20. 冬の湖畔にて(前)
休養が目的ではあるけれど、途中の村や町に立ち寄って観光をしたり、その土地の特産を食べたりと、ぼくはかなり旅を満喫していた。
こんな経験は前世でもして来なかったので、見るもの・聞くもの・感じるもの、すべてが新鮮だった。
そんなぼくなので、今回立ち寄る村に「藍紫色の宝石」とも呼ばれるくらい美しい湖があると聞いて、楽しみにしていた。ぜひ、ゆっくりほとりを散歩してみたい。
馬車の中で、ぼくがそう話していたのをドニはしっかりと覚えていたらしい。
「坊ちゃん、今回は窓から湖を望める湖畔の宿を、3泊取りやしたぜ」
「!!!やったー!ドニ、ありがとう!」
ニヤッと得意気に笑ったドニにそう告げられて、両手を挙げて喜んでしまった。子どもっぽいが、いいんだ。ぼくはまだ13歳だ。
その日、宿に着いたのは日暮れだったので、残念ながら湖を見ることはできなかった。
少しがっかりはしたが、宿は高級感があって静かで落ち着いた雰囲気だった。今まで泊まった中で一番良い。ドニはずいぶんと奮発したらしい。
村一番と評判の食堂も併設されていて、評判通り湖で獲れた魚を使った夕食はとても美味しかった。
翌朝、ぼくはわくわくした気持ちで少し早く起きてしまった。
リュカたちを起こさないように、そっとカーテンから外を覗く。まだ暗いうえに、湖は霧が白く立ち込めてうっすらとしか見えないが、とても幻想的で綺麗だった。遥か遠くには白の山脈と呼ばれる山々が、時折霧の間から姿を覗かせる。
うっかり神々の世界に迷い込んでしまったような、時が止まっているような、そんな錯覚をしてしまう。
「ふわああぁぁ。あれ、坊ちゃん、もう起きてたんですかい」
「ドニ、おはよう。朝の湖が見たくて、つい早起きしちゃったよ」
結局、ぼくはドニたちが起きるまで、飽きずに湖を眺めていた。
さすがにちょっと眠いが、支度をして、食堂で朝食をいただく。今朝はベーグルみたいなパンに、サーモンの燻製・炒り卵・チーズを挟んだサンドだった。燻製の香りが香ばしくて、美味しい!
朝からおなかいっぱい美味しい食事を摂って、活力は十分だ。さっそく、村を見て歩きたい!…と思ったが、朝食を食べたらリュカはまたおねむになってしまった。
(リュカを置いて出かけるなんて、できないよな…。でも、こんな機会滅多にないし。うーん。しょうがない。昼から行けばいいか…)
ぼくが出かけたいけど、でもリュカを置いていけないしと葛藤していると、ドニからありがたい提案があった。
「俺がリュカ坊ちゃんを見てますんで、ルイ坊ちゃんは出かけていただいて問題ありませんぜ」
「……そう?」
「ルイ坊ちゃんの顔に今すぐ行きたい!って書いてありますぜ」
(リュカは自警団のメンバーの中では一番ドニに懐いてるし、もう寝ちゃいそうだからきっと昼前までぐっすりだよね)
「…うん。ドニ、ありがとう。リュカをお願いね」
「へい。あ、一応、護衛としてチボーとブノワは連れて行ってくだせえ」
「わかったよ」
そうして、ドニはもう半分夢の中のリュカを抱っこして、部屋に戻っていった。
「…チボーとブノワは、この村に来たことある?」
「オレははじめてっす」
「(ふるふる)」
二人ともこの村は初めてだったので、宿の女将さんに見所を聞いてみた。
「この村の見所ですか…。そりゃあやっぱり湖ですかねえ。ほかは…ああそうだ。今はお客さんが少ない時期で手が空いてるんで、良ければ娘に案内させましょうか?多少、お代はいただきますけど」
「おお。ぜひ、お願いします」
「わかりました。…アニー!ちょっとこっちに来てちょうだい!」
呼ばれてきたのは、ぼくより少し年下に見えるツインテールのかわいい少女だった。
「お母さん、何ー?」
「この方たちが、村をみて回りたいんですって。案内して差し上げて」
「わかったわ!」
「アニー、ちゃん…?よろしくね」
「よろしくおねがいします!案内はいつもしているので、おまかせください!」
はきはきと、物怖じしない元気な受け答えで、気持ちがいい。
きっと看板娘として宿を手伝ったり、接客する機会も多いのだろう。ずいぶんと慣れていた。
女将さんに先にお代を支払うと、ぼくたちはアニーちゃんを先頭に歩き出した。
「いまなら、魚をとっているのがみえるとおもうので、湖にいってみますか?」
「いいね。見てみたいな」
そうして、まずはすぐ近くの湖に歩いていく。湖は霧が晴れて、小舟で魚を獲っている漁師の姿が確かに見えた。「藍紫色の宝石」という呼び名も納得の、透明度の高い明るい青で、水面が白くきらきらと光って綺麗だった。
「アニーちゃん、この湖ではどんな魚が獲れるの?」
「サーモンとチャーっていうおさかなに、貝もとれるんですよ」
「その魚や貝はマルシェで買えるかな?」
「うーん、冬はお客さんが少なくて、マルシェもあんまりないのでむずかしいです。漁師さんも、村の宿でつかう分くらいしかとらないの」
「そうなんだ。残念…」
いまのぼくにとって、新鮮な魚は滅多に食べられないので、何よりのごちそうだった。
できれば仕入れておきたかったけど、時期が悪かったと思って諦めるしかなさそうだ。
「ん?あの対岸にあるの、もしかしてお城?」
「はい。お城です。でも古くて、いまはだれもすんでないの」
「へえ。そうなんだ。確かに、ちょっと崩れかけてる感じがするなあ」
「あのね。むかし、あのお城にすんでいたレディーのゆうれいがでるって、うわさもあるんですよ」
「そんないわくつきなんだね」
子どもながらに、アニーちゃんはなかなか案内が上手で、豆知識なんかも教えてくれた。
湖のあとは、村を縫うように流れている河沿いを歩く。前世で見た、ベネチアみたいな雰囲気だ。
立ち並ぶ家々はレンガや石造りで、レトロな景観がかわいい。
「夏はこの河から湖まで、おふねにのってぐるっと村をまわることができるんです。冬はやっていないので、つぎにきたときはぜひ、のってみてくださいね」
「おお。そうなんだ。次にきた時の楽しみにとっておくね」
いつの間にかぼくとアニーちゃんが並んで歩いていて、チボーとブノワは後ろをついてきている。ブノワが無口なのはいつものことだが、おしゃべりなチボーが静かなのは不気味だ。
こっそり後ろを窺うと、案の定、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。あれは絶対何か変なことを考えていそうだ。
そうして、いくつか村の見所を見て周り、昼には少し早い時間に宿に戻ってきた。
小さな村なので、やっぱりそんなに時間がかからなかった。
アニーちゃんに、一生懸命案内をしてくれたお礼にお駄賃を渡すと、ぱあーと顔が輝いた。
「ありがとうございます!やったー!」
そんな純粋でかわいい様子に、ほっこり癒される。ぼくにもし妹がいたら、こんな感じだったろうか?




