第一話 出会い
第一話 出会い
「優乃ぉ。私そろそろ時間だから、行くわね」
「え!?もうそんな時間?冬美ぃ、もうちよっとだけ…」
「彼、時間にうるさいんだよね。今度差し入れ持ってくるから。それじゃ」
玄関先にダンボールの山を残して、冬美は行ってしまった。
桜のいっぱい咲いている春。お天気のよい日曜日の昼下がり。気持ちのいい空気。絶好の引っ越し日和だ。
「なのに…」
優乃はムッとした。
冬美が「友達じゃない。手伝うよ」って言ってきたのに、彼氏とデートだなんて約束が違うじゃない。そりゃぁ私はチビだし冬美ほど髪も長くないし、きれいじゃないけど…。引っ越しにあんなおしゃれな服着てくれば、言わなくたってデートだって分かるっつーの。何よ、嬉しそうにしちゃって…。
だんだん腹が立ってきた優乃。
優乃と冬美は、今年の四月からお芝居の専門学校に入学する。二人で頑張っていこうねと約束し合っている。
元気のかたまりみたいな優乃に対して、落ち着いた雰囲気のある冬美。男友達が多いのは優乃だが、モテるのは冬美の方だと、優乃は思っている。
長い髪にちょっと大人びた顔立ち。なのにスレンダーな少女体型で顔と体のギャップが男にはたまらなく可愛いらしい。二人でいて声をかけられるのは、たいてい冬美だ。
それに比べて優乃は、セミロングの髪を後ろで束ねていて、少女と言うよりは子供に近い顔立ち。背も冬美に比べて小さくスレンダーとは言い難い。しかし胸は大きく冬美に勝っている。
それはそれで男心を誘うのだが、優乃の胸を目当てに声をかけてくる男を、優乃自身は数に入れていない。だからいつも冬美の方がモテると思いこんでいるのである。
「ふぅ…いつまでも考えててもしょうがない。いっちょやるかぁ」
優乃は両手を腰に当ててポーズを決めると、気合いを入れ直した。
「まず手始めに机…は邪魔だから、ラックを…後にして。うん。バケツからだ」
優乃は元気よく雑巾の入ったバケツを手にすると、部屋に入っていった。
部屋にはすでに電気・ガス・水道が通っていた。丁度優乃と冬美がここに来た時に、会社の人たちが続けてやって来て、全部やっていったのだ。冬美はその立ち会いをして帰っていった。冬美の手伝った仕事、それだけ…。
優乃のお芝居や一人暮らしに反対しつつも、軽トラに荷物を積んで運んできたのは両親であった。その両親を優乃は一年間だけと言う約束で押し通し、説得したのだった。その両親は冬美が来る前に軽トラで帰っていた。急なお葬式がなければ冬美がいなくても良かったのだが、いなくても変わらなかった。しかし両親は冷蔵庫と洗濯機は運び入れてくれていた。
「しっかし、妙なトコが広い部屋だなぁ。1K六畳でキッチンが四畳半。でも駅まで八分、コンビニも近いし、ラブホもすぐそば…関係ないか。それでこの家賃だもんなぁ。ついてる、ついてる」
優乃は部屋を見渡した。
「それで…もうちょっと部屋がキレイだったら…」
築二十~三十年経っている『で愛の荘』の壁は歴史を刻んでいてボロい。
「ま、ボロいと言うよりは、汚いだけだからいいんだけどね」
ぶつぶつ言いながら優乃はバケツに水を入れて、取りあえず部屋全体を簡単に水拭きした。
三十分後。
「ふぅー、終わった。よし、全然変わってないぞ」
で愛の荘の歴史が染み込んだ部屋は、そうそうきれいにはならない。
「まっいいや、まずは荷物を運ばないとな」
で愛の荘は市街地から車で訳1時間。これだけ離れると、景色、環境は変わる。所々に田圃や畑があらわれるが、それでいて生活に必要なお店はある。街へ出る時間を少しガマンさえすれば、こんないい環境はない。ダンボールが盗られる心配も少なそうだった。
優乃は外に出ると取りあえず、一人で持てそうな物を次々と部屋に運んだ。
「こんにちはー」
買い物から帰ってきたのか、手にコンビニの袋を提げた20代半ば位の男が優乃に声をかけてきた。
「今度引っ越してきた人?」
「あっ、はい。私です。神藤 優乃です。よろしくお願いします」
「僕は、足立 安。よろしく。…ところで一人でやってるの?」
四月とは言ってもまだ暑くはない。なのに額に汗を流している優乃を見て、安が聞いた。
「えっ、は、はい。そうなんです。友達も手伝ってくれたんですけど、時間になっちゃって帰ったんですよ」
「そうなんだ、大変じゃない?手伝おうか?」
「いえ、いいです。自分の荷物ですし、やりますから」
「……この山のようにあるダンボール全部?」
「…」
