第四十話 温泉バンザイ 前編
第四十話 温泉バンザイ 前編
夏休みの終わりが見えてきた、ある夕方。
矢守が鼻歌でも歌いそうな雰囲気で、優乃の部屋にやってきた。
「優乃ちゃん、温泉行かない?行くわね。行くわよ」
矢守は「行く」の三段活用をして、優乃を誘ってきた。
優乃は、でも…と躊躇した。
「場所とか費用もありますし、日にちは…」
矢守は優乃のそばに寄ると肩に優しく手をかけ、耳元に口を寄せた。そして囁きながら、二枚の長細い紙を胸元から抜き出た。
「いいものもらってきたから、あなたに、あげる」
「やめて下さいよ、矢守さん。そういう趣味ないって言ってるじゃないですか」
「キスした仲なのに」
「あれは月森さん事件で、仕方なかった時でしょ」
優乃は赤くなりながら、ほんのりと暖かいチケットを手にとった。
「冗談よ」
そう言って矢守は謝った。
「で、どう?高級温泉ホテル無料宿泊券。一枚は当然私。一枚は優乃ちゃんに上げるわ。あ、安さん誘ってね。私は雪先生誘ってくるわ。山川は勝手についてくるから、ほかっておきましょ」
優乃は『高級温泉ホテル』と言う言葉に、目をきらきら光らせながら聞いた。
「他の人達は宿泊代とかどうするんですか。みんなで割り勘ですか」
「何言ってんの。雪先生は私より売れてるんだから自腹よ。安さんもいい大人なんだから自腹。山川は勝手についてくるんだから、当然自腹ね」
「分かりました。仕方ないですね」
優乃は笑顔で納得した。
「優乃ちゃん。夏の思い出は作るもの。行動あるのみよ。タダで行かせてあげるんだから、期待してるわ。特に夜」
編集部からもらったチケットだったが矢守は入手先を聞かれないうちに立ち上がり、優乃の返事も聞かずに戻っていった。
「それが出来るんだったら、苦労しませんっ」
優乃は、矢守が出ていった戸に向かって言った。
「せめて安さんの隣で寝たいな…」
和室に布団が五つ並べて敷いてある。温泉から上がってみんなお部屋で一息。ちょっと飲んだあと、私は安さんの隣でおやすみ。夜中、ふっと気がつくと寝相が悪くて、安さんが私の布団にもぐり込んで来る。『やだぁ。安さん寝相悪い』でも仕方ないよね。私も寝ていて気が付かなかった事にするから、背中でくっついて、一緒のお布団…。うふふ。あっ、でも待った。せっかくの温泉なのに、背中合わせで寝るだけなんてつまらないじゃない。んー、こうね。
優乃は場面も新しく、次なる妄想を作り上げた。
個室の貸し切り露天風呂。雪がチラチラと降る中、私と雪先生、矢守さんとで雪見酒。竹垣を挟んだ隣の露天風呂から安さんの声。『優乃ちゃん、そろそろ出ようか』『私たちもう少し飲んでるから先に出ていいわよ』雪先生がお酒を飲みながら言う。私は『はい』と頷いて、お風呂とお酒で温まった体を浴衣に包む。安さんと二人、廊下を歩いて部屋に戻る。途中、安さんが『優乃ちゃん、いつもより色っぽいよ。温泉効果かな』『お酒も飲んでいましたから、お酒効果かも知れませんよ』『どっちにしても優乃ちゃんがきれいなことには、変わりがないよ。もっと近くで見てもいいかい』『ここじゃなくて、お部屋に戻ったらいいですよ』そうして二人部屋に入る。そうしたら私がふらっと倒れる。安さんが優しく抱き止めて聞くの。『大丈夫かい』『えぇ、お風呂にあたったみたい』『それならお布団まで連れて行くよ』そうして安さんは私をお姫様抱っこして、お布団に寝かせてくれる。『優乃ちゃん、君は僕のお姫様だよ』何てキャッ、恥しいっ。よーし、これよ、温泉に行くならこれくらいはあるはず。行くの、すごーく楽しみになってきちゃった。
妄想にわくわくする優乃だった。
「場所、ここなんですけど…」
優乃は矢守から預かった小さなパンフレットを、差し出した。
「すごい豪華なホテルだな。宿泊費高そうだけど」
「…料金表、これなんですけど」
優乃はこわごわと机の上に置いた。
手にとった安は、それを見てうなった。
