第十話 雨もり
第十話 雨もり
山川のミートスパゲティ会から冬美は休みの日にも、で愛の荘に来るようになった。優乃がいる時は優乃と、いないと分かっている時も時々来て、安や雪と会って話をしているようだった。雪はともかく安を嫌っていた筈の冬美としてはびっくりするような変化だった。
「ねぇ、冬美」
奥歯にモノがはさまったように優乃が聞いた。
金曜日の午後。冬美は優乃の部屋に来ていた。最近の冬美は雪や安だけじゃなく、山川とも気兼ねなく話す。優乃としては面白くなかった。
「ねぇ冬美」
優乃は返事をしない冬美に、もう一度怒ったように言った。
「ん。何」
冬美はあわてずに答えた。何も気付いていないようだ。
優乃は小さくため息をついた。
「冬美。最近よく安さんや、雪先生とも会ってるみたいだけど、何話してるの」
「ん、別に世間話よ。どうでもいいこと」
「そんなこと、彼と話してればいいんじゃないの」
優乃は口をとがらせた。安が冬美に取られる気がしたのだ。
「ん」
と返事をした後、冬美は一拍おいて言った。
「彼、最近忙しいらしいのよね。それに安さんってお芝居のこと、少し知ってるみたいじゃない。だからお芝居の事とか聞いたりするの」
「ふーん」
優乃は興味なさそうに答えたが、驚いていた。
やだ。全然気が付かなかった。演技の事とか、安さんに相談すれば良かったんだ。『安さん。今日学校で二人芝居の宿題が出たんですけど、手伝ってもらえませんか』『ん、いいよ。台本はこれか』『はい、お願いします。安さんがけが人の役です。寝ていて下さい。行きますよ、ハイッ』『うっ…』『どうしました。大丈夫ですか。まぁ、額からこんなに血が…。今、止血しますね』『あ、ありがとう。君は』『私のことより、あなたの方が心配です』。そして見つめ合う二人。手と手とを握り合って、二人吸い寄せられるように…、何てイヤン。恥ずかしいっ。だめよ、台本からそれてるわ。えっ、まさか冬美、そんなことしてるの。だから私に黙ってるのかな。そんなことなさそうだけど、ちょっと探ってみよう。
優乃は精一杯さり気なく聞いてみた。
「彼、忙しいんだね。だから安さんに会ってるんだ。何だか最近親しいもんね」
優乃の気持ちに気付いた様子もなく、冬美は答えた。
「そんなことないよ。よく口論するし」
さっき世間話って言ったのに、どうして口論なんてするのよ。おかしいんじゃない。
「ケンカするんだ」
「ケンカって程じゃないけど、端から見たらそうかもね」
ケンカする程、仲がいいって言いたいの。
冬美は隣の安の部屋に耳を傾けて言った。
「安さんって今日はまだ帰ってきてないのね。じゃいいわ、私帰るね。今日の夕方から明日いっぱい天気悪いって言ってたし。優乃、ありがとね」
冬美は「おじゃまさま」と言って帰っていった。
何よ冬美。自分と安さんの関係、自慢して帰るの。私が安さんのこと気にしてるって知ってるくせに。安さんも安さんよ。冬美とだけ仲良くして。私のことも、もっと見てくれればいいのに。帰ってきたらいろいろ聞き出してやるんだから。
優乃は頬をふくらませた。
冬美の言ったように夕方から風が強くなり、天気は悪くなった。日が沈むとさらに大粒の雨まで降り出してきた。
で愛の荘は丘の上に建てられていて、風がいっそう強く吹く。
窓ガラスがビリビリと鳴った。優乃は雨戸を閉めた。
雨戸はもちろん木製だ。表面にはトタンが一枚貼り付けられていて、補強されていた。その雨戸が激しくガタガタ鳴った。
優乃は風の強さに恐くなって、安を待つのも忘れて、早々に寝てしまった。
翌朝。まだ雨も風も激しかった。木製の雨戸は鳴り止まず、雨の叩きつける音が部屋に響いていた。これだけ風と雨が強いと、雨戸も開けられない。
優乃は朝食を食べ終えると部屋を出て、で愛の荘の入り口から外を見てみた。雨がすごい角度で降っている。台風にはまだ早い季節だが、台風を思わせるような天気だった。ビューッとすごい風音がしたかと思うと、裏でドタンッバタンッと何かが倒れるような大きな物音がした。優乃はあわてて部屋に戻った。
優乃は部屋に入ると「あれ」と目を見張った。窓の右隅が黒っぽくにじんでいる。近くに寄って見てみると、雨戸のすき間から落ちた水滴が、窓の桟のすき間を通って壁に伝っていたのだ。量はそれ程ひどい訳でもなかったので、タオル一枚で十分に拭けた。この部屋に初めて入った時、この辺がヘンに汚れてたのはそう言うことだったんだ、と優乃は納得した。
