第二十八話 冬美の気持ち 後編
第二十八話 冬美の気持ち 後編
金曜日の夕方。山川がバイトから早上がりをして、街に服を買いに行こうと駅に行くと、ホームに冬美がぽつんと電車を待って立っていた。
「あれ、冬美ちゃん」
珍しいこともあるなと声をかけると、冬美は横目で山川を見て言った。
「何?」
いつも以上に素っ気ない。
「いや、別に…」
冬美の怒ったような目に、山川は首を引っ込めた。しばらくの沈黙の後、冬美が聞いてきた。
「これからどこか行くの?」
山川は出来るだけ平静を装って答えた。
「まぁ、街に服買いにね」
「ふーん」
【まもなく電車が参ります。危険ですので白線の内側に下がってお待ち下さい】
駅のアナウンスが流れた。
「じゃあ、それ付き合ってあげるから、私にも付き合って」
いつもの冬美らしくない、鉛色の声だ。
山川はとまどいながら、頷いた。
電車から下りた後の冬美は、人が違ったようだった。山川の服を後回しに、あれが食べたい、これが見たい、あそこに行ってみたいと上機嫌で、山川を連れ回した。
時間が刻々と過ぎ、山川が服を選ぶ時間がなくなりそうだと言うと、冬美は文句を言いながらも、山川について服屋に行った。
「これ、良くない?」
冬美は派手なシャツを広げた。
「だからさっきから言ってるだろ。そういう派手な物じゃなくて、落ち着いた物がいるんだって」
「もー、私が似合うの選んであげてるのに、全部無視するのね」
山川の欲しい服と、反対の柄物を勧めておいて言う。
山川もさすがに疲れてきた。何度同じ事を言ったかしれない。山川は自分で落ち着いた色のシャツを選んで、店員に渡した。
「どうして、私の選んだ服にしないの」
さっきまでの上機嫌が嘘のように、またふくれている。
「だから、何度も言ってるだろ。今日はそう言う服を買いに来たんじゃないって」
冬美に負けず、山川も不機嫌になってきた。あれだけうるさく言われれば、そうもなる。
それでも山川は気持ちを抑えて、店員にお金を払うと店を出た。
「それじゃあね」
店を出て、冬美を振り切るように背を向けると、山川はさっさと歩き出した。
「待ってよ」
今度の冬美の声には、せっぱ詰まった響きがあった。
山川は仕方なく足を止めて、振り返った。
「今度は何?」
いい加減、今日の冬美には疲れている。言葉もつい投げやりになった。
冬美は山川から目をそらして、地面を蹴った。
「私に何か言うことない?」
「言うことって」
「だから、何か言うことあるでしょ」
「別にないよ」
特別冬美に言うことはない。山川はやれやれと肩を落とした。
「うそっ」
冬美は顔を上げて、山川をにらみつけた。
「じゃあ、その服何よ。私が選んであげた服じゃなくて、どうしてそんな服買ったのよ」
山川にはどうして冬美が怒るのか分からない。冷静に説明しようとしたが、精神的に疲れたこともあって乱暴な口調になってしまった。
「そんな事、別に説明する事じゃないだろ。今日はこっちの服が欲しくて、買いに来ただけだよ」
「あなたに付き合ってあげたのに、そんな言い方ないじゃない。隠してる事があるからなんでしょ」
「隠してるも何も、何にもないって言ってるだろ。それに今日、付き合ってやったのは俺の方だっ」
何も隠していないのに、隠していることがあると言われ、山川は言葉を吐き捨てた。
すっと体をすくめ、じっと山川を見つめた後、小さく首を振った。
「やっぱり…」
山川には何のことだか分からない。
ちょっと言い過ぎたかなと、謝ろうと近寄ると冬美が叫んだ。
「寄らないでよっ」
踏み出した山川の足が止まった。
「もういいっ。あんたの顔なんて見たくないっ。もう、で愛の荘からも出て行ってよ。優乃と会う時、いちいちあんたの事、気にするのも嫌っ」
「そんな事、俺の知った事じゃないだろ」
売り言葉に買い言葉。山川も怒って言い返した。
「今日だってお前のわがままに付き合ってやったんだ。お礼ぐらい言えっ。お前みたいなわがままと本気で付き合ってくれるヤツなんてー」
「そのセリフ、あんたにそっくり返すわよっ。私の事なんて何とも思ってないクセに。バカーッ」
冬美はそう言って目を赤くすると、くるりと背を向けて走っていった。
「何だよ、あいつ」
山川は舌打ちをした。そしてはじめて自分が周りから見られているのに気がついた。
気まずい気分で山川は道を曲がり、遠回りで駅に向かった。五分もしないうちに、山川の携帯電話が鳴った。
冬美かと山川は急いで電話を取り出した。
番号は冬美の番号ではなかった。
何だよ、こんな時に。
そう思いながら、電話に出た。
「ん、俺だけど、何?…え?ん、それで、ふーん。分かった。すぐには行けないけど、出来るだけ早く戻るようにするよ。じゃあ」
