第二十一話 雪のチケット 前編
第二十一話 雪のチケット 前編
今年は雨の少ない梅雨で終わりそうだった。
で愛の荘は丘の上にあるだけあって、渇水になったら一番に困ることになるだろう。
それでも、街は暑い夏に向けて、近々オープンの大きなプール施設付き遊園地があったり、スイカが出て来たり、気の早い所では、冷やし中華やかき氷ののれんを出したりしているところもあった。街は夏に向けて動いていた。
日曜日の夜。ふらりと安が雪の部屋を訪れた。
雪、起きてるか、と周りに気を使いながら言った安は、少し酔ってるようだった。
「いいわよ」
部屋の奥から雪の声が聞こえた。
安が中に入ると、雪は仕事机で食事をしているところだった。
「それ、朝食か?それとも昼食か?」
安はスパゲティを食べている雪に、あきれるように言った。
夜食べてる食事に朝も昼もないが、雪の生活リズムを考えれば、まさにそんな感じだった。
「これ?朝昼兼用よ」
雪は最後の一口を頬張りながら答えた。
安はスパゲティの皿以外、きれいに片付けられている雪の仕事机にお酒の瓶を二本置いた。
「いいのが手に入ったんで、飲もうと思て。一人で飲んでても何やし。仕事の邪魔なら今度でもええけど」
安は雪と二人のときに使う、変な関西弁をしゃべった。
二本のうち、一本は封が開けてあり、四分の一くらい減っている。きっと一人で飲んでいたのだろう。もしかしたらもう一本くらい飲んできているのかも知れなかった。
「別にいいわよ」
雪は気にすることなく皿を片付け、グラスを持ってきて安に渡した。
「原稿の締め切りもまだ先だし、気にしないで」
安は一升瓶の栓を開けると、最初の一杯は雪のグラスに注いだ。そして自分のグラスにも注ぐ。
あとはそれぞれ手酌で黙々と飲む。安はソファに背をもたせかけ、雪は机に向かって何か考え事をする。二人で飲むときはいつもこうだ。会話はほとんどない。むしろいらないのかも知れない。うまい酒を二人で飲む。それだけでいい、そんな感じがあった。
一本目のお酒が少なくなった頃、雪がニヤリと笑った。
「やっとフラれたの」
「ガホッ」
安は突然むせ返った。
「やっぱり」
雪はため息混じりの笑顔で言った。
「あんた、ちゃんとしないから」
「ちゃんと」の意味がいろいろ思い出され、安は突っ伏した。
「突っ伏してもダメよ。あんた現実見なさいよ」
横から雪が、痛い所をグサグサ突いてくる。
「あぁ分かったよ。飲めばいいんやろっ」
「そうよ。でも飲む前にあんたが吹いてお酒こぼした所、ちゃんと拭いてね。そうしないと後でベタベタになるんだから」
変にしっかりしている雪。
タオルを渡されて、安は荒っぽく拭いた。
「そうそう」
雪はそんな状態の安を楽しんでいるようだ。
「あ、そこまだ残ってるわよ。ん、終わった?飲んでいいわよ」
満面の笑顔で酒を注ぐ雪。
「で、何て言われたの」
追求の手に容赦はない。
「これや、これ」
気が滅入りそうになりながら、安は白い封筒を取り出して杯をあおった。
雪は封筒を手に取らず、いいわよと安に返した。
「で、何て書いてあるの」
聞かないのかと思ったら、やっぱり聞いてくる。
「あいつ、結婚したって」
「それだけ?」
まだあるでしょとばかりに聞いてくる。
「…」
「ほら、あんたがちゃんとしてなかったこととか書いてあったんじゃない。自分勝手なルールがいつでも誰でも通ると思ったら大間違いよ。自分の思ってる事が相手に伝わってる何て思ってるから、そういう事になるのよ。今時、携帯持たない人間がドコにいるのよ。平安の昔だって、歌でこまめに気持ちのやりとりしてたのに、あんた、連絡ほとんど取ってなかったでしょ。相手のこと考えるなら携帯ぐらい早く持ちなさいよ。ま、すんだ事だから、いいけど」
一つ一つ思い当たる事ばかりで反論も出来ない。
悔し紛れに、安は杯を続けてあおった。
「で、泣いたの」
「泣くかいなっ」
安は一瞬かっと目を見開いた。
「別に泣く、ことじゃ、ない、だ…」
が、急に眠気が襲ったらしく、ソファに倒れてしまった。
突然寝てしまった安を見て、あっけにとられた雪だったが、すぐに机に向かってネタ帳を開いた。
「こういうのもありね」
真剣にメモをする。
全てをマンガのネタにする雪だった。
「ふぁーあ」
雪が両腕を上げて、胸を反らした。
カーテンから朝日が差し込み、世間では皆が起きる時間だが、雪にとってはお休みの時間だ。
机には原稿の下書きが何枚かある。
「あら、起こしちゃった」
雪は安の方を見て言った。
「ごめん。寝てたみたいだな」
ソファの上で安も大きく伸びをして、体を起こした。昨夜の事はあまり覚えていないようだ。
「いいわよ。私、これから寝るし、丁度良かったわ。そこどいてくれる」
安はソファを降りて、雪に場所を譲った。
雪は安の代わりにソファに潜り込むと言った。
「そうそう来週の日曜日、行ってきて欲しいところがあるの、いい?」
矢守の頼みなら勘ぐってすぐにはうんと言えないところだが、相手は雪だ。それほど心配もなさそうだ。
「あぁ、いいけど」
安は何も聞かずに頷いた。
「ありがと、助かるわ。あ、この一本預かっておくわね」
雪は結局手をつけなかったお酒を、目で指した。
翌週の日曜日の朝。安にしては遅い朝食を食べ終わった所に、
「安さん、おはようございます」
と、優乃がやってきた。
「おはよう、開いてるよ」
安がそう言うと、優乃が部屋の戸を開け、元気よく入ってきた。
「安さん、おはようございます。雪先生から頼まれたんですけど、これ行ってくる所だそうです」
優乃はそう言って手にしていた手紙を安に渡した。
安は二つ折りにされていた手紙を受け取って、開いてみた。
手紙には、遊園地とプールに行って資料用の写真を撮ってきて欲しいと書かれていた。
写真はいいが、プールには早くないか?
