第五十七話 一人とみんなのお正月
第五十七話 一人とみんなのお正月
「安さん、一人でさみしいかもしれませんがお留守番、お願いします」
わざわざ見送りに出て来た安に、優乃は飛びきりの笑顔で答えた。
『安さんったら、私が実家に帰っちゃうからってそんな表情しなくても。年明けたらすぐに帰ってくるのに。『安さん、ただいま』『おかえり。優乃ちゃんがいないと、心にぽっかりと穴が開いたようでさみしかったよ』安さん、泣き出しそうな顔して私をギュッってするの。『優乃ちゃん、早く帰ってきてくれて嬉しいよ』『安さん、私の事そんなに待っててくれたんですか?』『もちろんだよ。もうこのまま放したくないくらいだよ』『安さん…』『優乃ちゃん…』』
「優乃ちゃん、大丈夫?」
安の声に、優乃はハッと目を開けた。
「カゼでもひいた?」
寒そうに自分を抱きしめている優乃に、安は心配そうな表情で聞いた。
「あっ、いえっ大丈夫です」
優乃は恥ずかしさに顔を赤くして、大きく手を振った。
「顔も赤いよ。熱あるんじゃない?」
「大丈夫ですっ」
「なら、いいけど」
安は不思議そうに首を傾げながらも、「山、頼むよ」とバイクで待っている山川に言った。
「任せて下さい。優乃ちゃん、乗って」
山川は優乃にヘルメットを被らせると、「それじゃ、良いお年を」と片手を上げた。
安も同じように「気をつけて。良いお年を」と答えた。
バイクはエンジン音とともに、みるみる小さくなった。
安はその背中に手を振って見送った。
「確かに、ちょっと寒いけどな」
年末。
優乃と山川は実家に、雪はコンサート巡り、月森はデートに忙しいのか矢守同様帰って来ている様子がない。
安自身は帰る予定もなく、去年同様一人で年越しだ。
安は冬のどんより曇った空と冷たい風に肩をすくめ、足早に庭をぐるりと見回った。
優乃が作った花壇は、枯れた花が抜かれて土を休めている。手を入れているのはやはり優乃だろうか。
折れた枝が東の部屋に直撃したクスノキは、赤みも混じり色こそ冴えないが葉を茂らせて暖かそうだ。
安は裏庭もさっと見回ると小走りに、で愛の荘に入って行った。
一人の年越しは毎年のことだが、最後に優乃と山川を見送ってみると、何か頼りないような感じが心に残る。
が、それも気のせいだろうと、安は寒さ対策に着込むと大工道具と脚立を持って庭に出た。
脚立を表の雨戸に立てかける。
ここを直したのは何月だっただろう。ここに来てすぐに直した覚えがある。
安は修理したところが壊れてはいないか、外れたりしていないかと見て、釘を打ちなおしたり木工用のパテで根気よく埋めていった。
自分や山川が直した所も風雨にさらされ、補修が必要だった。
優乃が直したところは尚更だった。
「優乃ちゃん、頑張ったな」
やたら釘が打ってあるが、イタミが激しい。
初めてかもしれない雨戸の直しに、念のためといっぱい釘を打ったのだろう。
あの時は手伝いもしなかった。
優乃には、自分でやれる事をやって欲しい、それを教えようとしたのだか、今思えばもっと別な方法があったのではないかと思う。
幸いにして優乃は、それを分かってくれた。
あの時は、自分たちが教えたと思っていたが、優乃が分かってくれたと言うのが正しいのだろうと、振り返って思う。
優乃が直したところは粗が目立つ。
「それでも、よく持ってるよ」
安はかじかむ手で、丁寧にその隙間を埋めていった。
「家の方がここよりも居心地がいいかな。久しぶりに家族揃って鍋なんてしてるかも」
安は楽しそうに過ごしている優乃を想像し、早くは帰ってこないんじゃないかなと思うのであった。
定番の昼食ースナックパンに牛乳を摂り、部屋のストーブで充分に温まると安は裏庭に回った。
優乃が雨戸の次にやったのは、この洗濯機の屋根だった。
その隣には山川の作った金魚の池がある。
池の方は金魚の数こそ少なくなっているが、網のお陰で落ち葉もなく、底もきれいに掃除されている。
そんな所からも、山川がこの寒い中でも手をかけているのが分かる。
「細かいのはいいんだが、結婚すると大変だろうな」
