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第二十六話 恋の捨て方

第二十六話 恋の捨て方



 「このままじゃ、いかんな」


 日曜日の昼下がり、安は仕事の手を止めて、ぽつりとつぶやいてみた。


 エイッ

 ヤッ

 エイッ

 ハイッ


 裏庭の方から、月森の声が聞こえてくる。めずらしく自主稽古でもしているのだろうか。


 この暑くなる時間によくやる。


 安は感心しながら、ため息をついた。


 ちょっと出かけるか。


 部屋着から着がえる。いつもならGパンにTシャツぐらいの服装で外に出るのだが、今日はアイロンのきいた綿パンに、シックなシャツに着がえていた。


 何故こんな服を選んだのか、自分でも分からなかった。しかし安は、いいか、とシャツのボタンをはめていた手を止めて胸元を広げ、プレーントゥのきれいな靴を履いた。


 大きく開いた胸元が、全体の雰囲気をカジュアルに変えている。馬子にも衣装と言うが、チェーンアクセサリーでもつければ、安にも意外な程似合うだろう。


 いつ帰ろうとは思わなかった。一人で気の向くままにどこか行こうと、安は戸に手をかけた。


 外に出ると、山川とばったり会った。


 山川のTシャツは汗で色が所々変わっていた。


 「あ、安さんどっかお出かけですか?」


 見慣れない格好の安を見て、山川は聞いた。


 「特にどこって事はないんだが。山は何してたんだ?」


 「お昼から月森さんの声聞こえてましたよね。あれ、裏庭で俺と稽古してたんですよ。道場でフェイント覚えたそうで。よく分からないんですが、前回のケリをつけるって。有無を言わさずですよ。安さんに使う前に俺で試すって。こんな強引でムチャな事、冬美ちゃんだって言いませんよっ…、すみません、言いそうです」


 「お疲れさん」


 安はかわいそうにと、山川の肩をぽんぽんと叩いた。


 「で、そのフェイントはどうだった」


 安が聞くと、山川は月森に聞かれてはまずいように、声を落として言った。


 「それが、充分反応出来ちゃうんです。あんまりにも自信ありそうにやるんで、最後に一回当たってあげましたよ。あのお祭りの時に比べたら随分上手くなってますけどね」


 「それで納得したのか?」


 「えぇ、最後に当たったんで満足したみたいです。裏でまだ少し稽古してるみたいですから、見つからないように行った方がいいですよ」


 山川は裏庭の方に目を向けた。


 「すまん」


 安は軽く頭を下げて山川と別れ、で愛の荘を出た。



 久は電話を手に優乃の番号を探した。


 久は、安についての調査をやり直そうと思っていた。昨日のたこ焼きパーティーでの後半をあまり覚えていなかった。料理人みたいな人に自転車の話をしたところからうろ覚えなのだ。普段はあまり飲まないお酒で回ってしまったし、帰ってから一缶空けたのも拍車をかけた。気がついたら脱衣所で寝ていた。危なく風邪をひくところだった。とにかく久は昨日の失敗を認め、今日は手の内をさらしつつ安と話し、情報を収集するつもりなのだった。


 「えっ、安さん、お出かけ?うん、分かった。あっ、ところで今日って空いてる?一緒に買物でもと思って」


 安がいないことを幸いに、久は優乃を誘った。


 安さんが携帯持ってなくてよかった。


 久は安を口実に、優乃に電話できたことを喜んだ。


 「いいの?じゃ、ぼく、そっち行くよ」


 当初の目的は果たせなかったけど、より実のある方が選択できた。これぞ『一陽来復作戦』。ん、ちょっと違うかな。いいや。


 久は電話を切ると、家を出て自転車ーレッドウォールBTLに乗った。



 優乃と行った先は、アニメショップだった。


 久が演劇・声優の世界に入ったのも、アニメを見て感じた感動を人にも感じて欲しい、その感動を自分で与えられたら、と言うのが動機だった。


 久はお店に入ると、目を輝かせて物色した。まんが、アニメ、ゲーム。オタクと言うほどではないが、中国系にはうるさい。特に三国志とタイトルがつくものはおよそチェックが入る。そしてその眼鏡にかなった物を買うのだ。今日は久しぶりに来たせいで、買う物が多い。財布には優しくないが、心には優しい買い物が出来そうだ。


