第七十一話 お別れの前に
第七十一話 お別れの前に
天気のいいある日。
部屋の物も半分は新しい引越し先に運び終わっていた安は、残りの荷物を段ボールに詰めていた。
コンコン
丁度お昼が過ぎた頃、部屋に矢守がやってきた。
「ねぇ、安さん。新築の、で愛の荘、行ってみない?」
これから雪と一緒に行く所だと言う。
安は荷造りの手を止めた。
「そうだな。気分転換も兼ねて、行くか」
「ありがと、よろしくね」
矢守は片目をつぶって、外で待ってるからと手を振って出て行った。
「ん?」
安は矢守の妙な返事に少し疑問を持ったが、着替えて部屋を出た。
新しい、で愛の荘は今までの所より駅から倍近く離れた所にある。
だが、お風呂も普通についていて、当たり前の設備が揃っている。
入居は三月の初めから始まっているらしい。
安が外に出ると入り口そばに段ボールや荷物を載せた軽トラが一台停まっていて、その横で矢守が待っていた。
「矢守、この軽トラは?」
「コレで行くのよ。だから安さんよろしくね」
矢守は平然とにこやかに言った。
「行くって、今日引越しかよ。いきなりだな」
「だからよろしくねって言ったでしょ。雪先生も手伝うって言ってるんだから、まさか逃げないでしょ。はい、乗って」
矢守はそう言うと、さっさと運転席に乗り込んだ。
自分の荷造りに忙しかったと言っても、矢守の引越しに気が付かなかったのはうかつだったと思いながら、安は助手席のドアを開けた。
「あ、そうか。雪もいるってー」
助手席には雪が座っていた。
軽トラの一列の席に大人三人は、みんなヤセ型とは言えさすがに狭い。
「あら、安。遅かったわね」
雪が待ちくたびれちゃったと言った。
「こう言う予定だとは思わなかったんでな」
だまされたよ、と安は雪と共に身を細めて助手席に座り、ドアを閉めた。
「んふっ。それじゃあ行くわよ」
矢守は楽しそうに軽トラのアクセルを踏んだ。
安は運転を矢守に任せて、雪に聞いた。
「そっちはどうなんだ?」
「どうなんだって、引越し?」
「あぁ。荷物とかもういいのか?」
「業者に頼んで、終わったわよ。後は仕事道具だけ」
当然じゃない、と雪は答えた。
そう言えば少し前に、業者が来てたなと安は思い出した。
「ん…、仕事道具だけって、まだ仕事してるのか?」
安はまさかと思いながら聞いた。
「そうよ」
雪はまた、事もなげに答える。
「あと一週間ないのよ。雪先生、そんなにギリギリまで仕事してどうするのよ」
矢守が運転しながら言った。
すると雪は、遠く前を見つめたまま答えた。
「いろいろ厳しいのよねぇ。仕事とか、お金とか。私そんなに図太くないから、引越ししたら描けなくなるかも知れないと思って。今、描けるうちに描いておこうって思って描いてるの。それでもまだ心配なの」
言葉は弱気だが、表情からは自信が見え隠れする。
二人よりも先のことを考えているようだ。
二人共もちろん先は考えているが、今はそれ以上に慣れた、で愛の荘の方に情が移っている。
雪のように、もう次の事、とはいかない。
「雪先生、強いなぁ。今度、どこだったっけ?簡単に手伝いに行けないのが残念」
矢守はため息混じりに言った。
「原稿もデータになって行くみたいだから、その勉強もしなきゃいけないの。だから結構、切羽詰まってるのよ」
「それで、その時間をかせぐためにも今、原稿描きためてるのか。向こうでも一人か?」
心配する安に雪は大丈夫よ、と答えた。
「編集さんが、アシも集めてくれるって」
「そうよね。雪先生、最近仕事増えたから、一人じゃ難しそうって思ってたのよ」
「ありがと。恵ちゃんならいつでも歓迎よ。イベントで来た時は寄って。バイト代出すから」
「おいおい、働かせるの前提かよ」
「当たり前でじゃない。恵ちゃん優秀なんだから。遊ばせないわよ」
「雪先生にそんな風に褒められて嬉しいような、嬉しくないような」
雲がのんびりと動いていく空の下、車は進んでいく。
「遊ばせないって言えば雪、お前本当に引越し手伝うのか?」
安はあらためて雪に聞いた。
「当たり前じゃない」
「当たり前ってお前、荷物ってペンより重いんだぞ」
半分本気で心配する。
「何よ、失礼ね。あんたより付き合い長いんだから、手伝うの当たり前でしょ。甘く見ないでよね」
雪はそう言うが、白く細い腕をみると不安にもなる。
「矢守、引きこもりに手伝いをお願いするのはどうかと思うぞ」
