61. 見えざる神々の意思
膨らみはじめていた葡萄の芽が綻んで、小さな葉を1つ2つ3つと繁らせてくると、今年の農作業が本格的に始まった合図だ。
小作人たちはみんな畑に散らばって、せっせと世話をしている。
この時期は、余分な芽を摘み取るのに忙しいのだ。
執務があるから毎日は来られないけれど、僕も時間を見つけては精力的に農作業に参加していた。
「ヌーヌおばさん、芽はどれを摘み取ればいいの?」
「ああっ。芽はね、大体1つが2つに分かれるように生えるからねっ、この脇の、小さい方を摘み取るのさっ」
ヌーヌおばさんが示した枝を見る。
確かに、芽が2つ顔を出している。1つは枝ぶりが太めで、もう1つは脇からぴょこんと小さく生えていて、まだまだ細い。
その小さい方を、躊躇いつつ、恐る恐るぷちっと摘み取る。
厳しい冬を越した枯れ木の葡萄の、かわいらしい芽は、もうこれで葡萄になることはない。
丸々と、立派な果実をもぎ取るのとは違う。
なんだか、申し訳ないような、もったいないような、複雑な気持ちだった。
「……せっかく芽吹いてくれたのに、摘み取っちゃうのって、罪悪感があるね」
「ははは。とにかく、たくさんあるからねっ。何度もやってれば、そんな気持ちもなくなるよっ」
「そうなんだろうけど……ヌーヌおばさん、芽はどうして摘み取るの?」
「芽はね、成長すると葉同士が太陽を遮って、結局共倒れしちまうのさっ。だから片方は摘み取って、果実がちゃあんとできるように、整えてあげるんだよっ」
「へえ、そんな意味があったんだ」
ヌーヌおばさんは僕の質問に答えつつ、手を止めない。
僕が担当している列の、さらに隣の列を、何倍も早く摘み取っている。
一瞬でどちらを残すのかを判断して、ぽきっぽきっと折り、肩にかけた籠にぽいぽい入れていく姿は、さすがだった。
僕も二度三度と、摘み取るうちに、速さが上がってくる。
というか、上げないと、とてもではないけれどこの列が終わらない。
僕たちはしばらく黙々と作業していたけれど、ヌーヌおばさんはなぜか立ち止まって、枝や幹を撫で、ぶつぶつと文句を言っている。
様子がおかしい。僕が訝しげに見ていると、ヌーヌおばさんがいきなり怒鳴った!
「なに怠けたことを言ってるんだいっ!水も肥料も、必要な分はやってるよっ!」
「ご、ごめんなさい!」
自分が怒られたのかと思って、僕はつい反射的に謝ってしまった。
「ああ、すまないねっ!ルイに言ってるんじゃないよっ。あんまりにも、葡萄がうるさいもんだからつい、ね」
「……うるさいって、葡萄がしゃべるの?」
ヌーヌおばさんは苦笑して、葡萄の枝を優しく撫でる。
「あたしら緑の手は、こうして植物に触っていると、植物が歌うように囁く言葉がわかるのさ。全部じゃないけどねっ」
「へえ。スキルって不思議……」
「そうさねえ。この手のおかげで、病気に強く丈夫に育ってくれるし、樹が元気か疲れてるか、なんてのもわかっていいんだけどねっ。葡萄は特に要求が多いんだよ! やれ水が欲しい、堆肥も肥料もいっぱい根本に欲しいってねっ」
「ああ。それで怒ってたんだ。でも、植物自身が欲しいっていうなら、あげてもいいと思うんだけど……」
僕がそういうと、ヌーヌおばさんは腰を屈めて土を手に取る。
「まったく、それが難しいところだよ。長く、同じ場所に根を張る葡萄は、どうしても土が痩せちまう。だから肥料や堆肥も、水もやるけれど、やりすぎはだめなのさ。ぬくぬくと世話に甘えると、葉ばかり立派で、いい果実をつけなくなるからねっ」
(……葡萄のことを言ってるはずなのに、耳が痛い)
僕は顔を顰めてしまった。
「なんだか、人間みたいだね」
