19. ヴァレー家の後継者問題
ここ数日、しとしとと雨が降り続き、気温がぐっと下がってしまった。
道もぬかるんでいて進めないので、立ち寄った村にしばらく逗留している。
ドニに聞くと、いまは旅程の5分の1くらいのところらしい。国境もまだまだ見えない。まぁ、幼児がいるので、焦らずゆっくり進んでいけば良い。
雨で村を見て歩くこともできないので、リュカのお絵描きを見守りながら、ベッドでごろごろしている。久しぶりに馬車の揺れを感じずに、のびのびと過ごせている。
ドニは筋トレをしているが、あまりにもむさ苦しくて、視界に入れないようにしている。
ちなみに、チボーとブノワとは別々の部屋だ。
(あ〜〜〜、ごろごろ最高…)
思えばここ数年、こんなにゆったりと過ごしたことはなかったかもしれない。
日々、主婦ばりに育児と家事に追われていた気がする。
最近はリュカも3歳になって自分でできることが多くなり、ぼくがあれこれ全てをやる必要はなくなってきた。
それにいまは旅の最中で、基本上げ膳据え膳だし、ドニたち大人もいる。気が楽だった。
(…そういえば、おじいちゃんとおばあちゃんのことは聞いたことがあったけど、ヴァレー家についてはあんまり知らないな)
ふと思いついた疑問を、良い機会なので筋トレが一段落したのを見計らって、ドニに聞いてみることにした。
「ねえ、ドニ。ヴァレー家について聞いても良いかな。こういう時じゃないと、なかなか落ち着いて話せないし」
「へい。そうですね。何から話やしょうか」
「ヴァレー家は代々続く葡萄園の大地主だって聞いたけど、本当?」
「本当ですぜ。旦那様で8代目と聞きやした。元々は小麦などを育ててたそうですが、3代目から葡萄を作り始めたとか」
(3代目からってことは、少なくても葡萄園は100年くらいの歴史があるのか。家としてはさらに長い…)
「へえ〜。そんなに昔からなんだね」
「今では、ヴァレーで作られたワインはそりゃあうまいと評判で、商人たちがこぞって買い求めに来るんでさあ」
「ぼく、おじいちゃんたちって農家だと思ってたけど、貴族なの?」
「いえ、貴族ではありませんで。じゃあ、農家なのかと言うと微妙なところですな。もちろん人手のいる収穫どきなんかは畑に出ることもありやすが、普段は商人の相手や帳簿の管理、それとたくさん抱えている小作人や醸造所の職人たちの世話をすることが多いですぜ」
「ふーん。有力商人が自分の商会を持っているのと同じ感じかな」
「ああ、そんなところですぜ」
(なるほど、おじいちゃんたちはつまり有名大規模葡萄園の経営者って立ち位置なのか。あんまりお金に糸目をつけない感じがしてたけど、そりゃあ儲かってるわけだ)
「…そんな家なのに、後継ぎの父さんがいなくなるとか、揉めたんじゃない?」
「あ〜〜〜。…まぁ、黙っててもどうせヴァレーにつけばわかることですから、正直に言いやすが、揉めに揉めやしたね」
「だよねえ…。…今更だけど、ぼくたちがおじいちゃんたちのところに行って、大丈夫なのかな?もう新しい後継者の人がさすがにいるよね?迷惑じゃないかな…」
(いざヴァレーに行っても、後継ぎさんに邪険にされて居心地悪いって言うのはやだなあ…。ましてや冷遇されたりしたら…)
「それはご心配なさらず。実は未だ後継が決まってませんで、直系の孫でもある坊ちゃんたちが来てくれれば、むしろ後継者問題にカタがつくんじゃないかと、歓迎してるんでさあ」
「え!?後継ぎがまだ決まってなかったの!?」
「へい。そりゃあ旦那様たちも、探そうとはされてたんですが…。積極的に継ぎたがるのはヴァレーの財産にしか興味がないやつばかりでして。親戚筋でこれはという方もいたんですが、ご本人が望まなかったり、実はギャンブル癖があったりと、なかなか決まりませんで…」
「それはそれは…」
(歴史ある由緒正しいお家なだけに、変なやつに継がせられないよな…)
「それに、最近はアグリ国の方針が変わってきてるのも、悩みどころでして」
「?どう変わってきてるの?」
「アグリ国は気候も穏やかで、農作物がよく採れる国ですが、採れすぎることが問題になってるんですぜ」
「採れ過ぎて問題に…?ああ、もしかして、値崩れするとか?」
「へえ、そうです。さすがは坊ちゃんだ。そこにすぐに気づくとは。…それに、採れ過ぎた分を近隣国に売ろうとしても、運んでる途中で大半がダメになってしまうんで、捨てざるを得ないんでさあ」
「なるほど。それは確かに問題だし、すごくもったいないね」
(そういえば、前世でも、こう言うのを「豊作貧乏」って言ってたっけ)
「それもあって、国を挙げて農作物の品目転換・加工・改良に力を入れようってことになったんですがね、いかんせん小作人たちは身体を動かすことは得意でも、頭の方はからっきしで…」
「品目転換は……供給過多の作物から供給が少ない作物に変えるってこと、かな。加工や改良は長期保存できるようにってことだよね? でも、それってまるきり研究じゃないか」
「へい。そうでさあ。そんなことができるやつはなかなかおりませんし、いても大抵は国が抱えちまって、一地方では土台無理な話で。それに、ヴァレーはまだ葡萄をワインに加工できてるんでほかと比べればましですが、旦那様としては万が一葡萄がダメになっちまった時のことを考えて、もう1つ何か欲しいと常々こぼしてやした」
「ああ、なるほど。葡萄に何かあったら共倒れは困るものね」
「そこで、旦那様をはじめとして、みんな坊ちゃんに期待しているんでさあ。なんせ、スキルが計算・鑑定と向いてますし、こうして話していても地頭の良さがわかりやす。それに、ダミアン商会と専売契約できるくらい新しいことを発想できる才能もある。そんな方が継いでくれたら、ヴァレーは安泰と言うもんですぜ」
「そっかー、そこに繋がるのか…」
思わぬ大きな期待に、それはそれでヴァレーに行っても良いものか悩むが。それでも、行くと決めたのは他ならぬぼくだ。
「ダミアンさんにぼくが後継者になる可能性が高いかもしれないとは言われていたし、確かに聞く限りぼくに向いてそうだ。だから、ヴァレーについたら、おじいちゃんたちと話して決めるよ。ぼくはまだヴァレーのことも、葡萄やワインのことも何も知らないからね。まずは、知るところからはじめないと」
「へい。まずは旦那様方に付いて学ぶことになるかと思いやす。まあ、頭の良い坊ちゃんなら、まず大丈夫でしょうて。ははは。」
ぼくはこれまで大変なことが多くて、そんな状況から抜け出すために、おじいちゃんたちの元へ行くことしか考えていなかった。
ヴァレーに行ってからの生活を真面目に考えていなかったことに、今更ながらに気づいたのだ。
今日ドニと話せて、良かった。
もちろん、おじいちゃんたちはぼくが後を継ぐことを期待して、手を差し伸べてくれた面はあるだろう。けれど、ぼくたちを純粋に心配している気持ちは、手紙からしっかり伝わってきた。
その優しさに甘え、庇護を受けるだけ受けて、厄介な後継者問題については我関せずはできない。
かといって、流されるままもいけない。
(…この旅の間、しっかり考えて、覚悟を決めよう)
おじいちゃんたちの元に行くと言うことは、長く続いたヴァレー家を継ぎ、さらに次代へとつなぐと言うことなのだ。