「んー、優乃ちゃん。これはちょっと高いよ。優乃ちゃんは大丈夫なの?」
「私はみんなで行けるんだったら、大丈夫です。それに、五名以上で安くなって、大部屋が取れるんです。山川さんも雪先生もOK取れたんです。あと安さんだけなので、是非お願いします」
本当は、山川からも、雪からもOKは取れていない。だが矢守から、そう言うように教えられたのだ。矢守も二人を説得するときに、安からOK取れたと言うらしい。
優乃は頭を下げた。本当でも、嘘でも何でもいいのだ。安に来て欲しい。妄想実現のためにもだ。
安はうーん、と迷っていたが
「山も雪も行くって言うなら、行こうか」
と、諦め顔で笑った。
「うわぁ」
一目見て優乃は声を上げた。
「さすが高いところは違うわね」
雪がホテルを前にして、じっくりと辺りも観察する。
「庭からして出来がいいですね。あの松と岩の配置は考えられていますよ。手入れも掃除も行き届いているし」
山川が敷地に広がる庭園をほめた。
「ダテに高く取ってないな」
そういう安に矢守がぴたっと、寄り添った。
「密会にはぴったりね」
「えぇい、寄るな。寄るなら山に行け」
安が腕を払うと、山川は両腕で×印を作った。
「俺、間に合ってるんで」
すぐ横の優乃も真似する。
「私も、間に合ってます」
三人に断られた矢守は、石を蹴る真似をして、雪に聞いた。
「私の愛は、どこに行けばいいのよ」
「えっ、仕事じゃない」
案内された部屋は、十二畳と八畳の二間で和室作り。外の露天風呂とは別に部屋風呂もあり、格の違いを見せつけられる。
「広いし部屋風呂もあるなんて、最高ですね」
部屋の中をぐるぐる見回った優乃は、驚きながら報告した。
「ところで貸切の露天風呂ってどこですか?」
「そんなものないわよ」
優乃の問いに矢守があっさりと答え、優乃の真夏の雪見酒妄想が音を立てて崩れていく。
「えー、ないんですか」
「あるなんて誰も言ってないじゃない。部屋風呂だけでも十分」
一方、雪は座ってお茶を飲みつつくつろいでいる。
「お茶もちゃんと葉っぱで、ティーパックじゃないわね。葉の色もいいわ。安物ではなさそうね」
雪が仲居さんが入れてくれた急須の中を、覗いて言った。
「でも、お茶の出し方は、まだまだね」
「ロビーのコーヒーは美味しかったですよ」
山川が話に入ってきた。
「そりゃ、専門店にはかないませんけど、そこら辺の喫茶店には負けてませんでしたよ」
「あんなふかふかの絨毯なんて初めて。靴で踏んでいいのかって、いらない心配しちゃった。シャンデリアもきれいだったし、大きな壺にいっぱいの花。もうびっくりの一言よ」
矢守がうっとりしている。
「そうね。でも、で愛の荘にあったらどれも邪魔なだけね。シャンデリア使えばブレーカー落ちるし、頭に当たる。壺なんて飾ったら部屋をどれだけ占領するか」
「雪先生、そんな風に考えなくてもいいじゃないですか」
優乃は広々とした部屋に満足だ。
その横の矢守が、ニヤニヤしながら優乃に聞いた。
「知ってる?ロビーにあったアポロンみたいなギリシア風の彫刻。格好いいけど、ギリシア時代の男の彫刻って、みんなムケてないのよ」
「何の話ですか?」
「男は大きさじゃなくて、顔ってことよ…、あーあ、優乃ちゃんって、つまんないのねぇ」
「はぁ」
優乃には、何の事かピンとこなかった。
矢守は山川に話を向けた。
「山川、そういう訳だから、あんたも自信持っていいわよ」
山川は幾分顔を赤らめた。
「お前、何言ってんだ。お前の頭は、その手のネタしかないのか」
「ないわ」
矢守はキッパリと言った。
「そう言えば、安」
雪が安を呼んだ。
今度は安が標的だ。
「あんたさっきロビーで誰かボーっと見てたけど、あれ女将でしょ。憧れたりするのは勝手だけど、身の程わきまえなさいよ。いつまで僕ちゃんなのよ。優乃ちゃんに手、引っ張られてこっちが恥しいわ」
