第二話
二人だけの実行委員結成から二週間。
文化祭当日まであと十日と迫った金曜の午後、授業が入っていない有栖川蝶子と、花里結斗は自主登校をして文化祭準備に勤しんでいる。
パソコンルームで慣れないソフトを使いながら蝶子は校内の見取り図を作成する。その隣では、結斗がプログラムの冊子を手際良く作っていた。
「あー……先生たちの劇ってビンゴの後だったか……」
「吹奏楽部の演奏と入れ替わったんじゃなかった?」
ノートを捲りながら確認をする結斗に蝶子は言う。
すると結斗は「ああ」と嬉しそうに笑い、すぐに間違えた箇所を修正し始めた。
文化祭ということは文化系の部の発表の場でもある。
文芸部や写真部の展示の他に吹奏楽部のコンサートや、生徒の一発芸、教師の漫才などが開催される。その案内を作るのが結斗の作業で、部屋割りの地図を作るのが今日の蝶子の仕事だった。
「花里くんって部活に入っているの?」
試し印刷をする為にプリンターの前に行きながら、蝶子は訊ねた。
「はい、水泳部に入ってます」
「水泳部なんてあったんだ」
「月に二回、泳ぎに行くだけのビミョーな部ですけど。蝶子先輩は写真部ですよね」
「私、部活の話した?」
「オレ、去年の文化祭から先輩のファンですから!」
「え……っ、そんな大層なもの撮った覚えないんだけど」
首を傾げる蝶子に結斗はファンだと言った。
ファン。何とも馴染みのない響きの言葉を向けられ、蝶子は首を振る。
蝶子が去年の文化祭の展示に選んだ被写体は、猫だ。
飼い猫ではない自由気儘な野良猫の姿を撮りたくて、カメラを持って近所を歩いて回った。その際に数百万もするカメラを地面に落としてしまい、真っ青になったのは良くも悪くも思い出だ。
「あれってデジカメじゃなく一眼レフで撮ってるんですよね? オレも爺さんの趣味で触ったことあるんですけど、ピント合わせたり焼いたりするの難しいじゃないすか。特に動物が被写体だと動くなよっつーか」
「うん、動物は動くからちょっと難しいね……」
その逃げる猫を追い掛けた為にカメラのレンズを壊してしまった蝶子は、内心苦笑いしか出てこない。
もし写真好きの父が生きていたら、一晩中説教を受けたかもしれない。
いや、なかったことを考えても仕方がない。
そうして伏せ目がちになる蝶子に、結斗は自分がいかに蝶子のファンかということを語った。
(どうせ……)
どうせ皆が言うような「素敵です」の一点張りの世辞だろう。そう冷めた気持ちで聞いて蝶子だが、結斗のある言葉にどきりと心を動かされた。
「あの写真は猫の髭までくっきり映ってて、頑張って撮ったんだろうなって思ったんです」
(……そんなところまで見てくれていたの……?)
あの一枚を撮るまでに何日も掛けた。しかし、蝶子の奮闘は顧問の先生が気付いてくれたくらいで、他の部員たちも知らなかった。そんなところまで注目して貰えていたということがとても嬉しい。
吊り上げていた眦をつい和らげてしまうと、そこで結斗と目が合った。
自分をひた向きに見つめる彼の鳶色の目はとても優しい色を湛えていて、迂闊にも呑み込まれ掛けた蝶子は慌てて顔の筋肉を引き締め、視線を逸らした。
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
休みだというのに蝶子は朝から慌ただしく外出の支度をしていた。
跳ねた髪を必死で整え、ワンピースの上にコートを羽織る。腕時計をしてハンドバッグを持つ。それから学校の先生から預かった鍵をバッグの内ポケットに仕舞うと、蝶子は私室を出て階下へ降りた。
「叔父さん叔母さん、出掛けてきますね。夕飯までには帰ります」
応接間の扉を開き、ソファでテレビを見ていた中年の男女に蝶子は断りを入れる。
ゆっくりと四つの瞳が向けられて、心臓がどくんと重たく鼓動した。
「蝶子さん、最近帰りが遅いようだけど学園祭の準備だった?」
「はい、そうです」
淡々とした声を向けられる蝶子はそれでも微笑んでいる。