「安さんだって似たようなものじゃない」
矢守は全く気にしていない。
「それよりもお別れ会、桜咲きそうじゃない?」
と、話題を変えてきた。
「お別れ会で桜、いいわね」
雪が頷く。
「桜がそんな都合よく咲くかよ」
と、安。
「咲くわよ。開花情報だってそう言ってるし、この辺ちらほら咲いてるから」
「もう日にちがないがな…。でも月森さん来るんだよなぁ」
安は渋い顔をした。
「あれ、みんなでしょ?」
「この前、お好み焼きおごってもらったじゃない」
二人はどうして?と聞いた。
「月森さんだぞ。苦手なんだよ」
「最後でしょ、最後」
「最後だから、会いたくないんだがな。まぁ、連絡はしたけど」
「ならいいじゃない」
「ところで、安さんは、これからどうするの?」
矢守がポンッと話題を変えた。
みんなどうするのかは大体分かっているが、安がどうするのかは実は知らない。
「うん、まぁどっか安いトコ見つけて、そこかなぁ」
「何それ。まだ何も決まってないの?」
曖昧に答える安に、さすがの雪も少し驚いたようだ。
安はそう言う意味じゃないと説明した。
「いや、決まってるは決まってるんだが、そこも何なんで別なトコにしようかなって考えてるんだ。ところでそれよりも気になってるんだが矢守、いつになったら着くんだ?お前、迷ってないか?」
もう十五分以上も走っている。おかしいなと安が聞くと、矢守はエヘヘと笑った。
「ごめーん。こっちの方だと思うんだけど、分からなくなっちゃった」
「おいおい、住む人間がそれでどうするんだよ。雪、場所分かるか?」
「住む訳じゃないのに、分からないわよ」
「しょうがないなぁ。運転変われ」
安は車を停めさせると、矢守と運転を変わった。
「安さん、分かるの?」
矢守と雪が聞いてくる。
「多分な。どこを走ってるのか、よく見ておけば良かったよ」
安はそう言いながら、運転を変わった。
「お願いね」と心配する矢守に、安は「任せとけ」と答えた。
五分ほど走らせた所で、矢守が「あっ、ここ知ってる」と言い出し、車はそのまま無事、新しい、で愛の荘に着いた。
新築の、で愛の荘はメインの道路から離れた所にあり、静かな環境だった。
ただ周りにアパートや一戸建てが数多くあり、日当たりや眺めは前ほど望めなかった。
工事は基本的に終わっていたが、ゴミ捨て場など、居住に直接関係しない所はまだ作りかけであったりと、いかにも出来たばかりの感じだ。
降りて軽トラから段ボールや荷物を運び入れる。
「いいトコじゃないか」
安が部屋に荷物を入れながら言った。
「でしょう」
と、矢守が答える。
新築の匂いが鼻をくすぐる。
部屋は1DKで今の、で愛の荘よりDの分だけ広い。床はフローリングになっていて、お風呂、トイレもついている。キッチンは都市ガスで、備え付けだ。優乃のように苦労する事もない。
どこから見ても今までの、で愛の荘よりずっといい。
だが安も雪も、そして矢守もそれ以上の言葉は出なかった。
ボロくても、不便であっても今の、で愛の荘の方がやっぱりいいのだ。
引越しは雪の手伝いもあって、三十分と経たないうちに終わった。
「これで終わりか?意外と荷物少ないんだな」
「うん」
と、矢守は頷きながら付け加えた。
「後、二回分あるからよろしくね」
「えー、やられたぜっ」
安は
「道理で少ないと思ったよ」
と言って、雪の様子を伺った。
雪の顔には真剣に『これで終わりじゃないの?』と書いてある。
『机に向かう体力はあっても、引越し用の筋力と体力は別だからな』
安はやっぱりかと、思った。
二人共乗りかかった船と、更に二往復して矢守の荷物を全て新しい、で愛の荘に運び入れた。
「疲れたわ。腕上がんない」
雪が床に座り込んだ。
「お前には、軽いものしか持たせてなかった筈だぞ」
安は大丈夫かと雪に聞いた。
大丈夫と答える雪に、矢守が言った。
「雪先生も安さんも、ありがと。お風呂入れるんだけど入ってく?」
「新しい所だし、遠慮させてもらうよ」
安は首を振った。
「安さん。ここ、いつでも入れるから、いつ来ても私、準備OKだからね」
「何の話だ」
「そういう話」
矢守には、まいる。
「あ、私、お風呂よりお腹へった。お昼抜いてたし」
雪がヘロヘロっと手を上げた。
「んで、疲れてるのか」
「当たり前よ。そうじゃなきゃ、この程度で疲れないわよ」
「雪先生、ありがと。何食べたい?」
か細い声を出す雪に、矢守が聞いた。