「某アイドルグループのコンサートに、何度も行く奴に言われたくないな」
安も負けじと言い返す。
山川も加勢する。
「雪先生にはそう見えるかも知れませんが、あの女将からただよう品の良さは、安さんじゃなくても見とれてしまいますよ。案内されてた老夫婦も嬉しそうでしたよ」
「そう言う品性ってのが私にもあれば、男たぶらかし放題なのに。どっかに落ちてないかしら」
矢守が本当に欲しそうに言うので、全員笑ってしまった。
「品性が落ちてるかどうかは知らんが、得ようと思ったらまず捨てなければとも言うぞ。そんな訳で早速、温泉で汗を流してくるよ」
優乃は、安がタオルと浴衣を探して出ていくのを、いってらっしゃいと見送った。
安が温泉を満喫し部屋に戻ってくると、浴衣姿の山川が一人残って窓際の椅子に座り外を眺めていた。
窓際には部屋とは別に、四畳ほどの広さに小さなテーブルと藤で出来た椅子が二脚用意されていた。
「おう山。ずっとここにいたのか?雪たちはどこに行ったんだ」
「あ、安さん。お帰りなさい。雪先生たちはホテルの中、探検するんだって出て行きましたよ。もうそろそろ戻ってくるんじゃないですか」
安は椅子に腰を下ろすと、山川と同じように外の景色を眺めた。
「広い庭だな」
安のつぶやきに、山川が答えた。
「そうなんですよ。だからか、あそこに植木屋さんが。毎日、手入れてるんでしょうね」
「なる程な。しかし意外と庭に人がいるな」
「家族連れを見かけないんですが、夫婦とかカップルが多いですね」
「ところで、これから風呂に行くつもりで、浴衣着て待ってたのか?」
「あ、これですか。ここの部屋風呂に入ったんですよ。なかなか凝った作りになってましてね。蛇口も石で囲って、いかにも温泉から直接お湯を引いていますって雰囲気作ってるんです。大きな窓があって、庭が見えてちょっとした露天気分でしたよ。そっちのお風呂はどうでした?」
「こっちか。こっちも良かったぞ。普通の風呂の方もサウナとか泡風呂とか種類があってよかったけど、外に出るとすぐに大きな露天風呂があってな、竹製の壁で仕切られているんだ。なかなかいい風情だったよ。食事が終わったら、また入りに行くつもりだけどな」
山川はうんうんと頷いた。
「そうでしたか。俺もそのつもりですよ。楽しみです」
「その前に、噂の部屋風呂に入ってみるか」
安はいそいそと立ち上がった。
「今、お風呂に入ってきたばかりじゃないですか」
山川は笑って止めた。
「安くない金額だったからな。ここも入ってみないと」
「貧乏性ですか?」
「そういう事だ」
安は照れくさそうに、部屋風呂に入っていった。
広いホテルの中をぐるぐると探検する。売店は当然として、エステルーム、カラオケルーム、バーがあったりとホテルとは思えない施設がある。庭への出入口も昼用、夜用と分かれて用意されている。今までの優乃の経験からは、考えられない豪華さであった。すぐ終わると思っていた探検だったが、部屋に帰った時にはいい時間になっていた。
「おかえり」
部屋に入ると、安と山川が浴衣姿で待っていた。
「どうだった」
安の問いに、三人でどこに何があったかを説明する。
「で、ちょっとだけ見たけど、バーテンダーがいい男だったのよ。後で行かなきゃ」
うきうきした調子で、矢守が言えば、
「お風呂上りは足つぼマッサージね。でも、エステも捨てがたいわ」
と、雪はうっとりして言う。
「ホテルにこんな施設があるなんて、びっくりですよ。ここは天国ですか」
優乃は大喜びで言った。
「お金があればね」
山川はぼそりと呟いた。
だがそんな事は耳に入らない。安と山川に、ひとしきり咬み合わない会話を聞かせた後、全員揃って下の食事の間に行った。
案内されたのは個室の部屋であった。てっきり大部屋かと思っていた安たちは、ここでも高級の意味を知らされた。十六畳ほどの間に整然と並べられたお膳。奥にはカラオケ機器まで置いてあり、小宴会もすぐ出来るようになっている。
