帰宅部強化指定校
放課後の訪れを告げるチャイムと共に、俺は弾けるように立ち上がり、開け放たれた窓へダイブする。
案ずること無かれ、一階だ。
縁に置いた両手を起点に一回転して着地。
左右の視界に、ほぼ同時に着地した生徒の姿。
俺を含め3人の男子高校生は猛スピードで校庭を駆け抜ける。
目指す先はてんでバラバラ。
隣の奴は素直に校門を通ったが、俺ともう一人は塀に向かって一直線。
そのままコンクリートの壁を蹴って駆け上がり、なおも走る。
少々幅の広い用水路はジャンプで越える。
街路樹と街路樹の間を三角飛びしたら公園に侵入だ。
小学生向けの低い鉄棒をハードルの要領で跳び、埋められたタイヤも前宙で回避。前へ進むスピードは緩めない。
アーケード街に出れば、歩道に無秩序かつ大量に停められた自転車が行く手を阻む。いや、そんなものでは阻めない。
サドルに足掛け八艘飛びで、将棋倒しの自転車を背にラストスパートだ。
「ただいま!」
玄関に到着と同時に腕時計を確認。
9分48秒。記録更新とはいかなかったが、まずまずのタイムだった。
「卓郎、アンタもう帰ってきたの?」
呆れ顔で出迎える母に、サムズアップ。
「俺は帰宅部のエースだからね!」
母はため息をつきながらキッチンの方へ引っ込んでいった。
高校生活二年目を迎え、俺の青春は充実している。
俺は帰宅部だ。
正式名称は、『帰宅技術研究部』。れっきとした部活動だ。
去年の全国大会ではベスト8にも入れた(出場校数は合計7校)。
帰宅部では、“家に帰る”という日常の行動に競技性、芸術性、あるいは哲学を見出した者たちが日夜切磋琢磨している。
まあ、基本的にお互い顔を合わすことは少ないのだが。
「おっと、忘れちゃいけない」
ポケットからケータイを取り出し電話をかける。
コール3つほどで中年男性が応答。
「早木卓郎、ただいま帰りました。9分48秒でした!」
「おう、なかなかだな。おつかれさん」
「押忍!失礼します!」
電話越しに一礼し、顧問との通話を終える。
ここまでが1セット。ようやく一息つける。
総合的な帰宅部の活動において、俺が追い求めているのはズバリ“速さ”だ。
いかに速く家に帰るか。それが俺の命題。
だから俺は常に家に帰りたい気持ちを高め、いつでも最高のパフォーマンスを発揮できるようにしている。
最近などは、明日の授業の準備をして床につく頃には、既に帰りたいと思い始めるようになっていた。
*
「卓郎―――卓郎よ―――昨日のタイムどうだった?」
昼休み、やきそばパンで帰宅エネルギーを補給する俺に、無駄にウェーブのかかった長髪に不精が長じて秩序を失った髭面の男が話しかけてくる。
決して浮浪者ではない。一年の頃は同じクラスだった同好の士、内賀大鍬だ。
ちなみにあだ名はもちろん『尊師』だ。
「まあまあってとこかな。記録の壁は超えられなかったよ」
「うむ、頑張るのだぞ――――――あ、そうそう、取加先生が部室に集まれってさ」
*
部室として利用している視聴覚室(*合唱部と共用)に集められた生徒は10人にも満たない。
これが我が帰宅技術研究部の精鋭だ。
「諸君に集まってもらったのは他でもない。部活破りだ!」
顧問の取加先生の言葉に、その場の全員が息を呑んだ。
「部活破り…!?」
「遂に我々もそれだけの身分に…」
「て言うか破られたらどうなるの?」
不安げにざわつく部員達の中、俺は震えていた。
挑戦者の出現。願ってもない、実力試しのステージが向こうからやってきたんじゃないか。
無意識のうちにニヤついてでもいたのだろうか。
取加先生は俺の方を見て、同じく不敵な笑みを浮かべた。
「みんな、うろたえるな。先方は勝負の相手を指名してきている…我が部のエースをな!」
部員達が一斉に俺を注目する。
不安から一転、信頼と期待の視線を浴び、歓喜で鳥肌が立つ。
やってやるぜ、挑戦者!
