38. 葡萄の収穫日
朝日が昇る頃。
まだ空が薄暗い時間にも関わらず、葡萄畑の裾に建った特設の祭壇には、多くの人々が集まっていた。
それこそ、町中の人々が集まっているのではないかというくらいの人だった。
もちろん、僕やおじいちゃん、おばあちゃん、リュカも参加している。と言っても、リュカはまだすやすや夢の中なので、久しぶりに抱っこ紐が役に立った。
祭壇には葡萄の葉が飾られていて、いくつか色違いの壺が置かれている。
両脇にある篝火がパチパチッと爆ぜて揺らぎ、高齢の巫女の顔を照らしていた。
(あの巫女は、父さんの儀式の時の…)
今まさに畑から収穫された葡萄が、品種ごとに次々と壺に入れられていく。
僕はまだ寝起きのぼんやりとした頭で、収穫の儀式の準備が進んでいくのを眺めていた。
そして、やっと壺が一杯になると、巫女が祝詞を唱え始めた。
豊かな実りへの感謝と、今年初めて収穫した葡萄を捧げる祈り。
そして、また来る年の繁栄を希う祈り。
皆々、手を胸に当てたり、指を組んだりして、頭を下げていた。
ひゅーっと風が吹く。
言葉も歌も踊りも、何もない。ただ静かな時が流れた。
パチーン、パチーン、パチーン
巫女が手を叩き、深々と一礼する。
余韻がふっと消えると、止まっていた時間が動き出したかのように、人々が一斉に葡萄畑へと動き始めた。
祭壇の壺は、職人たちが急いで醸造所に運び込んでいる。
葡萄が入っていたはずなのに、なぜかちゃぷちゃぷと微かに水音がしていた。
「おじいちゃん。あの壺の中身は何?」
「ああ。あれには、神々からの奉納の返礼が入っている。葡萄を醸す際に混ぜると、香りや風味が増し、ワインが腐ることがなくなるのだ」
「へえ。だから醸造所に運んでるんだ…」
「そうだ。あれは日に弱くてな。朝日が昇りきる前に、急ぎ運んで保管するのだ」
「なるほど…」
(返礼は、ご加護たっぷりの酵母か何かってことか。それにしても、白の山脈の神々はどれだけワインが好きなんだろう…。前世で聞いた、バッカスみたいだ)
僕とおじいちゃんはこれから畑の収穫を見てまわるが、足の悪いおばあちゃんと寝ているリュカは、侍女たちとともに一度家に帰っていった。
お昼頃にまた来るそうだ。
畑ではたくさんの小作人たちと、臨時の手伝いの町人たちが一列ずつ担当して、早くも葡萄の手摘みを始めていた。
摘んでは手籠に入れ、ある程度たまったら集荷に来た男衆が背負った籠に入れる。
そして、さらに底が浅い大きな木箱に葡萄を集めていく。
最後は、浮遊の魔法を使える者や馬たちが、木箱を醸造所へと運んでいくのだ。
おじいちゃんは、声をかけてくる小作人たちに気さくに挨拶を返しながら、白葡萄の畑に入っていく。
そして中腹で立ち止まると、房をチェックし、1粒取って食べた。ガリガリと種まで噛み砕いて、味を確かめている。
「……うむ。素晴らしい。上出来だ。これはまた、見事なワインになる」
ごくり。
実は、僕がヴァレーの葡萄を食べたことは、今までなかった。農作業をしている時は、とてもではないが食べるのが憚られた。
でも、いま、こんなに良い匂いを漂わせているのだ。
この葡萄たちはどれほど美味しいのだろう。
「さあ、ルイも食べてみなさい。カビていたり、ドライフルーツになっているのは避けて、中まで熟していそうな、粒が小さいのが良い」
「…はい」
そうして、いくつか葡萄の房をみて、良さそうな粒を僕も思い切って食べてみた。
しっかりと厚い皮を歯で破ると、小さな粒にぎゅっと凝縮された濃い果汁が、口一杯に広がった。
「んんっ!?酸っぱい!それに少し渋い?…ああ、でもしっかり甘みもあって、葡萄のジューシーさと香りがすごい…」
「そうだ。甘みと酸味のバランスがとても良い。爽やかで、とても素晴らしい」
「……もぐ。……僕、もっと甘いのかと思ってた」
「甘さも必要だが、甘すぎるとワインの酔いが強くなり過ぎる。それに、風味も悪くなってしまうのだ」
「そうなんだ…」
種を食べるのは抵抗があったけれど、おじいちゃんは皮も種も丸ごと食べている。
だから、僕も思い切って種を噛み砕いてみた。種は小さな粒にも関わらず、少し大きい気がした。
(……うへぇ、渋い)
初めて食べる白葡萄は、前世で食べたような大粒でとびきり甘い葡萄とは違ったけれど。
この葡萄が、ヴァレーのワインとなるのだ。
おじいちゃんはまだ畑のあちこちを歩き回って、今年の葡萄の出来を確かめている。
僕も、おじいちゃんに習って初めての自然の恵みをじっくりと味わう。
手に取った葡萄は、どれも1つ1つがずしりと重かった。
※ 2024/02/16(金) 0:07にサブタイトルを変更しました