安は自分の思い通りにならず、ブツブツ言いながら家の中を片付ける山川を想像した。
安は視線を戻した。
この洗濯機の屋根は見栄えこそ良くないが、で愛の荘には似合っている。
今ではある方が自然だ。
そう言えば前の、で愛の荘は、共用の洗濯機ではなかった。
共用になったお陰で、パンツ事件も起こったー。
今思い出しても恥ずかしい。
安は一人で照れた。
月森の空手に少しだが関わるようになったのも、ここからだった。
「月森さん、誤解されやすいって言うけど、誤解じゃないよな」
あの性格にはついて行けんと、いつも思う。
思い返すと、この庭から始まっている事もある。
はじめてみんなで一緒に作ったのは、これだった。
『きっかけは優乃ちゃんか』
今まで気にもしなかったが、ここにはいろんなことが詰まっている。
安は一人ひとりを思い返したりと、じっくりと味わいながら裏庭を片付けていった。
『明日はこの中か』
安は部屋でいつものようにラジオを聞きながら、明日の予定を考えた。
十二月に入ってから山川と休みが合う日に、廊下や共用部分の掃除は手伝ってもらってほぼ終わっている。あとは、どこだろう。
特にこれといった所はなさそうだ。
安は手持ち無沙汰な感じになって、やっと気付いた。
『…一人か』
ラジオをいつものように小さな音で聞く必要もない。
安は音を大きくしたが、その居心地の悪さにすぐに元に戻した。
いつもなら隣から何となく感じるはずの音も、気配もない。
ストーブに沸騰したヤカンが音を立てていた。机には鏡餅に乗っからないミカンが脇に置いてある。
壁には、お正月に着る和服が掛けてある。
『静かだな。ははっ、去年まではこうだった…。さみしくもなかったし、疑問も持たなかったな…。みんなどうしてるのかな。…そうか、さみしいのか』
で愛の荘が隣と近すぎる環境だからか、鍵もあってないようなもので言わば寮の様な所だからか。
今までの感じ方とは変わってしまったのかもしれない。安はなぜか学生時代を思い出し笑い出した。
「今更だな」
学生時代、それなりに遊んだと思うが、ここほどいろんな事はなかった。年齢も仕事も違う者同士ぶつかるし、すれ違いもした。だからなのだろう。
こんなにみんなが気になるほどのつながりができた。だからみんながいないさみしさにも気付く。一つの成長なのだろう。
そう考えれば、みんなに感謝だった。
そして出会いの場である、で愛の荘にも。
『ここにも、何かしようか』
急に安の虫がうずいた。
年が明けるまでは一人、言わばやりたい放題だ。
ここにいるのも後三ヶ月。今までのその感謝も込めて何かできる。みんなをちょっと驚かせてもやりたい。
「大丈夫、少しだけだよ」
二階の二の舞いは、しまい。
安は自分に言った。
優乃が帰ってきたのは、年が明けた五日の昼前だった。
早く帰ってくるつもりだったが、親が何でもやってくれる気楽さに、ついついここまで伸びてしまったのだ。
「うわーっ、しめ縄してある。お正月っぽーい」
で愛の荘の入り口の上で、大きめのしめ縄が優乃を待っていた。
そこをくぐって中に入ってみるとそれぞれの部屋の戸にも、しめ縄が飾ってある。
「中までお正月だ。こんなの初めて」
みんなはもう帰ってきているのかな。
優乃は部屋に荷物を置いて、早速おみやげの準備をした。
矢守が安の部屋に入った時、安は台所で野菜を切っていた。
矢守が声をかけて座ると、安は「もう少し待ってくれ」と手を止めて振り返った。
「ー何かいい事あった?」
何だか嬉しそうな顔の安に、矢守は聞いた。
「いや別に」
「私に会えなくて、さみしかったとか」
「ふふふ、そんなところかも知れんよ」
「あら、意外に素直に言ってくれるのね。今年の抱負は素直?」
こんな答え方をする安は見たことがない。
矢守は少し勘ぐりながら聞いた。
「ばか言え」
やっぱり安は、安だ。すぐに否定してきた。
だが、やはり少し違っていた。
「でも、ま、そんなものかも知れん。ここに来てからいつも何かやってただろ。それが年末、急にみんないなくなって、さみしくなったのはホントなんだ」
