第三章 ~いつかカナタの大奮闘劇~
まだです、まだ終わりませんよ! やっと話が盛り上がってきますよ! ガンアクションのオンパレードです! ぜひぜひ、是非お読み下さい!
第三章 ~いつかカナタの大奮闘劇~
無機質な薄暗いリビングルームに、金色の瞳を輝せたサードが銀髪の少年と二人でワルツをしている。彼女の周りには椅子が八つ、取り囲むように並べられていた。
「逃亡者の始末は順調だな」
銀髪の少年が静かに囁く。
「ええフィフス、ファーストに早く見せたいわ、この芸術を」
「全く二人とも派手なのが好きね」
部屋の奥から緑髪の少女が現れる。するとサードが嘲るように、
「あなたにはわからないわよ。セカンド、それより交通事故の怪我は大丈夫かしら? フフ」
「……君だって山で邪魔者を取り逃しただろ」
サードがきっとセカンドを睨みつけた。
「喧嘩はよそうじゃないか、らしくないな、君らは」
暗闇の奥から声が聞こえ、部屋に明かりが点く。サードとフィフスを囲んでいた椅子の上には天井から男達が吊らされていた。すでに死んでいる。そして明かりに照らされたファーストが素顔を見せ、少年たちの前に優雅に歩み寄った。サードがファーストに抱きついてくる。
「ファースト、見ていい景色でしょ」
ファーストは不気味なオレンジの瞳でそれを眺める。そして歪んだ笑みを浮かべ。
「そうだね、美しいよ」
サードが嬉々として、
「こいつらは父様の理想がわかってないの、ここで退場してもらったわ」
サードの言葉にファーストは穏やかな声で返す。
「父様の長年の同志たちだ。かつての同志の魂に一緒に黙祷をしようじゃないか」
「そんなのいらないわ。下等な人間をあたしたちと一緒にしないでよ」
「やれやれ、困った子だ」
「ファーストがそういうならあたしの好みの曲で哀悼を捧げるわ。フォース弾いてちょうだい」
サードに促され、紫色の髪をした少年がピアノを奏でた。その旋律はとても美しく、部屋に響いたが、それには音楽家が出すような感情が込められていない。
「ショパンの『別れ』かい。とても綺麗なメロディだよ。君らしくていい」
「あなたの方は、始末は順調かしら?」
「それが困っているんだよ。数が多くてね。警察の目を欺くのにも一苦労さ。この間は例の会場までハイキングすることになってね。まぁ苦労した分、面白いことも見つけられたよ」
「何かしら? 聞かせて」
フォースがピアノの演奏を止め、四人がファーストに注目した。
「ああフォース、奏でててくれないか。気分が良くなるんだ」
再び部屋に美しい旋律が響く。
「サード、エイスを見つけたよ。元気そうだった」
「あいつはまだ未覚醒でしょ。覚醒させたの?」
「今はまだそれでいいんだ。けど舞台がとても良くてね」
「どういう意味?」
「そろそろ計画を実行に移そうと思うんだ」
「どこで?」
「この間二人でハイキングしただろう? そこが僕らの船出の場所にふさわしい」
「それで?」
「二ヶ月後にエイスを覚醒させる。彼女には幕間劇の主演をやってもらうよ」
フィフスが呟いた。
「追跡者が気がかりだ。奴等の始末は俺がやろう。計画の邪魔になりそうだ」
「任せたよ、フィフス」
セカンドがファーストに報告する。
「例の研究についてはサイエンティストとコンタクトが取れたわ。こちらも派手な花火をしようじゃない」
「頼むよ、セカンド。この花火の打ち上げは僕らの重大な要になる」
サードがはしゃいだ。
「とうとう始まるのね」
ファーストが静かな口調で、
「ああ、人民総決起に世界同時革命、父様は僕らにその志を託した。まずはこの国でそれを起こそうじゃないか」
「何から始めるの?」
「まずはこの国の憲法を変えようか。僕らのユートピアに下等な人間が人民の象徴であることは許されない」
「好きよファースト。あなたの考えることって本当に胸が躍るわ」
「フォース、曲を変えてくれないかい? 今僕が聴きたいのはもっと派手なのがいい」
フォースはピアノで踊る手をいっそうに奮い、部屋に響かせた。
「ベートーベンの『皇帝』か。そう、それでいい。君たちも奏でてくれないか? オーケストラにしたい」
するとファーストの後ろにいた十人以上の少年少女が楽器を取り出し、演奏を始める。
「いい音色だ」
ファーストは一音、一音の美しさを聴きながら、指揮棒を持ち、曲に合わせてこのオーケストラを指揮した。
「アンサンブルの真髄はハーモ二―、調和が大切なんだ。この曲も、そして……」
ファーストは山で出会ったエイスに想いを浮かべた。
(家族は多い方が楽しい。はやくここへ案内してあげたい)
美しい協奏曲が月夜へと運ばれていく。満月の夜空にふさわしい旋律の彩り。月がよりいっそう輝くほど曲は美しかった。しかし、楽譜に完璧に奏でられただけの感情の無い無機質なものだった。その奏でが聞こえたのか、月夜はそれに誘われていった。
○
十月二日 午後六時 アジト
「目標の正体が判明した。これからこいつらをチルドレンと呼ぶ。特にこの写真の少年の名前をファーストとする」
廃屋ビルの地下のアジトでボスが三人を集め、ミーティングを始めた。カナタがボスの言葉に反応した。
「ボス……。ファーストって言ったか?」
「何か心当たりがあるのか?」
ボスが眉をひそめる。
「いや、何故ベースボール用語が……。一塁手ってなんだよ」
一同ががっくりとして溜息をつく。無言でボスがカナタの頭を叩き、カエデが残念そうなものを見るような目をして、
「奴等のコードネームらしいわ」
「ベースボールが好きなのか? そういえば山で会ったロリータもサードって言ってたぜ。ピッチャーもいるのか?」
ボスがカナタを無視して、話しを続ける。
「……カナタとレイが広場で見つけた死体の身元は前田和也、極左暴力集団の革栄派の幹部の一人だ」
カナタが不思議そうな顔をして、
「極左? 革栄派?」
カエデが面倒そうに答える。
「要するにこの国のテロ組織の一味よ」
ボスが話しを続ける。
「革栄派の幹部達のヤサはカエデが警察情報を利用して判明した。チルドレンについては不明な点が多い。しかし奴等が革栄派の幹部を殺害したことから今後狙われる可能性が高い」
ボスが全員に目配せをして、
「これからは革栄派のヤサを張り込む。目標が現れる確率も高い。この間の件もあるから十分注意してくれ。なお張り込みはカエデとレイでやれ」
カナタが抗議する。
「ちょっと待て! 俺は!?」
ボスはニカっと笑顔を見せ、自分の親指を立てる。
「安心しろ。お前は俺と組み、この女を尾ける」
ボスはカナタに写真を見せた。画像にはいつかの顔が写っていた。
「おんや、こないだのロリータポリスじゃねぇかよ」
「知っているのか?」
「ああ、道案内してもらったけど可愛かったぜ」
「そんなことは聞いとらん。カエデ、説明を」
カエデは報告書を読み上げる。
「彼女の名前は小鳥遊いつか。年齢十七歳、松山署の足柄交番に勤務している警察官よ。階級は警部補」
レイが驚く。
「十七歳で警部補!? キャリア組でも日本の警察官じゃムリな年齢よ」
「彼女はアメリカ留学して飛び級したらしいわ。事実確認はできてないけど。ただ判明しているのは幼少時に革栄派の元締め松原彰に引き取られ、その後消息不明。今年になって日本に戻って来たらしいわ」
カナタが、
「それがどうした?」
と訝しげにカエデに尋ねた。
「チルドレンの一味もこの女と一緒に松原彰に引き取られた可能性が高いわ」
再びカナタが、
「何で?」
カエデは苛立ちを押さえながら、
「察しが悪いわね。こいつら皆同じ歳くらいの少年少女でしょ。しかもチルドレンは革栄派に確実に絡んでいる。つまりこの女もチルドレンである可能性が高いってことよ。要するに奴等の仲間かもしれないの、ドゥーユーアンダースタン?」
黙っていたボスが口を開く。
「この娘の前にファーストが現れるかもしれん。先手を打つためにも、しばらくこの娘を張り込むぞ。俺とカナタで、だ。カエデ達も用心しろ」
カナタが嘆く。
「えーボスと一緒? 俺のレイの好感度はどーすんのよ?」
レイが冷たい瞳で、
「知らないわ」
がっくししたカナタがレイに、
「なぁレイ、ところでペッセリーって何だ?」
レイが顔を真っ赤に染めて、
「馬鹿か! いきなり何言い出すの!」
「だって日本の女の子はゴムしない主義なんだろ? 俺のゲームのキャラはみ~んなしてなかったぞ」
カナタを除く、一同が沈黙する。
「それにみんな、中で出してやがる。大和撫子はそんなにガキが欲しいのか?」
レイがナイフを取り出し、
