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第六十二話 空手と卒業と

第六十二話 空手と卒業と



 今日の授業は衣装合わせだった。


 各自自分の役に合うと思う服を、家から二・三着持ってくるように言われていた。


 主役級を前列、後は後列に並べ講師が服のバランスを見る。


 バランスが悪ければ、着替えさせ見てみる。


 サイズさえ合えば、他の人の服を借りることもあった。


 優乃たちの卒業公演は近づいていた。



 えいッ やあッ ヤアッ! えいッ!


 夕方の道場に太い声が響いていた。


 その中に紅一点、高い声の女の人が混じっていた。


 「エイッ!」「ヤアッ!」「ヤアッ!」「エイッ!」


 月森が基本の突き、蹴りを男性の中に混じって、一緒に繰り返しているのだ。


 子供の姿は、ない。皆、高校生以上の大人ばかりだった。


 この前ここに館長と出稽古に来た時、いいようにあしらわれ、月森に言わせれば遊ばれたことで、負けん気に火がついたのだ。


 ここでちゃんと相手になれるようにならなければ大会では勝てないと、今は週二回の稽古に一人で来て汗を流していた。


 「月森くん、腰っ」


 「ハイッ!」


 ここの館長にも月森の名前で通している。


 月森は二月下旬の大会で勝ちたいと、厳しい指導をお願いしていた。


 元の道場にも高校生の男子は数人いたが、力が違いすぎて月森は組むのがイヤだった。だが今は違う。ここで力の強い人、動きの早い人、さばきの上手い人など様々な人と稽古することで、少しでも強くろうとしていた。


 「やめっ。次、組稽古」


 「ハイッ!」


 今日の相手は力で押してくるタイプだった。


 月森はぐっと身構えた。


 『この人、梅田くんみたいに攻めてくるから』


 月森は出来るだけさばいていこうと決めた。


 が、力のある男の突きや蹴りはそう簡単にはさばききれない。


 月森は何発もの攻めを体に受けた。


 『痛いっ』


 だが口に出してそんな事は言えない。


 完全に劣勢だが、月森はその中でも突きを繰り出した。


 何発かの内、一発がきれいに入った。


 相手は一瞬怯んで、月森にニコッと笑いかけた。


 『認めてくれた』


 月森は思った。


 「ヤアッ!」


 月森は気合を入れると、さらに打ち込んでいった。


 その組稽古が終わると、ここの館長が近付いてきた。


 「月森くん。今のは良かったよ。男相手にするのも、大分慣れたかな」


 「はいっ。ありがとうございます」


 月森は息を整えながら答えた。


 子供とは身長もリーチも全然違う。初めて来た時にはそれにも戸惑ったが、今は間合いが少し分かってきた。


 さっき入った何発かは、そのお陰かも知れなかった。


 「打たれると痛いけど、その痛みに負けちゃうともっと打たれるから、今みたいに打たれても、痛くても前にという気持ちで攻めて、さばく時にも前に行く気持ちでさばいていくんだよ」


 館長は前に出ていくさばきと、下がっていくさばきを見せて、今の月森には前に行くさばきだけをするようにと、指導してくれた。


 「今、下がるのを考えちゃうと、打たれたらすぐに止まったり、下がったりしちゃう。今の組稽古をキッカケに、さばく時も前に、この気持で」


 「はいっ。ありがとうございます」


 月森は胸の中でガッツポーズを作った。



 「こうやってベースを塗ったら、首の所でぼかすのよ。そうしないと顔だけ浮いちゃうからね。次に影を入れて鼻立てをします」


 外部から来た講師が生徒の一人を見本に、舞台メイクの授業をしていた。


 指を使って茶色のドーランで影を入れていく。


 ドーランは舞台専用の化粧品で、普通のファンデーションより油の量が多く、塗るとテカテカと光りハッキリと色が出る。


 「さっき言い忘れたけどこの鼻の下、塗り忘れることが多いから注意して。お客さんは舞台の下から見てるのよ。はい、それでこの鼻立ての影から眉の下に続けて影を延長していきます。こうしないと舞台で顔が平面に見えちゃうの。目を強調するの、目出しとは言わないのよ。メザシは好きだけど」