しかしこのまま放っておく訳にもいかない。何とか直さないと、と優乃は考えたがどうしていいか分からなかった。
優乃は安に聞いてみることにした。
行ってみると安の部屋はさらにひどかった。雨戸のトタン板の所々に穴が開いていて雨水の漏れてくる量が多かった分、窓のすき間から流れ込んでくる水も多かった。窓枠の下にはタオルが二・三枚おかれていて難をしのいでいた。
安の部屋には雪と山川もいた。優乃が、雨が窓枠の所からにじんでくると話すと、山川が優乃ちゃんの部屋もかと答えた。
「さっき矢守に聞いてきたんですけど、他の部屋でそう言うことはないらしいんですよ。結構長い間誰も住んでいなかった部屋、つまり我々が入ってきた部屋が傷んでいて、それで雨がにじんできたりするみたいです。安さんの部屋が一番ひどいんですけどね」
山川の説明の後に雪が聞いた。
「ねぇ、それって直せるの」
「はい、直せますよ。ホームセンターかその辺に行って、木の補修剤とかすき間埋めるテープとかパテとか、安さんの所は金属シールもいりますけど、それでほとんど直ります。今日は特に雨風が強いから、これだけ雨が入って来るんですよ。普通ならこんなにならないと思います」
「それじゃあ、明日晴れたら補修剤買いに行くか。天気予報ってどうなってる」
安が雪に聞いた。
「明日は晴れだって。ひどいのは今日の午前中までで、昼からはだんだん弱くなってくるって」
そうかと安が頷いた後、今度は雪が安に言った。
「あ、そうだ冬美ちゃん。今日は来ないわよね」
えっ。
優乃は驚いた。
冬美、私には昨日そんなこと何にも言ってなかった。
安は顔色を変えた優乃をチラッと見て答えた。
「ま、どっちでもいいんじゃないか。こっちから連絡取らなきゃならない事でもないし」
「そう言えばあの子、最近ちょこちょこ来てますね」
山川が思い出したように言った。
優乃は思いきって聞いてみた。
「冬美、私がいない間に内緒で来てるみたいですけど、何してるんですか」
言った途端、優乃はしまったと思った。こんな聞き方をしたら誰だってムッとするに決まってる。
「別に、世間話かな」
やはり安は顔を曇らせて言った。
「そうね、そんな所。それにそんなこと聞くもんじゃないわよ。優乃ちゃんに言うことでもないしね」
雪がチクリと刺してきた。
一瞬ひるんだ優乃だったが、雪の最後の一言が優乃の気持ちを逆撫でしてしまった。
「冬美は幼なじみで友達なんです。なのに雪先生や安さんと会ってるのを内緒にしてるなんておかしいです。私だけのけ者にして、裏切られたみたいで…」
勢いがつき止まらなくなりそうだった優乃に、山川が割って入った。
「まぁまぁ、冬美ちゃんにだって何か事情があるんだよ。それぐらいにしておこうよ」
山川に言われて、優乃はハッと後悔した。雪や安が冷めた目で自分を見ているような気がした。
私、冬美みたいにケンカしたことないから、みんな本気で付き合ってくれないのかも。
瞬間そんな思いが頭をかすめた。もちろんそんな事がないのは分かっているつもりだった。しかし、そう思ってしまったことが、恥ずかしかった。
「ごめんなさい。私戻ります」
優乃は逃げだすように部屋を出た。
「言い方、キツかったかな。どうしよ」
雪が困ったように安を見た。
「引き金、引いちゃいましたかね」
山川が自分が原因かと謝った。
安はいや、と頭を振った。
「山はうまく止めてくれたよ。そうじゃなかったら優乃ちゃん、もっと言っちゃってたかも知れないし。ま、どっちかと言えば、雪が原因か」
安に言われて雪は頭を下げた。
「ごめんね。優乃ちゃんがあんな風に言ってきたから、つい言っちゃったのよ」
「いや、こっちこそすまん。うまくフォロー出来なかった」
安も二人に頭を下げた。
「でもさ、友達取られてスネるのなんて子供よね。フォローしてくれると思ってるみたいだったし」
雪が、あきれ気味に言った。
「ちょっと甘えてますよね」、と言って山川は続けた。
「最近、この辺の地理聞いてくるんですよ。住んでるんだから、自分で歩いて調べたっていいと思うんですよ。頼ってくれるのは嬉しいんですけどね」
山川は困った様子で言った。
「こっちが手をかけすぎだったかな」
安も困り顔だ。
一息ついて「どうしましょう」、と聞く山川の横から、雪が口を出した。
「一人でやること覚えた方がいいわよ、あの子」
「そうだな。袖振れ合うも多生の縁か。んー、明日予報通り晴れだったら手伝ってくれるか。ちょっとやってみるよ」