「……セクハラか? 天然か? 前者ならそのにやけた口にナイフを放り込むわ」
カエデが頭痛を押さえるようにして、苛立ち声で、
「レイ……。こいつ童貞だから無視していいわよ」
カナタは不思議そうな顔をして、
「俺、変なこと言ったか?」
ボスが呆れて、
「とりあえず貴様のアダルトゲームは全て没収だ」
「やめてくれ! それに俺のクラ×ドはエロゲーじゃない! 人生なんだ!」
カナタは必死に弁解した。
「レイもプレイしてみろ! すげー泣けるから!」
「ここにきてまたセクハラか!」
カエデがゴミを見るような目で、
「アメリカって訴訟大国じゃなかったっけ?」
ボスが同意するように、
「億単位の賠償金せしめてやれ」
カナタは弁明する。
「お前ら誤解してる!」
「「お前が言うな!」」
三人が同時に言い放つ。
カナタのせいですっかりゆるんでしまった雰囲気をまとめるように、ボスがこほん、と咳きをして、
「以上、解散! 明日から動くぞ!」
と四人の凄腕の狩人達が獲物を狩りにその場を後にした。
○
十月二日 午後十一時 夏山探偵事務所
秋風が吹き渡る深夜、アジトのミーティングの後、事務所の二階の寝室でカエデは洋風の豪華なベッドで横になっている。カナタはソファで寒さに震えながら悶えていた。
「カナタ、ちょっといい?」
「何だよ? 誘ってんのか? あいにく年増とベッドインする気はねぇぞ。俺はロリータ好みなんだ」
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! ……ボス、怪しいと思わない? さっきのミーティングの言動、まるでチルドレンやファーストの狙いが革栄派だと知ってたような口ぶりだったわ」
「そうか?」
「そもそも番犬っていうチームは何者だったの? 何故番犬はファーストに殺されたのかしら?」
「番犬っていうからには、何か見張ってたんじゃねーのか?」
「その犬は何を見張ってたんだと思う?」
「そりゃ、犬を殺しちまったファースト君に聞いてくれよ」
「そう、ファースト、私の勘じゃ番犬の任務はファースト、いやチルドレンの監視だった。そして奴等は邪魔な番犬を殺したのよ」
「何が言いたいんだ?」
「元番犬のボスとレイはファースト、チルドレンの正体を知っていたはず。けどあえて私達に知らせなかった。何故だと思う?」
「俺らに知られたくなかったからか?」
「そう、自分達の正体を……。多分ボスは……」
「……カエデ、よそうぜ。俺らはチームだろ? 仲間は信用しよう」
「……そうね。やーね、職業病よ。ついつい人を疑っちゃう。一億の大金に目が眩んだクセにね。フフ、けど意外ね。戦場じゃ赤髪の死神と呼ばれていたあんたから信用なんて台詞が出てくるなんて」
「その通り名は前の仲間や敵が勝手につけたんだ。俺は好きじゃねぇ。髪を赤くしたり、銃を赤くしてるのにはこだわりがあるんだ」
「こだわり?」
「赤い彗星と言われたかったんだ。戦車も五体は吹っ飛ばしたぞ」
「……あんた、腕は凄いけど、本当に残念なオタクね」
「俺が無茶するたびに、俺の仲間は皆死んじまった。そしてその嫌な通り名で、人は俺から離れようとする。気持ちがバラバラになるから皆死んじまうんだ」
カナタは頭を掻きながら続ける。
「それを知ってるから、俺は仲間の信頼を大切にするんだ。一人疑うと皆疑心暗鬼に駆られて死んじまう。だから野暮なこと考えるのはよそうぜ」
「そうね。けどろくに義務教育を受けてないクセにやけに達観してるわね」
「戦場の方が学ぶことが多いってことさ。生きるか死ぬかの狭間にいたからな。だから……」
「何?」
「今回はみんな生きてハッピーな顔して、この仕事終わらせてくれよ。俺はこのチームで死ねることを今度こそ期待してるぜ」
「フフ、そうね。私もあんたのことを信じるわ。そしてチームの皆のことも、だからあんたも生き抜きなさい」
「オーライ。だが死に場所は俺が決めるぜ。しっかし、明日から和製ターミネーターみたいなごついおっさんと仕事とはついてねーや」
「これも勉強よ。頑張りなさい」
「あーそうするさ」
カナタはふて寝する。カエデは寝付けないらしく、寝室の窓を眺めた。夜の秋風は肌寒いが、星空を眺めていた。
カナタの前では信頼という言葉を口にしたが、カエデは妙な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。夏山の報告と自分の仕事の接点は偶然に思えなかった。
キーパーソンは小鳥遊いつか、彼女の存在が何を意味するのか、カエデは疑問を抱いた。
(考えてもしょうがないか、明日からは革栄派の連中を張り込むのが私の仕事なんだから……)
そう思いをはせていると、夜空は雲に包まれていて、星の輝きの欠片は消えてしまった。
○
十月三日 午前十時 秦野市
国道246をボスの愛車トライトンが駆け抜ける。平日の昼間なので渋滞もなく、スムーズに走行している。車内で運転中のボスが助手席のカナタに、
「カナタ、小鳥遊いつかは足柄市の交番にいるんだな?」
「ああ、とりあえずこのまま真っ直ぐ走ってくれ」
「警官か、なんだってそんな国家の犬みたいなやっかいな職についてやがるんだ。なぁカナタ?」
カナタはそれには答えず、自分の着ている服を見て、不満気にボスに文句を言う。
「なぁ、ところでなんで俺が日本の学生服なんか着なきゃなんねーんだ? 黒色のブレザーは趣味じゃねぇ」
「日本じゃ、その格好してれば怪しまれずにすむ」
「じゃあ、なんでレイはジャージなんだよ? 俺、日本の学生服は大好きだが、着るのは趣味じゃねぇ! レイにも学生服着させろ! あいつ、俺と同じ十七歳だろ!」
ボスは人差し指を横に振りながら、
「カナタ……、わかってないな。レイのジャージは某有名女子高のジャージだ。手に入れるのに苦労したんだぜ?」
「ボス……。あんたひょっとして制服マニアなのか?」
「断じて違うぞ、カナタ! 隠密行動に入念なだけだ! だいたいレイと違って、お前のナリは目立ち過ぎる。何だ、そのチャラチャラしたピアスに派手な赤髪なんかしやがって……」
「ボス、それより前見て運転してくれ。妙な女が路上に立っていやがる」
「何!」
けたたましいブレーキ音を響かせ、急停車した。
危うく人をはねるところだった。ボスが激昂して、
「おい! 危ないぞ!」
カナタも車から飛び出し、尻餅ついた女に駆け寄る。すると、女性が笑顔で話しかけてくる。
「あら、こないだの少年じゃない」
ボスがはねそうになった女は伊吹だった。カナタも伊吹に気付き、
「あんた……こんなところで何してるんだ?」
ボスが、
「知り合いか?」
「ああ」
とカナタは答えた。伊吹がカナタにすがりつき、
「お願い助けて、車が動かないの……」
近くにあったコンビニの駐車場でボスが伊吹の車のボンネットを開け、黙々と修理している。
カナタは伊吹に、
「これから大学に行くところか?」
「ええ」
「なら同じ方向だな、俺達も足柄交番に行くところだ」
二人が会話しているところにボスが歩み寄り、
「おい、こりゃ駄目だ。エンジンが完全に焼きついちまってやがる。そこのお嬢さん、オイル切れたまま走ったろう? これじゃ廃車だぜ」
「そんなー、困るわよ!」
カナタが、
「ボス、足柄市の大学に行くつもりらしい。ついでに送ってやればいい」
ボスが舌打ちをしてから、
「しょうがねぇな」
カエデは嬉しさを身体全体で表現してから、
「ありがとー! 少年、お礼にチョコレートあげるわ」
「いらねーよ。俺をボーイ扱いするんじゃねぇ」
運転席に乗ったボスが、
「さっさと乗れ、出すぞ」
二人はトライトンの中に入る。そして再び足柄市へ走行を始める。さっきまでのドライブと違っていたのは伊吹が後部座席で自分の研究のうんちくを始めたことだ。どうやら彼女は自分の博学をPRしたいらしい。
「ショットガン法っていうんだけどね。スクローニングで亜種から天然痘が発育する条件で培養すれば近いものが残るの……」
カナタはすでに寝ていて、ボスはイラつき出し、遠慮なくセブンスターを吸い出した。しかし、なおも伊吹は続ける。
「それを別のたんぱく質とかに組み込んで発現させて、優秀なのを何個かまた選んで繰り返して取り出すの……」
カナタは熟睡する。ボスは煙草を外へ放り投げた。
「自慢じゃないけどその技術は私、最高の腕前なの。ただ今までお金と資材がなかったから研究が難航してたんだけど、こないだ私に救いの手を差し伸べる団体様が現れてくれたのよ! しかも研究施設まで特設してくれるなんて、私もう最高! もうすぐ私の研究がパーフェクトに出来上がるの……」
