第七十二話 最終回
第七十二話 最終回
それから四年ー。
気持ちのいい風が新色を揺らし、空には雲がふんわりと浮かんでいた。
郊外の大きなチャペルでは、大勢の人たちが、中庭いっぱいざわめいていた。
その隅にスーツを着こなした安が、背筋を伸ばしてスラリと立っている。
晴れやかな口元には、微笑みが乗っている。
そこに軽やかな足取りで、抑え気味だが縁飾りがきれいなドレスをまとった佳乃がやってきた。
「こんにちは。ご無沙汰しています。結婚式以来ですね。その節はありがとうございました」
両手を揃えて丁寧にお辞儀をする。
その声、その姿に、安の表情が一気に崩れた。
「あっ、いえ、とんでもないです」
相変わらず佳乃には、一目でクラクラだ。
「久しぶりにお会いしますが、今日も一段と素敵ですね」
歯の浮くような台詞も、さらりと言えるようになっている。
「今日、おチビちゃんは?」
「ダンナ様に預けて来ちゃった。だから今日はフリーですよ」
冗談のようにチラッと小首をかしげる。
「コラム、いつも楽しく読んでます。視点が安さんらしくて。だから会うのは久しぶりでも、いつもそばにいるような気がしてるんですよ」
と、いたずらっぽく肩をすくめた。
安は心臓がドキリとするのを感じながら
「ありがとうございます。僕の読者さんなら粗末には扱えないですね。あとでお茶ぐらい、ごちそうさせてもらいます」
と誘った。
「ケーキも一緒にお願いしますね」
佳乃は嬉しそうに注文をつけた。
「鼻の下が伸びてるわよ、安」
いい所に水を差す声にハッと振り向くと、人の合間を縫ってやってきたのは、雪だった。
「佳乃さん、お久しぶり」
「お久しぶりですね。雪先生、随分印象が変わって見違えちゃったわ」
佳乃の言うとおり、黒いチャイナカラーのワンピース姿の雪。
で愛の荘にいた時には考えられない服だ。
髪もくるっと上げて、まるで別人だ。
その変わりぶりに驚いている安を置いて、二人は挨拶を交わす。
「雪先生、安さん見とれてますよ」
佳乃が面白そうにコロコロと笑った。
「あ、いや、そんなんじゃないが…。驚いたよ、化けるなぁ」
安はあらためて雪のつま先から頭まで全身を見て、ため息をついた。
仕事ばかりのあの時から肌ツヤも良くなっていて、心なしか色気までついている。
「で、元気か?ちゃんと飯食べてるのか?コーヒーは飯じゃないぞ」
言葉まで何となく上滑りしてしまう。
雪も安の驚き様にくくくと笑いをこらえて答えた。
「大丈夫よ、一人じゃないんだから」
雪は左手の薬指を見せた。
「ええぇっ!!お、お前、男か!?まさか、女…」
「彼氏よ。よく働くわよ」
雪は手を下げて、自慢気に言った。
ショックを受ける安に、佳乃がツンと指で肩をつついた。
「まずそう言う所、見ないと」
「この間、行った時はそんな男の影なんてなかったのに…」
ほとんどグチだ。
「この間って、あんた三年前じゃない」
「相手は?」
知らなくてもいいのに、気になって聞いてしまう。
「担当の人」
そっけなく答えるが、いくつも連載を抱えている雪の生活を考えれば、それくらいしかないだろう。
「…そっかー」
諦めというか納得というか、何だか物悲しい気持ちになる。
そこに胸元の開いた春色の華やかなワンピース姿の優乃が、笑顔で走ってきた。
「あっ、雪先生、お久しぶりです。これからみんなと打ち合わせなんで、後で」
挨拶もそこそこに走り抜けていく。
「優乃!」
それを安が呼び止めて、駆け寄った。
「カメラ預かっておくわ」
「ちゃんと撮ってね」
「まかせとき」
四年前には考えられない姿を、雪と佳乃が見ている。
「だいぶサマになってきたわね」
「本当、優乃ったら嬉しそうに」
くすくすと二人、小声でささやき合う。
安は優乃からカメラを預かると、戻って雪に聞いた。
「山は?」
「もうすぐ着くって、さっき連絡あったわ」
そうかと入口の方を見る安に、佳乃が聞いた。
「山川さん、シンガポールでしたっけ。冬美ちゃんとはまだ続いてるの?」
安は視線を佳乃に戻した。
「いろいろとあるみたいですけど、続いてるようですよ」
