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気紛れ短編シリーズ

夕暮れの森

作者: 華月 愛

 好きでもない人と旅をしていた。


 彼は人を気遣うふりして自分勝手で、旅仲間より旅を大切にしている人だった。食べ物の好みは合わないし、歩くペースも気がつけば間が空いていた。彼は私が疲れたと言っても「休憩さえすればいい」と思っているらしい。

 私が好きでないものも、「嫌いでないのならそのうち好きになるのではないか」と言って、私の意見は流されることが多かった。

 どうして私は旅をしているのだろう。

 旅の目的に意味がみいだせないときがあった。

 どうして私は、こんな人と旅をしているのだろう。

 彼といることで自分の今までの選択が間違っていたような気さえした。自分が愚かに思えた。

 そういうときは決まって、空を見上げ音を聴く。ある時は町に、ある時は森に、ある時は大地に、紛れて潜んで溶け込んで。

 私は生きていることだけを知るのだった。


 どうすればいいのだろう、と悩んだ。

 どうしたいのだろう、と問いかけた。

 私は私であるために、悩みながらも旅をした。


 何でもない風景が好きだ。

 ガヤガヤと人が込み入った町。

 雨が降り葉を濡らした木々。

 屋根の上で日向ぼっこをする猫。

 それらを目にしたとき、私は彼のことを忘れ、自分が自分でいられるような気がした。

 私はここにいる。

 そう思えた。


 私は二人旅をしていた。

 その旅の偶然で美しい景色を目にした。

 夕暮れの暖かなオレンジ色が森のありとあらゆる植物を照らし、水滴や足元の水溜まりが光輝いた。


 あぁ、きっと今が決心のときだ。


「あのさ、私たち、きっと道を間違えたんだと思う」

 私の言葉に彼は首をかしげ地図を見つめた。

「どこかに他の道があったと思うの」


 彼は言う。

「間違えてない。こっちで合ってる」

 きっとわかってない。

「私、これからは一人で旅をするよ」

「なんで……?そんな、いきなり……」

 私は夕日の眩しさに瞼を下ろした。

「私も旅仲間より旅が大切だからだよ」

 自由がほしい。自由になりたい。

「だから、ごめんね」


 彼は何も言わずに先を行く。いつものように聞き流したのだろうか。私が後ろをついてきてくれると思っているだろうか。それとも今まで何も言わず、今もなお言葉を濁す私に腹をたてているのだろうか。呆れているのだろうか。

 なにを戯けたことを、と思っているだろうか。


 彼との二人旅はとても長かった。


 気がつけば涙が水溜まりの水面を揺らしていた。ゆっくりと流れる涙はもしかしたら彼に見られていたかもしれない。

 でも、もう決めたことだ。

 彼がどう思おうと、どう考えようと、私は私だ。

 これからは好きな人と旅をしよう。

 そう思って私は彼に背を向けた。


 夕暮れの森には私と彼の思い出がつまっていた。

 私の村に旅人として訪れた彼が、「一緒に旅をしないか」と私を誘ってくれたのも夜に沈みきる前の森の中だった。

 森の中で野宿することもよくあって、その度に私は彼と共に夕暮れの森を歩いた。

 今まで食べた美味しいものの話もした。

 今まで訪れた素晴らしい国の話もした。

 今までで感動した面白い本の話もした。

 今までの心地よかった自然の話もした。

 後悔など微塵もない。

 今度はどんな人と旅ができるだろう。


 寂しさの外に見栄と空元気があるような気がして、私はゆるく頭を振った。

 夕暮れの森に彼との思い出が詰まってしまった。

 何度も見た夕暮れの森はどこの景色より美しかったけど、それでも何でもない風景の中に入っていた。何度も何度も私はこの風景を目にした。けれど今はその感動はもう流れてこなかった。水が流れきらない管のように、夕暮れの森の中に、私の心の中に、見えない何かが詰まってつっかえて言葉にさえならない憤りが解放感という喜びの感情を捻り潰した。


 森に輝く光が薄れていって足元に冷気がやってきた。

 ふと、私は後味の苦いこの思い出も旅だと思った。

 人生に良いことと良くないことがあるように旅にもきっと、良いことだけじゃなくて良くないこともある。

 私は自分の人生を全うして、自分の旅を自分の色に塗り替えていくんだ。彼に惑わされずに。


 私は自分を奮い立たせる。無理やりにでも言い聞かせなければ動き出せそうになかった。


 それに釈然としない自分がいた。


 でも例え今、間違った選択をしていたとしても、これからだって私は何度でも間違えて何度も挫けそうになるかもしれない。


 ああ、でもやっぱり、喪失感は否めない。


 私は長い葛藤の末、歩き出した。零れる涙は先程とは比べ物にならないほどつらつらと流れて止まらない。誰に向ければいいのか分からない悔しさで顔がひきつった。平常心を保てなくて、目が開けられないほどに顔が歪んで、涙が溢れた。何が正しいのか分からなかった。たくさん悩んで考えたのに、名残惜しく思う自分が憎く思えた。

 あんなに願っていた"自由"なのに、喜べない自分が分からなかった。美しい景色を前に、「私はこれを求めていたんだ」「私はちゃんと生きているんだ」と自分を取り戻したような気でいたのに、生きているということがどういうことさえも忘れてしまいそうなほど、私は自分が分からなかった。


 夕暮れの森はやがて、あいを孕んだ闇へと消えていった。私は今日、人生の、そして旅の分岐点に立ち、言葉にならない感情だけを得て他の全てを失った。

 求めていたはずの"自由"が私を苦しめた。

 問い続けた"正しさ"が私を狂わせた。

 失って始めて気づく"存在感"に、今まで私は救われていたんだ。


 ◇*◆*◇


 男は振り返ることなく歩き続けていた。

 彼女の気持ちはわからなかった。だが、長い旅を得て、言葉では伝わらないことがあることを知っている。言葉にできない思いがあることを知っている。

 彼女の気持ちはわからない。

 自分の選択が正しいものかもわからない。

 ただ、一つわかるのは、歩き続けなければならない、ということ。

 男は彼女の幸せを願い、歩いた。その選択が正しいものかわからずとも、彼女との旅が間違っていたとは思わない。

 ただ彼らはすれ違っていただけだった。


 ただ僕らはすれ違っていただけなんだ。


すれ違っていたのは己自身なのか、それともお互いの感情、思考、それら全てなのかーー。


『私』が感じていたのは本当に劣等感なのか、違うのか。

『彼』は本当に旅だけを大切にしていたのか、『私』の勘違いだったのか。


何が正しいのでしょうか。それは誰が決めるのでしょうか。誰が正しいと決めたのでしょうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 心情と風景の描写がリンクしているようでとても綺麗なお話でした。人の気持ちって難しいですよね。正しいと思うことすらエゴで、きっと確かな正解なんてないのだとわたしは思います。
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