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第六十九話 引越し前の告白

第六十九話 引越し前の告白



 安はいつものように舞い上がっているようだった。


 その様子に優乃は姉ー佳乃に軽い嫉妬を覚える。


 だがそれも今は仕方ないと、優乃は受け入れていた。


 三月の下旬。


 優乃の引越しは、明日だった。


 そんな中、お昼前に佳乃が突然お世話になった人に挨拶を、とやってきたのだ。


 どうして、と聞くと、去年の四月の引越しの時、来られなかったからだと言う。


 月森はすでに行った後で、山川もいない。来るなら山川が引っ越す前に来るべきだと思うのだか、姉にもいろいろ予定があるのだろう、仕方がなかった。


 佳乃は保護者よろしく優乃を連れて、雪と矢守にお世話になりました、と挨拶をし、最後に安の部屋に行った。


 突然の訪問に安は驚いたようだったが、佳乃が今までのお礼代わりに食事でも、と誘うと、安は二つ返事で了解したのだった。


 街に出て、ちょっといいイタリアンレストランに入る。


 「イタリアンですか」


と、安が少しばかり含みのある口調で言った。


 「お嫌いですか?」


 佳乃が微笑みかけた。


 「いえ、イタリアンって、庶民料理なんですよね。どういう訳か日本ではこんな高級っぽく扱われていますが、そのギャップがちょっと…。料理その物は嫌いじゃないんですよ」


 安に言わせると「パスタ」は「焼きそば」で、「ピッツァ」は「お好み焼き」と言うことらしい。


 それに対してこんな値段を取るのはおかしいし、もっと気楽に食べさせろと言うことだった。


 「すいません、変なことしゃべって」


 安は恥ずかしそうに頭を下げた。


 「いいえ。安さんの言うことも分かるわ。「パスタ」も「ピッツァ」も「粉モン」ですもの。でもそのうちに、海外で「焼きそば」や「お好み焼き」が、日本の高級料理として定着する時が来るかも知れませんよ」


 佳乃は大真面目に答えた。


 「それは、ありませんよ」


 安は笑いながら否定した。


 「あら、そうかしら。お寿司だって庶民の回転寿司と高級お寿司屋さんと別れたぐらいだから、海外むこうでもそうなっておかしくないし、日本のイタリアンもそのうちそうなるかも」


 「なる程。それはあり得ますね。そう言えばそんな所も聞いたことがあります」


 佳乃の言葉を聞きながら、安は嬉しそうに頷いている。


 そんな二人のやり取りを、優乃は口を挟まずに見ていた。


先日のホワイトデーに、お返しと言って二人で食事に行った時とは違う安だった。


 あの時から安は、素を見せてくれるようになった気がする。


 『安さん、楽しそう』


 だが別れが近づき、考えてきた事があった。


 この一年間で安に惹かれたのは事実だ。


 しかしその気持ちはいつも自分からの一方通行で、安の気持ちを受け取っていなかったと思うのだ。


 自分といる時に、今のように楽しそうな安の記憶が実はあまりない。


 いつも自分の気持ちでいっぱいだった。


 今になって冷静に安を見られるようになったがー。


 「お待たせしました」


 ウエイトレスが、優乃の思いを止めた。


 大皿のピッツァが二枚と、パスタ皿が一枚。


 佳乃が注文したワインも並んだ。


 三人で乾杯だ。


 ピッツァを切り、パスタを取り分けて食べる。


 今度は二人の会話に優乃も参加した。


 佳乃の仕事の話や優乃のこれからのこと、安の嬉しそうな相槌。


 安の視線は佳乃に向くことが多い。


 でも優乃に向けられる時の視線は、佳乃には向けられない飾らない素の色がある。



 先日の安と二人で食事の時、安は意外にも謝ってきた。


 「ごめん、優乃ちゃん。今まで優乃ちゃんの事、ちゃんと見ようとしてこなかったよ。もうすぐお別れだけど、やっとそれに気付いていね。ちゃんと謝っておこうって思ったんだ。チョコ、美味しかったよ。ありがとう」