「ちょっと驚きよね」
雪が言った。
「遠距離はムリだと思ってたのに、あの二人」
佳乃も頷く。
「冬美ちゃん、よく我慢してるのね。びっくり」
『いろいろ、あるんだけどな』
安が口元で笑うと、「皆さん、お花を手に取って下さい」と、ライスシャワーのかごを持ったお姉さんが回ってきた。
「皆様、大変お待たせ致しました。新緑のさわやかな風の中、このいい天気にも恵まれて、空からも祝福されているようなお二人、新郎新婦の登場です。どうぞ盛大な拍手でお迎え下さい」
声の主は、冬美だった。
司会姿がすっかり板についている。
会場が静まる。
階段の上の扉が開き、新郎新婦が登場し大きく一礼した。
頭を上げてお互いに見つめ合い、そして招待客たちに向かって微笑みかけた。
会場は一瞬の沈黙の後、どよめきに変わった。
「新婦さん、すっごくきれいね!」
「新郎さん、素敵な人ね。芸能人なの?」
「美男美女か。羨ましいな」
周りから口々に褒め言葉がこぼれ聞こえてくる。
確かに絵になっている。
聞いた所によれば、会場だか写真屋だかのモデルの話も来たらしい。
新郎新婦が周りからお祝いの言葉を受けながら階段を降り、、安たちにも近づいてきた。
その二人は、矢守と久だ。
安たち三人は通り過ぎて行く二人に、花びらと一緒に声をかけた。
「おめでとー。きれいよ、恵ちゃん」
「黙ってればな」
雪の後に、安が一言付け足す。
「うるさいわね!!おだまり」
と、矢守が一瞬だけ地を見せ周りを笑わせた。
「ありがとうございます」
と、頭を下げるのは、新郎の久だ。
「何だか笑っちゃうわねぇ」
「全くだ。誰が美男美女なんだ」
雪と安が嬉しそうに言い合う。
「でも、確かに素敵」
佳乃が二人の後ろ姿を見ながら言う。
冬美は順調な司会進行をしていく。
「それでは、只今よりブーケトスを行います。後ろを向いた新婦に、ブーケを投げていただきます。女性の皆様、中央にお集まりになって下さい」
「カッコイイわね」
雪が冬美を見て言う。
「落ち着いてるな。ちょっと作りすぎてるけど。ベテランの域にはまだまだだけど充分、場馴れしてるよ」
「それでは、準備をお願いします。…皆様、よろしいでしょうか」
冬美のアナウンスに矢守は中央にいる優乃に目配せをチラリとして、後ろを向いた。
「はい。では、ブーケトス、お願いします」
そのかけ声と一緒に矢守は、後ろにいる大勢の女子たちに向かってブーケを投げた。
「えいっ」
投げられたブーケはチャペルを背景に青い空の雲に変わって、高く遠くに飛んだ。
手を伸ばす女子たちを飛び越し、ブーケはその後ろを通り抜けていた男性の頭に、コツンと当たった。
「あいたっ!」
男性がそのブーケを思わず手に取ったハプニングに、会場からどよめきと笑いが湧き上がった。
「何やってんのよっ」
向き直った矢守が、驚いて小さく怒る。
男は立ち止まり「すみません」と女性たちに頭を下げたが、一度ブーケに目を落とすとそのまま司会の元に走り寄った。
「ちょっと、何してるのよっ」
驚いたのは冬美だ。
うやうやしく差し出されたブーケに、嬉しさと恥ずかしさで顔を真赤にする。
会場は笑いから拍手に一転。ヒューヒューと口笛まで飛んだ。
「主役は私よー」と矢守の声まで、かき消されてしまった。
「いやだ。やるじゃない、山川」
と、雪。
「素敵。冬美ちゃん嬉しそう」
と、佳乃。
「シ、失礼しました。ありがとうございます。そ、それでは会場を移しまして披露宴を行いたいと思います。席次表をお持ちの方はー」
冬美は山川から受け取ったブーケを会場の者に渡すと、赤くした顔を元に戻しながら司会を続けた。
一方の山川は、安たちを見つけて合流した。
「間に合いましたね」
恥ずかしそうに頭をかいている。
「よく来たな。久しぶり。それにしてもやるじゃないか」
安が山川の胸を軽く叩く。
えへへと山川は照れ、
「いやぁ、あれで冬美もうろたえないんで、大したものですよ」
と、話をそらした。
「向こうはどうだ?忙しいのか」
安が聞くと、山川は服の乱れを直して答えた。