その夜。廊下越しに山川が安と話している声が、優乃の部屋にも聞こえてきた。
「…ちょっといつ戻れるかは…。…突然すみません…、いない間、よろしくお願いします。…みんなには言わない…」
優乃はびっくりして戸口に聞き耳を立てたが、もう遅かった。
山川は安にもう一度、お願いしますと言うと部屋に戻ってしまった。
優乃は安に聞きに行こうかと思ったが、みんなには言わないでと言っているからには、秘密にしておきたい話なんだろうと、やめておくことにした。
それにしてもいない間とか、いつ戻れるかというのはどういう事なんだろう。
おかしな雲行きになってきたようだった。
日曜日は朝から、あいにくの雨だった。
山川は先日買ったシャツを着、タクシーを呼んで出かけた。
山川が出かけていくのに気付いた優乃が、窓から心配顔で山川を見送った。
山川が帰ってきたのは、お昼も過ぎた三時頃だった。
タクシーを降りると山川は、後部座席に向かってお辞儀をし、傘をさしてその姿が見えなくなるまで見送った。
山川は部屋に戻ると着がえ、廊下に出た。
トントン
「優乃ちゃん、山川だけど」
優乃の部屋の戸を叩く。
「はい」
少し間があって返事があり、優乃が出てきた。
「ちょっと、いいかな」
山川はそう言うと、一歩中に入って戸を閉め、部屋の上がりに腰をかけた。
「今、お見合いから帰ってきたんだよ。優乃ちゃんのアドバイスも良かったんだけど、例のテストしてから、いい意味でバカバカしくなって気が楽になったんだ。相手の人も良い人でさ、自分の気持ちを話して分かってもらったよ。あっ、もちろん店長達がいなくなって、二人になってからだよ」
山川は嬉しそうに話す。よほどその人と気が合ったみたいだ。
優乃も自分のアドバイスが役に立ったと嬉しそうだったが、どこか浮かない顔をして聞いていた。
「気さくな人でね。隠すようなことでもないからここまで…、あの、俺、何か変なこと言った?」
山川は優乃の顔をのぞき込んだ。
「いえ別に。そんなこと言ってませんよ。良かったじゃないですか、いい人で」
「うん、そうなんだけど。何か優乃ちゃん、心配そうな顔してるから」
「あっ、すみません。別に何でも…」
「そう?俺で良ければ話ぐらい聞いてあげられるけど」
「いえ、ホントに」
「んー、じゃいいけど。とにかくお陰で助かったよ。それが言いたくてね。ありがとう。矢守にも一応、お礼を言ってこないと。それじゃあ」
山川は立ち上がって、戸に手をかけた。
「あのっ…」
優乃は思いあまって、声をかけた。
「何?」
振り返った山川に、優乃は視線を落とした。
「あの、山川さん。ここから出て行っちゃうんですか?」
「えっ、誰がそんな事」
「すみません。この前、山川さんが安さんと話してるのが聞こえて…。それで冬美にも山川さんが出て行くかもって話ちゃったんです。そしたら冬美が何だかすごく心配して。その前に山川さんがお見合いするって少し話しちゃって、それも気にしてるのかも知れないんですけど。山川さん、冬美と何かあったんですか?今までだったら山川さんの話が出ても、あんなに心配しなかったと思うんです」
今度は山川が、優乃から視線を外す番だった。
「いや、そんな特別に何かあった訳じゃ」
「あの、冬美のこと、あまり誤解しないであげて下さい。誤解されやすいことしてますけど、わがまま言うのはちゃんと人、選んでるんです。特に自分に言い寄ってくる相手だと、よく言うんです。山川さんはそんな人じゃないですけど、友達になりたいと思ってるのかも知れないんです。そうやって人を試してるみたいで…」
「うん」
山川はつぶやくようにしか、頷けなかった。
『私の事なんて何とも思ってないクセに』
あの時の冬美の言葉が、聞こえてきた。
「だから冬美の事、あまり嫌わないであげて下さい。そんな子だから、お願いします」
優乃は深く頭を下げた。
山川は沈むように頷いた。
日が沈みかけても、雨は降り続いていた。
「さすがに小雨になってきたなぁ」
山川は外を見て、ポソリとつぶやいた。
お願いしますって言われても…。
優乃ではないが、あれだけわがまま言えば誰だって誤解するに決まっている。試すにしても程がありそうなものだ。
「あれ?」
山川は目をこすった。庭の木の下に誰かいる。傘もさしていない。小雨とはいえ、濡れてしまう。
「冬美ちゃんっ」
山川はスリッパを履くと、いそいで外に出た。
こんな雨の日に。傘もささずに。木の下だって濡れるだろう。後で風邪でもひいたらどうするんだ。
山川は足下が濡れるのもかまわず、冬美の所まで走った。
走ってきた山川を前に、冬美は消え入りそうな声で言った。
「もう、帰ってるかと思って…」