「さっぱりした…うどんかな」
「いいわ。じゃ、あのうどん屋さん行こうか。その後でお風呂屋さんも。もちろん、私のおごりで」
「おっ、いいのか。ありがとよ」
「恵ちゃん、ありがとー」
「おごり」の声に元気が出たのか、雪も立ち上がった。
で愛の荘は、最後の週に入っていた。
そして矢守もいなくなった、で愛の荘の最後の夜。
その夜遅く、安の部屋に珍しく雪が訪ねてきた。
「ギリギリになったけど、やっと手に入れたわ。明日早速出してくる」
手に一通の封筒を持っている。
「そうか…結構かかったな」
安は封筒にチラリと目をやると、ほとんど空っぽの冷蔵庫からビールを取り出し、グラスに注ぎ分けた。
机もなくなった安の狭い部屋は、それなりに広く感じられた。
安と雪は壁に持たれて並び、乾杯し合った。
「この部屋で飲むの初めてかしら」
雪が記憶をたどるように天井を見上げながら聞いた。
「いつもこっちが、そっちに行ってたからな…」
安の胸には悔しいような、恥ずかしいような気持ちが湧いてくる。
確かに助けてもらう事も多かったが、時には説き伏せてやろうと行った事もあるのだ。
だが、ことごとくかわされたり、逆に問い詰められ負けてばかりだった。
「向こう、一人で大丈夫なんか?」
そんな事を思い出したせいか、口調が負け惜しみっぽくなってしまった。
雪はそんな思い出など無縁のように、さらっと返した。
「知り合いもいるし、平気でしょ」
相変わらず、いさぎいい。
だが、ホントの所どうなのか。安は一言世話を焼いた。
「何かあったら、すぐに電話してこいよ」
「電話してくるのは、あんたでしょうが」
「うるさいな」
思ってもみない返事に、ついそんな言葉で返してしまう。
やはり雪には勝てない、と言うより自分が雪に比べて女々しいのかもしれない。
『まったく男っぽいったらないな』
安は一人笑った。
一本のビールを二人で分けた後、雪が持ってきた日本酒を開けた。
「最後の一本、安にも分けてあげるわ」
雪は安のグラスに注いだ。
トクトクトク
瓶から溢れる心地いい音が、部屋に響く。
「いいお酒をビールの入ってたグラスに注ぐんか?」
安は眉をひそませて笑った。
「いいのよ。山川じゃないんだから。洗い物、少ないほうがいいでしょ」
雪はそんな事を言いながら、自分のグラスにも注いた。
「はい、あんたと優乃ちゃんのこれからに」
雪をグラスを上げたが、「ん?」と変な顔をする安に、手を止めた。
「付き合ってって言ったんでしょ?」
「いや…」
安はのろのろとグラスを上げた。
逆に雪はグラスを下げて聞いた。
「何?一体どうなったの?」
まるで尋問のような口調に、安は渋々と口を割っていった。
「ファンクラブ?何よソレ」
雪は出そうになったため息を、お酒とともに飲み込んだ。
優乃らしいといえばそうなのだが、何とも子供っぽい。
「でも、自分から離れていってくれたのなら、良かったのかもね」
空になったグラスに手酌で注ぎながら、雪は続けた。
「ま、いいか。ここもあんたも、にぎやかな一年だったわね。あんたはフラレっぱなしで」
安は「うるさい」と言いながら、グラスを傾けた。
「あんた、色々面倒くさいのよ。相手にも自分にも。…何だか可哀想になってきたわ。大丈夫?」
「ほっとけ。振り回されたわ」
安の顔に笑顔が戻った。
残り少なくなったお酒を分け、二人はやっと乾杯した。
ひとしきりの会話。
こんな事も、なくなるのだろう。
住む所がなくなるというのは、何かにつけて全てが思い出になる。
しかし全てがいつも最後なのだ。
だから思い出は出来ていく。
突然、雪が言った。
「ねぇ、キスしていい?」
「ん…」
予想していた訳ではなかったが、安は驚きもせずに答えた。
「いいよ」
雪がすっと近づき、ためらなく安の唇に口づけた。
長い口づけだった。
「ずるい奴だな」
何事もなかったかのように、元の位置に戻る雪。
安は悔しまぎれではなく、そう言った。
意味があるのかないのか分からないが、忘れられない思い出になる。
雪はそれに答えず、安を抱きしめ
「元気でね」
と言い、「明日ね」と部屋を出て行った。
『あいつには勝てないな』
安は上を見上げて、大きく息を吐きいた。
全身の力が抜けていく。
「今夜、眠れるのかな…」
そして四月に入った最初の日曜日。
矢守の言った通りに咲いた桜が隣の家から舞い込んでくる、で愛の荘に一同が集った。