「ほら、待ってて。もう一人連れてくるよ。あっ、ここに住んでる奴で山川って言うんだ」
安はもう一度、待っててとにっこり笑った。
安は、で愛の荘に入っていって「やまぁ」と呼んだ。しばらくすると、安がもう一人二十代前半くらいのジーパンにTシャツ姿の男を連れてきた。
「この娘、今度引っ越してきた神藤さん。これが今は大学生の山川 忍」
「神藤優乃です。よろしくお願いします」
「山川忍です、こちらこそ。で、何から運べばいい?」
山川は早速やる気だ。
二人とも何となく面倒見の良さそうないい人だな。
二人とも、ちょっぴり優乃の好みかもしれない。
「うーんと、じゃあこれからお願いします」
優乃がそう言うと安と山川はテキパキと打ち合わせをして、優乃の荷物を持った。
「すごーい。二人とも引越屋さんで働いてるんですか?」
優乃が驚いて聞いた。
「僕は前にバイトしてたことがあるけど、山は?」
「俺も少し…。まぁ友達の引越をよく手伝うけど。それぐらいかな」
「へぇー、すごいですね」
優乃が感心する。
優乃も手伝わなきゃと、とりあえず手近で軽そうな箱を持った。
「あっ君、何もしないで」
山川が口を出してきた。
「…えっ?」
「何もしなくていいから、指示だけ出して」
何なのこの人…?
優乃は戸惑った。
「ごめんね。山、引っ越しにはうるさくてさ。ちょっとした玄人はだしなんだよ。大丈夫任せておけば間違いないから。優乃ちゃんは部屋に行って荷物をどこに置けばいいか、指示してくれればいいから」
「…はぁ…」
何が何だか分かんないわ。引っ越しにはうるさい?間違いないってどういうこと?ところで玄人はだしって何?はだしって、はだしよね?あれ、私って日本語能力ない?どうしよう…。
優乃がそんな事を考えている内に、山川が優乃の部屋に荷物を持って行く。
「優乃ちゃーん。こっち来て。これどこに置けばいいかなぁ」
部屋から山川が優乃を呼んだ。
あなたに優乃ちゃんって呼ばれるほど親しくないわ。
優乃は急いで部屋に走った。
部屋に入ると山川が服の入ったケースを持って待っていた。丁度窓から射し込む光が、山川を逆行で照らしていた。
あっ、ちょっとカッコイイかも…。
優乃はちょっぴりドキッとした。
あらためて見る山川さんって、Tシャツにジーンズのラフなスタイルがよく似合ってる。短い髪と少しつり上がった目が、キリッとしてて素敵。荷物持ってる腕の筋肉も、引き締まってていいな…。
「…! 違う違う!」
「え?ごめん、何が違うの?」
突然違うと言い出した優乃に、山川はびっくりした。
「え?あ、何でもないの。えーっと、その荷物はそこに置いて下さい」
優乃はあわてて取りつくろった。
ふー。もう少しで私、体育会系が好みなのって言うところだったかも…。
優乃は秘かに汗を拭った。
「じゃあ優乃ちゃんはここにいてね。荷物は俺と安さんで運ぶから」
「はい。お願いします」
その方が安全かも。
優乃は山川の体にちょっとぐらついた自分を落ち着かせようと思った。
2時間もしないうちに二人は荷物を全部運び入れてしまった。
「二人が手伝ってくれてほんとに助かりました。私一人だったら一週間かかったかもしれないですよぉ」
「最初は一人でやるって言ってたのにね」
安の言葉に三人はどっと笑った。
「あ、すみませんお茶も出さないで」
「いいよ優乃ちゃん。引っ越したばかりでそんなことしなくても。俺が部屋から何か取ってくるよ」
山川はそう言うと部屋に戻って、麦茶の入ったペットボトルとグラスを三つ持ってきた。
「ほかに何か手伝える事があったら呼んでよ。今手伝ってもいいけど、女の子の部屋だしね。大きい物はもう動かさないと思うし、たぶん大丈夫だと思うけど」
これだけの荷物じゃ、物足りないという感じで山川が言った。
「でも引越って結構、荷物出て来るんですねぇ。こんなにも自分が物を持ってるなんて思いもしませんでしたよ」
部屋に高く積まれている荷物を見上げながら、優乃は言った。
「それは女の子だからじゃないかなぁ。服とかいっぱいあるんじゃない?」
安にとっても大した引っ越しではなかったみたいだ。
「服よりお芝居や、演劇関係のものが多いんです、たぶん。私、芝居やってるんですよ」
「へぇー。お芝居やってるんだ。劇団とか入ってるの?」
山川が聞いてきた。
「いえ、まだ入っていないんですけど、今年からお芝居の専門学校に入るんです」
「そんな学校もあるんだ」
山川が素直に感心した。山川には意外だったらしい。