安がそう思って首をかしげると、
「カバンも預かってきました」
と、優乃が元気よくカバンを差し出した。
中身は何だろうと見れば、水着に携帯カメラ、それについ最近オープンしたばかりのプール付き遊園地の入場券が2枚入っている。
もう一枚は優乃ちゃん用か?と見れば、優乃はいつの間にか自分用のカバンを提げて待っている。
「…」
優乃の笑顔にかける言葉もなく、安も出発の準備をした。
電車を乗り継ぎ、遊園地に着く。オープンしたばかりだけあって、この時期でもにぎわっている。
「雪先生、どこでこの入場券手に入れたんでしょうね。これ招待券でプール入場券もついてますよ。うわっ、しかも遊園地の乗り物のフリーチケットもついてます。すごいですよこれっ。もう、今日は思いっきり遊びましょうね」
遊園地の入り口で優乃は、はしゃいだ。
写真を撮る目的を忘れてなきゃいいけど、と安は心配した。
受付嬢にチケットを渡して中に入る。
そう言えば、あいつとこんな所に来たこともなかった、と安がしんみりしている所に
「ダメー。気持ち悪ーい」
と、優乃の声が聞こえてきた。
いつの間にか優乃が一人で、近くにあったコーヒーカップに乗って回っている。気持ち悪いならよせばいいのに、回す手を休めない。
「安さーん、助けてー」
安はコーヒーカップのそばまで走って、叫んだ。
「優乃ちゃーん。手を止めろー」
「あ、安さーん。撮ってー」
安が近くまで来ると、優乃はけろっとして手を振った。
今のは何だったんだ、と目が点になる安に、優乃は「早くー。写しーん」と叫ぶ。
そうだ、資料用に撮らないと、と安は慌ててカメラを構えた。
「あー、楽しかった」
コーヒーカップを降りて、優乃は安の所に戻った。
「安さん、今日は私にまかせて安さんは写真、お願いしますね。私、安さんの分まで遊びますから」
にっこりと言う。
「優乃ちゃん、気持ち悪くないの?」
「あ、今度あれ乗ります。ゆっくりしてると乗り物、全制覇できませんよっ」
優乃は安の返事を待たずに走っていった。
係員にフリーパスを見せる時間も惜しいと、次の乗り物に乗り込む。
「安さーん。こっちこっち。写真、撮って下さーい」
乗り物が動き出し、優乃が上下に飛び跳ねる。
「いやーん、何か気持ち悪くて、面白ーい」
『安、何か落ち込んでるかも知れないけど、気にしなくていいから。むしろ引っ張り回してね』
今朝、雪に言われた言葉を、優乃はすっかり忘れてた。が、結果オーライだ。
優乃は乗り物から降りるとすぐに走って、次々と新しいのに乗っていく。
安はもう引っ張り回されっぱなしだ。
「安さん、あの上の乗り物、園内小さく一周するみたいですよ。上からの写真もあった方がいいですよ。一緒に乗りましょう」
これで少しは休めるかなと、安はほっとして優乃と一緒に乗り込んだ。
「行きますよ」
優乃はそう言うと、足下にあったペダルを思いっきりこぎ始めた。
「うわっ」
いきなりの加速に驚いて、安はカメラを落としそうになる。
「ほら、安さん、あっち撮りました?」
「ちょっと、待って」
「あっ、こっちもいい景色ですよ」
「優乃ちゃん、足止めてくれないと、ちょっとブレそうなんだけど」
「よーし、前のに追いついちゃいましょうか」
安を無視するように、はしゃぐ優乃。
安は優乃のノリに着いていくだけで精一杯だ。
「今のは、イマイチでしたね」
優乃は乗り物から出ると、階段を降りながら安に言った。
「あ、もうお昼ですね。遊園地の乗り物もほとんど制覇したから、今度はプール行きましょうか」
言うなり、もう駆けだしている。
「優乃ちゃん、お昼はー」
声をかけながら追う安に、優乃は振り返って
「プールに何か売ってますよー」
と、上機嫌で答えた。
「荷物…」
手ぶらで走って行く優乃の背中見送りながら、安は二人分の荷物を両手に立ちつくした。
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次回予告
遊園地、プールと言えば、デートの定番コース
遊園地では優乃ちゃんのパワーが炸裂して
安さんついて来れなかったみたい
そしてプールでは、水着姿で悩殺
さすがの安さんも、優乃ちゃんの胸に視線が釘付け?
優乃ちゃんの姿、目に焼き付いたかしら
恋の思い出は、どんなに小さくなっても心に残るけど
思い出は思い出、手を離そう
いつまでも振り返るものじゃない
そんな事も付け加えて…
次回第二十二話 雪のチケット 後編
水着といえば、優乃ちゃん
ダイエットしてた?




