異世界帰りのヤツが来る ~北米麻薬カルテル崩壊編~
ヤツは、まるでカートゥーンのヒーローだった。
斬り裂かれたシャッターが倒れると、ヤツのシルエットが現れる。決して屈強じゃない。大柄でもない。貧困層のデブどもを見慣れた目からすると、むしろ華奢ですらあった。
ダイナーに屯するガキみたいなラフな格好。
ヘルメットのひとつも着けちゃいない。それでいて隠れようとする気配もない。まるでハイスクールの廊下でも歩くかのように、悠々と工場に踏み入ってくる。
これ以上、行かせるわけにはいかない。
このプラントまでやられたら、俺はボスに……!!
「う――撃てッ!! ぶち殺せえッ!!」
俺が叫ぶなり、薄暗い空間をいくつものマズル・フラッシュが引き裂いた。
しこたま掻き集めたAKが、何百発って鉛玉をクソ野郎にぶち込んでいく。どんな人間であれ、1秒もすればミンチになれる死のハリケーン。そのはずだった。
ヤツは、飽和する銃声の中、たった一言、こう告げる。
「――スキル《射撃無効》」
ああ、ジーザス!
ろくに教会も行ってねえのに、そう叫びたくなった。
AKが吐き出した弾丸は揃いも揃って、まるで磁石の同じ極を近付けたときみたいにヤツから逸れていったのだ。
弾倉が空になり、手下どもが愕然と銃を取り落とす。
ヤツはつまらなそうにそれを眺めて、安そうなスニーカーでコンクリートの床を歩いた。
ヤツの右手には、時代錯誤な長剣が握られている。
今時あんなもの、日本のRPGかアニメ・コンベンションくらいでしか見かけない。なのに今の俺には、そのふざけた金属の塊が、大統領のブリーフケースより恐ろしい代物に見えた。
「天の……天の御使いだ……」
「やっぱり、主はお見逃しにならなかった……!」
「あぁああぁぁ……!! いやだ、いやだあっ!!」
手下たちが一目散に逃げていく。
俺は一人、「逃げるなあっ!! 殺せっ!! 殺せよおっ!!」と叫びながらその場に留まったが、これは大いなる間違いだった。
俺も逃げちまえばよかったんだ。
確かに、ここを守れなかったらボスに殺される。でも、だとしても、こんな得体の知れない奴に殺されるくらいなら、そうなったほうがずっと人間らしい死に方だったんだ。
「……ああ。……あぁあああぁぁ……」
俺はその場にへたりこんで、ズボンを濡らす。
剣を持ったヤツが、俺の前に立った。
最後に口にしたのは、意外にも命乞いじゃあなかった。
きっと、自分の終わり際を、世界から外れたものにしたくなかったんだ。
「お前、は……誰だ……っ!?」
ヤツは、にやりと笑みを浮かべて即答した。
「勇者」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ハロー。おれの名前はバッド・ラック。今をときめく麻薬王さ。
おっと。今のは素敵なレディに話しかけるときの決まり文句でね。お気に召さなかったかい?
もちろん、これは本名じゃないぜ。不運なんて名前をガキに付ける親がいたら、逆にお目にかかってみたいもんだ。きっとうまいウイスキーが飲めるに違いねぇぜ。
生憎と、おれは自己紹介に困っちまう星の下に生まれててね。どこの州で生まれたのかなんざわかりやしねぇ。気付いたときにはネズミの王国で、クソ狭い空を見上げていたのさ。
ハン? ネズミの王国出身の割には頭が小さい、って? ハッハハ! 違いねぇぜ。ネズミの王国はネズミの王国でも、路地裏っつー名前の王国だったからな。夢の国とは程遠い、ゴミ溜めみてぇな場所さ。
だが、おれはそこから這い上がった。
あるとき、同じ路地裏で商売をしていたクスリの売人を見ていて、ふと気付いたんだ。もしかしたらこれを――ん? おれの武勇伝はどうでもいいって? ハハ! 手厳しいね。オーケイ。まったくもって、過去の栄光を自慢したがるのは男の悪癖だな。
とにかく、路地裏を束ねてクスリを栽培し、それを売りに売りまくっていたらあら不思議、年商100億ドルの麻薬カルテルの出来上がりってわけさ。
できすぎだと思うかい? 思うだろうな。おれ自身だってそう思うんだから。
思うに、クスリに手を出す奴ってのは、おれになれなかった奴なんだ。
就職、進学、あるいは生まれた瞬間。
どこかのタイミングで歯車が掛け違って、未来が見えなくなっちまった奴。
そういう奴が、そこから這い上がるための幸運に恵まれなかったとき、その現実から逃げるためにクスリを求める。
ああ、いや、それが悪いって言ってるんじゃあないぜ?