ボスが車を乱暴に停車する。
「着いたぞ、うんちく話の続きは大学の研究室でやってくれ」
伊吹を降ろして、ボスはアクセルを全開にして車を飛ばす。
「俺が警察官の次に嫌いな連中はあんな研究者どもだ。汗もかいたことないクセに仕事してる気でいやがって! カナタ! いつまで寝てんだ! 足柄交番に行くぞ」
ボスに怒鳴られてカナタな眠い目をこすりながら、
「ありゃ? いつの間にか後部座席が静かになったな……」
○
十月三日 午後三時 足柄市
時の流れは早いもので、いつかが松山署に勤務して、すでに一ヶ月が経っていた。
当初夏山は侮っていた。そこらへんにいる女子中学生のような幼い顔立ちで、愛くるしい瞳を持つ少女を。
いつかの仕事の覚える能力は尋常ではなく、夏山が一年がかりで習得した交番業務をマスターし、さらに驚かされたのは、並の警官なら二、三年、早くても一年以上は悪戦苦闘しながら書けるようになる取調べ調書を、いつかは夏山の見本を読んだだけでその場で書きこなしてしまった。
そう、いつかは急成長を遂げたのだ。
夏山から見ればまだまだ一人前とは言えないが、いつか本人は仕事ができるようになったと自覚してしまった。いつかは警官の仕事が楽しくてしょうがないらしく、ここ最近は休憩も取らずに夜警らに出っ放しで夏山は運転手をさせられてしまう。付き合わされる夏山は満身創痍だ。夏山は平和な日常を渇望した。
そんな勢いに乗ったいつかがついにこんなことを言い出した。
「今度の当直は一日通しで交番勤務員による一斉交通取締りをやるわよ!」
確かにPC勤務員に比べ、交番勤務員の方が切符を切っている枚数は少ない。
しかし夏山からすれば当たり前のことだった。一日パトカーに乗っているPC勤務員とは違い、夏山達は交番で交番業務をこなさなければならない。しかし、このことを夏山がいくら説明してもいつかは譲らなかった。夏山はいつかの負けん気の強さに嘆いた。
そんなわけで交番勤務員総出での交通取締りをやることになった。
夏山は、『現認』という、いわば違反車両を発見したら先で待機している勤務員に無線で知らせる役目をしている。
(おっと違反車両だ)
『灰色乗用車、2372、左手、ケータイ通話、左手』
夏山の本音は切符を告知するのは好きではない。いつもはノルマ分をこなしているが、被害者を救うために被疑者を捕まえる検挙とは違い、違反者から切符を切るという行為は弱い者いじめのような気分にさせられてしまう。正直、夏山は違反者から浴びせられる罵声にうんざりしていた。何度「国家の犬めっ!」と言われたか覚え切れない。
夏山は陽が落ちるのを眺めながら、
(ヤレヤレ、これで何台目だ……。朝から昼飯も食わずに立ちっぱなしは流石に疲れるぜ)
夏山は時計を見た。午後四時を指していた。そろそろ頃合だろう、と思い無線連絡する。
『現認から停止へ、夕方になりました。517(終了の暗語)よろしいか?』
『停止から現認へ、真っ暗闇になるまでやるわよ! やる気あんの!? 以上!』
夏山はいつかが無線通話してくるとは予想外で、怒鳴り声で発生したマイクのハウリングに耳を押さえた。おそらくその『やる気』は今の無線を聞いていた勤務員の皆が無くしたであろう。
(まだ続けるのか……。もう二十台以上は切符を切ったぞ、いつか班長……)
この季節ではもはや夕方とはいえない午後六時。夏山達は未だに交通取締りを続けていた。完全に陽も落ち、暗くなって街灯がともり始めていた。流石に視力がいい夏山でもこの暗がりでは現認も難しい。先で待機している勤務員達の士気も体力も限界であろう。
すると無線機からいつかの声が、
『停止から現認へ、次が来たら517でいいわよ!』
夏山はげんなりとした。
(まだ切る気かよ……)
そう夏山が思ったそばから黒色のベンツが目の前を通り過ぎた。助手席に座る女性はベルトをしていない。
『黒色ベンツ、7777、助手席ベルト、助手席ベルト!』
思わず夏山はガッツポーズをした。
(やった! これで終わりだ。交番で飯を食おう。久しぶりに料理をしよう。ちょうど皆集まっているから鍋がいいかな、それともすき焼きにするか!)
そう意気揚々と夏山は停止させた方へ足を弾ませていたら、停車させていた車両で告知している山中の様子がおかしいことに気付いた。妙に慌てているようだ。不安に感じた夏山が走り寄ってみると、運転手がドスの効いた声で、
「テメーらの見間違いだろ! ベルトしてるじゃねぇか。おい! よく見ろよ!」
どうやら違反者が否認しているようだった。山中もうろたえている。そんな山中の態度を見た違反者はつけ上がり始めた。
「お前、名前教えろよ! 110番でクレームしてやる!」
山中の大きい瞳はもう涙が溢れる寸前であった。夏山は助けようと前に出ようとすると、いつかが違反者に警察手帳を突き出す。
「松山署の小鳥遊警部補です。110番したいならどうぞ。ただあなたが違反した事実に間違いはありませんよ。助手席のあなた、警察官の姿を見てからベルトをしましたね」
「いいがかりよ! そんな証拠どこにあるの!?」
「私ははっきり見ていましたし、何より私の後ろにいる男性警察官があなたがベルトをしていないことを確認しています。警察官がはっきり違反している所を見ているのが何よりの証拠です」
いつかのなんとも毅然とした対応に夏山は驚きを隠せなかった。騒いでいた違反者も黙ってしまっている。いつかは告知を続けた。
「それでも否認されるなら結構です。今から否認調書を書きますが、お時間かかりますよ」
「いーよ、急いでっから、切符の一枚ぐらいサインしてやるよ。けどホントは認めてねーからな」
違反者はそう言い放つと免許証を出した。いつかはそれを丁寧に受け取り、山中に渡す。
「すぐに終らせます。比奈子、急いで、くれぐれも指印とサインを忘れないで!」
「はい! いつか班長」
山中の下の名前は比奈子であった。夏山のあずかり知らないところで、いつの間にか二人は親しい関係になっていたのだ。
山中が無事に告知を済ませるとベンツはさっそうと去っていった。夏山は車が見えなくなるまで見張りながら、
(これで終わりか……。それにしてもいつか班長、成長したな。まさか否認者を言いくるめるまで告知ができるようになっていたとは……。しかもたった一ヶ月で一年先輩の山中を従えて……)
褒め言葉の一つでも伝えようと夏山はいつかに声をかけようとすると、山中がいつかに抱きついてきた。
「いつか班長、感激です。あたし、今日一日で七枚も切符が切れました。こんなの初めてです! それにさっきは助けてくれて本当にありがとうございました!」
山中は顔をくしゃくしゃにして涙ぐみながらいつかに感謝した。いつかはそんな山中の頭を優しく撫でながら、
「よく頑張ったわね。比奈子、偉いわよ! 今日のこと、日頃馬鹿にしてるPCの連中に自慢してやりなさい!」
そしていつかは勤務員の前で深々と頭を下げて、
「みんなもよく頑張ってくれました。おかげで今日の成果は二十五枚です。あたし達だってやる気出せばこれぐらいできるんです。自信を持って下さい。そして今日は本当にお疲れ様でした!」
いつかの強い瞳に夏山は心を改めた。いつかの負けん気は本人ではなく、交番の仲間のことを思っての気持ちだったのだ。夏山は肩をすくめて、
(妙なところで不器用な班長だ。そうだ、この娘はただの十七歳の女の子じゃない、立派な班長なんだ)
夏山は締めの言葉に、
「それじゃあ、本日の大収穫を祝してみんなで足柄交番ですき焼きパーティーでもしましょうか!」
その場にいる勤務員達が歓喜の声を上げる。しかしいつか一人が抗議する。
「ちょっとナツ、交番でパーティーなんて……」
「いいんですよ、こういう時はそうするものなんです」
皆が我先にとミニパトやオートバイに乗り出し、足柄交番に向かう。夏山といつかもミニパトに乗り、エンジンをかけ、出発する。足柄交番へ向かう途中で助手席に座るいつかに夏山が囁く。
「またやりましょうね、一斉交通取締り作戦」
しかしいつかは夏山の言葉に反応しなかった。夏山は返事が無いのを不思議に思い、隣りを見たら、いつかは居眠りしていた。それを見て苦笑いをする。
(なんだかんだ言っても十七歳か、さすがに疲れたろう。ご褒美として今夜は盛大に祝ってやるか)
夏山はマルボロに火をつけ車内で一服する。
「ヤレヤレ、とんでもないジョケイだけど、まだまだ子供だな」
ミニパトのアクセルを夏山は強く踏み込んだ。
○
十月三日 午後六時 足柄市
「ボス、元気出せよ」
