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妖怪は身近な存在

作者: 各務原逍遥

 そもそも、小説『あやかし』を書こうと思ったきっかけは、

好きな作家でもある、京極夏彦や宮部みゆき、畠中恵、高橋克

彦といった小説家の本を、よく読んでいることもあり、それに

刺激され……というか感化されて、無い知恵をしぼって、何と

か書いてみようと思い立ち、書き始めた。

 ネット上の《小説家になろう》で、今までに『あやかし』シ

リーズを、第12話まで書いてはいたが、それぞれの話に登場

する、鳴家やなり、一文銭やサイコロの付喪神つくもがみ、憑き物といったあや

かしは、決して怖いと感じるような妖怪たちではない。

 むしろ、滑稽こっけいで親しみやすささえ感じる妖怪であることから、

こんな妖怪たちが、実際に存在したとしたら、面白いであろう

……という設定で書いたつもりだ。


 江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕とりやませきえん数多あまたの妖怪を描いた画集

画図百鬼夜行がずひゃっきやぎょう』は、安永五年(一七七六)から天明四年(一

七八四)に渡って刊行された。

 この画集は、市井しせいの人々にとって馴染みの書物であったよう

だ。要するに江戸時代は妖怪物が流行はやっていたということだ。

 当時は、今と違って明かりといえば蝋燭ろうそく行燈あんどん、月の光しか

なかった時代。そこに、闇に対する恐怖や自然への不安という、

人間の感情から生みだされたものだといえる。

 そんな妖怪画を、他の浮世絵師たちも描いている。

 葛飾北斎の『百物語 お岩さん』(提灯に浮かぶうらめしげな

お岩さん)や『百物語 さらやしき』(井戸から現われたお菊

の幽霊)、歌川広重の『お菊と焼継屋やつぎや』(現われたお菊の幽霊

に腰を抜かす焼継屋を描く)

 焼継とは、割れた茶碗や皿などを接着して再生すること。

 どの絵を見ても、奇想天外でユーモアがあっておもしろい。 

 

 お菊さんは、ある思いもあって、わざと皿を数枚割り、自ら

焼継屋に持って行った。

「お菊はん、そないぎょうさん割れた皿を持ってきたら、物語

になりまへんがな……」

「そやかて、もう皿を数えるのに飽きてしもうて……」

「そんなアホな、そないなこと言わんと、割れた皿はちゃんと

なおしますよって、今までどおり数えなはれ」

「そないなこと言いますけどな、夏は薄着でええけど、冬は寒

おますやろ、風邪ひきますえ……」

「幽霊でも、風邪ひきますのか?……」

「そりゃ~、生身なまみのからだやさかいなあ……」

「意味が、もひとつ分からんがな……それでこれから、どない

するつもりです?」

「どないもこないも……それより、なおし代かかりますやろ?」

「こっちも商売やさかいなあ、とは言え銭はないやろし……」

「そうですねん、幽霊だけに、お足はございません」

「しゃれかいな」

 さてこの後、お菊さんはどうしたのでしょうねえ……。

 

 土佐光信の『百鬼夜行絵巻』(様々な妖怪たちが全員集合)。

歌川国定の『北国のおばけ』(ここでいう北国とは遊郭のこと)

などに描かれた絵も、一見恐ろしく思える妖怪たちも、よくよ

く見ると、どことなく馴染めそうなあやかしに見えてくる。

 江戸時代の妖怪に比べると、現代にはびこる妖怪たちの方が、

しこたま怖いのではないだろうか……。

 

 妖怪を超える妖怪は、人間ではないのか……と、言わざるを

得ない世の中なのかもしれない。




 

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