14. また会う日まで(前)
出立日を決めてから数日後。ドニから、母さんの修道院行きの護衛たちが決まったと連絡があった。
「女性の護衛は珍しいと聞くから、なかなか決まらないんじゃないかと思ったよ」
「へい。まあ、そこはツテを頼ったり、いくばくか金子も積みやした」
「わあ、やっぱりそうなんだ…。ぼく、払い切れるかな…」
ここ数ヶ月でだいぶ散財している。これまでの稼ぎがあるとはいえ、最近商人ギルドで残高を確認する時間もなかった。わずか13歳でお金の心配をしている自分に、思わず遠い目になる。
「旦那様から、孫のためなら金は惜しむなと言付かってますんで、坊ちゃんは心配されんでも大丈夫ですぜ」
「うわー、それはそれでありがたいけど、申し訳ない…」
「それだけ孫がかわいくて仕方ないんでさあ。賭けても良いですが、着いたらお祭り騒ぎで大歓迎されますぜ」
「はは。そうだと良いけど。まあ頑張って孝行するよ」
「そうしてくだせえ」
ここ数日で、ドニとはだいぶ打ち解けてきた。
ドニは豪放磊落でさっぱりとしているのに、意外とまめで気遣いもできるので、とっつきやすかった。
「ドタバタだけど、そうしたら母さんとは明日の朝話そうと思うんだ。どうなるにせよ、そのまま修道院に向けて出発する。午前中に王都を発てれば、道中も楽だよね?」
「へい。野宿は避けられると思いやす」
「それで、明後日の朝にはぼくたちの出発か…」
家族の思い出はあれど、ここ数年の母さんは「母親」という感じではなかったので、寂しいと言うより、どちらかというと「やっと離れられる」という安堵の気持ちに近かった。
それに、薄情かもしれないが、王都から出たことがないぼくは、初めての外の世界に段々とわくわくし始めていた。
(観光気分って訳には行かないだろうけど、ちょっとくらいは良いよね?)
ドニたちに無理なわがままを言うつもりはないけれど、せっかくの機会だから見聞を広めながら向かいたいと思っていた。要は、物は言いようなのだ。
「明日は俺も同席しやす。旦那様方のことは、俺から話した方が信憑性がありやしょう」
「うん。そうだね。一緒にいてくれると、ぼくも助かるよ。ありがとう」
(いよいよだ…)
そして翌朝。ここ最近では珍しく、冬晴れの澄んだ朝だった。
朝食が終わった頃に、ドニが護衛団を引き連れて我が家を訪れた。人様の家を訪問するには非常識な時間だが、歓迎して招き入れるぼくに、母さんは驚くやら訝しむやらで忙しそうだった。
「ルイ、こんな時間に一体なんなのぉ?この人たちは〜?」
「…母さん。大事な話があるんだ」
きっとこれがお別れになる。すべて承知しているエミリーさんからリュカを受け取って、下がってもらった。
リュカはきょとんとした顔で、大人しくぼくの膝に座っている。
まだ小さなリュカは、きっと今日のことは忘れてしまうだろう。でも、それでも。ぼくのエゴかもしれないけれど、最後まで母さんと一緒に過ごさせてあげたかった。
「…母さん。こちらはドニさん。父さんの実家からの遣いだよ」
「ドニと申しやす。マルク様のご実家である、ヴァレー家で自警団長を務めておりやす」
「ヴァレー家…?あの人の実家…?そんなこと、初めて聞いたわ…」
「ぼく、父さんからおじいちゃんたちのこと、聞いてたんだ。それで時々手紙のやりとりをしてた」
そういえば、手紙のことは母さんには言っていなかったな。隠していたわけではないが、母さんはそうは思わなかったようで、少し怖い顔になった。
「…ルイ、あなた、お母さんに隠れてこそこそとそんなことをしてたのね…」
「別に母さんに隠そうと思って隠していたわけじゃないよ。でも、母さんは自分のことばかりで、気にする余裕なかったよね?そのうち、仕事に出始めたり、恋人ができて家にいないことが多くなったり…。どこで話せばよかったと?」
「それは…」
いけない。ちょっと頭に血が上ってしまった。言い争いがしたいわけではないんだ。
少し深呼吸をして、呼吸を整える。
「…そういう状況をおじいちゃんたちはすごく心配してくれて、よかったら自分たちのところに来ないかって言ってくれたんだ。だから母さん…。ぼくとリュカは、おじいちゃんたちのところに行くよ」
「そんな…!なんで…」
母さんは突然の話に、ふるふると身を震わせている。
リュカはその様子が少し怖かったのか、きょどきょどして小さなお手々でぼくの胸元をぎゅっと握った。
「ねえ!ルイ!そんな、今更行かなくても、この国にこのままいればいいじゃない!ベルナールさんも、4人で家族になりましょうってせっかく言ってくれているのに…!ルイは母さんの幸せを願ってくれないの…!?ひどい、ひどいわ…!」
「それは…」
「…はあ。大人しく聞いていやしたが、伝え聞く以上にひどい状態ですなあ。こりゃあ坊ちゃんが逃げたくなるのも無理はないですぜ」
「うるさいわね!あんたは黙っててよ!!」
母さんは尋常じゃなく、ヒステリックにわめく。…本当に、こんな人だっただろうか?