バスロータリーにボスのトライトンが駐車してある。車内でボスがハンドルに頭をあずけてうずくまっている。
「もう二時間経つのにまだ落ち込んでるのかよ……。運転中にカエデに連絡したのがいけないだろ。しかもたったの七千円の違反金じゃねぇか!?」
「そんな問題じゃない……」
ボスがカナタに免許証を差し出す。
「ゴールド免許だったんだぞ……。どうだカナタ、日本の警察は優秀だろう。俺の金色の免許証を見事に青色に変えてくれたぜ……」
自嘲気味に呟くボスの顔は真っ青だった。
「それよりボス……」
「何だいカナタ君?」
ボスの言葉遣いが少しおかしいが、かまわずカナタはボスに、
「さっきボスに切符切ったロリータポリスが小鳥遊いつかだぜ。気付かなかったのかよ?」
ボスが顔を上げ、
「……そうだったか?」
「……マジで気付いてなかったのかよ……」
「俺としたことが……捕まったショックで頭が一杯で顔なんて見る暇が無かった……。すぐに出すぞ!」
トライトンが急発進し、Uターンをする。そして先ほどまで取り締まりをしていた場所に戻るがいつかの姿どころか、人っ子一人いなかった。ハンドルを握力で潰すように握り締めるボスがドスのきいた声で、
「カナタ……。足柄交番はどこだ?」
「この道のつき当たりの交差点を左折して、真っ直ぐ行けば県道沿いに……」
「すぐに行くぞ! お前はベルトを忘れるなよ。二度と捕まってたまるか!」
「……アイサー。けど今度はスピード違反で切符切られるなよ、ボス」
「むぅぅ……」
○
十月三日 午後七時 足柄交番
足柄交番の中は賑わっていた。伊澤が元気のいい声で、
「ナツ! 料理はまだか!」
「今出来ました! 山中、鍋運べ」
夏山が山中にグツグツに煮立った鍋を慎重に渡す。
「落とすんじゃねーぞ」
夏山が念を押すと山中の可愛らしい顔が強張る。
「わかりましたナツ先輩! ……で、どこに置けばいいんですか?」
「……テーブルの真ん中にあるコンロの上に置け……」
「はい!」
山中が危なっかそうに運ぶ姿をぼんやりと夏山は眺めて、マルボロに火をつける。そして立ち尽くしているいつかに、
「いつか班長も座ってゆっくりして下さい。重山、肉持っていってくれよ」
「了解、さ、班長行きましょう」
重山がいつかを休憩室にエスコートした。部屋にはあぐらをかいた佐々山と伊澤がテレビのバラエティ番組を観ていた。山中は炊飯器からご飯を茶碗に盛っていた。それを見たいつかは、
「比奈子、手伝うわよ」
「ああ、いいんです。これが私の仕事ですから班長はゆっくりして下さい」
やけに気をつかう山中に違和感を覚えながらも、疲れていたいつかは座布団の上に座る。配膳を終えた山中が、
「皆さん、料理できましたよ。食べてくださ~い」
伊澤達もテーブルの前に座り出す。するとキッチンから入ってきた夏山が、
「……山中、何上座に座ってるんだ! 班長の席だろ!」
と叱りつける。山中は、
「すいません!」
「しかも箸がねーよ! 手で鍋つつかせるつもりか? ホント気が利かない奴だな!」
「すいません!」
山中がシュンと落ち込んだ顔をする。しかしそんなやり取りも気にせず、他の勤務員は黙々と食事を始める。いつかは夏山の態度に腹が立ったので抗議した。
「ちょっとナツ、女の子にそんな言い方ないんじゃない」
肉をほおばる夏山は、
「しつけです」
と一言いって、気にせず食事を進める。
「新人はそうやって育っていくもんなんですよ。山中さんはジョケイだからみんな優しくするんすけど、ナツの奴は男も女も同じだって指導してるんすよ」
隣りに座っていた重山がいつかに囁いた。山中も会話に加わり、
「そうなんです。私の最初の指導巡査がナツ先輩だったんです」
「そうなの?」
「はい! こないだも当直明けに屋内盗の扱いが入った時、実況見分の調書に手間取って居残りするハメになっちゃったんです。けどナツ先輩は、みんな帰った後も残って一緒に手伝ってくれたんです。実はいい人なんです!」
山中が満面の笑顔をいつかに向ける。すると眉間にしわを寄せた夏山が、
「お前の仕事が遅いと係りが迷惑するんだよ……。出来の悪い後輩をもつ身にもなれや」
と水を差す。山中はいつかの耳元で囁く。
「口さえ悪くなければ、もっといい先輩なんですけど……」
「……何か言ったか?」
「いいえ! ナツ先輩の優しさはバハリンで出来ていると班長に……」
「そういやナツ、高田班長から刑事課に声かけられてるって、ホントか?」
重山が夏山に尋ねた。
「そういう訳じゃないが、当直明けに盗犯の仕事の手伝いはしてるぞ」
「やっぱりあれか、三月に病院荒らし捕まえた実績のおかげか」
「あれは俺だけの手柄じゃない。田山部長がいなかったら発見も出来なかったさ」
「けど田山部長も『あれはナツの功績だ』って言ってたぜ」
いつかは知らない人物の名前がでてきたので重山に尋ねた。
「田山部長って?」
「ああ、三月の異動で今はいないんですけど、それまでうちの係りのエースだった人です。まぁ厳しい人でもあったんですが……」
夏山は重山を指差し、けらけら笑いながら、
「お前、入り立ての頃、助手席で居眠りしてPCから放り出されて、泣きながら歩いて署に帰ったな」
「……思い出したくもないぜ……」
重山の表情が暗くなる。
「そういやナツ、ドライアイスが離婚届け出したってマジか?」
伊澤が夏山に陽気に話しかける。
「熊田班長ですか……。こないだ町役場で照会文書の提出に行こうとしたら、呼び止められて『ついでに離婚に必要な書類も持ち帰ってこい』って言ってましたよ……」
夏山は深く溜息をついて、
「以前、俺と駅前で組んでた頃から旦那さん、だいぶ参ってたらしいです。熊田班長の恐妻ぶりに……。当時、熊田班長の右拳が青く腫れ上がっていたのをオレは忘れないです……」
「松山署のドライアイスも家庭では逆DVか! ギャハハハ!」
交番の休憩室内では、勤務員のみんなが笑いあっていた。どんな辛い勤務の後もこうして楽しく食事をしながら、わき合い合いと笑い合いながらウサを晴らす。警察官にとって休むことは大切なのだ。
いつかは勤務員のみんなが楽しくしているのがなんだかむしょうに嬉しかった。この中に自分が入っていることが喜ばしかった。
(ここが自分の居場所なんだ。この幸せな空気を壊したくない)
今日だけは、今この時だけは通報が入って欲しくない、といつかは思わず願ってしまった。
○
十月三日 午後八時 足柄交番外
足柄交番が休憩所で盛り上がっている中、交番の窓から中の様子を盗み見る二人がいた。カナタとボスだ。
「ボス、日本のポリスは勤務中にホームパーティーするのか?」
「……あれは日本の恥だ。今見ていることは忘れろ……」
カナタの腹が鳴る。
「美味そうだなぁ……」
翌朝、足柄交番で立番しているいつかをカナタ達は隠れながら張り込む。いつかは立ったまま寝ていた。それを通学途中の小学生が笑いながら見ている。
「ボス、とても十人以上の部隊を単独で殲滅できる化物に見えないぜ」
「……俺もだ」
二日後の夜、足柄交番のミニパトをトライトンで尾行するボスとカナタ。カナタが双眼鏡からミニパト内の様子をボスに伝える。
「ボス、あいつ助手席で居眠りしてるぜ。日本のポリスは優秀じゃねぇのかよ」
「……何も言うな……」
その日の深夜、交番の周囲を張り込むカナタ達。カナタが交番の中の様子を探ろうとしている。すると交番の中からパシャパシャと水が流れる音が聞こえた。不思議に思ったカナタは音がする方へ忍び寄る。窓には明かりがあり、湯気が外に漏れていた。
(交番で湯気? どういうことだ?)
そして中に人の気配をカナタは感じとった。そこで何をしているのだろう、と精一杯身を隠して中の様子を探ろうと、室内を覗いた。
「ふぉ!」
カナタは慌てて口を塞いだ。あまりの衝撃的な光景に身体に電気が走った。
何とそこにはいつかが生まれたままの無防備な姿で、心地良くシャワーを浴びていたのだった。
(な、何ぃぃ!? 裸の女神だぜい! 俺はなんてついてるんだ!)
いつかの身体は上背と同じく、胸も小ぶりだった。しかもウエストやヒップはきゅっと締まっていて、美術像のようなスタイルをしていた。泡にまみれた色白の肌が輝いて見える。胸がすくうような気持ちだった。水の流れでなびく長髪の黒髪が胸元の大事な部分を隠している姿は感動さえ覚えてしまう。
カナタは青春の鼓動と湧き起こる劣情感を制御できずに、いつかの裸を血走るような目で凝視してしまった。
(もう少し、もう少しで大事な処が……。見える、見えるぞぉ!)