「お飲み物は、どうなさいますか?」
席に着くと、仲居さんが聞いてきた。
「熱燗ありますか」
とは、もちろん雪。
「じゃあ、ウイスキー」
安が言いかけると、雪に叱られた。
「あんた料理見なさいよ。こいつも熱燗で行くから猪口二つでお願いします」
「こいつ扱いかよ」
続いて矢守が言う。
「私はビール」
「ウーロ…、いや、ビールのグラス二つで」
雪の視線に気付いて、山川が言った。
「私は…」
と、優乃が言いかけると
「この子、未成年なんですけど、何かありません?」
と、矢守が聞いた。
仲居は、「はい」と微笑むと
「オレンジジュースやコーラもありますが、こちらはトマトが特産なので、トマトジュースをおすすめしています。いかがでしょうか」
と言う。
「じゃそれで」
矢守は優乃の返事も待たずに言った。
かしこまりました、と仲居は言うと、お膳の小鍋に火をつけて部屋を出ていった。
「どうして私を、未成年にするんですか」
優乃は早速文句を言った。
「メニューに『特製トマトジュース』ってあったのに、誰も注文しないんだもん。ちょうど最後に残った優乃ちゃんに飲んでもらおうと思って」
矢守はもう一言、冗談っぽく付け加えた。
「それにすぐ酔うお子ちゃまじゃない」
幹事なんだし、それくらいは諦めなさいと雪に妙な説得をされ、優乃は仕方なく頷いた。
「何かいろいろさすがね。料理もひと味違いそう」
矢守が言うように、塗りお膳には仲居が火をつけていった小鍋を始め、お造り、煮物の小鉢、焼きもの、揚げ物、青物、茶碗蒸しに、箸休め、吸物椀、デザートなどが器の彩りもよく、所狭しと並んでいる。これだけ作るとなると、手間も時間も相当なものだろう。洋風バイキングと違って、出来たものを大量に載せて並べておけば、形が整うとはいかない。一品一品、器に盛っていくだけでも、大きな手間だ。
「そこで、日本料理という文化を考える時にですね」
早速、山川のウンチクが始まった。
「よく比較に出されるのが、三大料理。フランス、中国、日本です。そこで問題にされるのは食材と料理方法です。フランスは貴族社会で美味しい物を探して世界を巡り、中国では『四足は机と椅子以外は食べる』と言われるほど、何でも食べました。では振り返って日本ではと言うと、あまり話題に出ませんが、例えば卵ですね。日本人は卵が好きなようで、フランス人や中国人がどう料理しても食べられなかった猛毒のふぐの卵巣、つまり卵を食べることに成功してます。これは世界広しと言えども日本人のみ、成し得たことです。つまり食材探しにおいて、どこが世界に劣ると言う事はないのです。また料理方法についてもソースや炎の文化などと言われますが、それよりも盛りつけという文化から人というものを考えてみると面白いと思うのです。フランスは出来たものを個別に提供していきます。中国では出来たものを大皿に盛りつけて提供します。フランスの個に対して、中国の全です。対して日本では…」
長々としたウンチクから逃げる場所もなく、全員が黙って聞いていた。
ここに仲居さんがやってこなければ、まだ続いていただろう。
「お待たせしました」
と、仲居が入ってくると、全員がほっとした表情を浮かべた。
飲み物が手渡され、お椀に温かい吸い物がつけられる。
「あと、こちらで本日捕れました甘エビです。いかがですか?」
と、ガラスの小鉢に入った甘エビが差し出された。
「生きてますよ」
優乃がこわごわと小鉢を覗きこんだ。
「普通だよ。一匹頂きます」
山川は平気な顔で言うと一匹手に取り、器用にぺりぺりっと体の殻を取ると、身をぱくっと食べた。
「うん、甘い。美味しいですね」
「敬遠されるお客様もいらっしゃるんですが、とても慣れていられるんですね」
仲居は少し居住まいを正す様子を見せ、ごゆっくりと部屋を出ていった。
「山川さん、グルメなんですね」
優乃が感心しながら言った。