「文化の違いってのを感じてますよ。時間の流れが違うんです。料理もなかなかすごいです」
「すごいってどういう意味だ?」
「いやー、下町は大味って言うか、繊細さが足りないって言うか。日本と比べるのが間違ってるとも言えるんですが」
山川は何か語りたそうだ。
「ちゃんと連絡取ってるの?」
それを止めるように、佳乃が冬美を目で指して聞いた。
「一応、取ってますよ。こっちが一方的に合わせてますけどね」
何故か苦笑いする山川。
そこにブーケを取りそこねた優乃が戻ってきた。
「もー山川さんひどいよ。私、取る気マンマンだったのに!」
「ごめんごめん。でも矢守のコントロールも問題じゃないのか?」
矢守がもう少し力を抜いていれば、優乃にも取れたかも知れない。
「そうなんですけどね」とぷっと、ふくれながら優乃は言った。
「今日、私たち、昔のクラスのみんなで久くんと矢守さんの馴れ初めからプロポーズまでのお芝居するんです。楽しみにしてて下さいね」
『大丈夫なのか?』
内容を知っている安の顔にタテ線が入り、
『どんな芝居なんだ』
久と矢守の話ということで不安になる山川の顔にタテ線が入り、
『ご両親も来てるのよ』
矢守の言動を知っている雪の顔にもタテ線が入る。
一人佳乃だけが「頑張って」と明るい顔だ。
「佳乃さんは、何も知らないから、そう言うんですよ」
安が心配そうに言う。
「あら、何も知らないからよ。優乃、大丈夫よ。みんなが心配してる分、私が楽しんで上げるから」
「任せてよ」
優乃はぐっとコブシを作った。
「まさかあの二人が先にゴールインとはねぇ」
山川が中に消えた二人の方を見ながら、感慨深そうに言った。
矢守はあれ程、嫌がっていたではないか。
久もまた、よく他の女子になびかなかったものだ。
「一体、何があったんですか」
山川の疑問に安がふふふと笑った。
「後で話すよ。長くなるから」
式が終わった後のロビーは、帰り支度や友人たちと話をする者とでまだざわついていた。
優乃、冬美は外で友達と別れを惜しんでいる。
佳乃は残念がる安に、夜勤があるからと先に帰っていた。
そんなざわめくロビーの片隅で、で愛の荘組の三人が座って話をしていた。
「いやぁ、参りましたね。あの余興芝居、変な所から汗が出ましたよ」
山川が言うと、二人も全くだと笑った。
「矢守のいつものアレを、ぎりぎりのところで止めてましたからね」
「演劇系の友だちが多いと、やっぱり面白くなるな」
安が思い出し笑いをしながら言った。
「いきなりのプロポーズ、笑っちゃったわ。あの時は驚いて、笑うどころじゃなかったけど」
雪が安とともに頷く。
「えっ、その場に居合わせたんですか?」
山川が驚いた。
「えぇ、安もいたし。懐かしいわね」
安も「そうだ」と言う。
「久君が最後に泣いたのは、そういう事も思い出したからかな」
「まさか。そういうキャラじゃないわよ」
雪が首を振る。
「キャラといえば優乃ちゃん、矢守役がすごかったですね。ローカルからメジャーに変わっただけはあります。クセつかんでましたよ」
「プロよ、プロ」
「後でサインもらわなきゃ」
「ラジオ以外の仕事もあって、忙しいみたいだ」
「いつからメジャーに移ったんですか」
「去年からだ。メインの番組も、もらったし頑張ってるよ」
そんな話をしている所に、当の優乃と冬美が友達と別れて戻ってきた。
お互いにお疲れ様とねぎらい合った後、
「ちょっと焦ったでしょ」
と、冬美が挨拶もそこそこに、山川に突っかかった。手には大事そうに、あのブーケを持っている。
「あれ、いらなかった?」
山川は冬美の怒りをそらすように、とぼけた。
「そんなこと言ってるんじゃないでしょ。仕事の邪魔しないでって言ってるの。来ていらっしゃるお客様にも、気持ちのいい式にしなきゃいけないんだから」
「みんなから拍手もらったけど」
「私のことも考えてって言ってるの」
『つまり、恥ずかしいんだな』
山川は笑って、話題を変えた。
「そう言えば安さん。今どこに住んでるんですか?引越したって聞きましたけど」
冬美がおさまらない様子で山川の隣に座ると、今度は優乃もぷーっとふくれて追いかけた。