 講師は時々そんな笑いを入れながらも、生徒の顔の半分だけメイクを進めていった。


 舞台はとにかく普通では考えられないほど、光が強い。


 そのため影を入れて目、鼻を際立たせないと凹凸が消えてのっぺらぼうに見えてしまうのだ。


 TVで見る舞台役者のメイクは濃すぎるように感じるだろうが、実際の客席から見るとそれでやっと自然に見えるのだ。


 アイラインのペンシルを使って、目元をくっきり縁取ふちどる。


 上まぶたの方はいいが下まぶたの方は皮膚が薄いので痛い。


 アイラインを引いた後は、眉にもラインを入れ、粉をはたきテカリを抑えて完成だ。


 優乃たち女子にとっては、使うものが変わるだけでそう難しくはない。


 だが、男子にとっては久をはじめさっぱり分からなかった。


 講師は今塗っていた男の子の顔に、応用を入れはじめた。


 目の下にくまを入れ、青や赤を使って目の周りに色を入れていく。


 「ここにこの色を入れると」と言いながら、楽しそうだ。


 しばらくすると、顔半分だけ完全な病人が出来上がった。


 「うわー」「すごーい」「お前、もう死ぬぞ」


 メイクでここまで変わるのかと、声が上がる。


 「はい、じゃあ基本のメイクやって。顔はキャンバスだからね」


 講師の掛け声に、全員が初めての道具を手にした。


 「う、おぉぉー」


 初めて化粧をする男子たちから、悲鳴のような驚きの声が上がる。


 男子は塗ることに手一杯だが、女子は違う。


 「ここどうなってる」


 「ぼかしってこの辺から?」


 「影の線は?」


 など、細かな所を聞いている。


 「今日だけじゃダメよ。家に帰って、二回三回って練習するのよ」


 そんな声の中、優乃もメイクをしつつ卒業公演が間近に迫っていることを実感するのだった。



 今週の日曜日、それが県大会の日だった。


 月森は最後の稽古の日、出稽古ではなくいつもの道場に行った。


 子供たちと一緒に型をやり、組み手をする。


 久しぶのせいか、みんな上手になっている気がした。


 自分はどの程度上達しているのか、いや、大して変わっていないように思えた。


 ひと通りの稽古を終えた後、館長が声をかけてきた。


 「一回だけ、やってみる?」


 館長自身と組み手をやってみるか、という事らしい。


 みんなが見ている前でやるのも、負けが見えていて気が引けた。


 館長にはそれが分かったのか


 「試合だと、もっと緊張するよ」


と言ってきた。


 月森は心を決め


 「お願いします」


と、頭を下げた。



 結果はボロ負けだった。


 出稽古の館長に言われた『前に』の通り、積極的に攻めて行き、さばく時も『前に』を心がけた。


 だが攻めはいいようにさばかれ、逆にカウンターが入る。


 さばきは『前に』と思っていても、良くてその場に留まるだけでどんどん押されて下がってしまう。


 たった一分ちょっとの組み手だったが、息が上がってしまっていた。


 「ありがとうございました」と礼をして、下がる。


 『こんなんじゃ』


と、月森が落ち込みかけた所で、小さな拍手が聞こえてきた。


 子供たちだった。


 「お姉ちゃん、すごかったよ」


 「館長相手に前に出てたもん」


 「ぼくもあれくらい、つよくなりたいなー」


 子供たちの素直な感想に、月森はぐっと助けられた。


 『そうだよね。相手は館長だもん。試合ではこんなに強い人出てこないし、頑張らなきゃ』


 月森は「ありがとう」と子供たちに言って微笑んだ。



 舞台メイクはあれから二・三度やって覚えた。


 衣装もアイロンをかけてある。