しかし無情にも刹那、カナタの携帯電話が鳴り響く。
そして音に反応したいつかとカナタの目が合った。
「キャアアアアアアアアアアー!」
いつかが悲鳴を上げると同時にカナタは全身の力を全て捧げて、その場を全力で立ち去る。走りながらも携帯電話は鳴り続けるが電話を切る余裕さえなかった。
カナタはどれぐらい走ったかわからないぐらい疾走した。後ろから迫られてきている感覚が拭えない。
息を切らし、公園のベンチでもたれかかった。
(ここまで逃げれば安全だろ……)
すると突然、後ろから後頭部を殴打される。
(痛ぇ……、いやそれより、まずい! 捕まった! 覗きで捕まるなんてクールじゃねぇ……。泣いて謝れば許してくれるか!?)
カナタは泣いた演技をして、
「ずみません、ずみません……」
しかし相手は容赦なく、カナタの首根っこを鷲摑む。
「電話にでんか! 馬鹿者!」
カナタを殴打したのはボスだった。カナタは安堵の声で、
「なんだボスか……、びっくりさせんなよ」
「カエデから連絡が入った。革栄派の連中が動き出した。目標と接触のチャンスだ。すぐに俺達も出るぞ!」
「それは……、良かったぜ……」
事態が動き出したというのに、カナタは心底安心した。
カエデのオープンカーが先行し、その後方にボスの車がつき、高速道路で合流した。ボスがカエデに携帯電話をかける。
「先頭車両がずいぶん多いな。七台か……。どの車を尾行する?」
『……全てです。前の七台に革栄派の人間が乗ってます』
「よし、最後尾の車両を尾けるぞ」
『了解……。 なっ!? 後方から二人乗りのバイクが一台接近してます! すごい勢いです!』
ボスが後方を見ようとしたら、すでに車の脇にバイクが接近していた。
「いつの間に!?」
ボスが呻いて、アクセルを強く踏み込むが、すでにバイクが前に回り込んでしまった。
そしてバイクのシートに座っていた少年がシートに立ち上がり、その場で宙回りジャンプをした。
そして車のルーフからドンっと衝撃音が走る。
「俺達の動きを読んでいたのか!? クソッタレ! カナタ、上にいる奴を蜂の巣にしてやれ!」
カナタはホルスターからSmith & Wesson M500を取り出し、
「アイサー」
カナタは天井目がけて銃を乱れ打つ。しかし、手ごたえがない。ボスが、
「殺ったか?」
と聞いた途端、逆に天井から運転席目掛けて、鉄パイプが突き刺さってきた。
カナタは再び銃で応戦するも、
「チッ! 的が見れないぜ!」
一方、バイクはカエデのオープンカーにも接触しようとした。カエデはハンドルを切り、車をバイクにぶつける。
途端にバイクは転げ倒れた。
カエデはミラーごしで火花を散らせながらバイクは後ろに流れていく姿を見る。
ほっとカエデは溜息をついた。
するとサイドミラーに包丁が突き刺さった。後ろを振り返ると、カエデの車に乗り込んだ少年が、カエデに包丁を振り下ろそうとしていた。カエデは思わず目を瞑る。
すると刃と刃がぶつかり合うかん高い音がした。
レイがナイフで包丁を弾いたのだ。
レイはそのまま臨戦状態に入り、少年と応戦する。
電話ごしでボスが、
『してやられた! カエデ、構わねぇ! 車の尾行を続けろ! こいつらは俺達がなんとかする!』
そう指示を出すと、ボスはアクセルを踏み込み、加速させ、カエデのオープンカーの尻にぶつける。
「レイ! 飛び移れ!」
レイはボスのトライトンのボンネットに向けて襲撃者を蹴り飛ばし、自身も飛び上がり、
着地する。ボスの車のボンネットではレイと襲撃者の近接格闘が始まった。
カエデはその隙をついて、離脱し、追跡を続けた。
「はぁぁぁーーー!」
普段のレイからは想像できないような咆哮がカナタの耳に響く。
レイは狭いボンネット上を舞うように襲撃者を鋭利なナイフで攻撃し続ける。竜巻のような勢いの斬撃を繰り出し、相手の攻撃もひらりと避かす、まるで剣舞のようだった。
その姿にカナタは思わず見とれてしまった。
すると再び天井から鉄パイプ突き刺さる。避けながらボスが、
「カナタ、レイのダンスで、前が見えねぇ!」
「オーライ」
カナタはSmith & Wesson M500を構え、レイと戦う襲撃者に照準を定める。そして引き金を引いた。
薬莢が飛び、火薬の爆ぜる臭い、そしてけたたましい銃声が響きわたる。
その瞬間、トライトンのフロントガラスを吹っ飛ばしながら、襲撃者に凶弾を浴びせた。
襲撃者はとっさに銃弾を避けるが、レイはその隙を見逃さなかった。
レイのスペツナズナイフが襲撃者の首を捉え、それを切り裂いた。
首から血しぶきを上げながら、襲撃者は路上へ転がり落ちる。カナタが銃口にフッと息を吹き。
「これで見通し抜群だぜ。どうだボス?」
するとボスが鉄パイプの攻撃を間一髪で避けながら、
「馬鹿野朗! まだ上に一匹残ってるだろうが! さっさとなんとかしろ!」
カナタが操縦席の天井目掛けて、弾丸が無くなるまで銃を打ち続けるが、リロードする間に鉄パイプの攻撃が始まり、止まる気配はなかった。硝煙の臭いが車内に充満する。
「ラチがあかねー!」
カナタが助手席のサイドドアを開ける。瞬間、ピンが抜かれた黒い球が車内に投げ込まれた。カナタはその正体を瞬時に見極めた。
「やべぇ! 手榴弾だ!」
カナタの声に反応した一同は、目配せながら瞬時に車から飛び降り、路上に受身を取りながら転がった。
途端に無人のトライトンが激しく爆発する。
燃え盛るトライトンを三人は呆然と眺めていた。はっとしたボスが、
「鉄パイプ野郎は死んだか!?」
「いえ、まだみたいです」
レイは炎の中から鉄パイプを持った人影を見逃さなかった。カナタが思わず絶句する。
「ば、化物か!?」
ボスがホルスターからDesert Eagleを取り出し、
「構わねぇ。カナタ、野朗にありったけの弾丸をぶち込め! オレもデザートイーグルをぶっ放す!」
カナタはSmith & Wesson M500を構え、ボスと共に銃弾の嵐を弾が無くなるまでお見舞した。
しかし銃の弾はことごとく鉄パイプではじき返される。まるで、小枝でも振るかのような素早さだ。
そして三人の方へゆっくりと歩み寄る。ボスはマガジンをリロードしながら冷や汗を滴らせた。
「奴は人間か!?」
逆にカナタは鉄パイプの姿を見てニヤリと笑う。
「マジものの化物だな……。ここは死に場所にはもってこいだな」
カナタは嬉々とした表情で、新しい弾丸をリボルバーに込める。
すると、そこへレイがナイフを携え、跳びかかって行った。近接戦を挑んで来たのだ。
「レイ無茶だ! 止せ!」
ボスが制止ようとするが、レイは走りながら、
「こいつに銃弾は効かない。ならあたしのナイフでケリをつけます」
相手を牽制しながらレイはナイフを投げつける。
だが鉄パイプに弾かれた。
しかしすかさず、レイはナイフで斬撃を繰り出す。目にも止まらないナイフ裁き。鉄パイプはかろうじて避ける。そして反撃を試みようとした瞬間、
「捉えた」
レイは隙を見逃さず相手の首元をめがけ斬撃を繰り出す。
しかし寸前のところで鉄パイプで受け止められてしまった。鉄と鉄がぶつかり合い火花が散る。
レイは苦し紛れに相手に上段蹴りを放つが片手で制されてしまった。鉄パイプを持った少年が歪んだ笑みを浮かべる。
それを油断と直感したレイはそこでスペツナズナイフの奥の手、飛び刃を顔面目掛けて繰り出した。
しかし、それすらも読まれてしまったのか、なんと口で受け止められてしまう。鉄パイプを持った少年はレイのナイフを噛み砕いた。
八方塞りのレイに少年が鉄パイプを振り下ろそうとする。
瞬間、そこへカナタが接近し、飛び蹴りを食らわそうとする。だがいとも容易く、素手でガードされてしまった。
少年がカナタを見て歪んだ笑みを浮かべる。しかし、
「避けてみろよ、この距離で」
至近距離で少年の胸部にSmith & Wesson M500の凶弾を撃ち込んだのだ。
けたたましい音とともに少年の心臓を貫く。あまりの威力に少年は数メートルまで吹っ飛んでいった。
ボスがカナタに近づき、
「おいおい、殺してどうする? 聞きたいことが一杯あったんだぞ」
カナタは肩をすくめて、
「あんな化物相手に無茶いうなよ」
するとレイが
「……生きてる」
カナタが思わず絶句する。
「マジでか!? そこらの防弾チョッキだって吹っ飛ばす威力だぞ」