*
「キミが早木卓郎だねぇ?」
六時限目を前にした休み時間、縮れた頭を刈り上げにした、小太りの男子生徒が声をかけてきた。
頬肉に載ったメガネのレンズに脂が滲んでいる。
「なんだお前…ああ、そうか、もしかしてお前が」
「その通りさぁ。ボクは小森大奥。放課後、楽しみにしてるよぉ」
「ああ。首を洗って待ってろよ」
わざと大げさに、親指を立て首を掻き切る動作をしてみせる。
小森と名乗ったメガネファットマンは、引き笑いしながら隣の教室へ帰っていくのだった。
*
六時限目終了のチャイムが勝負開始のゴングだ。
いつも通り、教室の窓から飛び出して着地。上々のスタートダッシュだ。
『奴』の教室を一瞥すると、小太りの体格からは以外なほど身軽な動きで小森が窓から着地した。
その顔は、薄気味悪くニヤついている。
「ほえ面かかせてやるぜ!」
猛然と走り出すと、奴の気配はどんどん後ろに取り残される。
圧倒的なスピードの差。見たか、これが帰宅部の力だ。
今日の目的は自己タイムの更新じゃない。あの野郎に徹底的に敗北を味わわせることだ。
敢えて校門をくぐるコース取りで、地力の違いを思い知らせてやることにする。
校門に面した道路を横断し、そのまま真っ直ぐ突っ切っていくのが俺の帰宅ルート。
小森は未だ校庭の中ほどをチンタラ走ってきている。
いつもより遥かに余裕を持って帰途に着く俺は、それゆえに平生なら目にも留めないモノに気付いた。
気付いてしまった。
校舎の向かい。道路を挟んですぐの一軒家。
大理石の表札には、『小森』と彫刻されていた――――――
*
その日、敗北を喫したのは俺だった。
「まさか、“家が学校のすぐそば”だったとは―――ドンマイ、卓郎」
うな垂れる俺の肩に尊師が手を置く。ヒーリング的な効果は別に無い。
「徒歩一分未満。圧倒的な“地の利”だな。これは流石に、勝負にならんか…」
残念そうに瞑目する顧問に続き、落胆する部員達。
待て。お前ら待て。
勝手に人を再起不能扱いするんじゃない。
「いやあ、たしかに…強敵だな。こいつは一筋縄じゃいかないぜ!」
皆に向かってサムズアップ。ニヤリと笑って見せた顔面が引きつっているのが、自分でもわかる。
集まってくる視線も、今度は不安一色だ。
*
小森大奥と約束した雪辱戦は一週間後。
俺は内賀と共に、ヤツに対抗する策を講じた。
作戦その1。ローラーブレードで速力増強。
結果。平地以外は移動し辛い。カードをキャプターするようにはいかなかった。
作戦その2。鳥人間コンテストで空から攻める。
結果。滑空自転車『イカロス』号(製作期間三日)、離陸前に翼がもげる。
「今度こそイケるぞ…作戦その3!名付けて『一夜城』だ!!」
*
翌日の昼休み。
昨晩当局に没収されたテントと寝袋を返してもらうため、俺と内賀は職員室へ赴き、生徒指導の教師に土下座をかけていた。
時間いっぱいまで説教され、ようやく俺たちの一夜城は主のもとへ帰還したのだった。
「クソッ!どれもこれも上手くいかない!八方ふさがりだ!!」
苛立ちを爆発させる俺に、内賀が優しく声をかけてくれる。
「卓郎―――卓郎よ―――『うさぎとかめ』の歌は知っているだろう?」
尊師が明らかに何か良い事を言うタメを作ったので、乗ってやる。
「ああ、よく知っているとも…」
「あれさ、いわゆる“ディスり”を先取りしてると思わない?」
「お前もう帰ってろよ」
*
万策尽きた決戦当日。
こうなったらもう、俺の帰宅力が限界を超えることに期待するしかない。
全神経を、授業終了のチャイムに集中。
ほんの一瞬でもいい。早く、速く帰りたい――――――
「―――卓郎―――卓郎よ――――――!」
チャイムが鳴る寸前、教室の扉を開き教祖のような男が俺の名を呼ぶ。
おそらく隣のクラスは早めに授業が終わったのだろう。
だが俺のクラスは平常運行なのだ。
教室中の視線が、冷ややかに突き刺さるが内賀は気にした様子がない。
「小森のヤツ…もう家に居るらしいぞ!!」
「な…なん…だと……!?」
俺は驚きの余り思わず椅子から立ち上がる。それと同時に、校内にチャイムが鳴り響いた。
昨晩、敢え無く失敗に終わった俺たちの作戦その3。
それは、校庭に設置したテントを自宅とする電撃作戦だった。
相手が地の利で勝るなら、さらに有利な場所に位置取れば良い。これ以上ない作戦だ。
ところが小森は更なる上を行っていた。
「まさか…“そもそも登校しない”なんて方法で来るとは…な」
最初から家に居るのなら、もはや移動の必要すらない。
小森大奥の帰宅術は、ひとつの完成形に至ったのだ。
俺は遂に膝から崩れ落ち、両手を地面に着いて涙した。
完全敗北。
この挫折経験を、俺は終生忘れないだろう――――――
*
あれから十五年。
高校を卒業後、大学を経て社会人になった今も、俺の帰宅に対する情熱は衰えない。
『定時上がりの早木』と同僚は言う。
今や俺は帰宅のプロだ…そう名乗るのは、少しおこがましいだろうか。
帰りの電車。その車窓から外を眺めていると、学生服に身を包んだ少年達が目に留まった。
(ちんたら歩いてないで、まっすぐ帰れよ)
心の中で彼らに檄を飛ばしながら、自分の“現役”時代に思いを馳せる。
ヤツはいま、何をしているだろうか。
あの戦いの後も、小森は俺たちが卒業するまで究極の帰宅術を実践し続けた。
その後の彼がどんな人生を歩んでいるのか知る者は居ない。
一つだけ確かなのは、まだ無職だとするとアイツそろそろ年齢的にまずいんじゃないかということだけだ。
「卒アルに連絡先載ってたっけ…」
無意味なお節介かもしれないが、今度電話してみよう。
なにしろ――――――早く帰ってもやる事がないから暇なんだ。