」
「そのミンクリスって、もしかして、首に青いリボンをつけてる?」
「え! そうだよ。もしかして、どこかで見かけた?」
「うん。見かけたよ! あっ! そうだ、その場所に案内してあげるっ」
アネットは上目遣いでそう言い、僕の手を取ろうとして……僕の足にしがみついて隠れていたリュカに気づいた。
そのまま二〜三秒、固まった笑顔でいたけれど、伸ばしかけた手を何事もなかったかのように下ろすと、「こっち!」と言ってさっさと歩き始める。
(えええ。どうしよう……)
本音を言えば、ついて行きたくない。なんか怖い。
けれど、このままメロディアが見つからないのも、リュカが泣いてしまって困る。
一つため息を吐くと、僕はとぼとぼとリュカの手を引いて、アネットの後を追った。
作業小屋の反対、段々畑のてっぺんに向かう坂道を、アネットは軽い足取りで登っていく。
道中、アネットは自分のこと、同世代の女の子たちのこと、お母さん……ヌーヌおばさんが厳しくて仕方がないことを、ずっと喋っていた。
目がきらきらと輝いて、頬が紅潮している様子は可愛らしいが、いかんせん話についていけない。
それに、えっちらおっちらと、短い足で必死に歩いているリュカが危なっかしくて、僕は目が離せなかった。
「アネット。本当に、メロディアがこの先にいたの?」
「うん。本当に、あともうちょっとなの。ほら、あそこらへんよ」
アネットが指差す場所は、確かにあと少し先、ちょうど低木が密集しているところだった。
ここまで来てしまったからには、仕方ない。僕はリュカをおんぶすると、また歩き始めた。
……けれど、やっと辿り着いた低木の周辺に、メロディアの姿は影も形もなかったのだ。
それどころか、ここは木々が良い目隠しになっていて、人気のない場所だった。




