32. まずは知るところから始めよう
食事時、今日もおじいちゃんとおばあちゃんは二人でワインを楽しんでいる。
最近は、二人のワイン談義を聞くことが多かった。
二人はヴァレーだけではなく、各地のワインも収集して飲んでおり、その知識と蘊蓄はさすがのものだった。
品が良く穏やかな口調なので、ラジオ感覚に近い楽しさがあった。
ヴァレーでは、黒白どちらの葡萄も栽培していて、そのほとんどが固有品種らしい。
しかも、白の山脈の神々から加護をいただいているおかげで、病害虫に強い。
管理や手入れが比較的容易なため、美味しいワインを生み出す古樹も数多く残っているそうだ。
中には希少な品種もあり、ヴァレーのワインは熱狂的な人気を誇るのだとか。
(あああ、なんで僕はまだ14歳なんだろう!美味しそうなワインが目の前にあるのに…!)
つい、二人が飲んでいる様子を、物欲しそうな目で見てしまう。
前世では、ビールか日本酒の二択だったが、毎日晩酌をするくらいにはお酒が好きだった。
この世界では、飲酒年齢については特に決まりはない。
けれど、成人前の子どもが大っぴらに飲むのは、あまり良く思われなかった。
喉が乾いたら、井戸水か水生成で飲めばいいのだ。
「特に、このヴァレー・ブランシュは、ヴァレーを代表する白ワインでね。葡萄栽培やワイン作りには、白の山脈から流れる清らかな湧水を汲み上げて利用しているのだ。そして、山々に囲まれた高低差による日当たり・寒暖差・吹き抜ける風…。まさに白の山脈に育まれたワインなのだよ」
「いつも飲んでいるのに、毎回感動してしまうのよ。口に含むと、豊かな果実の味わいと香りにうっとりしてしまうの。口当たりも爽やかで、よく冷やして飲むとさらに美味しいのよ」
二人はそう言いながら、グラスを傾け、おつまみを楽しむ。
今日のおつまみは、オリーブ、サラミ、きのことチーズたっぷりのキッシュのオードブルだった。
ああ、白ワインとの相性は抜群だろう!
「僕も、早くワインが飲めるようになりたい…!」
「今はリモン水でがまんしてくれ。あと2年、成人したらとびきりのボトルを開けて祝おう」
「わあ!おじいちゃん、僕、今から楽しみだよ!」
おじいちゃんが言うのだから、本当に期待が持てるはずだ。
今から成人が楽しみだ。
「……あと2年でルイも成人か」
おじいちゃんが、グラスを置いて、真剣な顔で僕を見る。
僕も改まって、おじいちゃんに向き合った。
「跡取りだったマルクが家を出てから、私たちも手を尽くして、このヴァレーを継ぐに値するものを探した。葡萄栽培もワイン作りも、この地方の一大産業だ。生半可なものに継がせては、多くのものたちをも巻き込んでしまう。……だからこそ、なかなか決めきれずにいた」
おじいちゃんはそう言って一息つくと、おばあちゃんの手を握った。
「そんな悩ましい日々が続いた中で、ルイとリュカの存在を知った。私たちにとって、二人は可愛い孫だ。明るく健やかに育って欲しいと願っている。…だが、それと同時に、もしかしたら、どちらかがこのヴァレーを継いでくれるかもしれないと、期待を持ってしまった」
「おじいちゃん…」
「私が父から受け継いだように。私から息子に、息子から孫に。祖先が愛し慈しんだヴァレーを、脈々と受け継いでいきたいと。……諦めきれなかったのだ」
血はワインより濃い。
代々続いてきたヴァレー家を、自分の代で他者に委ねなくてはいけないなんて、苦しい判断だろう。
「今でこそ、ヴァレーは豊かだ。こうして、日々、自分たちで作ったワインを楽しめるようになった。…信じられないだろうが、昔のヴァレーは貧しくてね。ワインはすべて売り物だった。自分たちで飲むなんてとんでもないことだったのだよ」
「そうですね…。そんな時代もありましたね…」
「たくさんの力を合わせて、やっとヴァレーのワインは最高だ!と讃えられるようになった。まだまだ、ヴァレーはこれからなのだよ」
「うん…」
(そうか…。おじいちゃんは苦しい時代を乗り越えて、手塩にかけてきたからこそ、思い入れも強いんだな…)
「ルイとリュカにとっては、思っても見なかったことだろう。私たちも、この話をするかは迷ったが…。それに、誤解をしないで欲しいが、決して無理強いをしたいわけではないし、結果的に、継がなかったとしても、孫であることに変わりはない。いやいやではなく、心からこのヴァレーとワインを愛したものに、継いで欲しいだけなのだ」
「……はい」
「すぐに答えを出すのは難しいだろう。幸い、私たちはまだまだ元気で時間はある。だから、提案なのだがね。もし少しでも気持ちがあれば、ルイが成人するまでの2年、まずは知るところから始めてみないだろうか」
おじいちゃんの提案は、僕にとってもありがたいものだった。
2年間の猶予と準備期間が与えられたのだ。
──それに、これはきっと僕を見極める期間でもある。
「もちろんです。ぜひ、お願いします!」
「そうか、そうか……」
おじいちゃんは、ワインを一口飲んで、ふぅと息を吐いた。
「ルイには、世話係をつけようと思っている。世話係について、経営や葡萄栽培、ワイン醸造の基本的な知識を、実地で2年間学ぶと良いだろう。そのうえで、成人後についてまた話そうではないか」
「はい…!」
おじいちゃんは重い話を終えてすっきりしたのか、おばあちゃんとまた乾杯をしてワインを飲んでいる。
それどころか、ラベルに金箔が施された、見るからに高級そうなワインボトルを開け出した。
その様子に苦笑してしまう。
二人にとって、長年の暗雲に光が差したのだから、気持ちはわからなくもないが。
僕は、この神秘的で、自然豊かなヴァレーを好きになり始めている。
祖父母を初め、頼れる大人がいる生活が、こんなにも安らげることも。
家族とおしゃべりをしながら、食事をする楽しさも。
父さんが生きていた頃ぶりに思い出して、失いたくないと思ったのだ。
それに、おじいちゃんとおばあちゃんから聞く、ワインの話は面白かった。
まだ、動機なんてそれくらいだけれど。
いまの僕の明確な武器は、前世の知識のみ。
あとは強いて言えば、計算スキルとテオドアさまとのツテくらいだろうか。
それも、何も知らない状態では正しく使うことはできない。
まずは知ろう。経営のこと、葡萄のこと、ワインのこと。
そして、このヴァレーを愛する人々のことを。
このお話では16歳=成人として書いています。フィクションです。
現実世界では、「お酒は20歳になってから」です。




