45. ヴァレー新酒祭りの開催宣言
ヴァレーにいる誰もが待ち焦がれた、新酒祭りの日がやってきた。
お昼には少し早い時間帯。
町の中心にある広場には、晴れ着で着飾ったたくさんの人が集まっていた。
普段は主婦が井戸端会議をしていたり、子どもたちが遊んでいたりと、のんびりとした雰囲気の広場なのだが、今はざわざわとした喧騒と熱気に包まれている。
そんな広場のさらにど真ん中には、簡素な舞台が設けられている。
今、その舞台には、豪華な葡萄の刺繍が施された深緑のコートを着たおじいちゃんが立っていた。
その目元は、仮面で隠されている。
おじいちゃんだけではない。僕やリュカ、それに今この場にいる人たちのほとんどが仮面をつけていた。
仮面はシンプルな木製のもの、装飾が彫られているもの、着色されているもの、様々だ。
なんでも、白の山脈の神々はヴァレーのワインを愛しすぎて、人に紛れてこの新酒祭りをこっそりと楽しまれるのだとか。
けれど、ヴァレーは小さな町で、大体が顔見知りだったりする。
ワイン商人など外から祭りに参加する人ももちろんいるが、雰囲気で地元の人間ではないとわかってしまう。
だから、神々が人の目を気にせず、心行くまでワインとお祭りを楽しめるようにと、いつの頃からか仮面をつけることが習わしになったらしい。
「ヴァレーと、ヴァレーのワインを愛するものたちよ。待ちに待った、この日がやってきた!」
今か今かと張り詰めた空気の中、おじいちゃんがそう口火を切ると、うおおおおおお!という大歓声が上がった。
指笛や、何かの楽器まで混ざっている。
僕ですら驚いてビクッと肩を揺らしてしまったのだから、幼児のリュカはさらに驚いただろう。
「ふえっ」と涙目になっている。
僕は慌てて収納から、冬用の耳当てを取り出してリュカにつけ、抱っこする。
辺りを見回すと、同じような状況の子どもたちが泣き喚いたり、苦笑しているお母さんやお父さんに抱っこされている姿がちらほらと見えた。
(これは、ある意味ヴァレー式の洗礼なんだな)
こうしてヴァレーの子どもたちは大きく育っていくのかと思っていると、しばらくして、おじいちゃんが右手をあげた。
すると、歓声がぴたりと止み、静かになる。
「葡萄樹喰いと言う脅威を乗り越え、今年も素晴らしいワインが誕生した!これも、日々勤勉に葡萄の世話をする者、五感を研ぎ澄ませワインと向き合う者。そして、ヴァレーを愛する全ての者たちの賜物だ!」
おじいちゃんは近くにいたヌーヌおばさん、レオンさんを順に示し、拍手を贈る。
途端に、歓声とたくさんの拍手が沸き起こった。
ヌーヌおばさんとレオンさんは、とても誇らしげな様子だ。
また、おじいちゃんの年を感じさせない声が、朗々と響き渡る。
慣れから来る聞きやすさと、あとはきっと何か魔法を使って拡散もしているのだろう。
「この凝縮された美しい自然の恵みと、そして、白の山脈の神々の加護に感謝を!」
「「「感謝を!!」」」
「これより、『ヴァレー新酒祭り』を始める!!」
それは、じりじりと焦れ、燻っていた情熱が、一気に爆発したかのような始まりだった。
誰が何を言っているのか、もうわからない。
その空気が震えるような凄まじい熱狂を、僕は怯えているリュカを抱きしめながら、ただ呆然と感じていた──
はっと気がつくと、広場の隅のテーブルにはすでにワイン樽が並べられていた。
それを見た人々が、目の色を変えて詰めかけていく。
新酒は、一人1〜2杯は飲めるくらいの量を、毎年無料で振る舞うのだとおじいちゃんに聞いてた。
無料分がなくなったら、あとは有料になるだけで、量自体はたっぷりと豊富に用意されている。
しかも、有料と言っても、産地かつヴァレーの住民たちへの労いを込めたお祭りなので、割安価格になっているのだ。
そうして、新酒はグラスなんておしゃれなものではなく、木製のジョッキに注がれ、次々と手渡されていく。
幸運にもジョッキを受け取れた者たちから、さっそく「乾杯!」と声をあげ、豪快に飲んでいた。
(ワインって、がぶがぶと飲むものだっけ…?)
