その刹那、どうしてかわたしはビルの上から飛び降りたくなったのです
その刹那、どうしてかわたしはビルの上から飛び降りたくなったのです。
その時、何故かわたしはどこかのビルの屋上にいました。そして、そのビルの屋上にいるわたしの視界には、ビルが立ち並ぶ深い霧に包まれた空が大きく広がっていて、わたしはその灰色であまりにも美しい世界に感動を覚えていたのですが、その時“飛び降りてみたい”とそんな衝動に駆られてしまったのです。そしてわたしは、その衝動に抗い切れず、気付くとそこから飛び降りていたのでした。
断っておきますが、別に死のうと思った訳じゃありません。単にここから飛び降りたら気持ち良いだろうなと思っただけです。まぁ、死にますけどね。
実際にやってみたら、やっぱり想像通りに気持ち良くて、わたしは生きていて良かったとそう思いました。もしかしたら、このまま地面に激突しても、死なないかもしれません。まぁ、死にますけどね。
そのうち、霧の空を降下し続けるわたしはふと気付きました。今、わたしは足を地面に向けているので、地面から上を見上げられたならスカートの中がフルオープンなのです。あ、申し遅れましたが、一応、わたしは女子なんぞというものをやらせてもらっています。で、これではいくら何でも世の男性達に対してのサービスが過剰過ぎるかとも思ったので、わたしは顔の方を地面に向ける事にしたのです。
まぁ、減るもんじゃないし、どうせこれからわたしは死ぬのですけどね。
顔を地面に向けて落ちていると、わたしはそのうちに妙な感覚を覚えました。なんだか、地面に向かって飛んでいるような気になってきたのです。もしかしたら、ここはあべこべの世界で、地面に向かって飛ぶような場所なのかもしれないと、それでそう思いました。
まぁ、どちしらにしろ、地面に激突したら死ぬのでしょうけどね。
ところが、そこで突然に何かしら白いものが隣に現れ、わたしに話しかけて来たのです。よくは見えませんが、何かしら白いものです。白いので、きっとなにか良いものでしょう。ビックリですね。世の中、何が起こるか分かったもんじゃありません。
「おい君よ、人に迷惑をかけるような真似はするもんじゃないよ。このまま君が地面に降りたら、たくさんの人の迷惑になるぞ」
なんですと?
そう言われてわたしは思いました。
なるほど、なるほど。確かにあの高さから地面に落ちるのだから、わたしの身体は四散して道を汚してしまうのでしょうし、もし下を歩く誰かに激突したなら、その誰かを巻き込みもしてしまうでしょう。世の人にうんと迷惑をかける事になるはずです。しかし、今更それに気付いても手遅れです。だって、既にわたしは飛び降りてしまっているのですから。
さて、なら、どうしましょう? せめて、スカートの中を見せながら、サービス満点で落ちて行くべきでしょうか?
ところがわたしがそう思うと、何かしら白いものはこう言うのです。
「いやいや、違うぞ、君」
何が違うと言うのでしょう? まさか、世の殿方には、わたしのスカートの中なんぞではサービスにならないとそう言いたのでしょうか? それは、いくらなんでも失礼ってもんです。意外にこれでも少しは需要はあるのじゃないかとわたし自身は思っているのです。そんな事を言われては、夢も希望もありません。いえ、まぁ、これからわたしは死ぬので、やっぱり夢も希望もないのでしょうけどね。
「違うって、君。下をもっとよく見てみろって」
そう白いものが言うので、よく見てみると、地面には一人の女性が横たわっているではありませんか。他に人の姿は見えません。
それでわたしはこう思います。
なるほど。相手が女性では、スカートの中はサービスにはならないでしょう。ただ、人によっては悦ぶものです。因みに、わたしはけっこういけるクチですが。
ところが、それも何かしら白いものは否定して来るのです。
「違うよ。よく見ろよ。あれは君じゃないか」
なんですと?
