中編:掴んだ幸せの壊れる音
※ すみません。前編で書くべきでしたが、閑話は賛否両論あるかと思います。
暗いお話でもあるので、飛ばしていただいても問題ありません。
つわりが落ち着いた頃から、母親として知っておくべきことを、ポリーヌさんやポリーヌさんを介して知り合ったご近所のご婦人方から教わる。
妊娠期間が十月十日だということも、この時初めて知った。
「心配してるよりも、思った以上に、するっぽんって生まれてくるからねぇ」
ポリーヌさんはそう言うが、本当のことなのか、不安がる私を励ましてのことなのか、わからなかった。
◇
不安な気持ちのまま迎えた出産は、この世のものとは思えない痛みだった。
痛みが強くなってからも、なかなか生まれず、気が遠くなった。
私は、このまま死んでしまうかもしれないと、覚悟さえ決めた。
けれど、赤ちゃんが産道を通り、「ほあっほあっ」と産声を上げたのを聞いて、思ったのだ。
死ねない。
この子を、私と同じ、母なし子にしてはいけない。
それは、意地だったのかもしれない。
産婆が、生まれた我が子を抱かせてくれる。息子だった。
うっすらと生えた髪は、私と同じ焦茶色だ。
胸が締め付けられるような思いに、呼吸が苦しかった。
血のつながった、小さな可愛い私の赤ちゃん。
誰よりも、何よりも、大切にしよう。
寂しい思いも、悲しい思いも、させたくない。
たくさん抱きしめて、たくさん愛そう。
そうだ。この時は、そう思っていたのだ。
◇
生まれてからも、慣れない育児に、疲労する日々。
ルイ、と名付けた息子の夜泣きで、まとまって眠ることさえできない。
お乳をやり、うとうとと椅子に座ったまま、一瞬寝落ちしてしまっては、はっと起きることが度々あった。
(ルイは、ルイはちゃんと生きてるっ!?)
一瞬でも目を離してしまったら、可愛い赤ちゃんが死んでしまうかもしれないと、怖かった。
そんな私をマルクは心配して、ルイの面倒を代わってくれようとしたのだけれど、断ってしまった。
日中、忙しく働いているマルクに、迷惑は掛けられない。
このくらい、普通のお母さんはこなしているのだ。私もできなくてどうする。
そうやって、少しずつ、私は自分が思い描く理想に、囚われ始めていた。
私の思いとは裏腹に、すくすくと、ルイは大きくなっていく。
ハイハイをするようになり、気がつくと歩けるようになっていた。
話すのも、他の子に比べると早かったように思う。
あまりわがままを言わず、きちんと気持ちを自分の言葉で伝えてくれる。
……いえ、1つだけ、頑固にねだられたことがあったわ。
「かあしゃん、ぼきゅ、もじうぉ、おべんきょしちゃい」
幼児のルイにそう言われた時は、思わず耳を疑った。
文字なんて、どこで存在を知ったのだろう?
あまりにもしつこく頼むので、仕方なく簡単な名前を教える。
「りゅい、まるく、しゃら……」
それをあっという間に覚えてしまったルイは、もっともっととせがみ、学のない私では答えられないような質問もするようになった。
そして、私に聞いてもわからないと悟ると、ルイはマルクに聞くようになっていった。
楽しそうに、私には理解できない話で盛り上がる、ルイとマルク。
そんな仲の良さそうな父子を、曖昧に笑ったまま、私は眺めることしかできなかった。
賢い息子を、自慢に思うよりも。
手がかからないと、喜ぶよりも。
私は寂しかった。
◇
崩壊の足音が聞こえたのは、ルイがちょうど10歳になった頃だった。
その頃、私はなんとなく調子が優れない日々が続いていた。
(……もしかして)
ルイが生まれてから、期待をして、待ち望んでいたけれど、叶わずに諦めていた2人目の赤ちゃん。
いつ言おうか。マルクもルイもきっと喜んでくれる。
ルイはそれこそ、弟妹を可愛がってくれる良いお兄ちゃんになるはずだ。
私たち3人とこの子で、またあの一番幸せだった頃に戻れる!
……そんな矢先に、マルクが病で倒れたのだ。
初めて聞いた時、世界が回ったような気がした。
マルクが倒れた?身体は問題ないのか。ちゃんと元気になるのか?
生活は、どうしたら良いだろう。お金は?家は?
何よりも、今、私のお腹には赤ちゃんがいる。もし、産めるような状況じゃなかったら?
大切な、私の家族が。ああ。ああ。
ぐるぐると、考えも言葉も視界もまわる。
……なんで。どうして。
そして、心の奥深く、暗いところから声が聞こえた。
やっと。やっと、幸せになれたと思っていたのに……。
どうして……。
なんで、私ばかり。いつも、いつも、いつも!
耳を塞ぐ。
この声に、心を傾けてはいけないと、わかっていた。
もう、すべてがぐちゃぐちゃで、泥のようだった。