 セリフは頭じゃなくて体が覚えている。


 『後は…』


 前日の夜、優乃は二・三度目になる確認をしていた。


 何よりも遅刻してはならない。


 目覚まし時計を何度も鳴らして、確実に鳴ることも確認している。もちろん携帯も起きて止めるまで、五分毎に鳴るようにセットしてあった。


 心配で何度も確認しているが、寝不足もマズイ。


 優乃は心が落ち着かないまま、布団に入った。


 『あっ、メイク道具の確認っ』


 優乃はガバっと起きカバンをひっくり返し、もう一度、中を確かめた。


 メイク道具は、ちゃんと揃っていた。


 最悪、衣装さえあれば後は何とかなることは、なるのだ。


 それは講師からも言われていた。


 寝不足と遅刻は厳禁だ。


 優乃はそれを思い出し、最後にもう一度荷物を確かめると、心を決めて寝ることにした。



 月森は最後にもう一度、突きと蹴りの型をやった。


 明日は大会だ。


 出稽古の成果を見せる日だ。


 いつもの道場の高校生と組み手をやってみたが、以前ほど打たれなくなっていた。


 それが上達なのが、男相手の組み手に慣れただけなのか分からない。


 しかし、館長も相手の高校生も上手くなったと言ってくれた。


 それでも月森は信じられなかった。


 明日の相手がそれ以上に強かったら、入賞すら出来ないのだ。


 館長相手にもう少し互角に組み手が出来ていれば、こんな心配はなかっただろう。


 落ち着かない月森の心に、あの時の子供たちの声が聞こえてきた。


 『お姉ちゃん、すごかったよ』


 『ぼくもあれくらい、つよくなりたいなー』


 月森は『そうだよね。上手くなったんだよね』と、自分を落ち着かせた。


 心配はどれだけでも出てくる。


 考えても仕方ないと分かっていても。


 「明日は明日。おやすみっ」


 月森は鏡に向かって言うと、ベッドにもぐり込んだ。



 やってきた日曜日。


 公演当日の朝。


 優乃は不安と期待と緊張の不思議な気持ちで部屋を出た。用意は昨日のうちにすませてある。


 公演直前に一度、ゲネプロと言われる通し稽古をする。そのため昼前からの公演だが、こんなに朝早く出て行くのだ。


 で愛の荘のみんなには場所も時間も伝えてある。この一年の成果を見せるハレの舞台。


 恩返しにはならないが、何をしてきたかは見てもらえる。


 優乃はいつもと違った足取りで、で愛の荘を背にした。



 優乃が出てしばらくすると、今度は月森が出てきた。


 右手の鞄には道着が入っている。


 『やってやるわ』


 月森は強い決意でいた。


 今日は迎えの車はない。


 大切な日に、下心の見える会話をしながら会場に行くのはイヤだった。


 月森はあえて電車を選んだ。


 県大会、どれほどの人が来るか。社会人女子の部もある。


 月森も不安と緊張、そして決意を込めて、で愛の荘を出て行った。



 卒業公演の会場は立派なホールだった。客席は二・三百人あるという。


 会場では照明や音響、大道具などの裏方が会場、舞台とも忙しく動きまわっていた。


 ほとんどすべての劇団では、こう言った裏方の仕事も手伝ったりしなければならない。


 優乃たちは学校の卒業公演と言うことで、芝居だけに集中すればいいようになっていた。


 教えてもらった通りに楽屋に入る。もう何人かが来ていて、衣装に着替え、メイクを始めていた。


 「おはようございます」


 挨拶と共に、優乃も早速準備を始めた。



 大会の行われる体育館は、試合場が六面もある大きな所だった。


 参加者も大人から子供までたくさんいた。女性もいる。この人たちが月森のライバルなのだ。


