第六十四話 大人の勉強
第六十四話 大人の勉強
気合十分で臨んだオーディション。
さすがにメジャーな局だけあって、受ける者も数多くいた。
優乃は気合の分だけ自信があったが、人数の多さを見てその自信も半分になってしまっていた。
順番を待っているうちに、緊張が高まってきた。
「次の方」
優乃の番が来た。
優乃は反射的に返事をして、立ち上がった。
オーディション後、数日経った所で優乃は職員室に呼ばれた。
担任の講師は、優乃が来ると声を落し気味にして聞いた。
「神藤。この前の局の結果どうだった?」
結果はすでに来ていた。
優乃は「はい」と返事をしたが、講師と同じく小さめの声になっていた。
「残念ながら落ちました」
「そうか、すまん」
講師は自分が悪かったとでも言うように詫びた。
「あ、いえ、こちらこそ。すみませんでした」
優乃も思わず頭を下げた。
「次は確か…」
「はい。地元のラジオ局のオーディションです」
優乃はあまり乗り気のしない声で答えた。
講師はいろいろと慰めてくれたが、優乃は適当に返事をして職員室を出た。
「どうしよう」
で愛の荘に帰り、優乃は一人になって考えた。
本命のメジャー局以外に行く気はなかったのだ。だが落ちた以上、どうするか決めなくてはならない。一応、次のローカル局の方も応募はしてあった。
出来ればもう一年頑張って本命を狙いたい。しかし、来年も募集があるかどうかは分からない。
だが応募はしたローカル局。受かれば蹴ることなど出来ない。そうすればもう、この仕事には就けなくなる可能性が高い。そういう世界だ。
今なら風邪とかの理由で受験しない手もある。
どっちがいいのか。両方試せればと思うのだが、それは出来ない。
岐路に立った時全ての人が、きっと同じように思うだろう。
悩む時間も、もうない。ローカル局オーディションの日は間近なのだ。
『どうしようなかぁ』
答えが出せない。
両手を頭に乗せて考えていると、机の片隅にリボンのシールがついた可愛い紙袋が目に入った。
矢守からバレンタインにもらったものだった。
矢守らしくプレゼントは、Hな本だった。
矢守のマンガも少し載っていたが、それ以上に大人の恋の話がたくさん載っていた。
優乃にはそんな話は刺激が強すぎて、パッと見ただけでそれ以上読んでいなかったが、先日の友達との会話でいろいろ大人の事情や、男のコトを勉強した。
聞いただけで実際は分からないが、免疫がついたのは確かだ。
優乃は気分を紛らわせようと矢守からのプレゼントを、今度はちゃんと読んで見みることにした。
『みんないろいろ知ってたもんなー。私、デコキスくらいで騒いでて子供じゃない。この本にもそんなことで騒ぐ所なんて、ドコにも出てこないし』
この前の集まりの時もそうだった。
キスはしたか、しないかではなく、上手いか下手か、それ以上行ったか行ってないかで、優乃のように乙女チックな話題はかすることすらなかった。
聞いていると冬美も、そこそこ経験あり気な話をしていた。
『だってさー』
優乃は自分の胸を見た。
『相手がこの武器にキョーミないんだから、仕方ない』
優乃は胸をピンと指で弾いた。
『安さん、胸とかスタイルより、年上が好みっぽいしー』
春は目の前で、桜前線の話題がニュースでもちらほら出ていた。
部屋も底冷えしなくなっている。
暖かな季節は近付いているのに、優乃の心にはまだ花が咲かないようだった。
優乃は大きく伸びをした。
「いっかー。自分の気持はちゃんと向き合ったし、伝えたから…。考えたって答え、出ないもんね。いいや、もー」
優乃は春を寝て待つべく、バッタリと大の字になった。
「優乃。私、内定取れた」
翌日の学校帰り、冬美が優乃に話した。
「うわぁ、おめでとう」
優乃は驚きながら、冬美を祝った。
大きくはないが、結婚式の司会やイベントのアナウンスの仕事が多い事務所だ。
優乃と道は違うが、嬉しくも羨ましい。
冬美は「ありがとう」とお礼を言いながら、「優乃は?」と聞いた。
「うん」
優乃はあいまいな返事をした。
答えはまだ出ていなかった。
優乃が、で愛の荘に帰ると、庭の隅で意外な人物が何かやっていた。
「山川さんっ」
優乃は驚いて駆け寄った。
「何してるんですか?もう四月まで会えないと思っていましたよ」
山川は釘抜きや金槌などの大工道具を手にしていた。
「優乃ちゃん、久しぶり」
山川は少し照れたように振り返った。
「そんなに久しぶりでもないですけど」
「まぁ、それはそれ。この前引越した時、トラックのミラーにこれがチラッと映ってね。どうしても気になって来たんだよ。惜しいなぁ」
山川が触っているのは、大八車だった。
今それを分解しながら、まとめている所だった。