安は自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
山川が何しましょうと聞いてきた。
「山は明日、この前みたいに頼む。それと補修剤とかどういうのがいいか、教えてくれ」
安はそう言って山川といくつか打ち合わせをした。雪には冬美ちゃんが来たらよろしくと頼んだ。
「言って分かればいいけど、まだそんな感じじゃなさそうだしな。明日何か分かってもらえればいいけど」
「あんたって、結構おせっかいね」
優乃は部屋で後悔していた。
どうしてあんな事、言っちゃったんだろ。あんな風に言うつもりじゃなかったのに。あんな風に言っちゃったから、安さんも山川さんもみんな私のこと軽蔑したに決まってる。私、私…。
言葉にならない悲しさと悔しさが胸を締め付けた。
ひとしきり泣いた後、優乃は遅い朝食をとり、小さな雨音を聞きながら、お芝居のテキストを読んで一日を過ごした。
翌朝。天気予報通りのいい天気になった。
朝食を食べ終えて今日は何をしようと考えていた所に、安がやってきた。
「優乃ちゃん、いる」と戸を叩く。
どことなく怒ったような口調に聞こえた。
優乃はどんな顔をしていいか分からず、のろのろと戸を開けた。
「おはよう。朝ご飯食べた?」
意外にも怒ってはいない。
「食べましたけど」
優乃は自分が恥ずかしくなって、困ったように答えた。
「今日空いてる?」
「はい。空いてますけど」
「じゃ、窓の所直すから、補修剤とか買いに行くよ」
連れ出されるように外に出た。安はいつものように話しかけてきたが、なんとなくしっくりこなかった。
欲しい補修剤は近くの店にはないようだった。電車に乗って町の中心近くのホームセンターまで行った。店に入ると安は自分でカゴを持ち優乃に、「これ取って」とか「どの色が窓枠の色に近いかな」などと聞いてきた。優乃は昨日のお詫びのつもりに精一杯応えた。
買物を終えると、安は優乃に「重たいけどこれ持ってって」と買い物袋を持たせて真っ直ぐに帰った。
安さん、自分だけ手ぶらで、どうして私に持たせるんだろ。やっぱり昨日のことまだ怒ってるのかな。
優乃は不安げに安を見たが、安の気持ちは読み取れなかった。
「補修始めるから、服着替えてきて」
で愛の荘に着くと、安は優乃に言った。
優乃は言われるまま部屋に戻り、着替えてきた。
「安さん、直すのはいいんですけど、もうお昼ですから私…」
優乃がお昼ご飯を食べたいと言う前に、安はコンビニ袋を差し出してきた。
ずっと一緒だったけど、いつの間に買ってきたんだろう。で、これがお昼ってこと。
「それ食べながら直して、そうしないと今日中に終わらないよ。補修剤とか、そこに分けて置いたからね」
安はそう言って脚立に乗り、自分の部屋の雨戸を直し始めた。
あらためて見回すと、さっき買ってきた補修剤や脚立、みかんの木箱が置いてあり、ひと通り自分で出来るように道具も揃っていた。
優乃も安と同じように脚立を組み立てる。
「金具両方止めないと危ないよ」
安が注意をしてくれた。優乃は、「はい」と返事をして金具を留めた。脚立に乗って雨戸や窓枠を見回すと、あちこち壊れている。
こんな風だから雨が入って来ちゃうんだ。ここは釘で打たなきゃ。
「安さん、釘ありませんか?」と聞くと、「よく見て、そこに置いてあるよ」と軽く叱られてしまった。
今まで釘を打ったことなんて数えるほどしかない。優乃は釘を曲げたり、指を打ったり苦労しながら、ぐらぐらしている所をなんとか固定した。
優乃が釘打ちで苦労している時も、安は優乃を横目で見ながら何も言わなかった。
優乃は続いて穴の開いている所を直そうと思って、それらしい補修剤を手に取ったが使い方が分からなかった。
「あの、安さん。これどうやって使うんですか」
優乃はとまどいながら安に聞いた。
「箱に書いてあるよ。がんばれ」
安の言い方は優しかったが、どこか突き放したような雰囲気があった。
もっと親切に教えてくれたっていいのに。
優乃はやけ気味にスナックパンをかじって、牛乳で流し込んだ。
優乃が補修剤と格闘している間に、安は自分の所に続いて山川の窓に移動し、そこを直し始めた。
「安さん。山川さんの所やる前に、私の所少し手伝ってもらえませんか」
優乃は思いあまって聞いてみた。
いつもなら手伝ってくれるのに、今日はどうしてやってくれないんだろう。
首を横に振って安は答えた。
