56. まさに時は金なり
「それで、鑑定してみたら、この葡萄の涙は天然の美肌水だって出たんだ」
「なるほど……」
家に戻り、僕はさっそく2階の事務室にいたレミーに相談をしていた。
向かいあったソファーの正面で、レミーは顎に手を添え、難しい顔をして考え込んでいる。
僕らの間にある机の上には、陶器の容れ物が置かれていた。
その中には、僕がヌーヌおばさんの目を盗んでこっそり採った、葡萄の涙が少量入っている。
「確か、葡萄の涙は通常7日、長くてもその倍ほどの期間しか起こらないはずです」
「そんなに短いんだね。じゃあ、早めに採取しないと、次は来年になっちゃう……!」
「ええ。本当にそのように貴重なものなら、大きな商機を逃すことになります。ふむ。本来であれば、旦那様に相談すべきことですが、あいにく今は外出されているので……。まずは商人ギルドの鑑定士にも見てもらいましょう。公的な鑑定書を発行してもらえます」
そう言うと、レミーは素早く立ち上がり、コートを翻して羽織った。
その様子を呆気にみていた僕に、レミーが鋭く言い放つ。
「何をぼやぼやしているのですか。時は金なり。今まさに、我々は黄金を失っているのかもしれないのです。さっさと商人ギルドに行きますよ」
「!はい」
その言葉に、僕も慌てて立ち上がって、レミーの後を追った──
そうしてやってきた商人ギルドで、随分と無茶を言って鑑定してもらった。
結論、商人ギルドでの鑑定結果は、僕とほぼ同じだった。
ただ、1つ違ったのが、「分離・精製すると、効能が高められる可能性がある」という点だ。
なぜ結果が違ったのかと僕が首を傾げていると、長年、商会で鑑定士として勤めてきたと言う初老の職員が教えてくれた。
曰く、どうも、通常の鑑定は確定情報しか出さないが、使い続けて極めると可能性を示してくれることがあるらしい。
(スキルにも経験値的なものがあるってこと……?)
僕の疑問をよそに、レミーは鑑定結果を聞いて、正式な鑑定書を発行してもらう。
ついでに、瓶や素焼きなどの容れ物の在庫を、あるだけ購入する契約もまとめていた。
しかも、謝礼金を上乗せして、大容量な収納のスキル持ちに、明日の昼前までに醸造所に届けてもらえるよう、抜け目なく手配も済ませてしまった!
(あ、鮮やか〜)
僕はその様子を感心しつつも、逃さぬように真剣に見つめていた。
そして、商人ギルドでの用が済むと、その足でさらにレオンさんとヌーヌおばさんの家に寄る。
レオンさんにしばらく醸造所を作業で使うことを告げると、「醸造は休閑期で、どうせ使わない」とあっさりした対応だったけれど、その後のヌーヌおばさんが厄介だった。
ヌーヌおばさんは、レミーと僕という珍しい組み合わせが家まで訪ねてきたことも、急に明日の昼から作業できる小作人を集めろと言われたことも、ひどく訝しんだ。
「で?なんだってこんなに急に、人を集めろなんて言い出したんだいっ」
「……」
レミーは、渋面のまま答えない。
できるだけ理由を明かさず、秘密裏に進めたかったのだけれど、ヌーヌおばさんはそれを許さなかった。
「答えないなら、あたしは協力しないからねっ。今日の明日で人を集めるなんて、無茶なことを言っておいて、理由は教えないなんてっ。まったく、失礼しちゃうねっ」
「はあ……。仕方ありません。くれぐれも、今はまだあなたまでで留めてください」
根負けしたレミーが、ため息をついて、手に入れたばかりの鑑定書をヌーヌおばさんに見せる。
ヌーヌおばさんは、最低限の読み書きはできるようで、たどたどしいながらも鑑定書の内容を読み上げた。
「美肌水!?あの葡萄の涙が……?」
「ええ。だからこそ、明日から小作人たちに、採取をお願いしたいのです。もちろん、その分の給金は弾みます」
「……はぁ。わかったよっ。そりゃあ、確かに急がないと、あっという間に時期が終わっちまうねっ」
「お願いします」
「ただし!……わかってるねっ?」
そう言って、ヌーヌおばさんはニヤリと笑った。
何を要求しているかは、僕でもわかる。
「……仕方ありません。採取量に応じて、前向きに検討しましょう」
「もう一声欲しいねえっ」
「無茶を言わないでください。商品化すれば、どれだけの価値になると思っているのです」
「はいはい。わかったよっ。それで手を打とうじゃないかい」
ヌーヌおばさんは、レミーの反論に肩をすくめて、やれやれと言った感じだ。
レミーとヌーヌおばさんの交渉に、僕は肝が冷えてしまった。
(さすがおばちゃん、図々しいというか、図太いというか……)
ともあれ、ひとまずはヌーヌおばさんの協力を取り付けることはできた。
これで、突貫ではあるものの、明日から採取を始められそうだ。
(あとは帰っておじいちゃんに報告して、相談したいこともまだあるし……)
決めなくてはいけないこと、やらなくてはいけないことは、まだまだ山積みだけれど。
このヴァレーに、ワイン以外の特産ができるかもしれない。
次第に現実味を帯びてきたその可能性に、僕はいつしかわくわくし始めていた。
※決して、おばさま世代を貶めたいなどの意図はありません。