 やがて食事も終わり、食後のコーヒーとデザートが出た。


 「安さん」


 デザートスプーンを持つ手を止め、優乃が真顔で安を呼んだ。


 「ん」


 安はコーヒーカップを置いた。


 何か大事な話なのだろうか。


 安はワインの軽い酔いもあって、笑顔で優乃の話を聞いた。


 「私、最近ずっと考えてきたんです」


 「うん」


 「この前、安さんと二人で食事に行った時、とても楽しかったです。もうすぐお別れですから、本当に大事な思い出になりました。ありがとうございます」


 「いや、そんなに大げさな事じゃないと思うけど。でも楽しんでもらえたのなら、僕も嬉しいよ」


 「それで…」


 優乃は一息入れた。


 優乃が何か大事な事を言おうとしているのが、安にも佳乃にも分かった。


 「それで、いろいろ考えたんです。私、安さんから卒業します」


 「…?!」


 今まで笑顔で聞いていた安の表情が固まった。


 『卒業ってどう言う事だ?アイドルの卒業ってのはあるが…。あれ、遠回しにフラれたって事か?いやいや、バレンタインデーでそんな告白も、ん。いや、別に付き合わなくたってフラれる事はあり得るが、こっちからお願いしたわけじゃないのに、どうなってるんだ?ん?ん?』


 安の頭がぐるぐる回転する。


 「だから、この前も今日も、本当に楽しかったです。私もっと大人になって、きちんと見てもらえるお姉ちゃんぐらいの魅力を持ったら、その時、安さんに告白します」


 「まぁ、そんな事言って」


 佳乃はおどけ、そして優乃に声援を送った。


 「そうね。しばらくは新しい所にも慣れなきゃいけないし。優乃の夢の第一歩だもんね。少し大人になったじゃない。大丈夫よ。でも私には追いつけないと思うケド、ね、安さん」


 「…えっ、あぁ、あぁ、そうですね」


 付き合う前に、しかも佳乃の目の前でフラれたショックは大きかった。


 『こんな時、どんな反応したらいいんだ。フラレンジャーの本、よく読んでおけばよかった。バカッ、フラレンジャーじゃないだろ。あっ、でも…』


 安の心の動揺とワインの酔いは収まらなかった。



 駅で佳乃と別れ、二人は、で愛の荘への坂道を並んで歩いた。


 「安さん。さっきも言いましたけど、この前の食事、本当に楽しかったです。あの時、安さんに私のこと見ようとしてこなかったって言われて分かったんです。私まだまだ子供だって。安さんが、お姉ちゃんの方に目が行ってしまうのも当たり前だなって」


 「あ、いや…」


 安は言い訳をしようとしてやめた。


 だからこれから優乃を真っ直ぐに見ようとしているんだ、と言っても付き合うということではないのだ。言葉の誤解を解いた所で、優乃にもう一つ辛い思いをさせる事はあっても、何も変わらないのだ。