庭にはビニールシートを敷き、自作の手料理やコンビニ弁当、飲み物などを囲んだみんなー安、優乃、矢守、雪、山川、月森、久、冬美が揃って座っていた。
その中で山川が立ち上がり、プラスチック製のコップを手に音頭を取った。
「みなさん、今日を最後にここ、で愛の荘から我々は旅立ちます。ここを通じて皆さんと知り合えた事を本当に嬉しく思っています。ー言いたい事はたくさんありますが、一言だけ。で愛の荘、ありがとう。乾杯」
カンパーイ
全員がコップを高々と上げ、声を合わせた。
「山川、なかなかいい音頭じゃない。成長したわね」
「いや、ここからが本当に言いたいことでー」
山川が言いかけた所で、月森が名刺を配って回ってきた。
「四月からこっちの支店に移ったんで、預金する時とかよろしくね」
「はぁ。でも来週からこっちにいないんで、行かないかと思いますが」
山川は名刺を受け取りつつ、遠回しに断った。
「どこ行くの?」
矢守も月森の名刺をもらいつつ、聞く。
「本社研修ですよ。もう研修、研修ばっかりで。ま、いきなり現場に出してお客様に御迷惑がかからないようにって事でしょうけど」
「そうなんだ。でもよろしくね」
と、一言押す月森の隣で、冬美が安に話している。
「まだ行き始めたばかりなのに、笑顔が硬いとか、少ないとか注意されてばかりです。私の他にも六人新人が入った筈なのに、もう一人来なくなってるんです。辞めちゃったのかな」
「うーん。気に入らないかも知れないけど、相手は悪いことは言ってないと思うよ。冬美ちゃんが売れることが、自分たちの成績や売上に直結してる筈だからね」
安がそう言うと、横から月森が勢い良く割り込んできた。
「分かるわ。私もそうだったもん。だけど男の人にはちょっと愛想よくすればコロって変わるから大丈夫。冬美ちゃんなら出来るわよ。問題は同性よ。もうやんなっちゃうから」
その横では久が、
「何かよく分からないんですけど、歓迎会に引っ張りだこですよ。今日もあったんですけど、キャンセルしてきました。僕がいると、女の子が集まるとか何とか。今月の休み前とか全部、それで埋まってるんです」
と、困ったように言っている。
「良かったじゃない」
矢守が突き放すように言う。
「私の新しい引越し先二〇二号なんだけど、そんなに予定が詰まってるなら、遊びに来れないわね。みんなは来てねー」
「いえっ。ぼく行きますっ」
「みんなと来てね」
矢守は久に短く釘を刺して、雪に言う。
「隣の彼がなかなかいい男で、ちょっと楽しみ。何か間違いが起こりそうな予・感」
「ぼくが守りますっ。危なくなったらすぐ呼んで下さい」
久が強引に会話に入る。
「久くん、遠いんだから無理でしょ。それに守られたら何も起きないじゃない」
「矢守さん。そんなにぼくを心配させないで下さいよ」
まわりが笑ったところで、優乃が雪に話しかけた。
「前、雪先生が言ったみたいに、実際にやることも覚えることもいっぱいで、ポカばかりしてます。でも、で愛の荘でやった事が役に立ってたり、いろんな人がいて楽しいです。助けてくれる人もいて」
「そう。素敵な先輩はいた?」
「はい。それがいっぱいいてーキャッ」
突然、優乃が飛び上がった。
そばには茶色い小さな蛙がちょこんと座っていた。
「おいおい、出てくるには、少し早くないか?」
山川が両手でそっと包んで、立ち上がった。
「啓蟄ってすんだか?」
安の問いに山川は「終わってますよ」と答えた。
「啓蟄は三月の初めですから。安さんも知らないことがあるんですね」
「ハッハッハッ。まいったな。それなら出てきてもおかしくはないか」
答える安の横で、空中に手を動かしている優乃に、冬美が聞いた。
「優乃、何やってるの?」
「カエルよけのおまじない。効くんですよね、安さん」
安は優乃の方を見て、微笑んだ。
「でも、おまじないは、ない方がいい時もあるよ」
その意味が分からなくて、優乃は首を傾げた。
安はいたずらっぽく優乃のおでこをつついた。
「…あっ」
少し間があった後、優乃は同じく微笑みを安に返した。
「はいっ。次はおまじないなしで」
安と優乃だけが分かる会話だ。
そんな中、雪が手を叩いて立ち上がった。
「はい、みなさーん。ご報告があります」
雪の発言に、みんなが話を止めた。
「私こと薮田雪は今朝、離婚届を提出し、晴れて独り身となりました」
「えっ!」
「エェッ?!」
「!!??」
知っていた安を除き、みんな大騒ぎだ。
パシャッ!