「じゃあ、卒業公演とかあるんじゃない?その時は…」
安は少し知ってるようだ。
体育会系も悪くないけど、安さんみたいに知的系もいいな。安さんって白衣とか眼鏡がとっても似合いそう…。
「…観に行くからさ」
「…えっ、は、はい。その時は呼びますから観に来て下さいね」
ワンテンポ遅れて優乃は返事をした。
「ところで安さんや山川さんの時って引っ越しの荷物ってこんなにありました?」
優乃は話題を戻した。お芝居の話をしていると、何だか変な事を思ったり言い出したりしてしまいそうだった。
「もう忘れたけどなぁ。僕の時はもう少し少なかった気がする」
「俺は、何回かに分けて持ってきたから分からないけど、こんなものだったかな」
「ふーん、そうなんですか」
「さて、まだ荷物の整理もあるだろうし長居もしちゃ悪いから、僕はこの辺で」
「じゃ、俺も」
安と山川は優乃の部屋を出た。二人が行ってから、優乃はしばらくぼーっとしていたが、
「よっしゃ、やるかぁ」
と気合いを入れ直すと、荷物の整理に取りかかった。
「ふぅー」
優乃は、ため息をついた。
「…全然終わらない」
日もすっかり暮れたのに、箱を開けて中身を確認したぐらいで今日は終わってしまった。
「取りあえずメシ食うかぁ」とコンビニ弁当を食べた。
「…」
静かだった。弁当を食べる音が優乃には、やけに大きく聞こえる。
「そう言えば今年花見行ってないなぁ」
優乃はぼそりと呟いた。
部屋には荷物が広がっていて雑然としている。花見に行く余裕などありそうにもない。一人暮らしってもっと楽しいかと思っていた優乃だが、何だか寂しかった。人の気配というのだろうか、空気が動いてないような感じだった。箱には一人暮らしの期待がいっぱい詰まっていたのに、開けてみるとそこには生活道具が入っていただけだった。まだ実感が湧かないだけかな、なんて優乃は自分をなぐさめた。
蛍光灯の出す微か小さな音がやけに耳障りだった。
今までそんなの気にしたことも無かったのに…。隣の人は何してるんだろ?あっそうだ、お風呂入れなきゃ。ゴミってどうやって捨ててるんだろ?分別とか厳しいのかな?
優乃は急にバタバタと動き始めた。しかし、まだ持ってきた荷物も片づけてない状態では、タオルや石けん、シャンプーがどの箱に入っているかも分からない。ゴミも明日、あの二人か大家に聞かなければどうしていいかも分からない。ただ無駄にバタバタしただけだった。
「お母さん、あのさっ…あ、一人だったんだ」
ぽつん。
自分以外の音がしなかった。実家にいれば母親がご飯も作ってくれ、お風呂も洗濯もしてくれる。するしないと言うより、そこに自分以外の誰かがいる安心感がある。
優乃の部屋にあるいっぱいの荷物は、どれ一つとして優乃に話しかけてはこない。存在をアピールすることもない。優乃が触れなければ動くこともない。
どれだけの物に囲まれていようと、家にいた時のような安心感なんて求めようがない。心細かった。
自分の体がどんどんやせ細っていく錯覚すら感じた。
急に目の前が暗くなってきた。空気がじめじめして重く、優乃を押しつぶしてきた。
く、苦しいよ…。
息が出来なくなった。
空気が欲しい。
優乃は叫ぼうとしたが、声が出なかった。誰でもいいから助けに来て欲しかった。
視界が狭くなる。頭がぐるぐる回る…。
トントントン
優乃が倒れそうになった時、外で何かの音がした。
トントントン
もう一度音がした。誰かが部屋のドアを叩いている。
出なきゃ。
優乃は、はっと目を覚ました。夢だったのだろうか。変な体勢で段ボールの箱に寄り掛かっていた。優乃は一度深呼吸をして頭を振ると、少しふらふらしながら玄関に向かった。
ちょっとどきどきして、ドア越しに声をかけた。
誰だろう?こんな時間に。…変な人じゃないかな…。
「はい…、なんですか?」
ドアの向こうで、知っている声が返ってきた。
「優乃ちゃん?夜遅くごめんね。安だけどちょっといいかな」
「安さんですか」
優乃は、ほっとした。カチャリと少しドアを開けると。外には安と山川が手に花を持って立っていた。
「優乃ちゃんに引越祝いをと思って、二人で持ってきたんだ」
二人はそう言って花を差し出した。
「はい、引越祝い」
「えっ?あっ、ありがとうございます。…で、これ何ですか?」
「タンポポ」と山川。
「三色すみれ」と安。
「タンポポってホント花だけですね…」
なんで花だけなのよ。普通茎と一緒にとってこない?