反対に矢守は眉をひそめる。
「生生しー」
安が食べたそうに言う。
「山、むいてくれ」
「いいですよ」
山川は事もなげに返事をした。
雪が突っ込む。
「どこの殿様よ」
んー、上手い、と甘エビを頬張ると、安は言った。
「よし。まずは乾杯といくか。音頭は矢守でいいか」
安は矢守に振った。
矢守はグラスを高々と上げた。
「皆様、グラスのご用意はいいですか。それでは夏の思い出に、カンパーイ」
「カンパーイ」
全員が声を合わせる。
一口飲んで山川が聞いた。
「夏の思い出ってなんだよ」
「夏の思い出は夏の思い出よ。山川は何かないの」
「いや、別に」
「つまらない男ねぇ。じゃあ今晩、私が安さんの次に思い出作りに行ってあげる」
「断る」
「ご遠慮、申し上げるよ」
安と山川が即座に言った。
「矢守さん。そういう話は、少し回ってからにして下さいって、いつも言ってるじゃないですか」
優乃は一人トマトジュースを飲んだ。
「ん、これ、甘くて美味しい」
優乃は飲んでとばかりに、グラスを差し出した。
雪がグラスを取り、一口飲む。
「お、本当。美味しいわ、これ」
雪も満足の味だ。
続いて安、山川、矢守と回される。
口々に驚きの声だ。
「ほぅ、青臭さがないな」
「これは他のものとは違うね」
「これ、すごいじゃない」
最後に回ってきた矢守は味見をするとビール瓶を手に、グラスに注いだ。
「ちょっと矢守さん、何するんですかっ」
「見ての通りよ。こんなに美味しいトマトジュースなんだから、カクテルにするの」
「レッドアイだな」
山川がカクテルの名前で、合いの手を入れる。
「私のジュースですよ」
優乃が文句を言ったが、矢守は取り合わない。
「大丈夫。優乃ちゃんにも飲ませてあげるわ」
「すぐ酔うお子ちゃまって言ったのにですか?」
「そうだっけ?いいじゃない。そんな細かいこと言わずに、もう一杯頼みなさいよ」
矢守はビールを注ぎ終えると、デザート用のスプーンで軽くかき混ぜ、自作カクテルを味わった。
「んー、これはいけるわ。ビールよりも、こっちの方が美味しい。優乃ちゃん残念ね」
「もー、矢守さん。すみませ~ん。トマトジュースもう一つお願い…」
「トマトジュース二つと、ビールもう一本追加で。グラスもひとつお願いしまーす」
優乃にかぶせて、矢守が追加を頼んだ。
「さっきの話ですけど、フランスの個、中国の全に対して、日本では個と全を合わせた形をとっているんです。具体的に言うと、このお膳がまさにそうです。個別に盛り付け、すべてを最初に出している。個と全、一体の形なのです。この三者三様の違い、ここに国の文化というか根本的な思考の違いを見つけることが出来るんじゃないかと…聞いてます?」
「山川、さっきから何言ってんの。食べないならその肉、私が食べるわ」
雪はいきなり箸を伸ばしてきた。
「食べますよ」
山川は慌てて箸を取った。
雪は自分の膳に箸を戻し、青物を口に運んだ。
「これも美味しいし、お肉も美味しい。みんないい味だわ。これだけで一年分の食事よ」
「雪先生、ちゃんと食べてる?お酒はご飯じゃないのよ」
矢守はすっかり顔が赤い。
「失敬な」
と、言いながら雪も美味しそうに猪口を口に運んだ。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
高級温泉旅館
普通の旅館では考えられない部屋、料理、サービス
そして温泉
分かる者だけに分かる質の高さ
例えばこの部屋
誰も気がついてないかも知れませんが、壁や柱が違いますよね
茶器や調度品もわりと、いいもの使ってます
そもそも高級か否かを分けるのは、江戸時代の「旅籠か木賃」に始まる宿の…
山川、予告にまでウンチク話すのやめなさい
「もう少し休ませてくれよ」
「見る価値もないってこと」
「すみません、気付かなくて」
次回第四十一話 温泉バンザイ 後編
「安さん。い~いお風呂でしたよ」