逃避、大いに結構。どうにもならないことからは逃げちまえばいい。それが賢い人間の選択ってもんじゃあねぇか。
むしろそれを奨励、いや肯定してるからこそ、今のおれの地位があるんだ。
世界には逃げ場所を求めている奴がいる。
ほんの少しの運に恵まれなかっただけで、二進も三進もいかなくなっちまったやつが掃いて捨てるほどいる。
そんな奴の肩を優しく叩いて、こう言ってやるのさ――
運がなかったな。
――ってな! ハハハハハハ!!
奴らの財布には紐ってもんが付いてねえ。売れば売るほどカネになる。需要だの供給だの、カタギの商売がアホらしく思えてくるぜ。
……ん?
そんなに世界中に、クスリを必要としている奴がいるのか、って?
ハハ。どうやらレディは幸せな家庭に生まれたようだ。結構結構。あんたみたいな光があるから、おれたち影も元気に暮らしていけるってもんさ。
……これは、ここだけの話なんだがな?
最近、日本まで販路を広げたんだ。そう、日本。あの日本さ。ついこないだまでGDP世界2位をほしいままにしていた先進国。
先進国ねえ。自分で言ってて笑っちまうぜ。今やあの国は発展途上ですらない後進国。国民は安い賃金と馬鹿みてぇに長い労働時間に喘いでる。全国民が奴隷みたいな状態さ。
海に囲まれてる上、ほとんどの人間が日本語しか話せねえから、別の国に逃げることもままならねぇ。まるで牢獄みてぇだよな。
バカ売れだぜ。
クソ真面目な国民性だから、確かに最初は顧客の確保に手間取った――だが、一度広がったら止まらねぇ。マリファナみたいな比較的弱いやつから勧めて、一度でも吸ったら奈落の底までカミカゼってわけ。ッハハ!
今もマーケティング・データとして日本のヤク中どもの報告が届くんだがな。まったく面白いったらねぇぜ。
学生から主婦、会社員に至るまで。連中、こぞってカネを投げ捨てる。浴びるようにクスリを吸って、あっという間にあちら側に沈んじまうんだ。自分から奴隷になりてぇとしか思えねぇ! 根っからの奴隷民族だよなぁ!!
ま、クスリなんざジャパニーズ・モバイルゲームの阿漕なやり方に比べりゃ可愛いもんさ。値段も中毒性もな! むしろおれは、哀れな日本人をそこから救い出してやってる救世主サマってわけよ! ハハハハハハ……!!
東京オリンピックだの言って華やかに見える日本ですらそんな状態なんだ。クスリを求めてる人間はそこら中にいる。どんな国、どんな時代、どんな世界でもな。
だからきっと、おれはどこででも生きていけるぜ。葉っぱ1枚で世界だってこの手に収められる! ハハハハハハハ……!!
どうだい? 世界を手にする男に興味は――ん?
レディ……ひとつ、つかぬことを訊いてもいいかい?
あんた―――妙に耳が長くないか?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
ふっと、バーの明かりが落ちた。
視界が急に閉じられ、おれはカウンターを叩きながら席を立つ。
「なんだっ!?」
暗闇の中に、デジタル・ジュークボックスが奏でるジャズが鳴り響いていた。
これは……一体、どういうことだ?
どこかの同業者、あるいは麻薬取締局の公僕どもが殴り込んできたのか?
クソッ! せっかく超上玉の女を口説いてたっていうのに……!
スマートフォンが震えた。
護衛に連れてきた若い奴からだ。
おれは応答すると、電波の向こうの童貞野郎に叫んだ。
「おい、どうなってんだこの停電は!! テメェ、どうなるかわかって――」
『ハロー。今をときめく麻薬王陛下』
スマートフォンから聞こえたのは、護衛の部下の声じゃなかった。
もっと……もっと若い声。
まるでティーンエイジャー――それも、この妙にお綺麗な英語は、アメリカ人のそれじゃない。
「……誰だ、テメェ」
『無論、魔王を倒す勇者だとも。貴様という魔王を倒しに来たのだよ、麻薬王陛下』
魔王? 勇者? ガキのゲームの話か?
いや待て……ブレイバー?
聞き覚えがある。
「おい、クソガキ――テメェ、まさかおれのプラントをいくつかぶっ壊したのと同じ奴か?」
『ぶっ壊した? これは異なことを言うな。オレがやったことなど、貴様がやったことに比べれば「壊した」のうちには入らんよ』
飄々とした『ブレイバー』の言葉に、おれはじれじれとする。
『貴様が試供品だとばかりに日本にばら撒いた麻薬が、一体どれだけの中毒者を生み出したと思っている。どれだけの人生を破壊し、どれだけの人間を苦しめた? それに比べたら、草の詰まった箱の一つや二つ、物の数ではなかろうが』
「ふざけるなッ!! テメェのせいでどれだけの損害を被ったと思ってんだ!!」
今でも損害額の数字を思い出しただけで目が眩む。
ああ、あのカネがあれば、一体何万人に逃げ場所を与えられたか……!!