「それは優乃ちゃんの部屋だから、優乃ちゃんが直すんだよ。そうしないと優乃ちゃんの勉強にならないだろ」
そんなこと言ったって、私だけじゃ出来そうにないからお願いしてるのに。それなら山川さんは勉強しなくていいの。
優乃は心の中で安に舌を出した。どちらにしろ安が手伝ってくれないのはもう間違いなかった。ここで放りだしても誰も直してくれないだろう。優乃はがまんして黙々と直し始めた。
午後いっぱいかけて、ようやく優乃は直し終えた。山川と雪の所、そして自分の所も手直ししている安と比べられるほど、出来はよくなかった。それでも多分雨漏りはしないだろうという所までは出来ていそうだった。
優乃が道具を元の場所に片付けた時、安が声をかけてきた。
「優乃ちゃん、今日朝からやったことが、昨日の話の続き」
いつもの安だった。
「どれだけ僕たちが言っても、優乃ちゃんに聞く気がなかったら僕たちの言葉は届かないし、自分で分かることも人に聞いていたら、いつまでたっても甘えん坊のままだ。人のことに口を出しても自分は変わらないし。自分でやるから工夫もするし、その事が自分のものになる。自分のものになるから人のことが初めて分かる。お芝居をやりたいんだったら工夫をして、自分をどんどん変えていかなきゃ。役は神道優乃だけじゃないんだよ。今日はお疲れ様」
私が昨日、聞こうとしなかったこと教えてくれてたんだ。全然気付いてなかった。安さんズルイ。こんな風に教えるなんて。
優乃はやんわりと自分を叱ってくれた安に、顔を上げて言った。
「私、安さんの話全然聞こうとしてませんでした。今日も不満ばっかりで、どうして教えてくれないんだろうとか手伝ってくれないんだろうって考えてて。私、自分が皆さんに甘えてることに気付いてませんでした。人にばっかり何でも押しつけて、頼ってました」
こんな風に教えてくれる安の優しさが嬉しかった。
今日、自分でやらなければ分からないことがいっぱいだった。必要なものだってそばにあるのに捜そうともしなかった。
優乃は「ありがとうございます」と言って、深々と頭を下げた。
「あ、冬美ちゃんのことは話さないよ。今話したら誤解して仲、悪くなりそうだから。幼なじみで友達なんだろ。分かるようになったかなって思ったら話してあげるからね。そうそう夕食、山川が作って待っててくれてるから、みんなで食べよう」
そこまで考えてくれてたんだ。
優乃はもう一度ぺこっと頭を下げると、「この前みたいに、外で食べましょうよ。私、山川さんの所行ってきます」と、元気に走っていった。
山川の部屋から、優乃と山川の楽しそうな話し声が聞こえてきた。
「分かってくれたと思う?」
雪が、で愛の荘から出てきて、安に聞いた。
「何だ、見てたのか」
安が振り返って、照れくさそうに言った。
「二階って、案外見上げるる人いないのよね。お陰で気兼ねなく見れたわ」
「ふーん、今度から気をつけるよ」
安はもう一度、山川の部屋に目を向けた。
「あれで分かってくれるんだったら誰も苦労しないよ。何か一つ分かってくれればいいと思ってる」
「あんた、最後演技の事でうまくまとめたけど、ホントはそう言いたかったんじゃないでしょ」
「やっぱり分かったか。自分でもポイントずれてるぞって思ったんだよ。本人納得してくれたみたいだからOKだけどな」
安は気持ちよさそうに笑った。
「そうそう、冬美ちゃん。やっぱり午前中に来たわよ。もう終わりっぽいわ。それで『優乃ちゃんに一言言っておきなさいよ、寂しがってたわよ』って言って帰しておいたから」
「おう、ありがとさん。んー、じゃ夕食前にここ片付けとくか」
お礼を言って、安は周りを片付け始めた。
「も一つ」
雪が安を止めるように言った。
「今日洗濯機会議があったの」
「洗濯機会議ぃ?」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
次回予告
謎の会議
それは洗濯機会議
雪、安、優乃を巻き込み、もう一人の住人をも誘い出す
雪が持ち込み、安に渡され
安から優乃へと巡る
そして謎の住人
その謎を巡る受け渡しに
一人取り残される山川
次回、謎が解き明かされる
「いや、そんな大げさなものじゃないでしょ。俺がいなくたってなんとかなるでしょ」
「仲間外れが嫌なら、嫌って言いなさいよ」
「雪先生っ。そんなこと、言ってませんよ」
次回第十一話 洗濯機会議
ついに住人登場か
私、月森 舞って言います