「へー」
矢守は安がそんな感傷的なことを、こうまではっきり言うとは思わなかったので、棒読みのように返事をしてしまった。
「今年でここともお別れだし、みんなともお別れだろ。別にしんみりする話じゃないが、その時を考えたらそんな気持ちになったんだよ」
矢守が『まだ三ヶ月も先の話じゃない』と思っていると、安が「矢守はどうだ」とさらっと聞いてきた。
「私?どうしようかなぁ。安さんさえその気なら、一緒になってもいいんだけど」
話をそらしたのではない。矢守なりの真っ直ぐな答えだ。
「ばーか。矢守は今年も去年と同じ路線か?」
「違うわよ。今のうちに安さんに言い寄っておかないと、出来なくなるでしょ」
「ふふ。そう言うことか。そうだな。年寄りみたいだが、楽しかったよ、ここ」
「私も。いっぱいいろんな事やったし、楽しかった。でも残っている分も、楽しむわ。安さんともね」
「そうか、そうだな」
「あ、許可出たの?じゃ、手出しちゃお」
安は微笑んで矢守を見た。
矢守も出した手を止めて、安の視線に微笑んで答えた。
安と二人でこんな時を持ったのは初めてかもしれない。安が自分と付き合うつもりがないことは分かっているが、決して嫌っていないことも分かっている。いつも本気で答え、気を使ってくれている。
矢守の男友達の中で、そんな友達はいるだろうか。
そう考えると、やはり惜しいと思う。
矢守がもう一度手を伸ばした時、そこに優乃が戸を強く開けて入ってきた。
「矢守さんっ、何やってるんですか!」
「あら、優乃ちゃんおめでと。もう少しでいいところだったのに、残念」
「こっちこそいい所に来ましたよ。もう少し遅かったら、安さんがどうなっていたか」
まるでけんか腰の優乃に、安が割って入った。
「まぁまぁ優乃ちゃん。おめでと」
穏やかに言う安に優乃は勢いを削がれて、普段通りの調子で返事をしてしまった。
「あ、あけましておめでとうございます」
安と矢守にも頭を下げる。
「これから上で鍋やるんだ。お昼ごはんまだだろ?優乃ちゃんが帰ってきてくれてよかったよ。山が美味しい肉を持ってきたんだ」
「美味しいお肉」と聞いて、優乃は「食べますっ」とすかさず返事をした。
「優乃ちゃん、私はカニよ、カ・ニ」
矢守は山川の肉にも負けないわよ、と持ってきた袋を重そうに持ち上げた。
「おっ、矢守。カニがお土産か。こりゃ、豪華で美味しい鍋になりそうだな」
安は、さっき切っていた野菜をざるに載せていった。
「矢守さん、それ自腹ですか?」
優乃が思わず見とれて、聞いた。
「んふふー。そう言うことは聞かないの」
矢守はニヤニヤと笑った。
「鍋なら、私おモチ持ってきました」
優乃も負けずに言ったが、カニとモチでは字数は同じでも勝負にならない。
しかし安は「それも美味しそうだ」と笑った。
「今回は、みんなのお土産鍋だ。山が上で待ってるから先に行ってて。こっちも残りの野菜切ったらすぐ行くよ。あ、これだけ先に持って行って」
矢守も優乃もカニとモチで喧嘩するつもりなど、まるでない。それよりも食い気だ。
二人とも急にお腹が減ってきたようで、安からざるを受け取ると楽しそうに話しながら部屋を出て行った。
二階のいつもの部屋の真ん中には鍋を囲んで山川と雪がいて、優乃から野菜を受け取った。
が、優乃の目を引いたのは、壁だった。
優乃は挨拶も忘れて壁を見ながら聞いた。
「あの、これ何ですか?」
特に何もない壁の前に、まるで神棚か何かのように葉のついた枝を両脇に挟んで塩とお米がそれぞれ小さなお皿に盛ってある。
「安が、後で話すって。あ、おめでとう。今年もよろしく」
「あ、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「しめ縄が飾ってあるのも驚いたけど、これホント何?」
「うん。あれは嬉しい出迎えだったよ。でもこれは謎だな」
矢守の疑問に山川も頷くしかない。
雪も同じだ。
そうこう話していると、残りの野菜を持って安が入ってきた。