「お付き合いも良いけど貴方はまだ高校生なんだから、しっかりして貰わないと困るわよ」
「そうだよ。僕たちは姉さんに君のことを頼まれているんだからね。君に何かあったらと凄く心配しているんだ」
耳当たりの良い言葉を選びながらも、彼等が心配しているのは遺産が分配されるかということだろう。
ここは蝶子が生まれ育った家であるが、今蝶子の面倒を看ているのは母親の弟夫婦だった。
「……分かってます。高校を出たらこの家はお譲りしますから」
栗色の瞳をじわりと揺らしつつ、両手をきつく握り締め、一礼すると蝶子は応接間から下がった。
固く目を閉じ、心を平静に努めようとしてもまだ胸は痛い。ブーツに飛ばした手からは気を抜くと力が抜けていきそうで、蝶子は必死で自分を叱責した。
そもそも蝶子がフリースクールに通うことになったのは両親の他界が原因している。
二年前の春、蝶子は両親の結婚記念日を祝って温泉旅行をプレゼントした。母親は泣いて喜んでくれて両親は二泊三日の旅行へ出掛けた。――それが、生きた両親と顔を合わせた最後。
旅行の帰り道、両親は高速道路のトンネル事故に巻き込まれた。
トラックがトンネルの壁にぶつかり、そのトラックに車が何台もぶつかった。トンネルでは火災が起きて、消火に追われながらの救助活動。事故は沢山の死者を出した。その中に蝶子の両親がいた。
帰ってきた両親の遺体は酷い状態だった。
『……わたしの……せいだ…………』
自分の所為で両親が死んだ。自分が旅行なんてプレゼントしなければ両親は死ななかった――!
蝶子はその時、潰れたのだ。
泣きもせず、笑いもしなくなった蝶子を友達や親戚は気味悪がり、去っていった。母方の祖母は健在だったが体調が芳しくなく、蝶子を引き取ることはできなかった。蝶子は母親の弟夫婦に育てられることになった。
『どうして私たちの金で他人の子供を育てなきゃならないの?』
『仕方ないだろう。引き取らなかったら世間体が悪い』
『まったく、早く遺産を貰いたいものだわ』
『三年の辛抱じゃないか。耐えてくれよ』
養い親が決まり、盥回しにならなくても良くなったといっても、蝶子が両親を失ったショックから立ち直れた訳ではなかった。夜な夜な叔父と叔母のそんな会話を聞かされていては良くなるどころか悪くもなる。
『……わたしが…………』
両親を殺したのは自分だ。
そう思い詰める蝶子は学校も休みがちになり、部屋に閉じこもって死ぬことばかりを考えていた。
睡眠薬を大量に飲んだこともあれば、腕を切ったこともある。学校の屋上まで登りもした。そんな尋常ではない蝶子を心配した保険医は、診療内科に通うことを勧めた。
自分が壊れる音を聞き、去っていく友の足音を聞き、親戚たちの打算や悪口を聞き……。今でこそ普通の生活ができているが、そうしてぺしゃんこに潰れた過去があるから蝶子は自分と他人の間に壁を感じてしまう。何処にいても自分が異質なものに思えてしまう。
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
郊外にある自宅から街までは結構な距離がある。
バスを二つ乗り継いで駅までやってきた蝶子は、バスプールから伸びる階段を急ぎ足で登った。
出掛けにあんなことがあった所為でバスを一本逃したのだ。
駅内に入ってすぐのステンドグラス下は良く待ち合わせに使われる場所だ。恋人待ち、友達待ち、そんな人混みの中に蝶子は見慣れた茶色の髪を見付ける。
「遅くなってごめんなさい。待ったよね……」
「今きたところだから全然大丈夫っすよ」
結斗はにっこりと笑った。毒気のない明るい笑みに蝶子は絆されつつ、やはり悪いという思いがあったのでもう一度だけ謝った。
遅れてごめん。いや、今きたばかりだから気にしないで。
そんな会話を繰り返した二人だが、実際は約束時間の二十分前だ。蝶子も蝶子なら結斗も結斗だった。
「蝶子さん」
「なに?」
ふと改まったように名を呼ばれる。
蝶子は首を傾げる。その拍子に黒に極近い栗色の髪が肩を滑って、するりと胸に流れた。
「私服も可愛いです」