「ははは。ああ、本当にそうだねっ。葡萄も人間も、一緒さ。そもそも、生命力がしぶといんだ。なんでも良いよ良いよと甘やかすんじゃなくて、適度に厳しくした方がいいのさ。……まあ、それが一番難しいんだけれどねっ」
そう言うヌーヌおばさんが葡萄を撫でる手つきは、とても優しい。……摘み取る手は、容赦がないけれど。
もちろん、スキルの助けはあると思う。
けれど、スキルに振り回されず、手間暇をかけ、経験を実直に積み上げてきたのだろう。
長年の農作業でひどく荒れ、ひび割れ、節くれだった働き者の手が、何よりも証明をしていた。
(ああ……そうか……)
きっと古樹の涙の効能は、そういう意味なんだろう。僕はふと思った。
ヌーヌおばさんをはじめ、働き者の小作人たちは多かれ少なかれ、日や霜に焼かれ、肌が荒れていることが多い。
どこまでも、白の山脈の神々は、ヴァレーとその地に住まう人を、そしてワインを、愛しているのだろうか。
これも巡り合わせかと思えば、おかしさが込み上げてきた。
◇
昼までになんとかいくつかの列の芽かきを終えて、僕は作業小屋にリュカを迎えに行く。
農作業の本格化とともに、保育園も始まっていた。
朝、小作人たちは子どもの手を引いて、中にはまだ寝ている子を抱っこして、畑にやってくる。
そうして、ヴァレーが雇った子守に預けて、農作業に取り掛かるのだ。
僕も、農作業をする時はリュカを一緒に連れて来て、預けるようにしていた。
作業小屋は、前世で言う吹き抜けのガレージに近い構造だ。
三分の二は床張りの休憩スペースになっていて、厚手の絨毯が敷かれている。
子どもたちは、その絨毯や、近くのカウチに思い思いに座って、楽しそうに本を読んだり、おもちゃで遊んでいた。
「ちゅいん」
「ちがうのよ、あたしは『ついん』よ」
「ち、つ、いん」
「そう!」
最初、リュカは毎日泣きそうな顔をして、保育園に通っていた。僕も、リュカを置いて農作業にいくのは、後ろ髪を引かれる思いだった。
けれど、他の子は慣れているのかほとんど泣くことがなく、見知った友達もいたことで、数日で慣れてくれた。
今では、楽しそうに友達とおしゃべりをしたり、遊んだりしている。
最近は、お友達の名前をちゃんと呼びたい!と、こうして発音の練習にも取り組んでいた。
「あ! にいに!」
僕の姿を見つけたリュカが、走って飛びついてくる。
その勢いにたたらを踏みつつ、脇に手を入れて持ち上げると、リュカは僕の首に手を巻きつけて、ぎゅっと抱きついてきた。
「にいに! ぼ、きゅ、つ、いん、いえた!」
「おお〜、言えてる! リュカ、がんばったね」
『ツイン』は言えたが、『ぼく』が『ぼきゅ』になっているのは、ご愛嬌だろう。
ふんすとドヤ顔で笑っているリュカを、手放しで褒める。
僕が願った通り、リュカは同じ世代の子どもたちと交流する中で、着実に成長をした。
(でも、なんでだろう……成長は嬉しいけれど、寂しいような)
ふと周りを見ると、同じように迎えに来た親子が戯れている。
保育園は、始めは多少の混乱があったけれど、概ね好意的な意見ばかりだった。
子どもの様子を気にせずに仕事に集中できるとか、子どもも親の近くで過ごせて、休憩の時に顔を見ることができるから安心するとか。
あまりにも人気で、町にも保育園を作って欲しいと言う話が出てきたくらいだ。
レミーが、農作業はできないがまだ元気な世代を雇用すれば一石二鳥だと言って、作る方向で進んでいる。
ゆるやかに、ヴァレーは変わっている。
それが良いことか悪いことかはわからないけれど、こうして広がる笑顔を見ると、僕は未来は明るいような気がしていた。
──こうして、この保育園から、ヴァレーに少しずつ教育の場が広がって行くことになるのだが、それはまた別の話。