「本当なら博物館にでも持って行きたい所なんだけど、そんなものでもないし、使いたいと思っても使うアテも需要もないし。このシンプルな構造にして大きな積載量、惚れ惚れするよね。それをこうして壊していくのは悲しいよ。この大八車の進化型がリヤカーなんだよ」
優乃が「そうですか」と頷くと、山川は手を止めて本格的に話し始めた。
「リヤカーはね、人でも自転車でも引いていけるように工夫された、実は今でも一部で使われている素晴らしい物なんだよ。大八車と違って構造がー」
優乃は山川のウンチクをニコニコと聞いていたが、終わりそうもないその話に疲れてきた。
「ところで、山川さん」
優乃はそう切り出して、山川の話を止めた。
「池、なくなってますね」
随分ウンチクをしゃべらせてもらった山川は、止められても機嫌よく返した。
「あぁ。元はと言えば俺が個人的に作ったものだからね。引っ越すならちゃんと片付けておかないと。それに優乃ちゃんが作ってくれた、あれもね」
山川は洗濯機の雨よけを目で指した。
「今日はやらないけど、これも分解して洗濯機も中に入れたらどうかなって思ってるんだ。一台だけ廊下に入れて、残りは俺の部屋に入れてー」
「そこまでしなくてもいいんじゃないですか?」
優乃はありがたいけど、困るなぁと思った。
その優乃の微妙な表情に気付いたのか、山川は二階の部屋を見て一呼吸置いた。
「うんまぁ、そうかも知れない。安さんの忍者部屋みたいにやり過ぎかな。でもね、お世話になった大切な場所だから、最後まで関わっていたいんだよ。出来ればきれいな状態で返したい、終わりたいと思って」
『関わるか…そうだよね』
優乃にも山川の気持ちは何となく分かった。
優乃も出来ることならみんなと、で愛の荘にずっと住みたい。
が出なければならないのなら、取り壊されるにしてもきれいにして出て行きたかった。
「山川さん、実家よりこっちの方がいいですか?」
優乃も大八車の分解と整理を手伝いながら聞いた。
「そりゃあ実家の方が楽は楽だけどね。俺はやっぱりこっちがいいよ。あ、今度ウチ来る?」
「いいんですか?」
山川の突然の誘いに、優乃は「行きます」と即答した。
「うん。みんなでおいでよ。そう大した事は出来ないけど」
夜、優乃は安と矢守にその事を話した後、雪の部屋に行った。
「雪先生、いいですか?」
「どうぞ」
戸を開けて中に入ると、原稿の前に頭を抱えている雪がいた。
「すみません、仕事中に」
「いいのよ。丁度、気分転換しようと思っていたトコ。で、何?」
「はい」と優乃は頷くと、山川の家に誘われた話をした。
「そういう事なんですけど、雪先生の都合はどうですか」
「そうね、大丈夫よ。締め切り前じゃなければ、一日ぐらい空けておくわ。どっちにしても今月分の原稿は終わらせたから、大丈夫なんだけど」
「今やってたのは?」
「あぁ、これ。来月分。引越しがあるでしょ。その事、考えて先にやってるの。年末進行みたいなものよ」
年末進行の事はよく分からなかったが、優乃は頷いた。
「あのっ」
優乃はしばらく間をおいた後、思い切って切り出した。
「実は、近々ラジオ局のオーディションがあるんです。でも、入りたい本命があって、受けたんですけど落ちちゃったんです。来年もう一年頑張って本命受けるか、今度のローカルのラジオ局受けるか迷ってるんです。雪先生ならどうしますか?」
「どうするって、好きにすればいいんじゃないって答えたいけど。安には聞いたの?」
雪はちょっと身を乗り出した。
「いえ、安さんじゃなくて、雪先生の考えが聞きたいんです。雪先生もマンガ家になる時に悩んだりした事があると思って」
優乃はそこまで言って、視線を落とした。
「今日、山川さんと話していて、関わるって言葉がすごく気になったんです。どうしたらこの世界にずっと関わっていけるのかって考えたら、分からなくなっちゃって。でも関わっていきたいって思ってるんです」
優乃は再び顔を上げた。
「変なトコに入っちゃったわね」
雪は立ち上がり、冷蔵庫から小さな袋を取り出した。
「これ、この前、恵ちゃんと食べたチョコの残り。良かったら食べて」
雪は優乃がそれに手を伸ばすのを見てから、話し始めた。
「前も言ったことがあるかも知れないけど私、マンガ家になる、ならないで悩んだことないの。描きたくて描いてたらマンガ家になったようなものなのよ。だから優乃ちゃんの悩みは実はよく分からないの。だけど、勝手なことを言わせてもらえるなら」
雪もチョコを手にとってつまんだ。
「もう一年頑張ってって言ったけど、学校で?でもね、学校って楽なのよ。やってる気分になるから。学校イコール仕事じゃないでしょ。だからやってどうなるのって思う。私に言わせたら、学校って関わっているようで、実際あまり関わっていないと思うわ。ゴメンね、学校を悪く言うつもりじゃないのよ」
雪の言いたいことは分かった。学校の勉強と実際の仕事とは別だと言っているのだ。
