第十五話 冬美の彼氏
第十五話 冬美の彼氏
冬美は安の部屋に入るなり、怒りをぶつけた。
「どうして安さんが来なかったんですかっ。もう散々でしたよ」
安が来ればうまくいったような言い方だ。
しかし安は平然と聞き流して、戸口に立っていた山川に声をかけた。
「おぅ山。今日はありがとな。ま、上がってくれよ」
安は冬美が何か口を開く前に先手を打った。
「冬美ちゃん、お昼ご飯食べた?」
「もー食べる気にもなりませんでしたよ」
「それじゃお昼作ってもらおうか。山すまん、冷蔵庫開けて適当に何か作ってくれ。二人分でいい、僕はもう食べたから」
「そうですか。それじゃあ失礼して」
山川はそう言って、冷蔵庫を開けた。
冬美の文句は散々聞いて、もう慣れたようだ。まったく平然としている。
安は安心して続きを冬美に聞いた。
「それで、何が散々だった」
冬美は山川の方を見ようともせずに言った。
「何がって、最初からですよ。私一応気をつけておしゃれしてきたのに、山川さんあの格好ですよ。Tシャツにジーパン。Tシャツ何て誰が着てるのよ、季節早いわよっ。それに何、あのよれよれスニーカー。近くのコンビニに買物行くみたいじゃない。デートの格好じゃないわっ」
安はうんうんと頷いた。冬美の言う事も、もっともだ。しかし仲間内での講習会用の服だ。しかもその格好で行かせたのは安自身だ。
安は一言言っておいた。
「冬美ちゃんの言う通りだと思うよ。でも山の事で何か悪いとこがあったら僕のせいでもあるから。僕が急きょ、山に頼んで行ってもらったんだ。そこは謝っておくよ」
安は山川をかばっておいて続けた。
「それでいい訳みたいになるかも知れないけど、あんなラフな格好して行ったら、彼驚いてたんじゃない」
冬美は、そうなんですよと勢いづいた。
「彼すごく驚いてて、何か自分より親しくなってるって勘違いしてたみたいです。それまで強気で話してたのに、急に弱気になって。そう言う意味では助かりましたけど、でも私イヤですから。デートにあんな格好で来る男は」
冬美ははじめ機嫌良く話していたのだが、最後はやっぱり怒り出した。
「他には」
安はとりあえず、冬美の話を全部聞いてみようと思った。
冬美は続きを話し始めた。
山川は安が言っていた駅の改札口に着くと、冬美を見つけて声をかけた。そして冬美と一緒にいる男に挨拶をした。
「こんにちは。はじめまして、山川です」
男も挨拶を返す。
「あ、こちらこそ、はじめまして。こんにちは」
「この人、彼氏?」
イキナリ爆弾発言をかます山川。
冬美はとっさに山川の腕をつかみ、「ちょっとごめんね」と言って脇に引張って行った。
「山川さん何よっ。どうして山川さんが来るの。安さんから何も聞いてないの?もー山川さんが良くても私が困るのっ。いい、山川さんは今日私の恋人って事になってるんだから。さっきのは元彼。今日、山川さんは私の彼氏なんだからしっかりして下さいよっ。本当なら許さないけど、今日だけ冬美って呼んでいいです。私は山って呼びますから。いいですか」
「えーっと、はい」
山川は安に教えられた通り、とりあえず「はい」と返事をした。
「それはいいけど、何でそんな事するんだ。別に友達でも何でもいいんじゃないか」
山川としては素朴な質問だったが、冬美には重大な問題だ。冬美はさらに語気を強めた。
「山川さん、何言ってんのっ。いいわけないでしょ。私のプライドの問題なのよ。もぅ、あんたには分からないわよっ。女の子のデリケートな気持ちなんてっ」
「ふーん、そんなもんなんだ。デリケートって言うより、面倒くさいよね」
冬美がますます怒ってきたので山川は、「ごめん、ごめん」「そうだよね」などと言って冬美をなだめすかした。
いつもなら苦手な冬美とこんな風に話せないだろうが、今日は安から頼まれた「仕事」のせいか、いつもの苦手意識は出てこなかった。
冬美と山川が会うなりケンカをしている様子に、彼氏の方が見かねてか「すみません」と近寄って言った。
「こんな所でも何なので、喫茶店にでも入りませんか」
「そうですね、行きましょうか」
いつまでも冬美の文句は聞いていたくない。山川はすぐに歩き始めると振り返って冬美に言った。
「冬美、行くぞ」
冬美はカチンと来た。
「あなたに冬美って…」
呼べって言ったの私よね。
一瞬大きな声を出した冬美だったが、すぐに思い直して山川の後を追った。
喫茶店に入ると山川と彼氏はコーヒー、冬美は紅茶を注文した。