 月森がキョロキョロ周りを見ていると、


 「お姉ちゃーん」


と、二・三人の子供たちが駆け寄り「こっちだよ」と、手を引っ張って館長たちみんながいる所に連れて行ってくれた。


 「女性の着替えはあそこ。着替えたらここに集合。開会式までにはまだ時間があるから、大丈夫」


 館長は気負っていそうな月森に、試合はまだ先だと肩の力を抜くように言った。



 早めの昼食をすませた一行は、丁度お昼ごろホールに着いた。


 中に案内され、全体が見渡せる中央のやや後ろよりに並んで座った。


 開演までまだ二・三十分あるせいか、席は充分に空いていた。


 「さっきも言ったけど」


 矢守が口を開いた。


 「四人でこんな所に来るのも初めてよね」


 安が受付でもらったチラシから、目を離した。


 「四人揃って外で昼食なんてのもなかったからな」


 「さっきのレストラン、妙な感じで居心地が悪かったですよ」


 山川が昼食に入ったレストランの話をした。


 「どうして?私何ともなかったけど」


 雪が「なかなかの感じだったわ」と言った。


 山川は「いやー」と首を振った。


 「この四人であらたまって食べに行くっていうのが妙なんですよ。大体いつも食べに行かずに優乃ちゃんも一緒に、で愛の荘で気楽に食べてましたから」


 「変な気の回しすぎじゃない。私も何ともなかったわ。残念なのは、今、安さんの隣の席じゃないことぐらいかな」


 矢守が含みを込めて安を見た。


 「お前の隣だと何されるか分からんからな。山川がいてくれて助かったよ」


 安は隣に座っている山川を矢守に差し出すふりをした。


 「女から誘われて断るなんて、どうかしてるわ」


 矢守が怒ると、三人は笑ってしまった。


 そうこう話しているうちに、ベルが二度鳴り、照明が落ちて幕が上がった。


 優乃たちの卒業公演の始まりだ。


 優乃、久ともに主役級の扱いだった。


 演技の上手い者ほど、台詞が多かった。


 それでも一人一セリフはついていた。


 一年間の成果が見えてしまう舞台。


 ある意味、残酷であったが、それぞれが一所懸命にやっているのは伝わってきた。


 三百人程度入るホールで、埋まっているのは三分の二ぐらいだった。満席で迎えて上げたかったが仕方ない。


 「ちょっと待ってよ」


 久のセリフだった。


 安はハッとした。


 演出のせいかもしれないが、あの時とは全然違っていた。


 あの時の稽古で何か気付いてくれたのかも知れない。


 安は何か役に立てたのかもと思い、嬉しくなった。



 長くはない芝居だったが、無事優乃と久の卒業公演が終わった。


 安たちがロビーに出ると、舞台に出ていた全員が「客出し」に出ていた。


 優乃と久が四人に気付いて駆け寄ってきた。


 「ありがとうございました」


 勢い良く頭を下げるのは久。


 両手を広げて、雪と矢守に抱きつくのは優乃。


 「ありがとうございました。この次に冬美の舞台があるので、見ていって下さい」


 「そのつもり」


 雪は「優乃ちゃん良かったわよ」と感想を言った。


 久には安が「言い方、変わってたね」と言った。


 「ありがとうございます。言い方は演出で変わったんですけど、相手に反応するって言うのは心がけたつもりです」


 久は嬉しそうに安に答えた。


 「本当は、冬美ちゃんのも見たいんだけど」と安は久に頷いたあとで、申し訳無さそうに謝った。


 「今日、月森さんの空手大会もあるんだ。月森さん昼からだって言ってたから、一応応援に行こうと思って。冬美ちゃんのは途中で失礼するよ。会ったら代わりに謝っておいてくれる?」


