第七十話 雪の人助け
第七十話 雪の人助け
「あぁ、運転手さん。この坂、上がった所だで。ホレ、この年になるとこんな坂、よう上れんで助かるわぁ」
「ここは見晴らしがいいところですね。もう着きますよ、ここでいいですか?はい、着きました。ありがとうございます」
運転手は車をゆっくりと停めると、ドアを開けた。
「ありがとさん」
「こちらこそ、ありがとうございました。お気をつけて」
お客が降りると、タクシーはすっと発進して住宅街に消えていった。
「ふあっ」
雪は大きくあくびをして、「うーん」と体を伸ばした。
だんだんと暖かくなってきた昼下がり。
いい気持ちで昼寝が出来そうだ。
ただでさえ頭をしぼるネタ出しの作業中だ。
現実逃避したい気持ちは、いくらでも出てきた。
窓からいい風が入ってくる。
雪はウトウトっとし、机に突っ伏した。
何分ぐらい経ったのだろう。
窓からの風に起こされて目を覚ますと、で愛の荘の庭でウロウロしている人影が視界の隅に入ってきた。
見てみると地味だが、なかなか渋い色合いの着物を着た小柄なおばあさんだった。
「誰?」
雪はしばらく行動を追ってみた。
見ていると庭の隅に行ったり、木々を眺めたりと我が物顔でちょこちょこ動き回る。
それにしては見覚えがない。
「ボケ老人?」
雪は呟きながら、席を立った。
本当にそうなら、明るいうちに警察に連絡して引き取ってもらった方が、あの人を探している家族の人たちも安心するだろう。
雪は階段を降りて外に出た。
「どうかしました?」
あの台風で折れた木を眺めていた老人に、雪は声をかけた。
「んん?あぁ、こんにちは」
おばあさんは振り返って、ゆっくりと挨拶をした。
「この木も大きくなったもんだねぇ。昔はもっと小さかったに。それがホレ、あそこ大きく折れとるがね。かわいそうにねぇ。痛かったろうに。ここも変わったわ。姉さん、ちょっと疲れたで、中で休ませてもらえるかね。ホレ、空いとるんじゃろ、部屋」
昔、住んでいたのだろうか。
それにしても図々しい。
『前ここに住んでたけど、ちょっとボケちゃって老人ホームに入ってた人かも』
「ここに住んでたんですか?」
雪は聞いてみた。
するとおばあさんは大きく手を振った。
「なーに言うとるの。住んだことなんかありゃせんて。だけどここの事はよう知っとる」
おばあさんは大きな態度でそう答えると、雪を無視して中に入っていった。
「ほぉ、きれいになっとるがね。あんた、他に住んどる人はおらんの?」
従者のように後から追ってきた雪に、おばあさんは振り向いた。
こんな時に限って丁度、安はいない。朝から軽トラに荷物を載せて出て行っているのだ。
いれば「あとよろしく」と、丸投げしていただろう。
矢守も昼前に新しい、で愛の荘に行ってくるとか何とかで、いない。
「まぁ、今は私だけですけど。本当は全部で三人います」
厄介な人かも思いつつ、雪は正直に答えた。
『近所に住んでた人かな?』
それなら何となく話は通りそうだ。
『うーん…小さい頃、引っ越した友達が十年ぶり帰ってきて、今はすっかり変わってしまった幼馴じみと会う。お互いがお互いと分からないまま意識しあって、ある時に気が付く…このネタ、ひねれば使えそうね』
また仕事モードでネタを考える雪に、おばあさんが再び聞いてきた。
「小ぎれいしとるの、あんたかね?」
「はっ?えっ、何ですか?」
ネタを考えていた雪は、聞き直した。
「あんたが、ここを掃除しとるのか」
おばあさんはまるで年寄りに言うように、ゆっくりと言い直した。
バカにされているような気がしなくもない。
「あぁ、いえ。私ではなく、他の者がやっているようですが」
「だろうね。あんたはやらん顔しとる」
ぷいっと顔をそむけ、失礼なことを言う。
「んで、空いとる部屋はどこ?」
不機嫌なのか、そう言う顔なのか、おばあさんはニコリともせずに聞いた。
全く横柄な態度だが、もしかしたら感情の線が一本ぐらい切れているのかも知れない。
そう思うと、仕方ないかと思えてくる。