「まだ住所、教えてくれないんだよー。ひどいでしょ!」
安は手で止めながら、答えた。
「今、手直し中でさ、また住んでないんだよ。人が呼べる状態じゃないから、待っててくれよ」
「自分で直しているんですか、安さんらしい。直すついでに変なコトしてませんか?吊り天井とかカラクリとか」
山川は安の妙なクセを思い出した。
安は、「まぁ、好きにやってるがな」と笑いを噛み殺して答えた。
「でも、手直しして住んでないって…?」
山川が聞いた。
「家を買ったんだよ」
「買ったの!どんだけ稼いでんのよ」
雪の驚きが大きかったので、安はすぐに言い訳をした。
「安かったんだって」
「私も住みたいなー」
優乃は安の肩に体を寄せたが、安は頷かない。
「まだ、あかん」
「ねぇ、ひどいでしょ。ずっとこうなんだよ。手伝わせてもくれないし」
「出来てからのお楽しみさ」
安が嬉しそうに言う。
「私、絶対やだ」と雪。
「無理矢理でも見に行った方がいいよ」と冬美。
「まぁそれはそれとして、自分の家っていいですよね」
山川が、あこがれますと言うと、隣の冬美も頷いた。
「築何年位なんですか?」
安は深く頷いた。
「うん、築五十年」
「えーっ」
「古っ」
「で愛の荘ですかっ!」
みんなが驚きながらも、嬉しそうな顔つきに変わる。
安も顔いっぱいに喜びを浮かべて言った。
「もちろんバーベキューも出来る庭付きだぞ!、出来たら呼ぶから、みんな来いよっ!!」
「じゃあ、入居会議ねっ」
振り返るとパーティードレス姿に着替えた矢守が、安の後ろに立っていた
「続きは、二次会でっ」
使いかけの材木があちこちに置いてある室内。
かなり修繕されているようだが、まだ所々に目立つ凹みがある。
黒ずんだ木に、真新しい木肌が交差している。
隅に片付けられた大工道具のそばには、小さなラジオがある。
その奥まった壁にラフなタッチの手書きの絵が一枚、まるで完成図のように貼られていた。
大きなスケッチブックの紙に、筆ペンの線。
ボロい二階建てのアパートの前に、お行儀よく八人が並んでいる。
今どき見ないような古いアパートの絵だ。
その絵の隅に、同じアパートとその住人だろうか、その前で楽しそうに写っている写真がピンで止められている。
窓から見える花壇には、タンポポとパンジーが咲いている。
揺れる綿毛から二・三本舞い上がり、それを蝶が追いかけた。
小高い丘の上にあるそこに、坂道を登ってくる人たちの声が聞こえてくるようだった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
おまけ
結婚式、三ヶ月前
星のささやきに合わせたような音量で、曲が流れていた。
ラジオから流れてくるラブソングだ。
机に向かい、男が原稿用紙に万年筆を走らせている。
♪ ♪
「ーでした。
歌の通り、夜は長いし、冬は寒いし。心配しなくていいって言っても、ホントは会いたいんですよね。
リクエストは『遠距離恋愛中の冬みかん』さんから『私も連れてけ、バカー』のメッセージ付きです。
遠距離、切ないですよね。
冬みかんさん、がんばって!
えー次は、投げキッスのイラスト付きでFAX来てますね。速報って書いてあります。
クスクス
えー、『優乃ちゃん、ヤモリンでーす』
いつもリクエストいっぱいありがとうございます!
『結婚しまーす。新しい名前はタナベです』
えっ、えー!!びっくり、やだ、ホントに?!
あ、すみません、ホントにタナベだって…。
いえ、あの、おめでとうございまーす」
パチパチパチ
男はふっと手を止めて、机の隅に置かれている小さなラジオの音量を上げた。
「いやー、めでたい。めでたいです。
お祝いソング、行けますか。
はい、では、運命の人…なのかな。白い羽で羽ばたいて下さい。
この曲を送ります。ヤモリーン、聞いてるかな?」
♪ ♪ ♪
男は目を閉じ、軽く頬杖をついた。
曲が流れる。
男の口元に、ゆっくりと微笑みが浮かんできた。
「おめでとう」
男は懐かしそうに言うと、『招待しちゃう、ウフ』と書かれたハガキを手にした。