「普通に死ねると思うなよ。テメェに逃げ場所はくれてやらねぇ。正気のまま、この世のありとあらゆる苦しみを味わってからくたばらせてやる」
『ふっ。それは楽しみだ――』
おれは通話を切ると、すぐに別の部下に掛け直した。
「おい! 兵隊を用意しろ!! すぐに、できる限りだ!! それをここに――」
『――ボス! ボスっ!! 大変です、大変ですっ……!! アジトが……!!』
「……あ……!?」
異様な雰囲気が通話越しに伝わってくる。
重なる銃声。悲鳴。破壊音。
まるで戦場のような――
「どうした!? 何が起こってる!?」
『お――女です!』
「……女ァ……!?」
『ハロウィンみたいな仮装をした変な女がたった一人で、ま、魔法を使って―――ぐおおわっ!?』
プツン、と通話が切れる。
不通になったスマートフォンを耳に当てたまま、おれは混乱していた。
女が、たった一人で――魔法を?
「一体……一体、何が……」
おれは、悪夢でも見ているのか。
いいや、そんなはずはない――おれは夢なんて欠片もねぇネズミの国で育った男だ!
さらにいくつものアジトと連絡を取ろうとするが、どことも繋がらなかった。
真っ黒い闇の中に、たった一人。
牢獄に隔離されたかのような感覚に陥ったとき、ジジ……ジ……、と音がした。
突然、デジタル・ジュークボックスの音楽にノイズが走ったんだ。
『――はーい! 皆さんこーんばーんは! DJミリアムのオールナイトアース! 本日も始まりました~! ぱちぱちぱち~!』
甲高い女の声が、唐突に流れ始める。
その声は暗闇を伝って、おれの脳髄にぐさぐさと突き刺さった。
『突然ですけど皆さん! 麻薬ってご存知ですか? そう! やめられない止まらない! でお馴染みのアレです! 最近、若い人たちを中心に、麻薬が流行ってるらしいんですよ~! 本日はゲストとして、流行の仕掛け人、バッド・ラックさんをゲストにお呼びしました~!』
「ふっ……ふざけるんじゃねえッ!!」
甲高い声を掻き消すように、おれは闇の中に叫ぶ。
「どこのクソ野郎だッ、こんなラジオを流してやがるのは!! 止めろっ!! 今すぐ止めろっ!!」
『え~、時間が押しているようですので、ここでリクエストコーナーに行きたいと思いまーす!』
「テメェら、絶対に許さねぇぞ!! タダで済むと思うな!! おれに喧嘩を売った奴は必ず――」
『――それでは聞いてください。理性院カシギさんのリクエストで、「マンドラゴラの断末魔」』
絶叫のようなものが耳に響いたかと思うと、おれの意識は空の彼方までぶっ飛んだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……う……」
肌を打つ冷たい風で、おれは目を覚ます。
広い夜空が見えた。
麻薬王として登り詰めてから、飽きるほど見上げた空だ。路地裏から見えるものとは違い、どこどこまでも広がるニューヨークの空。
おれはどうやら、ニューヨークの摩天楼の屋上で、縛られているようだった。
「目を覚ましたか。存外頑丈のようだな、麻薬王陛下?」
声がして、前を見た。
そこに、男が立っていた。
いいや、男なんて年齢じゃない。少年――いやガキと呼ぶのが相応しい。
韓国か中国か、アジア系の顔立ちに、気味の悪い薄笑いを浮かべている。
「テメェが……ブレイバーとか名乗ってたガキか?」
「マンドラゴラの断末魔を聞いて喋れるのか。さすがは麻薬王。狂気に耐性があるのかもしれんな」
幼い顔立ちに合わない尊大な口振り。ますます気味が悪くなってくる。
ガキの後ろには、女のガキが何人も侍っていた。
3人か、4人か……クソッ、目が霞んで、何人いるのかはわからねぇ。
だが、どいつもこいつも、まるでアニメ・コンベンションに群がるギークみてぇなふざけた仮装をしていやがる。
「感想はどうだ?」
とガキが言った。
「なかなか絶景だろう? 見るがいい、夜景の各所に灯る炎の光を――」
「……な……」
見慣れたニューヨークの夜景には、いくつか電灯のそれとは異なる光が灯っている。
炎。そして煙。
それらは、おれの事務所や販売所のある場所から立ち昇っていた……。
「貴様のカルテルは、資産、構成員、販売経路、あらゆる点をもって、今晩消滅した。まさに100万ドルの夜景――いいや、100億ドルの夜景だな?」
くくく、とガキは愉快そうに笑う。
こんな……馬鹿な話があるか。
おれが何十年もかけて築き上げたものが……たった一晩で……!
