41. 経営者の顔とワインの醸造
おじいちゃんがテオドアさまに使者を送ると決断したので、僕も同行できないかと名乗りを上げた。
けれど、それはすぐさま却下されてしまった。
「でも、僕が同行した方が、テオドア様との交渉がスムーズになるんじゃないかな」
「もちろん、面識がある者がいるに越したことはない。けれど、こういったことは、責任ある大人が使者として赴く姿勢が大事なのだ。一片の失礼も隙もなく、粘り強く交渉しなくてはならないのだから。…ルイ、今は私たち大人に任せなさい」
「…はい」
「それに、テオドア様は高名な方で、お噂はかねがね伺っている。この国に名のある専門家がいない以上、面識があろうとなかろうと、どのみち、すぐ近くの隣国にいらっしゃるテオドア様に助力を願うのは、そう変わったことではないのだ」
(おじいちゃんの言う通りだ。確かに、子どもの僕に出番はない…)
「おじいちゃん、ごめんなさい。…あの、僕からテオドアさまに手紙を書くから、一緒に届けてもらうくらいはできるかな?」
「ああ。それはもちろんだ」
僕がおじいちゃんの目を真っ直ぐ見てそういうと、少し張り詰めていたおじいちゃんの空気がふっと弛んだ。
(?…なんだろう)
僕はおじいちゃんの雰囲気が突然変わった理由がわからず、首を傾げる。
「…ヴァレー家は、この地の人々の生活と経済を背負っている。そう安易な決断はできん。時には厳しいことを言い、非情とも言える決断をしないといけないこともある。それは、たとえ肉親であってもだ」
「うん。僕もまだ1年経たないけど、傍で見ていてそれは当然のことだと思う」
「そうか。それは良かった。…だが、あれはいつだったか。私はマルクに対しても、だめなものはだめと言い、意見を突っぱねたことがあった。その時、マルクは肩を落とし、そのまま何も言うことなく立ち去ってしまった」
「そんなことが…」
僕はその時の父さんの気持ちもわかる気がした。
(そりゃあ、誰だって否定されたくないし、怒られたくない。褒められたい。ましてや、一番に認めて欲しいと思っている相手であればなおさら…)
「私は意見を却下したが、ルイはそれを素直に認め受け入れた。それは、当たり前のようでいて、難しいことだ」
「おじいちゃん…」
(前世でも、意見に反論すると自分のことが嫌いだからだとか、攻撃された!って勘違いする人、いたもんな…)
おじいちゃんは、そのことを良くわかっていたのだ。だからこうして言葉を尽くしてくれているのだろう。
「これだけは覚えていて欲しい。意見を言うことは悪いことではない。むしろ良いことではあるが、賛同できなければ、当然私は反対する。だが、それは決してルイを否定して傷つけたいからでも、ましてや貶めたいからでもないのだと」
「うん…!」
テオドアさまへの手紙を預けた使者が、セージビルへと旅立って行くのを見送ったあと。
収穫はとうに終わり、葡萄樹喰いの駆除も順調に進んだ。
幸いにも発見が早く、産卵する前の親を駆除できたことで、卵を産みつけられる樹の割合を抑えることができたようだった。
おじいちゃんが指揮を取る必要もなくなり、元のヴァレーに戻りつつある…と思ったが、次第にワイン商人たちがヴァレーを訪れるようになった。
みな、初冬の新酒祭りにあわせて早めにやって来たのだ。
祭りまでの間に商談をまとめて、祭りで新酒を心行くまで楽しんだらさっと去るのが、毎年の恒例らしい。
何せ、ヴァレーは白の山脈に囲まれていて、標高も高い。本格的な冬になってしまうと、雪で国境が閉ざされてしまう可能性があった。
それもあって、醸造所は今の時期が一番忙しかった。
ワイン作りは、簡単に言えば葡萄を潰して、温かいところに置いて発酵させるだけだ。
けれど、実際はもっと複雑で手間がかかるし、白ワインと赤ワインとでは工程も違う。
まず、収穫した葡萄は醸造所に運ばれ、フォークみたいな道具で房から実だけをとる。
この時、完熟していなかったり、腐っている実は除かないといけない。
あとは、実をひたすら潰す。潰す。
量が量なので、潰すだけでも重労働だ。
(可愛い女の子が歌って踊りながら素足で潰す、なんていう夢を見てたけど…)
現実は残酷だ。
10人が入れるかどうかの大きく深い槽に、むさ苦しいおっさんが全身すっぽり入って踏み潰すのだ。
もちろん、念入りに洗浄をかけてはいるけれど。
(ほぼパンツ一丁のおっさんが足で潰した葡萄で作るワイン…いや…考えるのはやめよう…)
潰した黒葡萄は皮や種なども全てそのままで、白葡萄は逆に濾して果汁だけにして、それぞれ発酵させる。
発酵は、温度管理や酸素供給、衛生面など、注意することが多い。
だからこそ、このタイミングで、神々からいただいた奉納の返礼である酵母を加えると、安定して管理がしやすくなるらしい。
この時ばかりは、レオンさんも真剣な表情で作業をしていて、初めて醸造家らしいと思ったほどだ。
僕は、葡萄樹喰いの点検作業が落ち着くと、醸造所で手伝いをすることが多くなっていた。
醸造は、意外と色々なものが汚れる。人、部屋、器具、道具。衛生管理が重要なのだが、洗うのは地味に重労働だった。
だから、魔力量が多く水生成や洗浄を使える僕は、貴重な労働力だった。
実際に少しでも体験したからこそ、ワインの醸造がいかに重労働で、大変な手間暇がかかっているのかがわかる。
そして、そんな苦労の先に出来る美味しい新酒を、誰もが待ち望んでいることも。