 しばしの楽しい時間。


 が、久は気がついた。


 しまった。今日は優乃ちゃんと来たんだった。


 久は急いで優乃の姿を探した。


 優乃は、特撮もののコーナーにいてすぐに見つかった。


 来る途中、最近ハマっている特撮ものの話をしたのだ。


 それは主人公たちが弱く、いつもサブのキャラクターたちにおいしい所を持っていかれてしまう一般受けしそうもないシリーズだった。だが、久はそこがいいと、優乃に力説しながらここまで来たのだ。


 久が慌てながら優乃の所に行くと、「あっ、久ちゃん」と振り向いた。


 「ねぇ、久ちゃんの言ってたのってどれ?」


 「えっ、あれ?」


 そのシリーズの物がなく、前回のシリーズ物しかない。


 「あった」


 コーナーの片隅に、申し訳程度に置いてあるグッズを見つけた。


 「久ちゃんの言った通り、人気無いんだね」


 優乃の残念そうな響きが、悲しかった。


 そんな筈はない。見る人が見ればあれほど心を打つものはないのに。


 久は無念さを押し殺した。


 「あの良さが分かる人、いないのかなぁ」


 せめてぼくだけでもと、久はその少ないグッズをカゴに入れた。



 来た時と同じように久は、特撮シリーズの話をしながら優乃を送ってくれた。で愛の荘の前で別れる。


 久がいなくなると、部屋の窓から矢守が声をかけてきた。


 「優乃ちゃん。あの子とデートだったの?」


 「矢守さん、やめて下さいよ。ただのショップ巡礼ですよ」


 優乃は窓のそばに行った。


 「あの子に乗り換えたんじゃないの?」


 矢守は、うふふと笑った。


 「そんな訳ないですよ。だいたい久ちゃん、行きも帰りも一人でなんとかジャーの話ばっかりですよ。アニメショップでも私置いて、自分用のグッズを買いに走るし。あれでデートなら二人で歩けばみんなデートですよ」


 優乃も、ふふふと笑った。


 「あーら、残念」


 矢守はそう言うと、バイバイと手を振って、部屋に引っ込んだ。


 優乃も手を振り返し、部屋に戻っていった。


 


 久が自転車で坂を下り鼻歌で駅前を通ると、本屋から出てくる安が目に入った。


 「安さんっ」


 久は安の名前を呼ぶと、近くまで自転車を走らせた。


 「あ、あぁ久君」


 安はちょっと迷惑そうな顔をしたが、久は気が付かなかったようだ。


 「今日お出かけって聞いてましたけど、ここでしたか。もし予定がなければ、少しお話がしたいんですけど」


 確かに予定はない。気は乗らなかったが、安は近くのコーヒーショップに誘った。



 「安さん、昨日はありがとうございました。実は後半から酔っててあまり覚えてないんですが、それでもあんな風に外でパーティーを開いて食べるなんて、ぼくにとっては青天の霹靂(へきれき)で…」


 久はひとしきり昨日の感想を言った後、本題に入った。


 「それでお話って言うのはですね。あの、好きな子に告白してぼくの気持ちを伝えたいんですけど、どう伝えれば相手に届くんでしょうか。あ、でも一方的に伝えたいんじゃなくて、相手の気持も大切にしたいんです。相手の気持をぼくに向けるには、何かいい方法とかないんでしょうか」


 久は強気になったり、弱気になったりしながら、堂々巡りを繰り返して安に訴えた。自分の強い思いに対して、相手の気持ちが分からないという不安が、そうさせるのだろう。


 そんな事もあったな…。


 安は懐かしそうに久を見た。


 「久君。久君はその子の事を考えているようで、自分の事しか考えてないよ。それじゃあいつまで経っても、そのまま。仮にその子と付き合っても、いつか壁に当たる。でも今、その子の事をよく見てって言っても難しいと思うから、そうだなぁ」


 安は昨日、久が山川に三国志話をしていた事を思い出した。


 「中国の人で孟子って人がいるだろ。その人がこう言ってる。『これを内に有すれば、必ずこれを外に(あらわ)す』。久君が思っている事は、必ず人に伝わる。でも久君は自分の事で必死だから、その子には久君が何かに必死って事しか伝わらない。『久君』がである以上、それはいつまで経っても変わらないと思う。いつか『その子』がって気持ちに変われば、きっと伝わるよ。どうしたらよりも、相手に寄り添う事を考えてみたらどうかな。『行いて得ざるものあらば、みな(かえ)りて己に求む』。それでもし、つまずいたら何が足りなかった反省していけば、きっと伝えられるようになるよ」