その告白は、とてもさり気ない。
あまりにさり気なくてすとんと耳に入って心に染みた。だからこそその言葉を理解した蝶子は目を見開く。
ミルクティー色のワンピースに黒のコートとブーツを合わせた姿は我ながら地味だと思う。
派手な服を着る勇気がない蝶子はいつも落ち着いた色合いの服ばかりを選んでしまい、友達には「やっぱりお嬢様だ」とからかわれてしまう。私服が許可されている学校なのに蝶子が制服で通うのは、見た目で色々と判断されたくないからだ。
(花里くんって……)
メールならまだしも言葉に出して言うとは何事だ。
蝶子はたまに驚かされる。この後輩は――実際は同じ年だが――意外に油断ならないのかもしれない。
「褒めても何も出ないって言ったよね」
つい刺々しく返してしまう蝶子に結斗は「それでも可愛いです」と言って笑みを深くした。
いつもと違う服装の所為か年上の余裕のようなものを感じさせる笑みに、からかわれたような気がした蝶子は軽く唇を引き結び、ふいと顔を背けてしまう。
「じゃあ、まずは飾りでも揃えましょっか」
結斗は素直なのか捻くれているのか曖昧な蝶子の様子を笑いながら、駅の出入りへ向かって歩き出した。
先頭を切って進む結斗であるが、駅前のことなら県内住みの蝶子の方が詳しい。暫くすると立場は逆転し、蝶子の後ろを結斗が付いて歩く形になっていた。
「飾りは節約しないとやばいっすよね」
文化祭は丁度ハロウィンの日だ。カボチャやコウモリ、ガイコツを模した飾りが百貨店の至るところで売られていたが、節約の為に百円ショップで揃えることは決めていた。ジェルシールやモールといった飾りと、食べ物を盛る為の紙コップと皿をカートに入れる。
予算はまだたっぷりとある。それでも二人が悩むのは、本当に金の掛かる品がまだ残っているからだ。
「ビンゴの景品も買わなきゃいけないし、これくらいだね」
「というか、ビンゴ景品って難しくないっすか」
「確かに。正直、何を貰って喜ぶか分からない」
世間擦れした学生や社会人だらけの学校だ。多様な生徒に受け入れられる景品というのは難しい。
蝶子は考える時の癖で、胸の前で拳を握ってしまう。
「無難に食べ物とかにします?」
「食べ物なら別にビンゴ参加しなくても良いかと思われそう」
この二万七千円で五等までの景品を揃えるのだが、菓子なら金は余ってしまうだろう。それ以前にビンゴ大会に参加する者が減りそうだと蝶子は思った。
「まあ、そうっすね。例えば蝶子さんは何貰ったら嬉しいですか?」
「私なら……音楽カードとか図書カードかな」
CDショップや本屋で使えるカードは実用的でそれなりに嬉しいかもしれない。
だが、景品で商品券というのは問題があるように思えたので、飽くまでも個人の意見とする。
「花里くんは?」
「電子辞書とか?」
「電子辞書……?」
「あ、いや、やっぱ音楽プレーヤーとかが良いです」
思いもしない真面目な回答に衝撃を受けていると、結斗ははっとしたように言い直した。
一瞬だけ瞳に垣間見られたその光は理系の色。真面目で鋭いその光は、蝶子がまだ私立校の特進クラスにいた頃、級友が持っている雰囲気に似ていた。
(そういえば、この人はどうしてこの学校にいるんだろう)
明るく元気な結斗は不登校には思えない。だからといって、モデルの仕事やスポーツを優先する為に学校を変えた訳でもなさそうだ。
共に作業をしていて感じるのだが、結斗は要領が良い。この手のタイプは成績も優秀だと蝶子は知っている。
(詮索するのは良くないけど)
蝶子が精神的に潰れて転校してきたように、あの学校にいる者は何かしらの理由がある。蝶子を含め、過去を詮索されて愉快に思わない者が多いことは事実だ。
「確かに嬉しいけど、予算足りないよね」
彼の為にも、そして自分の為にも蝶子は疑問をなかったものにして続けた。
「ゲーセンのクレーンゲームで取るとか」
「それ凄い博打」
「千円だけ」
「領収書提出しなきゃならないし先生にばれるよ」
「オレたちの昼飯代に使いましたってことで良いじゃん。実行委員なんだからそれくらい許されるはず」
