第六十話 一月の終わり
第六十話 一月の終わり
久は安の部屋に泊まった一週間後、再び、で愛の荘を訪れていた。
あれほど積もった雪も、今は日陰の隅にほんの小さな固まりを残すのみであった。
久は愛車、ビックバンカスタムを降り、で愛の荘の裏に停めると中に入って安の部屋の戸を叩いた。
「久です。こんにちは」
「開いてるよ」
その返事に、久は戸を開けて中に入った。
「ごめん、今終わるから。ちょっとそこで待ってて」
Tシャツに短パン姿の安が、何か運動をしていた。
ストーブもつけていない部屋で、うっすら汗をかいている。
小一時間もやっていたのだろうか。
安は「ふぅ」と息を吐くと、Gパンを履いた。
「お待たせ」
安はそう言って久を中に入れて、座るように勧めた。
「もう追い込みだろ。今日は、いいの?」
「はい。遠い子もいるんで、午前中は日曜でも集まりが悪いんです。だから大丈夫です」
久は安の前に座りながら答えた。
安と久が言うのは、久達の卒業公演の自主稽古の事だ。
学校の授業としてもやっているのだが、それだけでは足りないのだ。だから卒業を間近にひかえ、みんな時間を見つけては、少人数でも集まって稽古をしている。土日はバイトを減らしてでも稽古に来る者もいるので、平日の部分稽古と違って、人数が揃いやすく通し稽古が出来るのだ。
安はその貴重な時間を心配したのだった。
「それより今日は、きっかけをつかみたいので、よろしくお願いします」
久は頭を下げた。
安はまだ気になるようだったが、「じゃ、二階でやろうか。見せてもらうよ」と、一緒に部屋を出た。
久が安の部屋を訪ねることになったのは、一週間前の夜に理由があった。
新年会が終わった後、安の部屋で布団に入りながら、安が卒業公演の事を聞いたのだ。
久は悩んでいることを話した。
みんな一生懸命にやっているが、どうしても上手くいかない。自分もまた感情が表現出来ていないと思うし指摘もされる、と。
そして、矢守の話も。
「学校では恋愛禁止とかって言われなかった?僕はね、両立できるなら両立すればいいと思う。本当の恋は自分を変えてくれるから。ただし目標を忘れて溺れてしまうようなら、どちらかを捨てて道を変えなきゃダメだと思ってる。自分も相手も高められないような恋愛なんて本当の恋愛じゃないと思うよ。マンガの受け売りだけどね」
安はそこでひとつ、あくびをした。
「それから演技のことだけど。見てみないと何とも言えないけど、久くんはもしかしたら、考える方向が間違っているかもしれないね」
安の声がだんだん小さくなってきた。
「今日はもう遅いから、これ、以上は…言わないけど…。時間があったら来週の休みにおいでよ。そしたら少し…」
「はい。じゃ、来週の日曜日の午前中いいですか?」
「…」
「安さん?」
久は上体を起こし、安を覗きこんだ。
スー スー
安はすでに深い寝息を立てていた。
「ちょっと早すぎません?」
久は仕方なく、布団にもぐり込んだ。
卒業公演の台本で久が出てる所を抜き出し、相手役の所を安が代わって読み上げる。
安がセリフを言うと、久が動きながらセリフを言った。
「待ってよ。それじゃあー」
「ストップ。それはさっきも言ったけど作ってるんだよ。作った気持ちを出してもダメなんだ。反応だよ。僕のセリフがマズイと言うのもあるけど、そんなふうに作ってるから上手くいかないんじゃないかな」
安はいろいろ言葉を変えて説明をしていたが、久の演技はなかなか変わらない。
どうしてもわざとらしさが、見えるのだ。
もちろん以前、庭で優乃とやった時とは比べられない。
が、ここで自分の演技と言うものの考え方を変えられれば、久も演技の幅が広がり人の演技の見方も変わるはずなのだ。
「よし。僕の言い方よく聞いて、もう一回」
安は笑顔で言った。
パンッ
久が位置に着こうとした時、安はいきなり久の頬を張った。
「痛っ」
久は驚き、怒りを込めて
「何するんですかっ」
と、安をにらんだ。
「それだよ。それが欲しいんだ」
安はすかさず言った。
「それが反応なんだ。構えたりとか作ったりしたものじゃない、そこを目指して欲しいんだ」
久は目をくるくるさせた。
「反応ってそう言うことなんだ。感情を作るんじゃない。演出された感情が出るように自分を作っていくんだ。今すぐは出来ないかもしれないけど、それを覚えておいて欲しいな」
思ったこともない考え方に久の心には、クサビが一本刺さったようだった。
それでも自分の考えが割れて崩れてはいない。
久は、言葉が出なかった。
受け入れようとしながらも、否定しようともしていた。
安はそんな久を見守りながら、あえて声をかけなかった。
間違った理解をされる可能性もあったが、まずはまったく違う考え方を受け入れてくれるかどうかだ。
久がショックを受けているのは、よく分かった。
安は、「も」に力を込めて一言だけ言い添えた。
「演技も、一人で作るものじゃないんだよ」
久は早合点を避けるように、ゆっくりと頷いた。