『かわいそうに。そんな風だから、家族に見捨てられて老人ホームに入れさせられたのね。…無理矢理、病院に入れさせられた男と看護師が言い合ったり、処置を通して交流するうちに気持ちが芽生えて…こんなのもありかな』
だが、これでとりあえずのネタが二つ浮かんだ。
忘れないうちにメモしておこうと、雪が階段を上がると、おばあさんも案内してもらえると思ったのか、後から「どっこいしょ」と階段を上がってついてきた。
『あっ、そうだった』
雪はハッと思い出すと、一段一段上がってくるおばあさんに「あっちの一番奥の部屋だから」と指をさし、自分は部屋に入りメモを取った。
ひと通り書き終わった後、雪は再び廊下に出ておばあさんの様子を見に行った。
おばあさんは丁度、部屋に入る所だった。
「壁がないがね。こりゃどうなっとるの?」
おばあさんは、雪が後から部屋に入ってくると、驚きながら聞いてきた。
台風で屋根に穴が空いて、雨漏りして、住んでた人が引っ越して、安がー。
そういう話をしても、このおばあさんには関係がないし、分からないだろう。
雪はテキトーに話を作った。
「ここ、もうすぐ壊すんで、業者がとりあえず壁の一部を取っていったんです」
「ほお、そうかね。で、水は出るんじゃろ。水飲ませてくれんかね」
壁の話をそのまま信用したのか、おばあさんはぺしゃんと床に座った。
「この年になると階段も辛いで。ホレ、ここも坂の上じゃろ。歩いては来れんわ。まー年取ると、何でもあかんようになる」
ここまで階段を上って、疲れたと言うことらしい。
雪は仕方なく自分の部屋に戻り、ペットボトルのコーヒーを持ってきてコップに注いで渡した。
「ほっ、コーヒーかね。あんた気が効いとるの。はー、生き返ったわ。ごちそうさま」
おばあさんは両手を合わせて拝むように言った。
「ここは、こんな風だったかねぇ。ずいぶん見とらんと何もかも忘れてまうわ」
おばあさんはしみじみと部屋を見渡し、外の景色に目を向けた。
『恋人だった二人。ある事故を境に、一人がそれより前のことは忘れてしまう。恋人同士であったことも忘れられてしまったが、もう一人が苦悩の末、新しく関係を築いていく。しかし、ある景色をキッカケに思い出して…。ありそうなね。ボツだわ。だけどこのおばあさんといると、ネタが浮かんで来て助かるじゃない…って、こんな人の世話なんか出来ないわよ』
雪はハッと思い返した。
まずは自分で帰れるか聞いてみなくては。
雪は隣りに座って、優しく声をかけた。
「おばあさん、どこから来たんですか?」
「あぁ?」
おばあさんは、面倒くさそうな目つきを雪に向けた。
「あの、どちらから?」
雪はムッとしながらも、もう一度優しく聞いた。
「アダチだよ」
「あっち?ですか?」
年寄りのしわがれ声でよく聞こえなかったが、あっちとはどっちなのか。雪は窓の方を指して聞いた。
「何しとんの。あだちだよ」
逆におばあさんが雪に教えるように、ゆっくりと言う。
「あだち、ですか」
雪が繰り返すとこくりと頷く。
それだけ言えば充分だと言わんばかりだ。
『あだちって東京都の足立区?そんな所から来るなんて、徘徊老人なの?ちょっとどうしよ…徘徊?…旅行ー自転車日本一周旅行中の男の子と出会う。その子が足にケガをしていて一週間家に泊めてあげる。その間に…このネタいけそうね。違う違う。それよりこのおばあちゃんよ。この辺にアダチ何て地名あったかな…』
雪が頭を回していると、おばあさんがつぶやくように言った。
「こんなボロい所に」
「えっ?」
雪は何か住んでいる所でも言ってくれたのかと思って、聞き直した。
「こんなボロい所によう住んどるねぇ」
おばあさんはあきれたように続けた。
「不便じゃろが。今どきこんなとこ」
「えっ」
ピッと腹がたった。
親切にする義理もない、自分の事も話さない、横柄な態度を取る。にもかかわらず、一応の礼儀として対応しているのに、そんなことを言われる筋合いはない。
雪は思わず言い返した。