三人が身構えながら近寄ると、確かに少年には息があった。少年は撃ちぬかれた胸を押さえながら、
「く……」
ボスがDesert Eagleを突きつけて、
「おい、鉄パイプ。死ぬ前に聞くことがある」
少年はかすれ声で、
「と……」
「あ!?」
「父様の遺志と遺産は全て我らチルドレンのものだ……。お、お前らなんかには渡さない!」
少年が奥歯を噛むとカチっとした音がした。カナタはその瞬間、
「危ねぇ! レイ! ボス!」
カナタは二人をかばうように身を屈める。
たちまち少年の身体は爆発し、燃え上がった。カナタは二人の無事を確認し、
「あれがチルドレンって奴か?」
レイが、
「ええ」
「なるほど、やべぇ連中だってのはよくわかったぜ。父様ってのは?」
カナタの質問にボスが、
「おそらく松原彰のことだろう」
レイがボスに尋ねる。
「遺志とは何です?」
「奴等は極左だ、世界同時革命ぐらい考えてるかもしれねぇな」
「遺産とはなんのことです?」
カナタが、
「大方、金じゃねぇのか?」
ボスが首を横に振り、
「いや、きっと奴等のことだ。狙いが革命なら、もっとヤバイこと企んでいるに違いない。あんな化物作り上げるような奴等だぞ」
するとボスの携帯電話が鳴る。発信者はカエデだ。ボスが出ると、
『ボス、チルドレンのヤサを掴みました。箱根の仙石原の保養所です』
「そうか、でかしたぞ。すまんがそのまま張り込んでくれ。中には入るなよ。ヤバイ連中がぞろぞろいるんだ。昼間まで動きが無かったら帰還してくれ。ああ、悪いが途中で俺達も拾ってくれ車を吹っ飛ばされた」
『了解』
通話が終わり、レイとボスはその場を後にする。
カナタは一人残り、鉄パイプを振るっていた燃え盛る少年の亡骸を見つめた。
(また死に損なったか……)
○
十月八日 午後一時 アジト
アジトでカナタ、レイ、カエデ、ボスの四人が揃い。ミーティングをしていた。カエデが、
「朝まで張り込んだけど、尾行した革栄派の人間は保養所から誰一人戻らなかったわ。それと革栄派のヤサに仕掛けた盗聴器の録音テープレコーダーよ。聞いてみて」
カエデがテープレコーダーの再生ボタンを押す。
『……前田さんも始末された、奴らはじきにここにやって来る……』
『……だから逃げましょう、革栄派もお終いだ。松原の亡霊たちは止まらない……』
『……チルドレンの計画はもう阻止できない……』
『……全てはファーストが俺たちの計画を歪ませた。奴らの役目はゆるやかな革命の一端に過ぎなかったはずだ……』
『……松原の死が奴らを狂わせた。穏健派の俺たちは身を隠そう。俺も前田さんのようになりたくはない……』
『前田さんだけじゃない、奴らは計画に異を唱えた連中をみんな始末している……』
『……どうしてこうなってしまったんだ……』
『……いつもの例会には行くぞ。ファーストに会うのもこれが最後だ……』
録音テープはそこで切れる。ボスがぽつりと呟く、
「内ゲバか……。これでチルドレンは革栄派に繋がりがあることは確定したな」
カエデが手を組みながら、
「本来はこの組織の連中の下にいた存在だったこと伺えるわ。そして現在敵対関係にある……」
カエデの言葉にレイが、
「奴等のアジトは判明しているわ。目標の居場所がわかればそれでいい」
眉間にしわをよせてカナタが、
「危険を承知で乗り込むか? 鉄パイプ野郎みたいな奴が何人いるかもわからねぇんだぞ」
カエデが一指し指を突き立てて、
「いや、腕利きの始末屋を雇う予定よ。アジトのガサ入れは私に任せて」
「始末屋?」
ボスがカエデに目配せして、
「夏山か……。確かにあいつなら大丈夫だろう」
レイが話しを戻す。
「それより奴等の目的が気がかりね……」
ボスが、
「奴等は生粋のテロリストだ。都心にサリンばら撒くなり、国会議事堂ジェット機を突っ込ませるなり、原子力発電所を爆破してメルトダウンさせるくらいのことはやりかねん」
レイが親指の爪を噛む。
「何かが引っかかる」
カナタがレイに聞く。
「何がだよ?」
「奴等が行動を起こしているのは都心から五十キロも離れた辺ぴな田舎町……。けど都心に大きな事件は起きていないわ」
「そんなのたまたまだぜ。あんな田舎町にあるもんなんてロリータポリスとイカれた細菌マニアが研究している大学くらいだぜ」
ボスが低い声で、
「いや、十数年前に地下鉄テロで使われたサリンも山梨県の田舎の村で精製されていた。あながち無関係とはいえん」
カエデがハッとした顔をして、
「細菌か……。カナタ、そいつの研究してた細菌名わかる?」
「えっと……コンペイトウだったかな」
レイがカナタの言葉を遮り、
「天然痘ウィルスの研究よ」
カエデが思案顔で、
「天然痘……。細菌兵器としては十分ね」
カナタが思い出したかのように、
「そういえばこないだボスの免許がゴールドからブルーに変わった日に、その女と会ったな」
「何か言ってなかった?」
「最近、資金援助してくれる団体とか、研究施設特設とか、馬鹿みたいにはしゃいでだぜ。寝てても耳に入ってきたぜ」
はっとしたレイが、慌てて地図を取り出す。
「あの町の特徴は国道246に隣接していることね。その国道の上りの終着点は都心……」
表情を一変したカエデが、
「ボス!」
カエデの言葉にボスが頷き、
「可能性は一つ一つ潰す。カエデは始末屋と行動を取れ。俺達はその大学の女の身辺警護、そして小鳥遊いつかを見張る」
カナタが訴える。
「ボス……、あのロリータは外れですよ」
「チルドレンの脅威は身をもって味わったはずだ。奴がチルドレンでないと確証がとれない以上、厳重に警戒すべきだ」
○
十月十日 午前八時三十分 松山署
「沢北、小鳥遊班長、一人勤務だ」
配置で池山はいつかにそう告げた。すかさず夏山が抗議する。
「ちょっと待って下さい。相勤者として言わせてもらいますが、小鳥遊班長に一人勤務は早すぎます。ここに来てたった一ヶ月ですよ。第一、移動手段は!?」
「オートバイは乗れるだろう。それに山中のような若手と違って、小鳥遊班長はキャリア組だ。とっとと一人前になってもらわないと困る」
池山は夏山の肩に手を置き、
「明後日には植樹祭だ。一応、上にも一人前に立派に働いてるってこと、見せておかなきゃならんのよ。何にせよ、沢北交番だ。何もたいした扱いなんぞ起こりはせんよ」
池山がそう夏山にぼやくと、池山の隣に座る熊田が意地悪そうな笑みを浮べながら、
「それともナツは愛しの相勤者と離れ離れになるのが寂しいのかな? 上司として感心せんな、いい歳した大人が十七歳の女の子に心を奪われるとは……。まぁナツがそうまで言うなら配置を考え直してもいいけど?」
夏山がうんざりした顔をして、
「わかりましたよ。もう勝手にして下さい。何が起きるかわかりませんよ」
池山が夏山と熊田のやり取りに仲裁し、
「まあまあ、だから沢北交番に配置したんだ。あんなど田舎の町の交番でやることなんて、せいぜい地理教授ぐらいだ。小鳥遊班長できるな?」
いつかは自信を持って、
「はい、交番業務はマスターしました。扱いが入っても問題なく対処します」
「うむ、いい返事だ。ではこれにて配置終了する」
いつかは一人勤務の不安よりも、やっと一人前に交番を任されることが嬉しいらしく満面の笑顔を浮かべていた。
配置が終わり、意気勇んで会議室を出ようとすると夏山に呼び止められる。
「何か起きたら、すぐに無線か携帯電話で連絡して下さい。正直いつか班長には一人勤務はまだ早すぎます」
「ナツ、いつまでも保護者面するの止めてくれる? 人のことより自分の心配しなさいよ。今月検挙ノルマ達成してないの誰だっけ? あたしはもう行くわよ。ただのジョケイじゃないっていうことを見せてやるんだから。あんたもさっさと準備しなさい」
夏山はいつかに嫌味を言われ腹が立ったのか、ツカツカ前を歩いて、壁を蹴りつける。
「荒れてますね~。ナツ先輩……」
山中が呆然としていた。
いつかは今日の交番の事情について仲がいい山中に聞いてみた。
「沢北町ですか? 神奈川県の最西端に位置していて、面積は神奈川県の中じゃ横浜市、相模原市に次ぐ広さです」
「確か町域の大半は丹沢山地で、人口は一万人未満の小さな町よね?」
「そうですよ~。町のはずれには丹沢湖があるんで、キャンプやハイキングのために人口の何十倍の観光客が来ますよ。だから仕事は殆ど地理教授です」
「駐在所が五ヶ所配置してあるのよね?」
