002 はやる気持ちを抑えて
―ガチャ
「ただいま。」
借りているマンションの一室。
部屋の主、上坂蓮司の帰宅を知らせる声に返事は無かった。
一人暮らしなのだから当然である。
いかにも疲れたというふうに部屋に入りこむと、荷物を乱雑に床に置く。
火照った体を冷まそうと冷蔵庫から1本のペットボトルを取り出しその中身を飲み干した。
(やっと帰ってこれた。こんな日に限って5限まで授業があるんだから。でも、ついに待ちに待ったアレができるぞ。楽しみだな。)
はやる気持ちを抑えて、持って帰ってきた紙袋に入った箱を取り出す。
「VRゲームコントローラー」
その箱にはパッケージイラストとともに仰々しくそう書かれていた。
巷で流行りのVRゲームをプレイするための専用コントローラである。
VRゲームが世の中に出てからずいぶん経つ。
蓮司自身もゲームは人並みにやりこんでおり様々なゲームタイトルをプレイしてきた。
その中には当然VRゲームも含まれる。
そんな蓮司が何故新品のVRゲームコントローラを買ってきたかというと、なんてことはない、ただ以前使っていたやつが壊れてしまったからである。
保証期間が過ぎてしまっていたため、泣く泣く新品を購入するに至った。
(前使っていたのやつも、よりにもよって昨日壊れちゃったからな。日ごろから運が悪いと思うことは多々あるけど、これほど天に見放されたと思ったことはないよ。)
日本時間で今日のちょうど0時には長い間待ち望んでいたミスティック・ストーリー・オンラインの正式サービスが始まった。
本来ならサービス開始の0時にゲームにログインするはずだったのに、アクシデントでそれができなかった。
(それでも買えてよかった。)
注目タイトルのサービス開始日とあって、そもそも今日買えないのではと心配もしていたが、それも取り越し苦労であった。
(さて、新品のVRゲームコントローラは初期化が必要だから、設定入力だけして先に夕飯でも食べようかな。)
そう思うや否や、箱からコントローラ本体を取り出す。
コントローラはハーフヘルメット型でゲーム機やPCとケーブルで接続することで使用することができる。
コントローラのケーブルをゲーム機に接続し、ベットに腰を落とすとコントローラ本体を頭に被る。
目の前に映る仮想ディスプレイにゲーム機の起動プログレスバーが表示される。
数秒待つとゲーム機のホーム画面が表示された。
視界の端にはすでにダウンロードしていたミスティック・ストーリー・オンラインのパッケージイメージが表示されている。
(はやくやりたいな。)
そう思いながらも、設定項目からコントローラの初期設定を選択する。
性別、身長、体重などコントローラの設定に必要な情報を仮想キーボードで入力し、キャリブレーション操作を行う。
仮想ディスプレイに表示されているステータスがイニシャライゼーションになったのを確認してコントローラを頭から外す。
(初期化は少なくとも1時間はかかるから。夕食食べて、お風呂入ろ。)
そう考えると夕食の支度をするために部屋を離れるのであった。
--
(さっぱりした。)
寝間着に着替え、濡れた髪の毛をドライヤーで乾かすと蓮司は部屋へと戻ってきた。
(VRゲームコントローラの初期化ももう終わったかな?)
そう期待しながらベッドの上に腰かけコントローラを頭に被る。
表示は変わらずイニシャライゼーションのままであった。
(まだ、終わってなかったか。)
長々と実施されていた初期化の進捗状況は80%を示していた。
(でも、もうすぐ終わるかな。)
そう思うとコントローラを外し、デスクにつき、PCを起動した。
(今のうちにミスティック・ストーリー・オンラインの攻略Wikiでも見ておこう。)
慣れた操作でWebブラウザを起動すると検索窓に「ミスティック・ストーリー・オンライン」と入力して検索する。
検索結果の一番上には公式のホームページが出てきた。
以前にも見たそのページもサービス開始した今日は何か新しい情報があるのではないかと期待してカーソルを合わせ、クリックする。
ホームページに入ると壮大な世界を俯瞰した映像から始まるPVが表示された。
(やっぱり、他のVRMMOに比べてグラフィックや動きが自然だな。)
暇を持て余していたからだろうか何度も見ているPVではあったがついつい見入ってしまった。
(トップニュースは………βテスト時の動画公開!?)
蓮司は参加することができなかったβテスト時の動画が今日公開されたようであった。
食い入るようにその動画に見入る。
公式PVと同じように自然な世界で縦横無尽に活躍するヒューマン、エルフ、ドワーフ、ビーストの姿があった。
カットは何度も変わり様々な場面が映し出された。
時にはモンスターに立ち向かう人間の姿が、時には槌を手に持ち鉄に打ち付けているドワーフの姿が、時にはおどろおどろしい墓地を徘徊するゾンビの姿が、時には狼にのり草原を駆けるゴブリンの姿が映し出されていた。
(これって全部βテスター、プレイヤーだよね。やっぱり、いろんな種族が選択できるんだね。ヒューマンをはじめとする人類種以外にもゴブリン等の人外種からも選択できるのか。どっちも楽しそうだな。俺はそうだな………魔法戦士系の戦闘職をやりたいな。)
ホームページのサンプルキャラクターの欄を見ながら、そう思いを馳せる。
その後も公式ホームページを見たり、攻略Wikiを見るなどしてコントローラの初期化が完了するのを待った。
(やっぱり魔法戦士系なら種族は人間かな?公式ホームページのサンプルキャラクターにあったようにデミ・オーガもいいけど種族特性がネックだよな。人外系も面白そうだけど慣れないうちは人類側でやりたいな。)
Wikiを眺めながら自分の理想のキャラクターを頭の中で思い描く。
(さて、そろそろ初期化も終わったかな?)
3度目の正直。
ベッドに腰かけ、コントローラを頭に被せる。
ステータス表示は待機中となっていた。
(よし。これでようやくゲームを始められる。)
はやる気持ちを抑えてベッドに横になり、ミスティック・ストーリー・オンラインを起動する。
意識は薄れていき徐々にVRゲームの世界へと入り込むのを感じ取れた。
まだゲームは始まりません。