第十四話 ピンクでマジック 後編
第十四話 ピンクでマジック 後編
安さん、と言う言葉に、優乃はピクリと反応した。
まさか矢守さんにまで、実は手を出してるなんて事はないよね。
「優乃ちゃんのパンツ一枚持ってるの。ピンクの奴。なくなってない?」
矢守は安の思惑を無視して、そのものズバリと優乃に聞いた。うまく言うつもりなんて元からなかった。
えっ。なくなってたのってそう言うことだったの。今日洗濯物を取り入れた時に、ないって思ったけど。
優乃はドキリとした。それにしてもどうして安が、優乃のパンツを持っているのだろう。
優乃の顔色を見て、矢守は頷いた。
「やっぱり。それでね今、安さんが返そうかなぁって悩んでるんだって。直接返すのは恥ずかしいのね。私の所に相談に来たのよ」
安が矢守の所に相談に行くと言うのは嘘っぽいが、声や態度からして本当の事のようだった。
「優乃ちゃん。男の人って、女物のパンツどうするか知ってる?」
矢守はふっと話題を変えた。
「さぁ。見てドキドキするんですか」
イマイチ分かってないようだ。矢守はほくそ笑んだ。
「男の人って、女物のパンツかぶるのよ。それでニヤニヤするんだって。変よね」
「ええっ。本当ですか」
思わず声が大きくなってしまった。
矢守は逆にもっと声を落として付け加えた。
「そうなの。その女物のパンツかぶって、その人の普段見られないHな格好とかね、思い浮かべてるんだって」
矢守は万が一にも安に聞かれないために声を落としたのだが、優乃にはそれが真実味を増した言葉に聞こえた。
「そ、そうなんですか」
顔を赤くしてうつむく優乃。
でもそれって、その間は私の事しか考えてないってことよね。
優乃はドキドキしながら、顔を上げて聞いた。
「それで、安さんは私のパンツどうするんですか」
「後で優乃ちゃんの所に返しに来るって。何か今、洗ってたから汚しちゃったのかもね。多分明日返しに来るわ。良かったら後で、気にしてませんからくらい言って上げて。返しづらいみたいだから」
矢守はそう言うと、じゃあねと部屋を出て行った。
優乃の反応から、矢守の話を真に受けているのは間違いなかった。
「どうなるのかな。ふふっ」
矢守は、にそにそしながら帰って行った。
今時、こんな子もいるのね。びっくりだわ。
矢守が帰った後も、優乃のドキドキは止まらなかった。
安さん、きっと今さっき、私のパンツかぶって、私の事考えながらドキドキしてたんだ。それで使った後じゃ悪いって、洗ったんだ。どうしよう。でも矢守さんが言ってたみたいに、突然明日じゃ返しにくいだろうから、今から行って気にしてません、って言って上げた方が親切よね。
優乃はドキドキが止まらないまま、安の部屋に行った。
コンコン
「安さん」
かすれた消え入りそうな声で、安を呼んだ。
普段なら聞き逃していただろうが、緊張しながら待っていた安は素早く立ち上がって戸を開けた。
「あの、安さん」
優乃は赤い顔のまま、かすれた消え入りそうな声で言った。
「私、気にしてませんから。パンツ使って下さい」
「えっ、使うって」
安は驚いた。一体どんな話になっているのか訳が分からない。さっき矢守が優乃の部屋に行っていたようだが、それと関係あるのだろうか。いやその事は後にしてと、安は優乃を部屋に入れた。
「優乃ちゃん。立ち話も何だから中に入って」
こくりと頷いて部屋に上がる優乃。いつもと違う優乃の様子に、安は困惑した。
「あの、優乃ちゃん」
安に声をかけられて、優乃は更に顔を赤くしてうつむいた。
安さん、私のさっきまで使ってたんだよね。
優乃は恥ずかしいような、嬉しいような気持ちになり、涙ぐんでしまった。
何で泣くんだ、あぁ、もうっ。話つけてくれるんじゃなかったのか、矢守は。それとも話つけてこれか?
安はもう何を言っていいのか、どうしていいのか分からない。
「う、え、あの…」
安が何か言いかけた時、優乃も顔を上げて安に言った。
「安さんっ。私、いいですから。気にしてません。それにどっちかって言うと、嬉しいかも…」
涙でキラキラ光る目で見つめられて、言われるセリフじゃない。それにパンツを安に間違って持たれて、嬉しいとはどういう意味なのか。
優乃ちゃん、わざと置いていったのか?