「ええ、けど今日は祝日なんで、駐在所は閉店してます。だから交番一人はけっこう大変かもしれないですね~。明後日には植樹祭があるんでいっぱいお客さん来ると思いますよ~」
「やたら詳しいわね?」
「いつでも一人勤務できるように勉強してるんですよ~」
山中が照れくさそうに笑う。いつかは胸を張って歩き出した。
(そうか、その広い町を今日はあたし一人で任せれることになったんだ)
いつかは最初に意気込んでいたものの、案の定、みんなの言うとおり、交番に着くなり待っていた仕事は道案内だ。
「丹沢湖へ向かう道はどこですか?」
「大野山にハイキングに来たけど、どこへ進めばいいのか?」
これでは交番というより、観光案内所だ。いつかはうんざりしていた。するとそこに白衣を着た女性が交番に訪れる。伊吹だ。
「あら、こないだのお廻りさんはいないのね、お礼の品を持ってきたのに……」
「勤務員の名前はわかりますか? 渡しておきます」
「確か田中さんだったかしら、こないだ地図にも載ってない診療所を調べてわざわざ案内してくれたのよ」
「わかりました。お名前は?」
「伊吹麻耶よ。それじゃあね、可愛いお廻りさん」
伊吹は土産の品をいつかに渡して立ち去る。すると無線機から、
『松山から沢北』
いつかの心臓がドクンと鳴った。手を震わせながら無線機のマイクを取り、応答する。
『沢北です、どうぞ』
『乗用車同士の物件事故、場所は沢北町岸交差点、扱い願えますか、どうぞ』
『沢北了解、至急現場に向かいます、どうぞ』
『以上、松山』
手の震えは止まった。とうとう一人で事故の扱いに行ける、不安よりも高揚感を覚えながら、いつかはカブのエンジンをかけ、スロットルを勢いよくあけて走り出した。
現場の交差点に到着した。いつかはまずは時間を確認し、状況を見てみる。
事故現場には右側のバンパーが小破したミニワゴンと前部右側ライトとウインカーが
破損したセダンが停車していて、すでに道路脇に止められていた。
これで交差点での二次事故や渋滞は回避できるといつかは判断した。次にいつかは真っ
先にしなければならないことをした。それは、
「大丈夫ですか? 怪我はしていませんか?」
両方の当事者たちのもとへいつかは駆け寄り怪我の有無を確認した、
「ちょっとぶつかっただけだから、お互い無事だよ。車も何とか動けるし、それ
よりもお巡りさん、保険はどうすれば……」
「落ち着いてください、怪我人はいないんですね。わかりました、事故の状況を詳しく聞
きたいのであちらのミニワゴンの運転手さんからお話を伺います。免許証と車検証を見せてください」
そう告げてからすかさずいつかは無線報告をした。
『沢北から松山』
『松山です、どうぞ』
『ただ今現着、乗用車同士の軽微な接触事故、負傷者無し、これよりマル外処理かかります。どうぞ』
『松山、了解』
『以上、沢北』
事故当事者の互いの言い分をいつかが冷静に聞いたら、信号が変わる直前に左折しよう
としたセダンが同じく右折しようとしたミニワゴンに出会い頭に接触したようだ。
「保険の過失の割合はどうなるんですか?」
セダンの運転手が聞いてきた。
「それは保険会社に問い合わせて下さい。申し訳ありませんが、警察は今この場所でこう
いう事故があったという事実を処理することしかできません。事故の報告書は今日作成します」
いつかは事故の当事者の二人に目配せしながら、
「後はお互いの保険会社のやり取りになりますので、お互いの連絡先の交換を忘れずにして下さい。後日この事故で不安なことがお有りでしたら、松山署の交通課に問い合わせてください」
当事者たちは理解したようで、お互いの電話番号の交換をする。それを見ていつかは、
『沢北から松山』
『松山です、どうぞ』
『物件事故マル外処理終了、所定移行します。どうぞ』
『松山、了解』
『以上、沢北』
いつかは事故の当事者たちに、
「それでは事故の処理は終りましたので、警察はこれで帰ります。お互い運転には気をつ
けてお帰り下さい」
そう告げて事故現場を後にした。
(処理の時間は十五分、初めてにしては悪くないタイムだ)
と自画自賛しつつ交番へとオートバイを飛ばした。いつかは走りながら思いを馳せてい
た。
(上出来じゃないあたし、一人でも十分大丈夫よ)
警察の仕事の大半は書類の処理だ。被害届や実況見分、逮捕手続書にその他報告書等な
ど書類処理が一通りできるのが一人前の警察官だと言っても過言ではない。
かく言ういつかも先ほどの事故の報告書を交番で作成していた。単純で軽微な事故なので書き上げるのはいつかにとって容易だった。後は報告書をプリントアウトするだけだった。しかし仕事はたいていいいところで邪魔が入る。交番の電話が鳴った。
「はい沢北交番です」
『本署の池山です』
池山が早口で入電内容を伝える。
『小鳥遊班長、一般通報で騒音苦情が入った。場所は国道246号沿いのコンビニエンス
ストアだ。通報の様子だと、旧車会と思慮される暴走族のい集らしい。台数は不明だが大勢いるようだ。行けるかね?』
「了解、至急現場に急行します」
『すぐに応援が来るよう手配しとくから受傷事故防止で頼むよ。よろしくね』
いつかの胸の鼓動は激しくなった。
(ついに事件だ!)
こんな扱いが来ることをいつかは待っていた。すぐに交番を飛び出して、オートバイを
走らせた。アクセルを全開にして、風を切って行く。
と意気込んでみたいつかだが、目の前のバイクの台数とその騒音の凄まじさに、先ほど
までの躍動感は見事に打ち砕かれた。
六十台近くの大型オートバイが止まっていたのだ。
(騒音苦情? 違うでしょこれは、まるで暴徒の集会じゃない。百人近くいるんじゃないの?)
対していつかはたった一人だけだ。
眼前の光景に今日までのいつかの自信は消え失せてしまった。手だけでなく足も震えている。
いつかは再びあの時の、初めての人身事故の現場に遭遇した時の感覚に陥っていた。
できることならこの場から立ち去ってしまいたい、と思った。だがいつかはそんなことするわけにはいかなかった。
いつかは見てしまったのだ。暴走族の集団に怯えるコンビ二の店員の顔を。
もう正義の味方、警察官は後ろを見せない、などのメンツにこだわっている場合ではな
い。ここでひるむわけにはいかない、と衝動的に感じた。
守らなきゃいけないものがある、といつかは震える拳を握り締める。
(勇気を振り絞れ、小鳥遊いつか、その気になるんだ!)
いつかは暴徒の集団の前に駆け出し、
「あんたたち、止めなさい!」
いつかは騒音を打ち消すぐらいの大声で叫んだ。
いつかに気付いた暴走族の集団は視線をいつかに向ける。
(いつもの蔑んだ嫌な目だ)
その目からは「なんだジョケイかよ」という見下した感情が込められていた。
舐められている、そういつかは直感した。
いつかは負けるものかと震える身体を言い聞かせ、できる限り堂々と立ち振る舞った。
暴走族の集団の一人がにやにやした顔しながらいつかに近づいて来た。
瞬時に警棒を取り出し、いつかは相手をけん制した。すると、
「何エモノ出してんだ、ゴルァ! やんのかオイッ!」
一斉に五、六人がいつかに向かって飛び出してくる。そしていつかの周りを取り囲む。
(このままじゃやられる。けどこっちも絶対三人は道連れにしてやる)
いつかは警棒を左手に持ち代えた。右手を前に出し、
(来るなら来い。あたしは負けない!)
一人が近づき、いつかの胸倉を掴もうとした。とっさに手を払い退ける。相手はしつこ
くまた手を出してくると逆にその手を左手で捕まえて右手で肩を掴み、いつかは得意の一本背負いをしかけた。
硬いアスファルトに叩きつけられる暴漢。
今度は後ろから飛び掛って来る。いつかはそれを利用し、右足で相手の足を払って体落
としを決めた。これで二人は退けた。
「次は誰!?」
いつかの柔道技に暴走族は呆気にとられる。
「この女おまわり強ぇーぞ!」
「一斉にかかれ! 女だからって容赦するな!」
数人の集団迫られるいつかは正直、動揺した。
(まずい、この大人数が一気に来たら……)
すかさずいつかは右腰に装備してあるけん銃を取り出し、構えた。
「止まらないと撃つわよ!」
銃口を向けると暴走族たちはたじろいだ。
けん銃を構えけん制するいつか、すると不意に両腕の自由を失った。後ろから羽交い絞めにされてしまったのだ。
(しまった、さっき一本背負いを決めた奴だ!)