「不便でも何でも、私が好きで住んでるんです。嫌だったらとっくに出て行ってますよ。おばあさんには分からないでしょうけど、ここに住んでる人、みんな友達なんです。ここでみんなと騒いだり、集まって食事したり、そんな所ほかにありますか?家主の都合でここ、壊されちゃうけど、すっごく残念。おばあさんが住んでいるような所とは違いますけど、私も、引っ越していった人もみんなここの事、好きなんです」
雪は一気に言い立て、パタッと口をつぐんだ。
おばあさんは無表情で聞いている。
言うだけバカバカしくなった。
「おばあさんには関係のない話ですね。ごめんなさい。でも見かけだけじゃないの。住んでみないと分からない事もあるって事が言いたかったんです。おばあさん、家分かりますか?分からなければ警察呼んでみますよ」
「何言っとるの。まだボケてないわ。ちゃんと帰れるで」
おばあさんはよっこらしょと立ち上がり、ペコリとお辞儀をした。
「悪かったね。あんたの住んどるとこ、悪ぅ言って。そうかね、あんたはここが好きかね」
「みんなそうだと思うわ。もう引っ越して、ほとんどいないけど」
雪は顔をそむけた。
「最後にえらく愛されたの、ここは。で、あんた家賃は?」
おばあさんは急に嬉しそうな顔をして、家賃の事を聞いてきた。
雪はそのギャップに戸惑いながら答えた。
「あっ、ここ、いろいろあって今、タダになってるの。だから好きって言ったんじゃないですよ。ちゃんと水道代だってガス、電気代だって払ってるんだから。でも洗濯機は共用でコンロも旧式なものしかないし、不便は不便。他の人には勧められない所。台風でいつ飛ばされるか分からないし」
「結局、何なんだね」
おばあさんはシシッと短く笑った。
「そんな台風で飛ばされるような所が好きだとはねぇ。ええ事、聞かせてもらったわ。ありがとさん」
おばあさんは「帰るわ」と部屋を出ると、すぐに振り向いた。
「あ、あんた。階段、手貸してくれんかね。ホレ、下りるのは怖いで」
「ーそういう訳よ」
帰ってきた矢守に、雪は事のあらましを話した。
「ちゃんと帰れたの、その人」
矢守は心配そうに聞いた。
「途中で倒れられても気分が悪いから、駅までついて行きますって言ったら、携帯でタクシー呼んで帰って行ったわ」
雪は「何だったのよ、あの人」と怒ったように言った。
「ふーん」
何だかよく分からないおばあさんである。
「一体何しに来たんだか」
雪は吐き捨てるように言った。
「あっ」
しばらくして矢守が声を上げた。
「アダチって、地名じゃなくて苗字じゃない?」
「どう言うこと?」
「詳しく覚えてないんだけど、家主だと思う。私も一回か二回しか会ってないけど、確か着物姿のおばあちゃんで、アダチとかワダチとかの苗字だった気がするわ」
「えっ、大家?結構言いたいこと言っちゃった。…いいか。もう会わないし」
「雪先生、どうせならもっと言ってくれれば良かったのに」
「何を?」
「ここ、いろいろ直したの私たちですよ。修繕費下さいとか」
「直したのは安たちが…でも言っておけば良かったかもね。いくらかくれたかも」
が、そう言ってそれはないだろうと、二人は笑った。
「あのおばあさん、話してると何故かネタが浮かんでくるのよ。その意味では便利だったわ。残念」
「なら、養子に入ったら?私にも時々貸してね」
ネタが浮かんでくるほど便利なものはない。矢守もそれには頷ける。
「嫌よ。性格悪そうだもの」
そう言うと矢守が、ぷっと吹き出した。
「たまにはいいじゃない。人助けしたって思えば」
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次回予告
優乃ぉー
いつまで寝てる…
お母さん、おはよう
あら、早いわね
一年、一人で生活すると変わるわね
もう、何回それ言うの
そんなに慌てて食べなくても
時間がないの
しっかり食べないともたないわよ
今日も遅いんでしょ
新人はそういうもの
ごちそうさま
行ってきまーす
もう、予告もしないで
じゃあ、私がかわりに…
「いつ来ても私、準備OKだからね」
「まだ仕事してるのか?」
「危なくなったらすぐ呼んで下さい」
次回第七十一話 お別れの前に
母さん、それ予告になっていないぞ
あら、お父さん