安は逆に疑った。
そう言えば、安が部屋から出てくるタイミングと、優乃が部屋に入るタイミングが同じだった。これは優乃が洗濯機を自分の次に、安が使うかどうか確かめていたからではないのか。安が部屋から出てくるのを確認すると同時に、優乃は部屋に入る。
しかし、そうだとしても自分でそれをしこんでおいて泣くとはどういう事なのか。女はみんな女優だからか?となると今泣いてるのは演技?でも、優乃ちゃんがそこまで出来るとは思えない…。
安は考えてみたが、考えれば考えるほど、分からなくなっていく気がした。
「あの、安さん」
安が何も答えてくれないので、優乃は心配になった。
「私のパンツ持っているんですよね?」
持っていないのに、こんな事を聞いたら大恥だ。優乃は恐る恐る聞いてみた。
安はビクッとした。やはり本人の目の前で、持ってるとは言いづらい。しかしないとは言えない。優乃はまだ気付いてないようだが、今日見つけた死角-給湯器横に干してある。
「今、乾かしている所だよ」
安も小さな声で答えた。
「いいんです。安さん、持ってて下さい」
優乃はひとまずほっとした。安が自分のパンツを持っていることは分かったし、しかも使った事も間違いなさそうだった。安が使ってくれるなら、返してもらわなくてもいい。優乃はそう思った。
「安さんが使ってくれるなら、いいんです。私の選んでくれたんだし」
優乃は顔から火が出る程、真っ赤になると、さっと立ち上がって逃げるように部屋を出て行こうとした。
優乃が何か分からないが、変な誤解をしているのは間違いない。安は戸口でスリッパを履いて、出て行こうとしている優乃の腕をつかまえて聞いた。
「ちょっと待って。あの、さっき言った使うって?」
優乃はいやいやするように安の手をほどくと、両手を胸元にきゅっと押し当てて、もじもじしながら言った。
「あの、か、かっ、かぶるんですよね。もう、女の子にこんな事言わせないで下さい」
耳まで真っ赤にして優乃は部屋から出て行った。
「え…」
安は目が点になった。
僕が優乃ちゃんのパンツをかぶってるって話になってたのか。いや、え、おい、え、どうなってるんだ。
想像を越えた事態に、安の思考はついてこなかった。
う、うん、うん。とにかく返せばいいんだ。明日、手紙をつけて返そう。どうも誤解されてるみたいだしな。
混乱した頭で何を考えてもだめだ、と安は早速床を敷いて寝ることにした。
一方。優乃は部屋で一人照れながら浮かれていた。
もう安さんったら、照れちゃって。あんな安さんも可愛いな。きっとこの前のカレーのデザートの時のラブリーマジックが、ようやく効いたんだわ。それか私の魅力に気付いたのね。安さんに届け、私の下着のラブリーマジックー♪
えーい。
優乃はまた投げキッスと一緒に、腕を安の部屋に向けて伸ばし、背筋をそらせ気味にしながら可愛くポーズを取った。
もう手の施しようのない、全開の妄想バラ色回路だ。
うふふ。うふふっ。
安とは反対に、優乃はその夜、興奮してなかなか寝付かれなかった。
翌朝。優乃は幸せ気分いっぱいで起きてきた。
安さんったら、そんなに私の下着欲しかったんだ。やっぱり私の魅力にクラクラだったのね。
安が聞いたら目を回したかも知れない。
今日から安さんのこと、あなたって呼ぼうかな。いやん、まだ早いわ。せめてダーリンかな。ん、それもまだ人前では言えないわ。うふふ、やっぱりまだ安さんのままね。でもいいの。お互いに心がつながってるのが分かったから。
ストーカーの素質が十分ありそうな優乃だった。
朝十時になると、安、山川、雪、優乃が、で愛の荘裏の洗濯機の所に集まった。例の講習会のためだ。
山川は特別講習会が開けると、ニコニコしている。
優乃は妄想いっぱいのお陰でニコニコしている。
「誰も来ないわね」
雪は言った。
五分待っても、四人以外誰も来ない。
山川は嬉しそうに言った。
「じゃ、四人しかいませんが、特別講習会を開きます。今日のテーマはドラム式洗濯機の構造と…」
「あっ」
突然、安が大きな声を上げた。
「どうしたんですか」
山川が驚いて聞いた。
「今日、冬美ちゃんとデートだった。もう行かなきゃ」
安はすっかり忘れていたが、いいタイミングで思い出した。
「デートって、あの冬美ちゃんと」
雪も目を丸くしてる。
「そう。いかん。時間ギリギリだ。十一時に町の中心駅の改札口で待ち合わせだったんだ」
優乃も目を丸くして、戸惑っている。
安さん、どういうことなの?冬美とは別れたんじゃないの。
「安さん前、殴ってでも止めてくれって言いましたよね」
山川は深刻な表情だ。