「もう時間だよ。みんな待ってるんだから、気をつけて」
安は久を送り出した。
安がやったのは、ある有名な俳優が後輩に演技を教えるためにやった事だった。
安自身が間違った理解をしている可能性はあったが、今の久にはこれくらい必要だと思い、思い切ってやったのだった。
「ちょっと、強すぎたかな」
その足取りを見ながら、安は久が変わってくれることを願った。
「本気だから、困るのよね」
出て行く久を隠れて見送りながら、矢守はため息をついた。
自分にはない真っ直ぐさが、久にはあった。
自分はどうしても恐くて、曲がりながら相手に当たっていく。
それは自分を受け入れてもらえなくて別れてきた痛みから逃れるために、矢守が身につけたものだった。
そんな矢守に、真っ直ぐ向かってくる久は重すぎた。
受け止めきれないという意味ではない。
強く傷つけてしまうかも知れない、と言う重さだった。
矢守自身が経験してきたフラれた時の痛みは、心を許した分だけ深かった。
久はいいも悪いも越えて、矢守に迫ってくる。
もし久をフッてしまったら、どれほど深く傷つくだろう。
だから久を受け入れなければ、最後に傷付いても深くはならないはずなのだ。
諦めてくれれば、それはそれでいい。
きっと落ち込んでしまうほど、寂しくはなるかも知れないが。
『ごめんね、、久くん』
矢守は見えなくなった久に謝った。
『やっぱり私、もったいないけど受け入れられないから。逃げて逃げて、とことん逃げて…捕まったら』
矢守は中空を見た。
『その時、考えよ』
「で、久くんって、どうなの?」
長い沈黙の後、矢守は優乃に聞いた。
ここは優乃の部屋。
午前中、二階から久の声が聞こえてきたので、矢守はこの優乃の部屋に逃げてきたのだ。
「久が帰るまで、ここにいさせて」と居留守を頼んだ矢守に優乃は
「そこまで逃げなくても、久くん悪い人じゃないですよ」と、かばった。
「久くん格好いいし、優しいし、モテるし、真っ直ぐですよ。ちょっと変なトコはありますけど、学校でもここでも態度変わらないんです。私にはちょっと真似できないですけど、全部自分を出そうとしてる気がするんです。それでいて押し付けないし、矢守さんにもそうじゃないですか?」
「そっかー」
矢守はまた窓の外を見た。
「変な言葉になるんですけど、久くん、矢守さんのこと信じてるみたいです。矢守さんの変なトコとか見ても、揺らいでないし…」
「変なトコって、何よ」
「エロ魔神なトコとか。あっ、スミマセン」
「こらっ」と言いながら矢守は笑った。
「そうね、私も隠さないから。そんなことしても仕方ないし。まして安さん目当てなら、ここじゃどうしたって見られちゃうでしょ」
矢守は優乃に片目をつぶった。
矢守の伝えたいことは何となく分かったが、優乃は久の事を考えていた。
『久くんって、気持ちを伝えようとしてるだけで、矢守さんに求めてない…よね。伝えて伝わる事が嬉しいみたい。そういうのも恋…だよね。私は…』
「天気はいいんだけどねー」
矢守は外を見ている。
風はまだ冷たく、窓を開けるには早い。
しかし、日の照る庭は気持ちよさそうだった。
『相手に求めない恋もあるんだ』
優乃と矢守が同時につぶやいた。
「恋かー」
思わず顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
「優乃ちゃん、恋といえば十四日、もう考えてる?」
矢守はいきなりバレンタインの話をした
「えぇ。チョコ、手作りしようかと思ってますけど」
優乃は頷きながら答えた。
「まさか、その中に血とか入れないでしょうね」
「何ですか、それ?気持ち悪い」
「昔、そう言うのがあったのよ。おまじないだか何だか知らないけど、自分の血をチョコに入れてそれを相手が食べると、自分に恋するようになるって…。山川に聞けば詳しく知ってるかも知れないけど」
「…」
ちょっと気持ち悪い話だったが、優乃はそれを作る魔女の自分を想像してしまった。
「あっ、今、山川に聞こうと思ったでしょ」
矢守はその沈黙を、そうとらえた。
「思ってませんよっ」
優乃は首を思いっきり振った。
「いいの、いいの」
矢守はフフフと笑って続けた。
「でもね、そんなチョコだけでもダメよ。出来る女はね、もう一つ付けてアピールするのよ」
「もう一つ?」
アピールと言う言葉に、古さを感じながら優乃は聞いた。
「そう。男なんて安いものだから結構、物で釣れるのよ」
「本当ですか?」
優乃は疑わしそうに目を向けた。
「やって損はないわよ。例えばクリスマスにカードの他に何かもう一つプレゼントがあったら、優乃ちゃんだって『あっ』て思うでしょ。相手の意表を突くのよ。ドキッとさせるものをね」
そう言われれば、そうかも知れない。
「分かった。今度の休み、一緒に見に行きましょ。行ってみて優乃ちゃんがいいなってのを選べばいいじゃない」
「そうですね」
優乃は迷いながらも返事をした。