 「だから私、勝手に安さんを卒業しましたけど、あっという間に大人の女性になって、安さんの一人ファンクラブを作って会長になりますから」


 優乃の表情はまぶしいくらい明るかった。


 安はそれに合わせて笑った。


 「会長なら、特典いっぱいでやりたい放題だね」


 「はい。でもうちのファンクラブは節度を持って行動しますから、食事会は開いてもストーカーみたいな行為はしませんよ」


 「はははっ。それはありがたいな。じゃ公式認定しないとね」


 「ありがとうございます」


 二人の笑い声に驚いて、で愛の荘の庭で遊んでいた雀が驚いて飛んでいった。


 で愛の荘に着いて安と優乃は、それぞれの部屋に戻っていった。



 優乃は部屋に入ると、ほっと腰を下ろした。


 伝えたいことは伝えた。


 自分の気持ちに嘘は、ない。


 ポロリ


 それでも涙がこぼれた。


 これでここを引っ越したら、安とは会えなくなる。


 優乃はクッションに顔をうずめて、泣いた。



 コンコン


 しばらくして気持ちの落ち着いた優乃は、安の部屋の戸を叩いた。


 「はい」


 やや間があって、中から安が戸を開けた。


 レストランで飲んだワインがまだ残っているようで、幾分ぽーっとしている。


 優乃は


 「あの、紅茶いかがですか?いいお茶が丁度二杯分残ってたんです」


と、自分の部屋に誘った。


 「あ、うん、ありがとう」


 安は、やはり間の抜けた返事をしたが、部屋に来てくれた。


 紅茶はいつか冬美と一緒に買ったものだった。


 あれから紅茶器セットなど揃えてもいないが、あるものでも美味しく出せるようになっていた。


 お湯を沸かし、茶器を温める。


 もう慣れたものだ。


 茶器が温まった所でお湯を捨て、あらためてお湯を注ぐと、先に入れた紅茶の葉から甘い香りが立ち上がってきた。


 その香りを逃がさないように、蓋をして閉じ込める。


 「安さん、もうすぐ出ますよ」


 優乃が振り向くと、安はさっき優乃が顔をうずめたクッションを抱えて寝てしまっていた。


 優乃は何故かホッとした。


 そっと安のそばに寄る。


 『温泉の時は、見えなかったもんね』


 優乃は夏の温泉旅行を思い出した。


 ちょっぴりHでショックな事もあったが、料理は美味しかったし、楽しかった。


 あの時、安より先に寝てしまったのは残念だった。


 しかし、今こうして安の寝顔をまじまじと見られる。


 『カッコイイんだか、悪いんだかって矢守さん言ってけど、確かになー』


 優乃はふふっと笑った。


 『お姉ちゃんの前では別人だし、でもそんなトコも全部好き』


 優乃は安をじっくり見た後で、ツンツンと安の頬をつついた。


 「安さん、起きて下さい。紅茶、出すぎちゃいます」


 もう一度安の頬をつつく。


 すると安はようやく目を開けた。


 「あ、優乃ちゃん。ゴメン」


 目をしばたかせて、クッションを置く。


 優乃は紅茶を出し、安に手渡した。


 「ふぅ、落ち着くねぇ」


 安は紅茶をゆっくりと飲んでしみじみと言った。


 「今日のお昼は、少し飲み過ぎたみたいだよ」


 安は最後の一口を飲み干し、残り香を味わうようにゆっくりと息を吐いた。


 優乃も安と一緒に紅茶を楽しんだ。


 「安さん。指切りしましょう」


 優乃は小指を出した。


 「えっ、何のだい?」


 「いつか私が安さんの公式ファンクラブを作ることと、安さんがそれをちゃんと認定するって事の約束」


 「約束かー」


 安は笑いながら小指を出した。


 優乃は安の小指とからめ、歌った。


 「♪ゆーびきりげんまんー」


 明日、別れたらもう会う時もなくなってしまうかも知れない。


 そう思うと、この指は離したくなかった。


 だが、卒業したのだ。


 優乃は自分に言い聞かせると、笑顔で指を離した。


 ♪ ゆーびきった


 「安さん、約束しましたからね」


 「あぁ」


 「ありがとうございました」


 「こちらこそ。紅茶、ごちそうさま。美味しかったよ」


 安が帰ったその後で、優乃は小指の感触を思い出すのだった。



 翌日、優乃の部屋はダンボール箱で埋まっていた。


 引越しの準備だった。


 空いている箱に荷物を詰めていく。


 必要だと思っていたものがいらなかったり、無くても大丈夫と思っていたものが必要だったりした。


 思い出と共に詰め込んでいく優乃。


 その部屋の片隅には、ここに持ってきたっきり開けていない箱が四つあった。


 一つは本。


 お気に入りの本だったが、新しいことを覚えるのにいっぱいいっぱいだった。


 一つは服。


 もっとオシャレなトコに行ったりするかもと思っていたが、部屋もボロ(ここ)で、動きやすい服しか着なかった。


 あと二つは宝物とぬいぐるみだ。


 今まで宝物だった物は、もう宝物ではなくなっていた。


 もっといいものを、ここでもらった。


 山川がくれた高そうなものから、矢守からもらった扱いに困るものまで。


 高くても、いいものじゃなくても、今は優乃の宝物だ。


 安からはいろんなものをもらった気がする。


 初めて安が山川と一緒に来た時は、変な二人組だと思っていた。


 しかしで愛の荘(ここ)の雨戸の修理や、いつものパーティーなど、毎月何かしらの出来事で形にならない事をいっぱい教えてもらった。


 急にいなくなり、びっくりして雪に泣きついた事もあった。


 一つ一つ思い出せば、キリがないくらいだ。


 昨日、最後に約束の指切りもした。


 外は気持ちのいい青空だ。


 『で愛の荘(ここ)、楽しい所だったな』


 優乃は昨夜、安が抱きしめて寝ていたクッションを、宝箱という名の真新しい段ボール箱に丁寧に収めた。



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



次回予告



 雪先生、矢守さん、安さん、ありがとうございました

 いろいろお世話になりました


 優乃ちゃん、泣かなくていいのよ


 少しも泣いてないんですけど


 少しぐらい泣きなさいよ、付きものでしょ


 まだみんな揃ってのお別れ会があるからね


 はい

 引越し、最後まで手伝ってもらって、ありがとうございました


 地元のラジオ局、頑張ってね


 はい

 それじゃあ


 優乃ちゃん、ちょっと待って


 はい、ん、これ何ですか?


 これ、僕の携帯番号と今度の住所

 仕事で無理矢理持たされてね

 未来の会長さんには、知らせておかないとね

 また、会えるかな


 …はい!

 連絡します、絶対…グスッ


 あ、安が優乃ちゃん泣かせた


 引越しに涙は付きものなんでしょ



 次回第七十話 雪の人助け



 次回の話、何にもしてないぞ


 安、寂しいんでしょ


 ふふ、まぁな


 あんたも少しは、大人になったわね

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