「そういう趣味に走るんですか」
「いや、何言ってるんだ」、と言いかけた時、安の頭にピンと来るものがあった。
「そうだ、山。お前代わりに行ってきてくれ」
三人が一斉に声を話上げた。
「えっ」
「いいの、安」
「そんな、困りますよ」
「事情は後で説明する。頼む。もう待ち合わせまで時間がないんだ。すぐ行ってくれ。それから、冬美ちゃんが何を言っても『はい』って返事をしてくれ。頼むぞ」
安は急いで部屋に戻ると、財布を持ってきた。
「これ、経費だ」、とお札を渡すと、山川の尻を叩くようにせき立てた。
山川は安の焦りように押されるように、
「じゃ、行ってます」
と、走っていった。
「ねぇ、本当によかったの」
雪が山川を見送りながら聞いた。
優乃もちょっと心配顔だ。
安は山川が見えなくなるのを確かめてから、話し始めた。
「いや、僕が行っても良かったんだが、そうすると山川の特別講習会を雪や、優乃ちゃんが聞くハメになったし…」
「私は部屋に帰るわよ」
雪は冷たく言い放つ。
「ま、そうだと思うが。優乃ちゃんと雪に、冬美ちゃんの事を話す丁度いい機会になると思ったのもあってな」
安はポケットに財布をしまいながら続けた。
「冬美ちゃん、先週ぐらいまでよくここに来てただろ。あれ彼氏とうまくいってなかったから、僕とか雪に相談に来てたんだよ」
優乃は「あっ」、と短く声を漏らした。
そうだったんだ。だから秘密にしてたんだ。
「それであの時は優乃ちゃんに話しても、誤解されそうだったから話さなかったんだよ」
「で、今日、山川が行ったのはどういう訳」
雪の質問に、安は軽く息を吐いて答えた。
「結局、冬美ちゃんフラれたんだよ。で、今日最後に会うって話になったんだって。でも自分がフラれたじゃ格好がつかないから、まぁ新しい彼氏がもういるのよって事を見せつけたかったんじゃないかな。そうすれば一方的にフラれたんじゃなくて、こっちも別れようと思ってたんだって事になると思ってるんじゃないかな。そんな訳で今日、頼まれてたんだよ」
「山川はあんたの代わりか。それにしてもめんどくさいこと考えるのね。分からなくもないけど」
雪も悲しそうに軽く息を吐いた。
「それで、あのっ、安さんと冬美は付き合ってるんですか」
話のポイントはここよとばかりに、優乃が勢い込んで聞いてきた。
「いや、今の話聞いてたら分かると思うけど、今日だけのカップルってやつだよ。それも山川が代わりに行ったから、僕は関係ないよ」
「ごめんなさい。どうしても確認しておきたくて」
優乃は謝りながらもほっとした。これで当面のライバルは、月森だけになる。
よかった、冬美とライバル関係にはなりたくないものね。でも安さん、実は私の魅力にまいってるし、毎晩私の使ってるのよ。私と安さんの恋は始まったばかり。二人でゆっくり育てていくの。うふふ。
一人で照れてる優乃を見て、雪が目で合図してきた。
『この子って、いつもこうね』
安も黙って頷く。
「それじゃ、お開きにしようか」
「そうね。誰も来ないし。そうだ結局洗濯機は、誰が使うことになったの」
安はいつもの五人に月森を入れた、計六人だと雪に説明した。
「使い方分からなくて文句言ってくるのは、矢守と月森さんぐらいなものだけどな。今度、操作表一覧作って、洗濯機の横に掛けておくよ。いちいち呼ばれるのは面倒だし」
「あんたって苦労性なの?よくやるわね、そんな事」
似たようなことを、山川にも言われた気がする。もちろんその事を雪が知っている筈はなく、さっと話題を変えてきた。
「ね、昨日の、どうなった」
もちろんパンツの事だ。優乃は何の事か気付いてないようだ。
安はいいやとばかりに、優乃の前で話し始めた。
「何か矢守に吹き込まれたらしい。そうじゃなかったら、相当天然かな。どうにも困ってる所。とにかく後で返すつもりでいるけどな」
かなりあいまいな言い方だったが、雪にはピンと来たらしい。
「あらそう。じゃ言ってあげようか」
「いや、止めてくれ。もういいよ、これはこれで。何か知らないけど、泣かれるのはもうごめんだ」
雪なら間違いなくハッキリ言って、優乃を泣かすに決まっている。
もう誤解されたままでいいや、と安は腹をくくっていた。
一方、優乃には何の話かさっぱり分からなかった。
「安さん、天然記念物のヤモリでも預かっているんですか。鳴き声がうるさいみたいですけど」
「え、あ、そう。それで、近いうちにそれ返すつもりだから、気にしないで」
安は適当に優乃の話に合わせた。
助かった。優乃ちゃん天然で。
「それじゃあ、帰るわ」
雪は自分の用は終わったと手を上げた。
「あいよ。お疲れ様でした」