「テメェ……一体、何の恨みがあって、こんな……っ!!」
「これを見ろ、麻薬王」
ガキは1枚の写真をおれに突きつけてくる。
目の窪んだ見苦しいババアが一人、大写しになっていた。
「ハ……なんだ、そいつは。テメェの女か?」
「彼女はオーガスタ・カタセガワ。日系二世のアメリカ人で、つい先日、日本で亡くなった。死因は薬物中毒だ」
「なんだ。我が麗しき金づるの一人か! お悔み申し上げといてくれよ。ケツの毛まで差し出してくれてありがとうってよ!!」
「――貴様の実の母親だよ、クソ野郎」
……ハ?
思考が、凍結した。
「彼女はテキサス州で貴様を出産したが、経済状況から育てることができず、路地裏に遺棄した。すぐに後悔して拾いに戻ったが、その頃にはすでに誰かに拾われていたそうだ。以降、そのことをずっと悔やみながら生きてきた。どこかで野垂れ死んだかもしれない息子を想い、何年も何十年も――――クスリに手を出してしまうくらい、自分自身を追い込んだッ!!」
ガキはおれの目の前まで近付いてくると、間近からおれの目を睨みつけた。
「ハロー。日系三世のミスター・バッド・ラック」
「ぐ……あ……!」
「どうだ? 1セント残らず焼き尽くされた感想は? 日本人は、根っからの奴隷民族なんだろう?」
その瞳に、おれの何かが吸い取られていく。
その光に、おれの奥底が砕かれていく。
もう、何もない。
おれの中には何もない。
名前も身分も、カネもなかったあの頃に、戻っちまった――
「――ッハ! ……ハハハハ、ハハ……ハハハハハハハッ!!」
広い夜空に、おれは笑う。
壊れたわけじゃない。
諦めたわけじゃない。
そんな理由は、このおれにはひとつもない!
「すべてを失ったくらいで、どうした」
すべてを奪ったガキに、おれは勝ち誇った。
「おれはやり直す……! いくらでも、何度でも成り上がる! クスリの需要は無限だ。葉っぱ1枚ありゃあカネなんざいくらでも手に入る! 残念だったなあ、ヒーロー気取りのクソガキが!! おれは成功できるんだよ! どんな国でも、どんな時代でも――どんな世界でも!!」
「――――言ったな?」
そのとき、ガキの瞳が怜悧に輝いた。
今までで一番冷たい表情でありながら……それは、今までで一番感情的な表情。
「だったら、やり直してもらおうか。違う世界で」
ガキがおれに手を伸ばす。
「貴様のようなどうしようもない奴でも、世界を変えてやり直せば、更生することもあるかもしれん。だが、もしできなければ――」
ガキは言葉を切り、意味ありげに首を横に振った。
「――ネタバレはやめておこう。どうせすぐにわかることだ」
「お、おい……何を……!」
「貴様と同じことだよ。この世ではないどこかに、逃がしてやる」
ガキはおれの襟元を引っ掴むと、体格にまるで合わない怪力で持ち上げた。
そのまま屋上の端まで行き――空中に吊り下げた。
「ひっ……ぁああ……!!」
何百メートルも下に、硬い地面が霞んでいる。
全身がガチガチに固まって、なのにズボンが濡れていった。
「やっ……やめ……やめて――――」
「健闘を祈る」
あっさりと、おれの襟元からガキの指が外れた。
浮遊感が全身を包む。
目の前にあったガキの姿が、一瞬で上方に消える。
夜空が、見えた。
見る見るビルに阻まれて、狭く縮んでいった。
ああ……ちくしょう、ちくしょう!
おれはやり直せる。
やり直せるんだ!
どんな国でも、どんな時代でも、どんな世界でも。
葉っぱが1枚ありゃあ―――!!
狭い夜空が、ぐにゃりと歪んだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
セントメイス王国のアスラート領で、中年男の死体が見つかった。
「なあに? また貧民の喧嘩かい?」
「いやぁ、違うわよ。どこかから来た流れ者が、おかしな草を勝手に育てようとしたらしくて……」
「あんれまあ。馬鹿だねえ――ここらの大地の精霊様は、許しのない作物に厳しいってのに。知らなかったのかねえ?」
井戸端会議に花を咲かせる主婦たちの傍を、一人の少年が通り抜ける。
彼は憲兵に運ばれていく男を見やりながら、皮肉めいた響きを乗せて、小さくこう呟いた。
「――運がなかったな」