リュカを宥めながら、そんな光景を唖然と見ていると、屋台が良い匂いのする軽食を売り出し始めた。
それに、どこからともなく、リュートやパイプ、タンバリンと様々な楽器が音楽を奏で始め、歌声も聞こえ出した。
「すごい、お祭りだ…」
あっという間に、楽しく賑やかで、華やかなお祭りに様変わりしていく。
今世では初めてのまともなお祭りだった。
僕は元日本人のお祭り好き精神を思い出したのか、徐々にわくわくと楽しい気持ちになってきた。
「坊ちゃん方、久しぶりっすね!」
「久しぶりだね、チボー」
舞台の警備を離れてきたチボーが、声を掛けてきた。
自警団は残念ながら今日は忙しい一日で、普段以上に見回りに力を入れている。
楽しいお祭りな反面、やはりスリや置き引きが紛れ込んでいたり、酒に酔って暴れる者や道で眠り込んでしまう者が毎年いるためだ。
今は飲めないが、お祭りが終われば、自警団はヴァレー家が差し入れたワインをたらふく飲めるようにちゃんとなっている。
そんな忙しい自警団から人を割いてもらうのは申し訳なかったのだが、僕とリュカがお祭りを見て回る際に、一人は護衛についてもらうことになっていた。
僕とリュカはヴァレー家の子どもだ。お祭りに紛れて、誘拐などの可能性を否定できなかった。
「自警団も忙しいのに、ごめんね。今日はよろしくね」
「そんな、気にすることないっすよ!せっかく初めての祭りなんすから、坊ちゃん方は楽しんだら良いっす!」
「ありがとう」
チボーとそんなことを話しつつ、抱っこしているリュカがずしりと重い。
そろそろ4歳になる幼児を抱っこしながら歩くのは、もう限界に近かった。
腕と腰にクるし、すぐにへばってしまう。
「さあ、リュカ。にいにと一緒に、歩いてジュースもらいに行こっか」
「…じゅーしゅ?」
「そうだよ。リュカが好きな、葡萄ジュースがあるんだって」
新酒祭りは、大人が楽しむ祭りなのかと思っていたけれど、子どももちゃんと楽しめるように考えられていた。
葡萄ジュースや揚げ菓子などの屋台に、人形劇などの出し物なんかもあるらしい。
「あま〜いお菓子もあるから、『ください』しに行こうね」
「……おかち」
「リュカも、もう4歳のお兄ちゃんだもんね。自分で歩いて『ください』できるなんて、すごいな〜」
「……!りゅー、おにいたん!ありゅく!」
「おお〜。ルイ坊ちゃん、さすがっすね」
「チボー、しっ!」
なんとか、リュカは歩く気分になってくれたらしい。食べ物につられてくれてよかった。
下ろして、収納の肥やしになっていた幼児用ハーネスをつける。
幼児用ハーネスをつけるのは好きではないし、かわいそうに思うけれど、この人混みで迷子になる方が洒落にならない。
ただでさえ、幼児はいきなり結構な勢いで走り出すのだから。
「よし。準備できた。それじゃあ、ジュースをもらいに行こっか」
「やっちゃー!じゅーしゅ!」
ころっと元気になったリュカと、しっかり手を繋いで歩き出す。
こうして、やっと僕とリュカの初めてのお祭りが始まった。
※ 2024/02/23(金) 01:07 サブタイトル修正