 安は残りのコーヒーを飲むと、席を立った。


 「これを内に有すれば、必ずこれを外に(あらわ)す。行いて得ざるものあらば、みな(かえ)りて己に求む」


 久は安の言った孟子の言葉を繰り返すと、立ち上がって安の後ろ姿にかしこまってお辞儀を送った。


 疲れたような寂しげな背中に、久は気がつかなかった。



 「相手に寄り添う、か…」


 安は当てもなく街を歩きながら、捨てるようにつぶやいた。久に何か言えるような自分ではない。まだ後悔しているのだ。


 自分が、だったんだな。


 人混みに紛れ歩いていても、気が晴れるわけではない。かと言って誰かといれば孤独を強くを感じた。「このままじゃ、いかんな」と部屋を飛び出して来たものの、久に知ったような事を言って自己嫌悪に陥っている。いつまでも引っ張っている自分がバカらしく思えてきても、どうしようもない。


 帰ろうという気も起きないまま歩いていると、ふっと小さなグラスが視界の端に入ってきた。安は足を止めて、そのグラスに見入った。


 これ…。


 いつまで見ていたのだろうか。ウィンドウの横にある扉がカランと開き、中から三十代くらいの品のいい女の人が「どうぞ中にお入り下さい」と、安に声をかけてきた。


 思いにふけっていた安はふっと我に返り、誘われるままに店の中に入った。


 店構えは小さかった。ショーウィンドウには閉店セールと張り紙がしてあり、グラスやガラス工芸品がこぢんまりと並べられている。店は木の質感を大切にした造りなのだろう、上品なログハウス調で、白熱灯の暖かい光がよく似合っていた。心落ち着く軽やかな雰囲気だった。