「その方がいいかなって思って。水に浮かべればかわいくないかな?それに邪魔にならないでしょ」
「は…はぁ、邪魔にはなりませんけど…。で、このパンジーは?」
「玄関の花壇からもらってきたよ」
「花壇からぁ?それって盗ってきたって言いません?」
「お祝いだから大丈夫だよ。分からないようにしておいたし」
安は何事もなかったかのように言った。
花壇から取ってくるなんて、安さんも普通じゃないわ。
「えっでも、見つかったら私のせいじゃないですか」
優乃はそう言って笑った。さっきまでの気分が嘘のようになくなっていた。
「シーッ。大きい声だすとバレちゃうよ。はい、しまってしまって」
二人は強引に花を優乃に押しつけた。
「あ、あの一応ありがとうございます」
安さんのって、やっぱり花壇に返せないよね…。この二人ちょっと変かも。
「じゃ、夜おそくごめんね。また明日」
二人はさわやかに言い放った。
なんてさわやかな二人なんだろうと、優乃が思う訳はなかった。
変だ。絶対変だ。
優乃は心の底から断定した。
「と、言うのは冗談で、これ」
安が急に小さな花束を差し出した。
「男二人で花屋に行ったんだけど、何がいいのか分からなくってこれにしたんだけど」
「花屋なんて男二人でいくもんじゃないですね、安さん」
山川が照れたように言う。
山川の言葉に安も頷いている。
二人で買いに行ってくれたんだ。
二人の困っている姿を想像して優乃はちょっぴり嬉しくなった。
「じゃ、また。おやすみ」
安と山川は花束を渡すと、部屋に戻っていった。
小さな花束には春らしく赤や黄色、ピンクと暖かい色の花であふれている。きれいだなと優乃は思った。
でも、と優乃は続けて思った。
今もらったタンポポやパンジーの方が二人の性格そのままみたいで、何だか元気が出てくるみたい。
花を飾ろうと見ると、部屋の隅に麦茶の入ったペットボトルとグラスを三つ見つけた。
「あっ、これ返すの忘れちゃった」
優乃は慌てたが、
「ま、いいか。また今度で」
と思い直した。
二人からもらった花を飾ると、部屋が一気に明るくなった。
変な二人だったな。
優乃は微笑み交じりに思った。今日一日で何回変と思っただろうか。
変な二人だったけど、何だか仲良くなれそう…、親しくはなりたくないけど。取りあえず今日はもう寝よう。荷物の整理も何にもまだ終わってないけど、明日朝からやれば何とかなると思うし、いざとなったらあの二人に力仕事頼んでやってもらおう。あっ。お昼ご飯作れないーとか言って、おごらせるのもありかな?どうしよう…。
優乃は布団の中でわくわくした。
一人暮らしって楽しそう。
優乃の「で愛の荘」の生活は始まったばかりだ。
優乃には、「で愛の荘」がまぶしく明るく見えてきた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
初めての一人暮らし
冬美は当てにならなかったし…
ちょっと変だけどいい人に出会えたから、何とかなりそう
不安も期待も荷物の片付けもあるけど
明日からがんばらなくちゃ
あ、ここの部屋の掃除…、やっても変わらなそうだからやめとこ
でも予定は未定
いきなり大変なことに
「私に気があるからかな」
「もう寝てるよ」
「でも、私準備が」
俺たち、そんなに変ですか?安さん
分からん、普通だと思うんだが。
普通ですよね…
次回第二話 第一夜
これから、どうしよう