冬美は頭から全身濡れていた。足下が特にひどい。傘も持たずに、走ってきたのだろう。
冬美の前髪から雨が流れ落ち、頬を伝った。
悲しさを押し隠すような目に、山川は言葉を失った。
言葉の代わりに山川は、冬美の肩に手を回し強く引き寄せ、部屋に連れて行った。
冬美を戸口に立たせ、山川はバスタオルを投げた。
自分も一枚出して体を拭く。
「出てくって、ホント」
冬美はバスタオルを持ってまま聞いた。山川が答えなければ、拭かないようだった。
「少しの間、留守にするだけだ。出て行くわけじゃない。いいから拭けよ」
冬美の視線を強く感じたが、目を合わせるのが何だか恥ずかしく、山川はそっぽを見て答えた。
「私が、あんな事、言ったから?」
「ちがうよ。バカだな」
山川は吐き捨てるように言ったが、暖かさがこもっていた。
冬美はその言葉を聞いて、初めてタオルを動かした。
「ごめんなさい」
冬美がぽつりと謝った。
「ごめん。俺も言い過ぎた」
山川は拭く手を止めて謝った。山川の目に冬美の姿が痛々しく映っていた。
山川は立ち上がると、戸棚からカップとインスタントコーヒーを取り出した。
「インスタントだから美味しくないけど、飲めよ。温まっていかないと、風邪ひくぞ」
食にうるさい山川が、インスタントコーヒーを持ってるのが可笑しかった。そして冬美の返事も聞かず、戸惑うようにコーヒーを用意する山川が可愛くて、冬美は「うん」と笑った。
「温まったら送るから」
冬美が見ているのにも気付かず、山川は不器用な手つきでコップを机に並べた。
「とにかく何かあったら、俺に電話しろ。隠すような事もしないから。結婚だって、俺はまだ考えてないから」
駅のホームで、山川は言った。
いつもの山川の調子ではなく、言葉は途切れがちだった。
冬美もこくりと頷くだけで、返事はなかった。
日曜日の夜のホームは、人が少なかった。濡れた服を着ている冬美を、じろじろ見る人もなかった。
やがて静かなホームに、電車が入ってきた。
冬美が言葉もなく電車に乗ると、ドアは静かに閉まった。
お互いに立ったまま手を振ることもなく、ゆっくりと動き出した電車の窓をはさみ、視線だけで相手を見送った。
駅を出て空を見上げると、雨はいつの間にかやんでいた。山川は広げかけた傘を閉じ、歩き出した。
で愛の荘に戻ると、山川は安の部屋の戸を叩いた。
山川は中に入るとぽつりと安に言った。
「今日は何だか、いろいろあって疲れました」
安は山川の様子を見て言った。
「あぁ、ホントにそうみたいだな。釣り上げられた後の魚みたいだぞ」
「そうかも知れませんね。精神的にビチビチ動き回ってたんですよ」
「それで、話は?」
安の言葉が温かく感じられる。疲れてぐったりしていた気持ちが、和らいでいくようだ。
「いえ、それだけなんです。ただ、それを話したくて」
「珍しいな。そんな事、山が言うなんて」
いつもと違う様子の山川を慰めるように言った。
「そうですね、でも矢守と優乃ちゃんに助けてもらったお陰で、だいぶ楽でしたよ」
山川は隣の優乃の部屋の方を見た。
「二人が?面白いな。そんなお礼なら、本人に言えよ」
「一応さっき伝えましたよ。…友達っていいですね」
山川の言葉に、安も何か感じたようだ。
「なんだ突然」
安は柔らかく言った後、カラッと調子を変えて聞いた。
「一杯飲むか」
「いいですね。じゃ今日は日本酒で」
いつもの山川の調子が戻ってきた。
「おっ、珍しいな。よし、日本酒なら雪の所で飲むか」
「締め切りじゃないんですか」
「ホントの修羅場じゃなきゃ、あいつは飲むよ」
タカリに行くぞ、と安は立ち上がっている。
「ダメだったらどうします?」
「まー、矢守か?あいつの部屋では飲みたくないけどな」
「そうですね。今回世話になりましたけど。それならこの際、みんな呼びますか」
「それにしろ。二人へのお礼も兼ねてな」
山川は喜んで頷いた。
「今日は飲めよ」
「ガンガン飲みますよ。日本酒なら、一杯で寝ちゃいますけどね」
二人は揃って笑った。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
冬美ばっかりにいい格好させない。次回は私のお話よ
いやーん、優乃ちゃんったら、急にヒロインぶっちゃって。陰の主役は私なのよ
矢守、陰って事はヒロインじゃないって、自分で言ってるんだぞ
いいじゃない。恵ちゃん、好きでやってるんだから
どうして、みんなして私をいじめるの?
いや、いじめではなくて、客観的事実を述べているのであって…
あのー次の話、私が主役の筈なんですけど…
次回第二十九話 おまじない 前編
まだ何にも話してないのにー
優乃ちゃん、ぼくも出る…
久ちゃんまで、じゃましないでっ