『行ってみて、考えればいいか…』
そう思った時
「あっ」
優乃は急に大声を出した。
「今日みんなで稽古するんだった」
優乃はバタバタと、台本などをカバンに突っ込んだ。
「矢守さん、ごめんなさい。今から久くんの後、追わなきゃ」
「こっちこそ、ゴメンね。ありがと。じゃ、買い物、楽しみにしてるから」
「はい」
矢守と共に部屋を出ると優乃は、走って駅に向かった。
「プレゼントか。何にしようかしら」
優乃を見送った後で、ムフフと矢守は笑った。
安が部屋に戻るのと入れかわるようにして、山川はビニールの袋を片手に階段を上がった。
コンコン
叩いたのは雪の部屋だ。
「どうぞ」の声に、戸を開けて中に入る。
「雪先生。以前買ってこれなかったお勧めで自信の豆腐持ってきたんで、食べて下さい」
「え…。あら、ありがと。よく覚えてたわね」
雪は豆腐のことなど、忘れていたようだった。
山川は「もうそんなに時間もありませんし」と言う言葉を飲み込んだ。
「この豆腐の味を是非知っておいて欲しかったんです。まぁ好みはあるかと思いますが、目からうろこですよ」
「ありがと。いただくわ」
雪はお礼を言うと、後で食べるわと冷蔵庫に入れた。
「山川って、いいもの色々知ってるわね。ここには似合わないくらい。もっといいトコ住めばいいのに、どうしてここに来たの?」
雪は冷蔵庫のそばにあったコーヒーメーカーに粉と水を入れ、スイッチを入れた。
「火事で焼き出されたからですよ」
山川は冗談っぽく答えた後、雪にすすめられてソファに座った。
「前の、で愛の荘は、ここより快適でしたよ。ここほど住んでいる人とはつながっていませんでしたけど」
火事がずいぶん前のように感じる。
「先週の久くんじゃないですけど、一人暮らしに憧れていたってのはあります。で、どうせ一人暮らしするなら、便利より不便な方が生活している実感を味わえると思ったんです。いつまでも親元にいるのにうんざりしてましたからね」
「へぇー」
雪はコーヒーをカップに移すと、山川に出した。
「これ、お豆腐のお礼代わり。私がコーヒー出してあげるなんて、珍しいのよ」
「だと思ってましたよ」
山川は笑みをこぼした。
「時々安さんが、お酒片手に上がっていくんで、そうだろうなぁって思ってたんです。雪先生のところは酒、つまみ持参が基本かってね」
で愛の荘だからだろう。誰が何をしているのか、みんな何となく知っている。
それでいて、それを口にはしない。干渉することもない。
みんなお互い様。それでいいのだ。
山川は、「いただきます」と言って、コーヒーを一口飲んだ。
「雪先生はどうしてここに?」
今度は山川が聞いた。
「仕事するなら、もう少しいいトコあるでしょう」
「そうね」
雪はそう言って山川と視線を合わせた。
「私、勝手に思ってるんだけど、山川と似てるトコあると思ってるのよ。前はね、働きながらマンガ描いてたの。でも、実家暮らしで甘えてるみたいで嫌だったわ。それでも描いてる内にそこそこ売れてきて、親に言って家出たの。でも実際不安だった。マンガで食べていくなんてね。だから安いトコ探して、ここ見つけたのよ。お陰でエアコンの電気代くらい心配しなくてすむくらいにはなったけど。別に親に反発してるわけじゃないけど、離れようとしてるみたいな所が似てるなって、ね」
雪は仕事机の椅子に座って、コーヒーを飲んだ。
「雪先生もそうですか」
距離があると思っていた雪と、意外な所で共通の思いがあった。
山川は飲み干したコーヒーカップの口を指でなぞった。
「これでも必死なのよ」
雪の言葉には実感がこもっていた。
「俺もですよ」
山川は頷いた。
「山川が飲めたのなら、もう少し話すトコだけど」
「やめときますよ。コーヒーにお酒じゃ、合いませんからね」
山川は立ち上がった。
「雪先生も無頓着なようで、いいもの知ってるんですね。高そうな銘柄のコーヒーでしたよ」
「あら、袋見ただけで分かるの?さすがね」
山川は「ごちそうさまでした」と言いながら、指摘した。
「でも冷蔵保存しないと、焙煎から日にちが経ってるのがバレちゃいますよ」
「ウンチクはいらないわ」と言いながらも、雪は肩をすくめて言った。
「分かっちゃった?」
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次回予告
こんにちは、優乃です
もうすぐ二月十四日です
もちろん、冬美と一緒に楽しくチョコレート作りました
かなり本気の気持ちの入った本命チョコも
でも、チョコだけで想いが届くはずはないですよね
そこまで子供じゃありませんから
だからみんなと楽しむチョコとは別に、本命は後で安さんの部屋にこっそり持っていくつもりです
私の気持ち、ちゃんと伝えようと思っています
「これは美味しい方よ」
「矢守さん、そういうのがシュミですか?」
「買っちゃおうかな、勝負パンツ」
次回第六十一話 バレンタインのプレゼント
安さん、受け取ってくれるかな