 「ガラスはお好きですか」


 丸みを帯びた優しい声だ。


 どうぞお掛け下さい、とすっと安に椅子を勧めた。


 広くない店内に、お茶くらいは飲めるテーブルが置いてある。


 丸い背もたれのついた椅子に、安は腰掛けると、


 女主人は安の前に、紅茶の入った丸いグラスを置いてくれた。


 「あのグラス、私が一目惚れしたグラスなんです」


 安が外から見ていたグラスのことだ。自分も椅子に座り、紅茶の入ったグラスを手にしている。


 「バカラ、ですよね」


 安は後ろを振り返り、さっきのグラスを見ながら聞いた。


 女主人はにっこりと笑った。


 「はい。ガラスって手がかかるんですよね。でも、あの曲線って言うんでしょうか、やわらかな肌触りが好きなんです」


 「そうですね」


 安もしみじみと頷いた。


 「お店、閉めるんですか」


 閉店セールと描かれた紙を見て、安は寂しそうに尋ねた。


 「はい。五年になります。随分持った方だと思います。見ての通り趣味の店だったのに、皆さんに随分よくしていただきました」


 とつとつと進む会話だが、不思議と安らぐ感じがする。店に入ってからまだ一度もグラスの説明すら受けていないにも関わらず、店内にあるもの全てが宝物のように感じられる。


 「ごちそうさまです。あのグラス、頂けますか」


 安はもう一度、振り返った。


 「はい」


 女主人は、ありがとうございますと微笑み、宝物を扱うように、ショーウィンドウからグラスを持ってきた。



 カラン


 扉を開けて、安は店を出た。


 不思議な時間だった。さっきまで胸の奥にあった重苦しさが消えていた。そしてそれすら自覚しないほど、安の足取りは軽く穏やかになっていた。


 飾り気のない素朴な紙袋を手に、安は店に足を向けた。



 マスターはこんな早い時間にお客が来るとは思っていなかったのだろう。少しばかり驚いた様子で、安を迎えた。


 「いらっしゃいませ。今日は早いですね」


 開店の準備が終わったかどうかと言う時間である。


 「この前は、お手数かけて」


 安は頭を下げた。


 「いえ、いいんですよ。それにしても」


 マスターはほっとした顔つきで、安に椅子を勧めながら言った。


 「元気になられたようで安心しました。いつものでよろしいですか」


 マスターは、安におしぼりを渡し、コースターを置いた。


 「うん。今日は、ホワイトレディを」


 安は少しだけ考えてから答えた。


 マスターは少なからず驚いたようだったが、「はい」と頷いた。


 グラスをわざわざ引き出しから取り出して、一度丁寧に拭くと、冷凍庫に入れた。


 辛口のジンをベースにコアントローとレモンジュースを入れ、シェーカーで混ぜる。


 冷凍庫から先のカクテルグラスを取り出して注ぐ。ほんのりとレモンの香りがただよう淡く白いカクテル。


 「ありがとう」


 いつもであれば左隣に見ていたカクテルを前に、安の表情は穏やかだった。


 酸味の効いたすっきりとした苦みが喉を通った。


 「いい味だな」


 安はグラスを置くと、脇に置いた飾り気のない紙袋をマスターに渡した。


 「これ、ここで使ってもらえる?」


 よろしいですか、と聞くマスターに安は頷いて答えた。


 マスターは紙袋から箱を取り出し、蓋を開けた。


 「これ、バカラ、ですね」


 取り出したのは背が低く、下部に彫刻模様の入った美しいオールドファッションドグラスだった。


 「マスターが、欲しいけど手に入らないって言ってたのを思い出して。偶然見つけたから買ってきたんだけど、使ってもらえるかな」


 安が飲んでるカクテルグラスと、オールドファッションドグラスに刻まれている模様が同じだった。


 「同じ事、おっしゃられたんですよ。先日いらっしゃいまして、そのグラス、頂きました」


 マスターはカクテルグラスに目を向けた。


 「そうか、あいつこっちを見つけたんだ」


 安は最後の一口を飲み干した。ホワイトレディは胸の奥を通って、消えていった。


 マスターは引き出しから二つグラスを取り出して、カウンターに置いた。


 形の違う同じ模様のグラスが二組、カウンターに並んだ。


 「揃ってたんだ」


 安はじっと見つめた。


 「そんな、バカラ」


 安のくだらない冗談に、マスターはあっけにとられ、そして次の瞬間、笑い出した。


 安も心から笑った。


 「あったんだ」


 「はい、正直に言います。このグラス、結構前に揃ってたんです。いつかお二人が結ばれる時に、この二つのグラスでお祝いしようって思ってたんです。今となっては先にごちそうしてた方が良かったかなって、後悔してるんです」


 マスターの心遣いに安は笑顔で返した。


 「いや、どっちにしたって、こうなってたと思う。今度はいつものを」


 安は空になったグラスをマスターの方に差し出して続けた。


 「実はちょっと自己嫌悪になってて。恋の何かも知らないクセに年下に説教して、言ったこと全部が自分に返ってきて」


 マスターは冷凍庫からもう一つのバカラのカクテルグラスを取り出し、ギブソンを注いだ。


 マスターはパールオニオンを入れて言った。


 「私もそうですよ。ウチのに聞かれたら叱られそうですけど。恋なんて分からないものです。それに年下の者に教えるのは、上の者の務めです。このグラス本当に頂いてよろしいんですか」


 マスターは、安が持ってきたグラスを手にして聞いた。


 「ありがとう。使ってもらえれば嬉しい」


 ギブソンを飲んで、安は答えた。


 「では遠慮なく。ありがとうございます。お礼にはなりませんが、一杯ごちそうさせて下さい」


 マスターはそう言って、安の持ってきたグラスを丁寧に洗って拭いた。


 ゆっくりと準備をする。


 辛口のジン、カンパリ、甘口のヴェルモット。


 グラスに丁度入る丸く削られた氷を入れ、それぞれのお酒を注ぐ。丁寧にかき混ぜ最後にオレンジピールを絞って、落とす。


 空のグラスと入れ替えに、安に差し出した。


 「ネグロニです。大人の恋には甘くて、ほろ苦い味が似合います」


 マスターの言葉に、安は思わず微笑んだ。



 きしみ始めた扉を押して出る。東の空に月が昇り始めていた。


 今日はここに来たかったんだな。


 安はほっとして歩きだした。



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



次回予告



 矢守さん、山川さんがお見合いだって


 えっ、お見合い?出来るの?


 それ、どういう意味ですか?


 ま、いいじゃない。それより、同じ住民としてひと肌脱いであげなくっちゃ


 矢守さんが言うと、どうしても違う意味に聞こえてきますね


 何よ、わざわざ力になってあげようとしてるのに


 どうして笑ってるんですか?



 「山川さんっ、間違ってますよ」



 「いい夕焼けですね」



 「あら、企んでなんかいないわよ」



 「私の突きが怖いんですか」



 次回第二十七話 冬美の気持ち 前編



 二人とも、本気で心配してないだろ?

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