「丁度、優乃ちゃんが来てよかったよ。みんなも揃ったところで、改めて今年もよろしく」
「ねぇ、安。その前にアレは?」
挨拶はいいが、さっきから気になっている壁を雪は指した。
このままでは美味しい鍋に妙な雰囲気が加わりそうだ。
「あ、先にそれだな。あと三ヶ月でここともお別れだろ。だから去年一年間の感謝と残りの日をよろしくお願いします、ってのを何か形にしたいと思ってな」
「それならそれで、真ん中に何かないとサマになりませんね」
山川が首を傾げつつ言った。
「ここに感謝…。そうね。それもありか」
「そうですね。私も家賃でたくさん助けてもらったし」
矢守と優乃も安の言うことに納得だ。
「んー、それなら」
雪が立ち上がって、ちょっと待っててと出て行き、すぐに大きなスケッチブックを持ってきた。
雪はそれを開いて筆ペンでスラスラっと何かを描き始めた。
その線はあっという間に、庭になり、壁になり屋根になった。
「これ、で愛の荘ですか」
優乃が感心しながら聞いた。
ラフなタッチだが、いい味を出している。
「そう。感謝するなら、ご本尊様があったほうがいいじゃない」
「あ、これ私たちですよね」
優乃が、で愛の荘の前に並ぶ人物を見つけた。
「一、二、三…八人。月森さん入れても、多くないですか?」
「東さんと梅田くんよ。これ、壁に貼って」
「そっかー」と言いつつ、雪の言うとおり壁に貼ると確かに形になった。
ご本尊と言うわけではないが、感謝するには丁度いい。
自然と全員が正面に並んで、拝む形になった。
「一年間ありがとうございました。今年も最後までよろしくお願い致します」
安が頭を下げると、全員それに倣った。
「さぁ、鍋やるか。今日のはすごいぞ。山の特別に美味しい肉と、矢守の旨いカニ、優乃ちゃんのおもち鍋だ」
「やったー」
「まずは雪からのお土産で乾杯だ」
雪がコンサート巡りをしている途中で買ったお酒だ。
カンパーイ
慣れたもので、いつもの光景が始まる。
ぐつぐつ煮えてきた鍋の蓋を取ると、湯気がモワッと上がった。
「優乃ちゃんから、もう一つ煮物だよ。母の味だってさー」
「ありがとー」
「でもまずは、肉ー」
「カニの優先権は私でしょ」
「持ってきた本人は一番後だ」
わいわい食べながら、優乃が言った。
「この後、みんなで初詣行きません?」
「おっ、いいねぇ。それなら身を清めてから行きましょう」
「水でも浴びろっていうの」
「いや、水垢離じゃなくて、風呂屋さんに行かないかってこと」
「久しぶりだな。いいんじゃないか」
山川と安が賛成する。
「お風呂セット持って神社は嫌だわ」
「お風呂屋さん、預かってくれますよ」
「そうなの?ならいいわ」
雪も矢守も反対はしない。
「ところでこのカニ、焼いて食べたいいから、網持ってきて」
「あっ、私もー」
「カニもいいけど、この肉も最高ね」
「じゃこの肉も焼いてみます?」
「もう、めんどくさいからバーベキューセット持ってきて」
「部屋の中でやれんだろ」
「この部屋だからいいのっ」
「いいのかよ」
楽しいと言うより、騒がしい。
一人の時はさみしさを感じたが、こうだとちょっと大変だ。それでも…。
『やっぱり今、ということか』
安は曇る窓の向こうを見つつ、うんざりしながらも喜んだ。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
こんにちは、月森です
私ってホントに忙しいんですよ
いつもいろんな人から誘われるんです
たまたま暇な日があって、そんな時は誰かに「この日何してるの」って聞くと
「どこか行こうか」って
私、ただ他の人が休みの日に何してるのか、知りたいだけなのに
時々誘われる日が重なることもあるんです
そんな時はもう大変
時間配分とか考えるんですよ
やっぱり楽しいところとか、美味しい所に長くいたいじゃないですか
年末年始は、そういうのもいっぱいで
もー疲れちゃう
「明日、あの二人大喜びよ」
「きゃー、やめてー」
「三対二か」
次回第五十八話 月森さんの新年会 前編
あーあ、誰かいい人いないかなぁ