そう言われてわたしはよく見てみました。すると確かに寝ているのはわたしです。これは惜しい。せっかく、わたし自身がサービス満点でスカートの中を見せようとしているのに、けっこういけるクチのわたしが、それを見ないで寝ているだなんて。
白いものは言います。
「何を言っているんだ、君は?」
わたし自身にも分かりません。
白いものは続けます。
「よく思い出してみろ。君は周りの迷惑にならないように、大人しく死んでいこうと思ったのじゃないか。それで、大量に睡眠薬を飲んで、宇宙の果てに召されようとしたのに、どうして今更地球の地面に戻ろうとしているんだよ?」
なんですと?
では、今のわたしは空に向かおうと思えば向かえるという事なのでしょうか?
「そうだよ。宇宙へ行けるよ」
しかし、ならばわたしは、どうしてビルから飛び降りようなんて思ったのでしょうか?
「知らないよ。思考麻痺にでも陥っていたのじゃないか?」
なんという事でしょう?
それを聞いて、わたしは思いました。
ここは本当にあべこべの世界だったのです。地面に向かって、どうやらわたしは本当に飛んでいたのです。そして地面に到達すれば、恐らく、わたしは生き返るのでしょう。
そしてわたしは思い出しました。確か“思考麻痺”という言葉を使ったのは、担任の先生です。彼はわたしに、辛かったらちゃんと相談するようにと言ったのです。
『ストレスが高い状態が続くとな、動物ってのは思考麻痺に陥るらしい。それで正常な判断力を失うんだ。だから、そうなる前に俺に相談するんだ』
わたしの家は貧乏です。母子家庭で、本気で明日の食う物にも苦労している程です。わたしが事情を学校に説明してアルバイトでもすれば良いのでしょうが、プライドの高い母はそれを認めないのです。そして、わたしは学校で嫌われています。皆はお前なんかいない方が良いと言うのです。家が貧乏な所為で、わたしは小さな子供の頃からいじめられていましたから、きっとその延長だと思います。どうにも人付き合いは苦手です。
そして母も、つい最近、わたしに「お前なんかいない方が良い」とそう言いました。それでわたしは、このまま生きていても皆の迷惑になるのならと、大量に睡眠薬を飲んで自殺をしようとしたのです。
ただ、うっかりビルの奥の見つかり難そうな場所で飲んでしまったものだから、このまま死んでもし身体が腐りでもしたらまた皆に迷惑をかけるだろうと心配をし、わたしは朦朧とした意識で、なんとかビルの外に這い出てそのまま寝てしまったのでした。きっと、それが今わたしが見ている横になっているわたしでしょう。
何かしら白いものが何かも分かった気がします。わたしはいつも天国を夢見ていたのです。それで真っ白い天使が迎えに来てくれる事をいつも想像していたのです。わたしの想像力が拙い所為で、よく分からないものになってしまっていますが、白いものは恐らくは天使なのでしょう。
天使がわたしの自殺の説得に来るなんて、流石、あべこべの世界です。
気付くと、地面はもうすぐそこにまで迫っていました。何かしら白いもの…… 天使は言います。
「さぁ、このまま生き返ったら、君は皆に迷惑をかけるぞ。さっさと空に向かうんだ」
しかしわたしはこう思うのです。
ここはあべこべの世界。――なら、きっとそれは違うのです。
直ぐそこには、わたしの身体がありました。
わたしは言いました。
「――駄目です。多分、きっと、わたしが死んだ方が、皆に迷惑をかけることになるから」
そしてわたしは、そのまま自分の身体に飛び込んだのです。
目を覚ますと、そこは病室でした。傍らには母がいて、目を覚ましたわたしを見ると、涙を流して抱き付いて来ました。
「良かった…… なんで、死のうなんて思ったの?」
わたしは返します。
「うん。なんでだろう?」
きっと、思考麻痺に陥っていたのです。わたしはその後で言いました。
「ねぇ、お母さん」
「なに?」
「わたし、アルバイトしたい」
それに母は黙ったまま頷きました。
きっと、これで、うちの家計は少しは助かるでしょう。死のうとして、生きる為に一歩前に進めるなんて、流石、あべこべの世界です。
このシリーズで、初めて女の子を主人公にしてやりましたよ