安も、優乃も部屋に戻っていった。
「優乃ちゃん、ちょっと待ってて」
安は部屋の前で、優乃に言った。
部屋に入ると安は紙袋を持ってきて、優乃に手渡した。
「これ、返しておくから。ごめんね」
安はそう言うと、逃げるように部屋に入った。
優乃ちゃん、袋開けて逆に返しかねないからな。
返すって何だろ。
優乃は不思議に思いながら自分の部屋に戻ると、紙袋を開けてみた。中には優乃のピンクのパンツと、手紙が一通入っていた。
あれ、私のパンツ。安さん、使ってたんじゃないの。
優乃は段々心細くなってきた。恐る恐る手紙を読んでみる。
手紙には、パンツが安の洗濯物に混じっていた事、何か誤解しているみたいだけど何も使っていない事が、短く書かれていた。また、返すのが遅くなってごめんねとも書いてあった。
優乃は恥ずかしさの余り、穴があったら入りたくなった。しばらくは息を吸ったまま、固まっていた。
どうしよう。私、昨日、安さんに変な事言っちゃった。キャー、もう恥ずかしいっ。
一気に息を吐き、ハァハァと肩で息をする。
しかしもう終わってしまった事だ。どうすることも出来ない。優乃は都合のいい方に考える事にした。
仕方ないわよ。もう終わったことだし。安さんだって手紙に、使ってないって書いてあるけど、実は私のパンツ使ったかも知れないじゃない。安さんったら照れ屋さん。そうよ、ここはもっと前向きに考えた方がいいわ。安さん本当はずっと私のパンツ持っていたかったけど、矢守さんにバレちゃったから、私に返しに来たんだ。それに私にはいつでも会える隣同士だし、いざとなれば使わなくたって会いに来ればいいんだし。そう壁一枚隔てて、同じ屋根の下…。私、最近ちょっと壊れ気味みたい。
少しは自分のことを、客観的に見られるようになってきた優乃だった。
優乃は昨日の事を思い出して反省した。
私、矢守さんの言ってる事、鵜呑みにしちゃって、安さんの言うこと聞いてなかったな。安さん照れて可愛かったけど、本当はすごく恥ずかしかったのかも知れない。
優乃は部屋を出ると、意を決して安の部屋の戸を叩いた。
中から安が出てきて、「何」と聞いてきた。
安の顔には何も出ていなかったが、困っているようにも感じられた。
「あの、洗濯物の件、すみませんでした。私、一人で勘違いしちゃってて、安さんに迷惑かけたみたいで…」
優乃の目に涙がたまってきた。
「この前、教えてもらったばかりなのに、まだ自分のことしか考えてなくて。安さん、ごめんなさい」
ポロッと涙がこぼれた。
「こっちこそごめんね。最初から優乃ちゃんの所に聞きに行けば、こんな事にならなかったのに。こっちこそ優乃ちゃんに迷惑かけて」
安は頭を下げた。
「いえっ、いいんです。もう済んだ事ですし、それよりも私…、安さんに迷惑をかけた事の方が」
「いやこっちこそ。もう終わったことだから…。ありがと。じゃあこの件はお互いに済んだことにしようよ」
「はいっ」
優乃の顔に笑顔が戻ってきた。
どっちにしても泣かすことになるんだな。
安は自分の不甲斐なさを笑った。
安が昼食を食べ終えて一息入れていた所に、外から冬美の声が聞こえてきた。窓から見てみると冬美の後を、山川がついてきている。
「もー、ついてこないでって言ってるでしょ」
「俺の家、こっちだって」
「邪魔なんだもんっ」
冬美はひどく怒っている様子だが、山川は冬美の態度に押されながらも、結構上手く付き合っている。
窓から自分たちを見ている安に気付いた冬美が、早足で近づくなり安に言った。
「もー、何なの。あの山川って男」
「いや、事情があって僕が行けなくってさ、山川に頼んだんだ」
安は冬美の勢いを流すように、さらっと言った。
冬美が怒ってくることは半分予想済みだったが、山川が冬美に負けていないのは意外だった。
「言わせてもらいますけどねっ」
冬美の言葉を止めるように安は言った。
「まー、中に入りなよ」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
安の代わりに冬美とのデートに行った山川
だけど事情も分からない山川が
冬美に合わせられるはずもなく
「こんな服、着てくるんですよっ
私、おしゃれしてきたのに」
「冬美に変な未練が残ったら俺がイヤですから」
山川の爆弾発言に冬美はドキドキ
初対面の人にウンチクは語りだし、気も使ってないみたい
冬美ちゃん、大丈夫?
それでも人間万事塞翁が馬、結果オーライ?
山川、やるときはやります
「自分の気持ちでしょ」
次回第十五話 冬美の彼氏
山川さん、ちょっと格好よかった