「コーヒーはですね」
早速山川の話が始まった。
「いくつか淹れ方があるんですよね。代表的なのがネルドリップとペーパーフィルタードリップ、それとサイフォン式ですけど、機械式も入れておきましょうか」
冬美はまた始まったと思ったが、一応山川の彼女という格好だったので、黙って聞くことにした。
ま、語ってる間は嬉しそうだしね。
一方、彼氏の方は初めて会った事でもあるし、山川がどんな男なのか知りたかった事もあってか、ふんふんと相づちを打っていた。
洗濯機の特別講習会が開けなくて、残念に思っていた所にこの機会。しかも相槌まで打ってくれる聴衆が現れたのだ。山川はどんどん調子に乗ってしゃべった。
「つまりネルドリップとペーパーフィルタードリップは『人』がコーヒーを淹れるんですよ。ところがサイフォン式と機械式になると、それそのものがコーヒーを淹れているんですよね。サイフォン式って看板を出している喫茶店もありますが、あれはほとんど『ウチはコーヒーを淹れる技術がない』って言ってるようなものですよ。それか、とてつもなく技術があるかのどっちかですね。サイフォンは常に加熱し続けている訳ですから、どこで火を止めるのか難しいらしいんです。まぁそれくらいの技術があるなら、サイフォンやめればって思いますけど。でもどっちにしても人の手でコーヒーを淹れてもらうって言うのは温か味を感じますね。所詮こういう喫茶店や、よくはやりの喫茶店は堂々と機械使って美味しいコーヒーあります何て言ってますが、あれはそのコーヒーメーカーを作っている会社をほめるべきであって、その店を…」
「お待たせしました」
トン、トン、カチャンッ
ウエイトレスがやってきて、山川の所だけ雑にコーヒーを置いていった。今の話が聞こえていたらしい。
「あの、ちょっと声が大きかったんじゃ」
彼氏が心配したのかそう言った。冬美も居心地が悪かった。
「そうですね。話題変えましょうか」
とりあえず気持ちよくしゃべれたのだ。コーヒーの置き方くらい、どんな風でもいい。山川は上機嫌だった。
「それじゃあ、冬美とどんな所に行ってたんですか」
山川は何とも微妙な所を平気で聞いた。
「えぇまぁ、遊園地とか、ショッピングとか映画ですね」
彼氏はあいまいに言った。
山川はそうですかと頷いて、冬美に言った。
「じゃあ帰り、映画観に行こうか。ところで観たい映画ある?」
冬美は「あんた」と言いたい所をぐっとこらえて言った。
「もう山っち、観たい映画もないのに、映画に行こう何てどういうことっ」
どうしても最後まで優しく言えず、つい怒り口調になってしまう。
「あぁごめん。じゃ、なし」
冬美に逆らってはいけない。山川はあっさりと謝った。
もちろんそんな態度が余計、冬美の癇に障る。みるみる不機嫌になっていく冬美に、彼氏の口からとっさにご機嫌取りのお店の話が出た。
「あっ、じゃあ前、行ったあそこの店行ったらどう?ケーキの美味しい」
パッと冬美の顔色も変わる。
「うん、そこ行きたいっ」
と冬美が言うのと、山川が口を開いたのが同時だった。
「女の子のお腹ってどうなってるんですかね。食事は大して入らないクセに、甘い物だけ入るんですよ。変ですよ。ついでに言えば舌の構造も男とは違うんじゃないかって思ってるんです。考え方も理論的じゃなくて、感情的すぎるし。もっと、って言うか、もう少しでいいから理屈でモノ考えて欲しいですね」
言葉と声の大きさに押されて、冬美の言葉はかき消されてしまった。その上、自分の事を変と言われて、冬美は更に腹を立てた。
「もー何よっ。あんたなんか、いつも一人でぺらぺらしゃべってるだけじゃない。美味しい物を食べることの何がおかしいのよっ。あんた理屈で物食べてるのっ。だったら食べ物の栄養成分表でも食べてなさいよっ」
「冬美ちゃん、静かにしなよ。ここ喫茶店だよ」
さっきからずっとしゃべっている山川に言われたくない。冬美は言い返そうとしてハッとした。
私、『あんた』って言っちゃった。
山川の方も『冬美ちゃん』と返してきた。もしかしたら、勘のいい彼氏に何か気付かれたかも知れないと、冬美は心配になった。
彼氏の方は「まぁまぁ」と冬美をなだめながら、山川に話をふった。
「冬美とどこで知り会ったんですか」
彼氏の方もおかしいと、思い始めたのかも知れなかった。
「俺のアパートですよ。冬美の友達が同じアパートに住んでて、冬美が遊びに来た時に偶然会ったのが最初かな」
山川も同じ事に気付いたのか、『冬美ちゃん』から『冬美』に直してきた。