「駄目です」
「じゃあ、九百円」
蝶子も頑固だが、結斗もしつこかった。
このままでは延々と平行線で準備が滞りそうだと思った蝶子は、こっそり自分の財布から金を出すのだった。
百貨店近くのアーケード内にあるゲームセンターに入り、一回二百円で噂の音楽プレーヤーを狙う。
結果は言わずもがな、景品は持ち上がりもしなかった。
「可笑しい……この機械壊れてんのか……?」
「機械は壊れてないと思う。多分、壊れているのは花里くんの腕」
「蝶子さん、地味に酷くないすか」
自腹を切った蝶子は学校の金に手を出さなくて良かったと深く思う。そう思うから声も冷たくなってしまう。
「こういうのは取れないようにできてるんだよ」
友人に連れられてゲームセンターにはきたことはあるが、彼女たちはこういった高額景品のクレーンゲームには手を出さない。向かうのはいつもプリクラのボックス。ゲームをやったとしても、音楽ゲームやマスコットのクレーンゲームだけだ。どんなゲームも見ることが専門の蝶子は、ここでも育ちが良いことを揶揄されてしまう。
(お金の無駄だと思うんだけどな)
確かにこのヌイグルミは可愛いものがあるが、賭けをするよりも現金で買って確実に手に入れた方が良い。
裕福な家に生まれながらも厳しく育てられた蝶子は現実的で実は貧乏性だ。そうして色眼鏡を掛けたような心地でゲーム台を見ていると、結斗の呼ぶ声が雑音の向こうから聞こえた。
「取れましたけど」
「え…………?」
結斗は余った百円で、菓子をシャベル式のクレーンで掬うゲームに挑戦していたらしかった。
蝶子が見つめる前で積み重なったチョコレートのタワーががらがらと崩れて、溢れるように落ちてきた。
一番下の重しを落とすと、その重しに繋がれた菓子が落ちる仕組みになっているようで、結斗が落としたのは板チョコの束だった。軽く見ても二十枚はあるその札束ならぬチョコ束を見て、蝶子も目を見開く。
「こういうみみっちいのは得意なんです」
「そこ、胸張るところ?」
「張るとこっすよ。蝶子さんにチョコお裾分けできるし」
ホワイトチョコとカカオチョコを三枚ずつ入れた袋を差し出され、蝶子は一瞬どうしようか悩む。
けれど、あの百円が自分のものだったと思い出して受け取ることにした。
「……ありがとう」
「どう致しまして」
「というか、私たちは文化祭準備をしにきたんだよね」
「え、準備ですよ。このロリポップは五等の景品だし」
「いつの間に決めたの?」
「委員長を煩わせるのもあれかと思って今決めました」
「無茶苦茶な……」
子供が食べるようなロリポップキャンディを貰ったら生暖かい気分になりそうだ。そんな斜め上からの意識を持ちながらも、蝶子は実は楽しんでいた。
ゲームセンターにきて楽しいと思ったのは初めてだ。写真が苦手な蝶子にとってプリクラは苦痛でしかない。弾かれないようにと無理して付き合っていたのだ。
別に好物のチョコレートが大量に転がり込んで嬉しいからではないが、それでも仄かに楽しさを感じていた。
「ねえ、景品にアロマボールとかどうだろう。男子は喜ぶか分からないけど親子さんとかは意外に喜びそう」
アロマボールとは機械に専用のソリューションを入れてアロマの香りを放出する、球体の空気洗浄機だ。球体の中で水が回るところも涼しげで良いが、ライトアップされた空気洗浄機はちょっとお洒落だ。
アーケード内のアロマショップの前で足を止めた蝶子は、ビンゴの景品として結斗に相談した。
「アロマボールって今ちょっと流行りのやつですよね。インテリアの雑誌見ると結構どの家も置いてるし」
オレも欲しい、と言わんばかりに結斗はアロマボールの箱を持ち上げる。
男子がインテリア雑誌を見ているのかと蝶子は驚く前で、結斗はソリューションも手に取る。
「これにソリューションを二本くらい付けても八千円。一等の景品、決まりっすね」
そんなこんなで、文化祭実行委員長と副委員長の二人は休日の半日を掛けて準備をするのだった。