 「そうですか。分かりました。だから月森さんいなかったんですね」


 優乃はちょっぴり残念そうだった。


 「俺は最後まで見てくよ」


と、山川が言い、矢守は


 「月森さんなら、私も安さんについて行くわ。一番付き合い長いもの」


と、安に「いいでしょ?」と聞いた。


 もちろん、反対する理由はない。安は気軽に頷いた。


 この後に、やることがあるのだろう。優乃たちはもう一度お礼を言うと、他の生徒達と一緒にロビーから去って行った。


 軽くコーヒーを飲む時間があった後、冬美の卒業公演が始まった。優乃たちの舞台と同じ内容であったが、クラスが違うだけで印象は全然違うものだった。


 冬美もまた、優乃とは違う役だったが出番の多い役だった。


 安と矢守はある程度見た所で、雪と山川に後をお願いしてそっと外に出た。



 移動中の電車で、矢守がその事に触れた。


 「同じ台本なのに、あんなに印象が違うのね。驚いちゃった」


 「そうなんだ。演出でもガラリと変わるし、役者でも変わるんだ」


 安はちょっと語った。


 「どうしてこんなヘボが主役やってるんだってドラマもあったりするけど、あれは脚本家とか、監督とかがその役のイメージを大事にして選んだりするからだよ」


 「アニメの声優でも?」


 「まぁそうかな。ドラマ、アニメに限らず会社の力関係とか色々あるけどね。でも演技力は付けられるけど、キャラクターの声のイメージって大事だろ」


 「ふーん」


 矢守は首をひねりながらも頷いた。そして「ねぇ」と切り出した。


 「安さん、月森さんのこと、好きなの?」


 「ブフッ!」


 あまりの唐突さと内容に、安は吹き出してしまった。


 近くにいた乗客が、ジロリと安をにらんだ。


 安はあわてて、ハンカチで口を抑え空咳をしてごまかした。


 「突然何言い出すんだ」


 安は目を白黒させて聞いた。


 「だって、冬美ちゃんフッて、月森さんの方に行くから」


 すねたような矢守の口調に、安は少し落ち着きを取り戻した。


 「あぁ、そう言うことか。どっちともあまり付き合いないけど、同じ住人としては、最後の応援ぐらい行ってもいいんじゃないかなと思っただけだよ」


 「そうなの?」


 矢守の目は疑わしそうだ。


 「この前月森さん、安さんの部屋に行ったんでしょ。何かクラクラって来ちゃったのかなって思ったんだけど」


 「どこで聞いたんだ?」


 安の顔は平静だが、心臓はバクバクだ。


 「月森さんから」


 矢守はしれっと答えた。


 「何なんだあの人は」


 安は目を閉じて頭を振った。


 以前、関わらないでおこうと思ったのに、いつの間にかそれを忘れた結果がこれだ。


 いい所にいい情報を出す。男を操る上手さは想像もつかない。


 安は諦めた。


 「もういいよ。好きに思ってくれ。とにかくその時に空手の大会の事、聞いちゃったんだ。それもあって行くだけだから」


 「ふーん。でも安さん、聞いただけなのに行くんだから、優しい」


 矢守の言葉は、やわらかかった。


 意外な反応に安は


 「そうでもないよ。ま、性分だ」


と、矢守に軽く笑った。


 「それが優しいって言うの」


 矢守は安を楽しそうに見返した。


 「私にも、最後の思い出でデートくらいしてくれる?」


 ポンと投げられた言葉に、安は


 「あぁ、いいよ」


と、軽く返事をした。


 直後。


 「えぇっ!?」


 安の声が裏返った。


 「ちゃんと約束したから。ありがと」


 矢守は「んふふ」と、微笑んだ。


 安は何か言おうとしたが諦めて


 「お前も上手いな」


と、心から矢守を褒めた。



 県大会の立派な会場を、安と矢守は見上げた。


 「大きい所でやるのね」


 「こんなに規模が大きいとは思わなかったよ」


 二階の観客席に入る。


 運が良かったのか月森は勝ち続けていて、次の試合がもうすぐ始まる所だった。


 男子の試合と比べると迫力では負けるが、声だけは負けていなかった。


 高く気合のこもった声が試合場から充分に聞こえてくる。


 月森の試合が始まった。


 ルールが良く分からないのでどちらが勝っているのか分からなかったが、この試合も月森は勝ったようだった。


 上の観客席から拍手を送ったが、月森は肩で息をするだけで笑みはなく、こちらを見る余裕もなかった。


 かなり集中しているようだ。


 館内のアナウンスを聞くと、まだ予選トーナメントらしい。


 「月森さん、上狙ってたから予選で勝っても、そんなに喜べないんだな」


 安は椅子に体を預け、楽な姿勢を取った。


 「勝ち続ければ、雪先生たちも間に合うかな」


 「勝ち続ければね」