彼氏はさらに聞いてきた。
「本当の所、いつから付き合ってるの」
嫌な聞き方をする奴だなと、山川は思った。
「あ、今日だけです」
山川は冗談っぽく言って、相手の出方を伺ったが冬美の方から先に突っ込まれてしまった。
「何言ってんのよっ」
山川は仕方なく笑って言い直した。
「ホントは、初めて出会った時に俺の方が一目惚れして、それからですよ」
相手はふーんと軽く頷いて続けた。
「冬美と付き合うの、結構大変でしょ」
「それ程でもないですよ。会うのは楽しいし」
「それも今の内だけです。もっとひどくなりますから」
「何がです?」
「気分屋ですから、わがままがひどくなるんですよ」
「そう言う言い方は、ないんじゃないですか」
山川は言い返した。冬美も一緒になって言い返す。
「そうよ。それがいいって言ったくせに」
彼氏の方はムッとしたようだった。
「冬美のはひどすぎる」
「もっとわがまま言っていいんだよって、言ったの誰よ」
「限度ってものがあるだろう」
「誰だって気分が変わる事ぐらいあるじゃない」
「冬美のは変わりすぎだ。冬美のわがままにはつき合えんっ」
「私の何見てたのよっ」
冬美は怒って席を立つと、化粧室に入っていった。
「お待たせ、ご飯出来たよ」
丁度話が切れた所に、山川が昼食をお皿に盛って運んできた。今日の献立は野菜炒めと卵スープにご飯だった。
「安さん、多めに作りましたから、夕飯にどうぞ」
と山川は言った。
安は「おっ、ありがと」と言って立ち上がると、お茶の用意をしながら山川に聞いた。
「冬美ちゃんがいない間、彼氏と何話してたんだ」
「まぁ、たいして話してもいないですけどね」
山川はいただきますと言って、食べながら話してくれた。
彼氏は熱くなったのが恥ずかしかったのか、ハハハと笑って頭をかいた。
「最近、ずっとあんな調子で会う度にケンカですよ。それで別れようって事になったんです」
山川も何となく分かるだけに、苦笑いをした。
「これから頑張って下さいね」
彼氏は同情するように言って、もう一度聞いた。
「本当に付き合ってるんですか」
「冬美は俺の彼女だ」
山川はキッパリと言った。
「あんまりにもハッキリ言ったせいか、彼氏も何か納得してたみたいでしたよ」
山川は笑ったが、冬美は苦笑いをした。
「何か自分の事よく言ってるけど、まだあるんです」
冬美はそう言って、自分が戻ってからの話をした。
冬美が戻ってきたので、三人は揃って会計に向かった。
「じゃ、会計は別々で。冬美のは俺が出しますから」
山川がそう言って、ポケットから小銭をジャラジャラと会計のトレイに出し数え始めた。
「財布ないのっ?恥ずかしい」
冬美は小声で言いながら、山川を肘でつついた。
「ごめん。今日急いでて、持って来れなかったんだ」
山川はそう言って謝ったが、別に何とも思っていないようだった。
反対に彼氏の方は、ブランド物の財布を出して払って行った。
「もーすごく恥ずかしかった。財布持ってないんですよ、信じられないじゃないですか」
冬美は食後のお茶を飲んでそう言った。
「別れる相手に、俺がどう思われようといいんじゃないのか」
山川はやっぱり気にしていない。
「そう言う問題じゃないの。もっと女の子の気持ち分かりなさいよ」
冬美はやっぱり怒った。
「何にしろ、最後の形は着いたんだろ。いいじゃないか」
安は取りなした。
「いいですけど」
「山もありがとな」
「いえ、それじゃ俺、戻りますね」
「私、雪先生の所に行って、話してきます。安さん、ありがとうございました」
二人ともお昼ご飯を食べ終えて、安の部屋を出て行った。
「ふーん、大変だったのね」
雪は冬美の話を聞いて頷いた。
「ホントですよっ。山川さんのせいで散々でした」
冬美はさっき安に話した事をもう一度言って、やっと気が晴れたようだった。
「それでさぁ、山川にいいとこないのは分かったけど、一つぐらい何かなかったの?いいとこ」
「なくはないですけどね。でもちょっと強引でした」
女同士だと気兼ねしなくていいのか、冬美は安に話さなかった事を話した。
喫茶店を出て、三人は電車の改札口に着いた。ここで彼氏とお別れだ。
彼氏の方から最後にと、手を出してきた。
「じゃあな、冬美」
冬美も彼氏の方に手を出しかけた時、山川が冬美の肩をぐっとつかんで、自分の胸に抱き寄せた。