びっくりしたみんなの顔を撮った雪は、くすくす笑った。
「いい写真が撮れたわ。ありがと」
「どう言うことですか?」
「離婚は本当なの?」
「本当よ」
「まいった、負けましたよー」
安の荷物を積んだトラックが、で愛の荘の庭に停まっていた。
もう誰もいない。
みな、新しい一年が始まっている。
みんなの部屋を確かめて、安は最後に自分の部屋に鍵をかけた。
「さて、ばあちゃん家に、返してくるかな」
安は軽トラの運転席に乗り込んだ。
桜の花は、まだこれからだ。
「みんなで集合写真撮ろっ。すみませーん」
月森が、で愛の荘の前を歩いていたおばさんに声をかけた。
「さすが月森さん。こっちの返事も聞かずに決定か」
「でもあの行動力はさすがコスプレ女王ね」
「みんな、で愛の荘の前に並んで」
毎週、毎月のように集まって、何かやったみんな。
それも全て今日限り。
そのみんなで写った初めての、たった一枚の写真。
思い出は全部、この一枚に写っている。
最後の一日だった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
その後のみんな
「あの時、私、久ちゃんにフラれたんだよね。凄くショックだったんだから」
優乃の言葉に久は息を呑み、そしてニコッと笑った。
「優乃ちゃん…、ぼくたち両思いだったの?」
「えっ、違うけど…。昔のことだよね。まあいいや、乾杯しよ」
微妙な間が流れた所で、有田がグラスを持って割って入った。
「久ちゃん、彼女出来たの?」
「う、うん。ま、まあね」
有田の率直な問いに、久は首を半分だけ頷かせて答えた。
強引に迫ってくる会社の先輩の顔が浮かんでくる。
「会社の先輩でしょ。OKしたんだ」
久の心が読めるのか、瀬戸が言った。
「えぇっ。どうして知ってるの?」
久だけでなく、全員が驚いた。
「私の先輩だもん」
当たり前のように言うところが、また怖い。
「瀬戸って、変な情報網あるよね」
清水がすっと体を引き、横目で見ながら言った。
「何しに来たのよ、安」
一年ぶり会いに来た安に、雪はいつものように言った。
「お前が寂しがってないかと思ってさ」
「子供じゃないんだから…」
寂しいのはあんたでしょ、という言葉を雪は飲み込んだ。
「子供はお前や。コーヒーばっかり飲みやがって。ほれ、土産のコーヒーや」
「私が好きになった男は、私のこと好きじゃないといけないのっ」
山川は悲しそうに冬美を見た。
それでも山川は口を開きかけた。
「ダメッ」
冬美は強く止めた。
「あんたの話なんか聞かない。私のこと、好きにさせてやるんだから」
そう言うと冬美は突然、山川にぎゅっと抱きついた。
「ダメだから。許さないから。私がいいって言うまで、そばにいてもらうからね」
山川の胸に顔を埋め、冬美は言った。
「今日は許してあげる」
『勘弁してくれよ』
幾つもの意味のこもった言葉だが、それが口に出せない山川だった。
「あれぇー」
警備服姿の東がイベント会場の前で、声をかけた。
「珍しい。何年ぶりだい。月森さん、梅田くんも一緒じゃないか」
「東さーん。お久しぶりですー。元気でした?」
「東さん。相変わらず、お元気そうで」
月森のあとに、梅田が続いた。
「君たちより先には、くたばらないよ」
東は上唇をなめ、からからと笑った。
「安さぁーん、来ちゃった。今、家の前にいるんだけど」
見知らぬ電話番号に出た安の携帯から、突然矢守の声が聞こえてきた。
「おまっ、何で電話番号知ってるんだ。いやっ、住所までっ」
安は立ち上がり、思わずカーテンを閉めた。
「それより、ドア開けてー」
玄関がどんどんと鳴り、矢守の声がする。
「こらっ。帰れっ」
安は、ばたばたと慌てながら叫んだ。
「安さんごめんなさい。矢守さんがどうしてもって」
電話口から優乃の声が聞こえてきた。
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「ありがとう」




