13.生贄と血の器
微かに声が聞こえる。複数人の声だ。不気味な低い声が地下の冷たい壁に反射して、下れば下るほどにそれが明瞭になっていった。
これは詠唱だ。これは儀式だ。すすり泣く声や、何者かのよく聞き取れない会話も詠唱に混じって耳に届いてきた。
「うっ……」
ようやく長い階段が終わるところまでやってくると、凄まじい血の匂いに鼻と口をふさぐことになった。
さらには助けを求める男の子の声と悲鳴が上がり、悲しげにそれが途絶えていった。
「ドゥ……ッ、あれ……っ」
「ああ、生きているみたいだな……」
詠唱を追って石造りの地下世界を進むと、俺たちはペニチュアお姉ちゃんと儀式の両方を見つけた。お姉ちゃんは太い釘で四肢を貫かれ、祭壇の前で磔にされていた。
それと黒ローブの怪しい連中が20数名。そいつらは俺の知らない妙な言語で詠唱と祈りを捧げている。
「やってくれましたな、ペニチュア様……」
「ふふ……わたしのお手伝い、司祭様は気に入って下さったかしら……」
ペニチュアお姉ちゃんは儀式のリーダーと思しき赤ローブの男と言葉を交わしていた。
その赤ローブの男に俺は見覚えがあった。忘れもしない、だいぶ老けたがあれはマーティン司祭だ。
「常闇の眷属である貴方様が、なぜ主の復活を妨害するのですか?」
「信じていないからよ、あなたたちを。どうしてあなたたちが今さら主を復活させる気になったのか、わたしにはとても不思議よ。大好きな儀式だけじゃ、満足できなくなっちゃったのかしら?」
マーティンは人間の皮をかぶった悪魔だ。
彼の仕事は人間を生け贄にした血塗られた儀式を執り行うことだ。カドゥケスは世界中の貴族や有力者を抱き込むと、その者を生け贄の儀式に参加させる。強制的に。
そしておぞましい儀式でその手を自ら汚させることで、その者をカドゥケスから2度と抜け出せないように縛り付ける。俺もその当事者のうちの1人だった。
「まあ、いいでしょう。どうせ生け贄に捧げられるのですから貴方様に教えてさしあげましょう。我々は貴女様と同じ、不死になりたいのです。だが、隷属の関係は困る……」
「あら、あなたは最初からカドゥケスの犬じゃない。あなたには、ご自分のその首を縛り付ける輪っかが見えないの?」
「ははははっ、私は好きでこの仕事をしているのです。貴女様だってそうでしょう、人を殺すのが好きでやっている。人の幸せを壊すのは最高の快感です」
「ええそうね。殺すと気持ちがスッキリするわ。特に、悪いパパとママを殺すのは、最高よ……一生止められないわ……」
今すぐ乱入したいところだが、意外とお姉ちゃんは平気そうなので、言葉に耳を傾けながら慎重に状況をうかがった。
脱走した子供たちを追って多くが抜けたとはいえ、この場にはカドゥケスの精鋭が確認できるだけで7名ほど残っている。
祈りを捧げているあの狂信者たちも敵になると考えると、無策での介入はかなりのリスクだった。
「さて、残念ですがそろそろ……常闇の王の下に召されていただきましょう」
「いいわ……長く生きるのにも疲れたもの……。誰もわたしを愛してくれないこんな世界なんて、もうどうでもいい……」
一際に目立つ大柄な黒ローブの男が、銀色の剣をマーティンに平伏しながら差し出した。マーティンはうやうやしくそれを受け取り、天に掲げて祈りを捧げる。猶予はもうなかった。
あの剣がお姉ちゃんを突き刺し、その下にある『嘆く女の器』に血が満たされれば、何が起こるかわからない。
「あの赤ローブの男を殺す。モモゾウ、お前は混乱に乗じてペニチュアお姉ちゃんの拘束を解け」
「了解、ペニチュアはボクチンに任せてっ」
「よし、やるぞ」
「うん……っ」
部屋に入り込み、長イスの陰に隠れて素早く射線を確保した。ナイフを身構え、狙いを絞る。マーティンは死ぬべき人間だ。殺しに迷いはなかった。
「マーティン、最期に聞いてほしいことあるの……」
「ほぅ、なんですかな、ペニチュア様?」
「あのね、わたし……。できることなら、あなたをこの手で殺してあげたかった……」
「ハハハハハハッ!! 哀れな娘よっ、お前は父と母の同じ場所には行けない! 永劫の闇になぶられ、永久に苦しみ続け――ア゛」
マーティンを始末するなり、俺はカドゥケスの精鋭に斬りかかった。
不意打ちが成功し、2名を始末すると5名の精鋭兵に囲まれることになった。
「ドゥか……」
誰かが低い声でそうつぶやいた。
だが今はそれどころではない。一斉攻撃を受ける前に、俺はペニチュアお姉ちゃんからもらった昏睡毒の粉を頭上に飛ばした。
それにより兵たちが怯むことになったので、強行突破で包囲を離脱し、祭壇のペニチュアお姉ちゃんに駆け寄った。
「抜け目ない子供だとは思っていた。マグヌスが惚れ込むのも当然だろう」
モモゾウがペニチュアお姉ちゃんを拘束を解いた。磔の上のお姉ちゃんに背中を貸して、軽く小さな受け止めると、大柄な黒ローブの男が俺たちに近付いてきた。
ヤツは儀式用の銀の剣を拾い上げると、何を考えたのか、マーティン司祭の死体を器の上に乗り上げさせた。
「そんな余裕かましてていいのか? お前らの護衛なら背中の後ろで寝ているぜ」
「ペニチュアの昏睡毒か」
「ああ、あれはよく効く。気付く間もなく、一瞬で俺もやられたよ」
「素晴らしい冷酷さと判断力だ。盗賊王エリゴルに盗まれなければ、いずれ後継者に指名していたかもしれん……。ふんっ!!」
「な……?!」
その男は剣を両手で逆手に持つと、マーティンの心臓を狙って突き刺した。嘆く女の器に血が流れ落ちてゆく。怖ろしいその器は決して満たされることはなく、罪人の血を際限なく吸い上げていった。
「気を、付けろ……。その、男、盟主、よ……」
「盟主……? 盟主って……まさか、お前、カドゥケスの盟主か……?!」
男はフードを下ろしてこちらに笑った。年齢は50過ぎほどだろうか。肌はボロボロに荒れていて、髪は色あせてバサバサ。だがその肢体は力強く、目には強い覇気があった。
「不完全ではあるがまあいい。そこで見ていろ、盗賊ドゥ! 今日この日、常闇の王は我が隷となるのだ! さあ従え、常闇の王よっ! 我らカドゥケスの足元に!!」
ペニチュアお姉ちゃんの救出には成功した。だが、目の前で復活の儀式――いや、常闇の王を服従させる裏切りの儀式が始まらんとしていた……。
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