54. 目的と手段
※大筋は変わりませんが、前話(53話)を加筆修正しております。
2階の一室が、ヴァレー家の事務室になっている。
普段は、レミーのほかに2人通いでいるのだが、今は出払っているようだった。
レミーは自席に座って、何やら帳簿に書きつけていた。
飾り気はなくとも、サイズのあった黒の上下に、白シャツ。
百合のような花が描かれたカメオのループタイが、日差しを反射して輝いていた。
何気ない所作のはずなのに、その考え込んでいる姿は、烟るような長いまつ毛が影を落として、まるで絵画のようだった。
(うーん、いつ見ても美形だよなあ。レミーが男で良かったのか、悪かったのか…)
女性だったら、きっと傾国だったに違いないと思いながら、僕はレミーに声を掛けた。
「レミー、手が空いたら、見てもらいたいものがあるんだけどいいかな」
「ルイ様。今でも問題ありません」
部屋の中央のソファーに移動して、さっそく、羊皮紙に清書した提案書をレミーに確認してもらう。
世話係のレミーが見て問題なければ、自信を持っておじいちゃんにも話せるはずだ。
レミーが提案書に目を通している間、僕はきゅっと胃が縮むような気がした。
暖炉の火だけが、ぱちぱちと微かに響く。
息を飲むのも躊躇うような空気の中で、心臓だけがやけに大きく鼓動していた。
(……前世の上司に、貶されたことを思い出すな)
不意に、もう遠い記憶を思い出した。
この約1年は、日々教わることで精一杯だった。自発的に提案することは、思えばヴァレーでは初めてのことだ。
今世でもボロボロに言われるのか、それとも違うのか。
どのような判断をされるのか、僕は固唾を飲んでレミーが口を開くのを待っていた。
「……ふむ。この提案をしようと思った目的は何ですか。ああ、表面的な綺麗事は結構ですので、正直なところをおっしゃってください」
「目的……。その、リュカに普段から友達と遊べるような環境を作ってあげたくて……」
「……そんなところかとは思いましたが、いささかあなたは弟愛が少し過ぎます。ですが、そういうことであれば、考えるべきは『いつか』ではなく、『明日、弟が友達と遊べるようにするにはどうしたら良いか』ではないのですか。この提案書では、早くても休閑期明けになりますよ」
呆れたようなレミーの言葉に、僕はハッとした。
「最初は、学友みたいなのがいいかと考えて…。それで、親がなんであそこの子は選ばれて、うちは選ばれないのかとか言われると面倒だなと……」
「ふんっ。そんなもの、だから選ばれないのだと、言い返せば済むだけの話です」
(!うわあああ。何で僕、思い至らなかったんだろう!っていうか、リュカがそり遊びで仲良くなったあの男の子だって、良かったらうちに遊びにおいでとか、外で遊ぶ約束だってして良かったじゃないか!)
僕は、霧が晴れるような気持ちだった。
指摘されてから気づいた自分が恥ずかしくて、ガバッと頭を抱えてしまった。
「その様子ですと、わかっていただけたようですね。そろそろ、あなたはヴァレー家がそのくらい強気でいても許されることを、自覚してください」
「……はい」
レミーは提案書を机に置いて、足を組み直した。
僕を真っ直ぐ見て、真剣な顔で話す。
「それだけではありません。何事においても『いかに単純に、速く、価値を生み出せるか』が肝要です。あなたの思考の癖なのかもしれませんが、あれこれと難しく考えて、調べることに時間を掛けるくらいなら、さっさと世話係の私に聞いてくだされば良かったのです」
「あっ……」
僕は自分で納得するまで考えて、答えを出さないといけないものだと思い込んでいた。
それに、どこかで世話係のレミーを苦手にしていたところもあったのだと思う。
全てを見透かされているようで、僕は何も言い返せず、俯いてしまった。
「……リュカ坊ちゃんの遊び相手については、何人か心当たりがあるので、旦那さまと相談して声をかけてみましょう。保育園が開始したら、一緒に通うこともできます。気心が知れているものがいれば、馴染むのも早いでしょう」
「えっ……でも……」
(保育園案はボツなんじゃないのかな?)
レミーは、特に表情を変えることなく、1つだけ頷いた。
「目的と手段が食い違ってしまっていただけで、この提案や資料自体は及第点です。これまで、ヴァレー家に子どもがいなかったので、気付けない視点ではありました。リュカ坊ちゃんのこととは別に、進めても良いかと思います」
「え、あ、ありがとう…ございます…」
(……あれ、今レミー、『及第点』って言った?)
思いもよらなかったレミーの言葉に、思わず耳を疑う。
「その、おじいちゃんの了承を取る必要はあるかな?」
「このくらいでしたら、旦那様に聞くまでもありません。多少、人件費が必要なくらいで、当面は大きな予算を使いませんから」
「そうなんだ……」
「それに、ヴァレー家の評価を損ねるようなことでも、ありません。早く小さく試して、検証する。旦那様にあげるのはその後。見通しが立ってからでいいのですよ」
そう言って、レミーは自席に戻ると、素早く商人ギルドへの依頼票を書き始めた。
作業小屋で子どもたちの面倒を見てくれる大人を、休閑期明けから二人雇いたいこと。
状況に応じて増員もあり得るなど、条件や給金などを決めていく。
それを僕にも、こういった場合はどう書くと良いのか、説明をしながら書いていくのだ。
様々なことを的確に、瞬発的に決めていく様を見て、なぜおじいちゃんがレミーを僕の世話係としてつけたのか、やっとわかった気がした。
レミーの仕事振りを、傍で見て覚えろ。使えるものは使え。……つまりはそういうことなのだろう。
「レミー、ありがとう」
「……今ここで、失敗できて良かったですね」
そう言って、レミーは柔らかく、わずかに口角を上げた気がした。