優乃は黙って頷いた。
「ローカルでも何でも、実際にやってる人にはかなわないじゃない。ローカルが嫌なら難しくてもそこを足場にして上に上がっていけばいいと思う。今の私がそんなトコよ。まだメジャーデビューしてないから。でもローカルで落ち着いてもいいと思うのよ。偉くなったりメジャーになるのもいいわ。でもそれだけが正しいの?そうじゃない人がいてくれて、その人がちゃんと仕事をしてくれるから、社会があるんでしょ…。ゴメン。こう言うのは安の方が説明上手いわ」
雪はチョコをもう一つ食べて、一息ついた。
「話戻すわね。関わっていたいって言ったけど、例えばこのチョコ。恵ちゃんからもらったって言ったでしょ。優乃ちゃんはこのチョコ通して、恵ちゃんと関わってるの。そういう風に見れば、何だって関わってるわ。優乃ちゃんがどんな道を選んでもね。『関わる』って考えだすと意外と難しいのよ。そんな事考えてもしょうがないじゃない。それよりも考えることは他にあるんじゃない?やりたいんでしょ。本命狙うのもありだけど、ローカルでも何でも直接仕事についた方がいいと思うわ。私は自分がそうだったから、まずやる事が大事だと思うの。だからローカルのラジオ局を勧めるけど、本命の所で仕事したいって思ってるなら、そこを狙い続けるのも否定しないわ。結局は好きにすればって結論になっちゃうけど」
珍しく雪はいろんなことに触れて答えてくれた。
もしかしたら自分への餞別なのかも、と優乃は思った。
雪の話は全てが理解出来ることではなかった。
しかし考えてみれば、ローカル局ならすぐに短い番組や、小さなコーナーを任せてもらえるかも知れない。だがメジャーでは難しそうだ。
山川なら、「鶏口となるも、牛後となるなかれ」と言っただろう。
「自分がどうしたいかだけよ。頭で考えちゃダメよ。体と心に聞くのよ」
雪の言葉をもらって、優乃は頭を下げ部屋に戻った。
「私、どうしたいんだろ」
優乃は自分に問いかけた。
「何でラジオの仕事なの?」
翌日の学校帰りに冬美が聞いた。
「安さんがいつも、ラジオかけてたから…」
ぽそりと答えた言葉だったが、それが引っかかった。
『そうなんだ私。安さんに聞いて欲しいんだ』
本命の所に行きたいという気持ちは変わらない。たくさんの人に聞いて欲しい。でもそれは一番ではない。
『そっか』
答えは意外な所から出てきた。
優乃はようやく自分の気持に頷けた。
「そうだ冬美。昨日、山川さんが来てね。引越して行ってもう会えないかも思ったら、最後まで関わっていたいってすぐに来るんだもん。びっくりしちゃった」
優乃は一転、口も軽く話し始めた。
「山川さん、元気?」
『山川』という言葉を聞いて、冬美が反応した。
ためらいを含んだような言い方は冬美らしくなかったが、優乃はそれに気付かなかった。
「元気だったよ。あれもこれもやって、で愛の荘キレイにしたいって。あ、今度家に遊びに来る?って。どんなトコなのかなー」
「あ、行きたい。私」
冬美の口調は遠慮がちだった。
「え?」
『どうしたんだろ、珍しい。今までそんなのキョーミなかったのに』
優乃はそう思ったが、口には出さなかった。
「そっか。今度行ってみる?山川さんに聞いてみるよ。また来るだろうし」
「うん、お願い」
冬美はしおらしく頷いた。
それから数日後。
優乃はローカルラジオのオーディションを受けた。
メジャーの時とは違い、受験者も少なかった。それでもその中から選ばれるのは一人二人である。
今度こそ優乃は気合十分で気持ちをいっぱいにし、面接官に向き合った。
通知が来た。
結果は「採用」だった。
「よっしゃあ」
優乃はガッツポーズをとった。
まずはローカル局で経験をつもう。受かった局が安さんの引っ越していく土地で聞けるかどうかは分からない。
でも頑張ればきっとメジャーに行ける。
そうなったらどこでも聞いてもらえるはずだ。
優乃は「絶対メジャーに行ってやる!」、と新しい目標を決めた。
「採用」の結果を伝えると、講師もほっとしたようだった。
桜もつぼみをつけている。
卒業式は目前だった。
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次回予告
こんにちは、山川です
卒業式です
別れの時です
別れは確かにつらいですが
別れてみるとそうでもないことってあります
でも、中には引っかかることもあるんですよね
さて、次回は俺の家訪問企画です
いや、別に呼ばなくても良かったんですけど
呼んじゃったんですよね
大丈夫だったかな
何か心配になってきたぞ
あっ、こらっ
お前、何やってんだっ
「本当に山川の家?」
「実は盗難車とか」
「しょうがないから、結婚してあげる」
次回第六十五話 山川家訪問 前編
人のお家って、楽しいわね