「あんたも、もう終わったんだから、そんな未練がましい事しないで下さい。あんたはそれできれいな思い出になるかも知れないですけど、冬美に変な未練が残ったら俺がイヤですから」
山川の言葉に冬美の胸がズキッと痛んだ。
あ、本当に終わったんだ。
冬美は山川の胸に顔をうずめて、少し泣いた。そしてそのちょこっと汗くさいTシャツを濡らした。
そんな風にはっきり終わらせてくれる山川を、冬美は頼もしく感じた。
彼氏はまだ立ち去りがたく立っていたが、山川が冬美を放さないと分かると、「それじゃあ」と言って去って行った。
「そんな風に感じるのは、恋かもね」
雪はぼそっと言った。
「えっ、どれですか」
冬美は驚いた。
「そんなこと私が知る訳ないじゃない。自分の気持ちでしょ。自分で考えなさいよ」
雪はぽんっと突き放して、話題を変えた。
「それにしてもあの山川がね。結構やるじゃない」
「もー雪先生ずるい。でも山川さんのいいとこ、さっき作ってもらって食べたお昼ご飯とそこだけですよ。他は全部ひどかったんですから。あんな人でも彼女出来ればいいですよね」
「ホント他人事みたいに言うわね。まっいっけど。ちゃんと終わったんだしね。あ、今日優乃ちゃんに、この前まで冬美ちゃんが内緒で来てた事、話しておいたからね。帰りに顔見せて上げなさいよ。優乃ちゃんにまたヤキモチ焼かれると、こっちが大変なんだから」
「はい」
冬美は照れ隠しに笑ってみせた。
「話してくれてありがと。ごめんね、これから仕事だから」
「あ、ごめんなさい。お仕事の邪魔して。お世話になりました。それじゃあ、失礼します」
冬美は雪にお礼を言うと、優乃の部屋に遊びに行った。
彼氏が去っても、冬美は山川の胸に顔をうずめていた。
「あー、冬美ちゃん。俺、恥ずかしいし」
山川は通っていく人の視線を感じながら言った。
「冬美ちゃんにチューするつもり、ないから」
その言葉に冬美の怒りが再沸騰した。
「何であんたにチューされなきゃいけないのよ。もう帰るっ。切符ちょうだいっ」
怒りながらも山川に切符を買ってもらい、改札を通る冬美。
「一緒の車両に乗らないでよっ」
「冬美ちゃんの家ってこっちだった?」
「いいでしょ。どこに行ったって」
「帰るって言っただろ」
「うるさいわね。ついて来ないでっ」
「帰る方向が同じだから、仕方ないだろ」
途中で立ち止まり、元彼氏は振り返っていた。
何を言ってるのかは分からないが、二人またケンカしている。
冬美のあんな怒った表情見たことないな。あそこまで冬美が怒れる相手か…。やっぱり本当に付き合ってるんだ。俺、フッたけど、フラれたな。
元彼氏は肩を落とし、人混みに消えて行った。
安は山川と冬美がいなくなった後、洗濯機の操作一覧の下書きをしていた。パッと見てすぐに分かるように書くのは、なかなか難しい。安はいくつかレイアウトを取りながらうなっていた。
「あら、安さん」
誰だろうと安が顔を上げると、窓から月森が顔をのぞかせていた。
「月森さん、こんにちは。今日はどこか行ってたんですか?」
安は聞いてみた。講習会の事を言っているのだ。
「はい。イベントがあって、コスプレに行ってたんです」
洗濯機の操作を覚えるより、コスプレの方が大事なのか。
安は一言言いたくなったが我慢した。
コスプレをしてきたせいか、月森は楽しそうだ。
「今、何してたんです。そうだ、講習会来週でしたよね」
「今日でしたよ。今、その洗濯機の操作一覧作ってる所です」
「えー、そうでしたっけ。私、来週だと思ってました。せっかく予定開けてたのに」
安は不思議に思って聞いてみた。
「講習会の日にち書いた封筒を、部屋に入れておいた筈ですけど」
月森は悪びれず、笑顔で答えた。
「なくしちゃって、来週かなって思ってました。あそうだ。だったら、この前の約束、来週にしましょう。ほら、食べに連れてってくれる話ですよ。よろしくお願いしますね」
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次回予告
次回は安と月森のお食事会です
でも探偵さんたちが変装して追ってます
探偵さん、ちゃんと尾行出来たのかな?
「なんでこんな店なんですか」
「真ん中で、しちゃうんですか?」
「こいつ、やっぱりだめだ」
ちょっと探偵さん、黒ずくめとサングラスにマスク姿は
あやしさ満点ですよ
それに、あんパンと牛乳って
刑事物の影響受けすぎじゃない?
次回第十六話 お食事と探偵さん
「手加減ナシですよ。私のコト、女とか思わないで下さい」