 興味が薄いものを見続けるというのは、なかなかに退屈なものだった。


 矢守はさすがに絵描きで、興味深そうにあちこち見ている。


 安は他の試合を見たり、館内を歩きまわって時間を潰した。


 一時間もすると、社会人女子の決勝トーナメントが始まった。


 出場は八名で、月森は第二試合だった。


 「月森さーん」


 「頑張れー」


 客席から声をかけると、今度は気付いて二人に向かって小さく手を振り、試合に向かった。


 結果は月森の負けだった。


 残念だったねと話している所に、雪と山川がやって来た。


 「月森さんどうです?」


 山川が試合場を見ながら聞いた。


 「あぁ、今終わった所だ。決勝トーナメントまで行ったけど、一回戦で負けだよ。相手が強かったな」


 「ちょっと来るの遅かったわね」


 雪が、すこし残念そうに言った。


 「お疲れさん。冬美ちゃんのどうだった?」


 安が聞くと山川が答えた。


 「あれはあれで面白かったですよ。いつもの冬美ちゃんとは違った感じで」


 「そうか」


 そんな話を続けている間も、試合は進んでいた。


 「敗者復活戦を行います」


 会場にアナウンスが流れ、月森が姿を現した。


 「あれ、月森さん出るの?」


 「ホントだ。よく分からんけど。がんばれー」


 「月森さーん。がんばれー」


 「行けー」


 四人は手を大きく振った。


 月森はちょっと驚いた顔を見せて頷いた。


 「敗者復活って負けても、もう一度出られるんだ。勝ち進んだら優勝したりするの?」


 矢守が不思議そうに聞いた。


 「それはないよ」


 山川は説明をした。


 「一般的に言って、一回戦で強い人とやって負けた人がー」


 「ガンバレー」


 「こら、俺の話を聞け」


 「後にして。今、応援しないで、いつ応援するのよ」



 月森はこの試合に勝ち、結局総合三位になった。


 安たちは観客席から拍手を送ると、揃って観客席を立った。


 体育館を出ると、月森が走って追いかけてきた。


 「今日は応援に来てくれて、ありがとうございました。三位ですよ、三位。すっごく嬉しい」


 月森の息がはずんでいた。


 実は前回も同じ敗者復活からの三位だった。


 だが今回の三位は県大会で規模が違う。


 月森が喜ぶのは当然だった。


 「今日のディナー、楽しみになってきちゃった」


 「あ、もう予定が入ってるんだ」


 矢守がすぐに気付いた。


 「うん、あんまり乗り気な相手じゃなかったけど。食事もいいけど、ゲームセンターで遊びたいな。連れてってもらおうかな」


 「連れて行ってもらいなよ」


 安はこっちに話が振られなくて、良かったと思った。


 「優乃ちゃんは、先に帰ったんですか?」


 で愛の荘のメンバーで姿が見えない優乃のことを、月森は聞いた。


 「あぁ。今日、卒業公演でね。月森さんの応援に行けなかったことを残念がっていたよ」


 山川が言うと、月森も言った。


 「私もそれ、見たかったなぁ。でも仕方ないですよね。あ、呼ばれてる。じゃ、この辺で。ありがとうございました」


 月森は元気よくおじぎをすると、小走りに体育館に戻っていた。


 「そう言えば優乃ちゃんと冬美ちゃんは、今日ー」


 安が聞くと雪が先回りして答えた。


 「二人共、友達の家に泊まりだって。いいわねー」


 どこか遠くを見るような目つきに、矢守が聞いた。


 「雪先生、私たちじゃ役不足?」


 「あ、ごめんごめん。学生時代を思い出したのよ。そんな機会もあったけど、参加しなかったなって」


 「お前に学生時代があったのか?」


 「雪先生、そんなキャラじゃないですよ」


 安と山川が大げさに言うと、雪も負けずに言い返した。


 「うっさいわね。今日の晩ご飯、優乃ちゃんと月森さんのお祝いでよろしくね」


 「どういう関係があるんだよ」


 四人で笑う帰り道だった。



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



次回予告



 空手の試合も卒業公演も終わりました


 優乃ちゃんたちは友達の家で打ち上げ会です


 芝居の話から恋愛の話、Hな話も出てきます


 優乃ちゃんには、ちょっとついて行けないかな


 月森さん?


 月森さんは相変わらず、男の人の使い方がお上手です


 で愛の荘では引っ越しの話も出てきました


 もうそんな時期ですね



 「そうなの。いい女でしょ」



 「安さん、月森さんのこと、好きなの?」



 「突然行っちゃうのね」



 次回第六十三話 打ち上げの夜と引越し



 カンパーイ

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