「いいえ、言わせてもらいやすがね。坊ちゃん方は、ヴァレー家に来れば、そりゃあ下にも置かないほど大事にされますぜ。衣食住や金の心配をすることなく、教育も十分に受けられやす。ここにいるより、よっぽど良いと思いますぜ。それに、そのベルナールってやつは、ちょっと調べただけでも、きな臭えうわさばかりでいけねえ。あんた、十中八九、騙されてますぜ」
「ベルナールさんはとても素晴らしい人よ!あんたたちが間違ってるのよっ!」
「…はあ。男ってのはですね、真剣に結婚したいっていう女には、ちょっとした花や装飾品なんかを贈ったり、気を引きたくてあれこれ頑張るもんです。まかり間違っても、金をせしめようなんてことはしないもんですぜ」
「そんなこと…」
ドニの言葉に、母さんも多少は心当たりがあったらしい。動揺したように少し肩を落とした。
(そういえば、あやしいグッズは色々部屋にあるのを見かけたけど、恋人らしいプレゼントを受け取ってるそぶりなんて全然見たことなかったな)
「…それなら…お母さんも一緒に行くわ…。そうよ、家族ですもの。それがいいわ」
「はあ。それは無理な話ですぜ」
「っ…!!なんで!!私は母親よっ!!」
母さんが激昂して、大きな声をあげて詰め寄ってきた。
ドニが前にでてぼくたちを庇ってくれているのを尻目に、とっさにリュカの耳を塞ぐ。
「ふぇっ、にぃに〜〜〜、ごあいぃぃ。びえ〜〜ん」
リュカをくるっとして向かい合わせに変え、抱きしめる。
良かれと思ったが、リュカを同席させたのはやっぱり間違いだったかもしれない。
顔をぼくの胸に押し付けて震えているリュカを見ると、後悔でいっぱいになる。
「リュカ、ごめん。ごめんね。にぃにがいるからね。大丈夫、怖くないよ」
「……それが母親のすることですかい?普通に考えて、かわいい孫たちをほったらかして、男に走った息子の嫁を、誰が歓迎するとでも?いくら人の良い旦那様方でも、我慢の限界というものがあるんですぜ」
「…!」
ドニの低い声に怯んだのか、母さんの声が詰まる。
普段のおおらかなドニとは違った様子に、ぼくも内心びびる。
(こええええええ。さすが、自警団長…)
「坊ちゃんはお優しいんで、そんなあんたでも母親だと言ってるんです。ここに残して行ってもベルナールの餌食になるだけだからって、あんたを受け入れてくれるように修道院にも話をつけて…。大した息子じゃねえか」
「修道院…?」
「あんたには、お隣のローメン国にある聖リリー女子修道院に入ってもらいやす。今のあんたは普通の様子じゃねえ。男とも坊ちゃん方とも離れて、神さんの元で己を省みた方が良い。しばらく落ち着いて暮らせば、周りも見えてくるようになるだろうて」
母さんは呆然として、ついにしくしく泣き始めた。きっと色々な感情が、許容量を超えてしまったのだろう。
見計らったように女性の護衛たちが部屋に入ってきて、母さんを外へと促す。
もう母さんは抵抗する気力もないようで、大人しくされるがままだ。
家を出ると、前には馬車が止まっていて、すでに準備は万端なようだ。
母さんの後ろ姿が小さくて、なんて声をかけたら良いか、うまく言葉がでない。
「母さん…。その、元気でね。もし、落ち着いて気持ちの整理がついたら、手紙ちょうだいね…」
「…」
「さあ、リュカ。リュカも母さんにバイバイしよう」
「…やあ〜」
リュカは泣き止んだが、まだひっつき虫になっている。
仕方なく、リュカの顔を母さんの方に向けて、小さなお手々を振って見せる。
「ほら、リュカ。バイバイ〜」
「……ばい、ばい」
「〜〜〜」
母さんはリュカの手をとって額にあて、俯いたまましばらくすすり泣いていた。
──そして、そっと護衛に促され、馬車に乗り込み…静かに去っていった。
ぼくはリュカを抱っこしたまま、馬車が見えなくなるまで、その後ろ姿を見送った。
(さようなら。母さん…)