「柔道の試合やってんじゃねぇんだぜ、お嬢ちゃん。今だ、みんなやっちまえ!」
再び五~六人がじりじりといつかに近寄ってくる。
(どうしよう、身動きがとれない、このままじゃやられる……。クソっ、ピンチだ……)
その時、いつかは既視感を感じた。
前もあった、恐怖の底に落とされた時が……。
(あの時、あたしはどうやってピンチを切り抜けたんだろう? ダメだ、思い出せない。
けど助かったんだ。確かあの時は……)
○
十月十日 午前十一時 沢北町コンビニエンスストア内
暴走族と対峙するいつかをカナタとレイとボスが盗み見ている。
「ボス、小鳥遊いつかがジャパニーズヤンキーに絡まれているぜ」
「奴がチルドレンかどうか見極められるわ」
レイがそう言うとボスが頷き、
「そうだな」
いつかが暴走族らに羽交い絞めにされていると、カナタが、
「ボス、小鳥遊いつかが今にもレイープされそうだ、はぁはぁはぁ……いいぞ」
カナタとは逆に、レイは冷静に状況を見定めていた。
「……最初の柔道技は悪くなかったわ。けどチルドレンならあんな奴等、秒殺できるわ」
ボスが舌打ちし、
「チッ! こいつははずれだ。とんだガセネタ掴まされたぜ、大学の方に向かうぞ!」
○
十月十日 午前十一時五分 沢北町コンビニエンスストア前
首を絞められているいつかが意識を失いかけていると、
『お前ら何やってんだっ!!』
夏山の怒鳴り声が音声マイクで響き渡る。
それと同時にいつかに近づいてきた連中にぶつける勢いで足柄のミニパトが急停車す
る。
いつかに纏わりついた暴漢はその場から離れる。
「無事でしたか、いつか班長」
夏山が車から飛び出す。すると続々と一号、二号のPCと岡山、駅前のミニパトが駆け
つけて来た。
(……応援が到着したんだ)
勤務員たちは一斉に車から降りて、暴走族の集団へと向かって行った。
あれだけ騒がしかった騒音が沈黙する。
PC車両から飛び出した伊澤が、怒鳴り散らして、
「事情聴取は署で聞いてやる。オラ、お前らパトカー乗れよ! 定員オーバーなんて気に
すんな!」
伊澤が暴走族の一人の首根っこを鷲掴み、無理やりパトカーに連れ込もうとする。する
と暴走族の一人が、
「すいませんでした。すぐにこいつら散らせますから、勘弁して下さい」
おそらくこの集団の頭なのだろう。伊澤部長を制止させるように平謝りしてきた。
「うるせぇ、お前も乗るんだよ! 話は後でゆっくり聞いてやっからな!」
伊澤が聞く耳持たずと判断すると、その男は後ろを振り返り、集団に向かって、
「お前ら散れ! ひとまず解散だ!」
すると暴走族たちは我さきにとバイクに乗り出し、蜘蛛の小を散らすように立ち去って
いく。
「待てこら! 重山、追いかけろ!」
逃げていく暴走族にPC二号車が追跡する。
いつかは事のありさまを呆然と眺める。
すると山中がいつかに駆け寄って抱きついてきた。
「いつか班長大丈夫でしたか!? あんまり無茶しないで下さい!」
夏山も近づいてきてヤレヤレといった表情で、
「山中の言うとおりですよ。一人で現場に行くなんて無鉄砲が過ぎますよ……」
すると後ろから佐々山部長がいつかの頭を力強く撫でる。
「そう言うなナツ、見上げた根性じゃあないか。たった一人で現場に立ち向かってくるな
んて。たいした肝っ玉ですよ。なかなかできることじゃない」
伊澤がPCに捕まえた暴走族を押し込みながら、
「そうだ、俺らは背中見せちゃいけねーんだ。そこらの若手じゃできないこと、やっての
けたんだ。ホントたいしたもんですよ」
あの厳しかった伊澤もいつかに向かって賛辞の言葉を放つ。
「みんなが来てくれると信じてたから、ちょっと張り切っちゃったかな」
といつかは照れながら答える。するとみんなが顔を見合わせながら笑顔を浮かべた。
「そうすね、俺たち仲間ですもんね。だから前向きになれるんですよね」
夏山が嬉しそうに言う。
『松山から現場に向かった各員、状況はどうなっている?』
池山の声だった。いつかはみんなの顔をうかがいながら、うん、と頷いて、
『沢北から松山、暴走族のい集は現場で厳重注意し、解散させました。どうぞ』
池山は優しい声色で、
『了解、沢北、よく頑張ったな。以上、松山』
(このお姫様は本当に心配させてくれる)
冷や汗をかきながら、夏山は目元が隠れるまで活動帽を深く下げる。
「ホント、ヤレヤレだぜ」
「なんか言った? ナツ」
「いえ、独り言です」
「キモっ!」
すると夏山の携帯電話が鳴る。発信者はカエデであった。夏山は嫌な予感がした。
「電話鳴ってるわよ」
いつかが出るように催促すると、
「今出ます」
夏山はいつかから離れてから電話に出る。
「カエデ、今勤務中だ」
『そんなことわかってるわよ。じゃあ切ったほうがいいかしら、革栄派の幹部の内部情報
せっかく掴めたのにな~』
その言葉で夏山の顔つきは強張る。
「……明日事務所で詳しい報告を聞く」
『楽しみにしててね~』
夏山はせっかく扱いが終わって清清しい気分でいられたところに水を差された。しかもその水は夏山を急速に現実へと目を覚まさせてくれた。
(そうだ、俺は事件を抱えているんだ。それもとっておきの毒が含んだヤツが……)
今のいつかのうららかな表情をした顔を夏山はじっと見つめた。
「何よナツ、ボーっとして」
「いえ、何でもありません。今日のいつか班長の活躍を祝してまた宴でも開こうかと……」
「ハァ!? 何言ってんの。そう毎回お祝い会なんてやってる暇は無いわよ。勤務継続、次
は夜警らよ! あんたも付き合いなさい」
「ヤレヤレ、わかりましたよ」
静かになったコンビニエンスストアの駐車場を眺めながら、夏山はミニパトのボンネットに腰を掛ける。コンビニエンスストアの店長がいつかにお礼をする姿を眺め、安堵の息を吐いた。
空を見上げると晴天の太陽に暗雲が忍び寄る。夏山は胸騒ぎを覚えた。
○
十月十日 午後一時 足柄大学
足柄大学のキャンパスの中、カナタとレイが散策をしていた。相変わらず上下黒ジャージのレイが周囲を見渡し、
「特に不審点は無いわね」
足柄大学は東京ドームが十個は入るであろう広大な敷地であった。並び立つ校舎も新築で近代的な建物ばかりだ。レイは白衣姿の学生ばかりの理系の大学と思っていたが、その広さから総合大学であろうことを察した。私服姿の若い男女の学生が何百人も行き交い、キャンパスのベンチで寝そべる者やコートで球技を楽しむ者までいる。これでは伊吹を見つけるのも困難だ。
そんなことも構いなしに、ハイキング時の派手な服を着たカナタが、急にはしゃぎ出した。
「それより見ろよ! 日本の大学はいいな! 皆デートしたり、テニスしたりしてエンジョイしてるぜ! アメリカとは大違いだ。俺らも二人で歩いてたらカップルに見えるかな?」
「……非常に不愉快だわ」
「つれねーこと言うなよ。俺らも学食でランチして学生のふりしようぜ」
「あなた任務のこと忘れてない? それとも目標を舐めてるのかしら? 奴は腕利きの部隊十人をたった一人で殺した化物よ」
カナタの目つきが変わる。
「そうだったな。こないだの糸ロリータや鉄パイプといい。並みの人間じゃなかった」
レイが立ち止まり、肩を震わせながら、
「……特にあいつは、ファーストは私のいた部隊の仲間を殺した……。あたしはあいつに復讐するためにこの任務に命をかけているわ……。仲間は私の家族だった。絶対に許さない!」
レイの、憎悪に満ちた瞳を見たカナタは溜息をついて、
「わーたよ、細菌マニアのフルネームは知ってたから、警備員が丁寧に研究室の場所、教えてくれたぜ」
するとレイが、
「しっ! 隠れて!」
と、カナタと共に茂みの中に入る。なんと研究所の前で伊吹とファーストが握手していたのだ。カナタは愛銃を取り出し、レイもナイフを構えた。
二人の間に凍りつくような緊張が走る。
観察しているところ、こちらに気付いてはいないようだ。カナタが初めて見たファーストは、伊吹に無垢な笑顔で談話をしていた。カナタにはとても凶悪な人間に見えなかった。優等生のような上品な顔をしていた。そして伊吹達はトラックに乗りだした。すかさずレイはボスに連絡する。
「ボス、ビンゴです。目標は対象と接触、現在トラックで移動中、ナンバー送ります。尾けますか? それともここで殺りますか?」
『止めておけ。二人じゃ無理だ。以前に奴にやられたことを思い出せ、レイ』
「……了解」
通話が終ったレイの手は小刻みに震えていた。安心させようとカナタは、レイの手を握りしめようとしたら、すっと手が離れて、
「何ボーっとしてるの、さっさと後を追うわよ」
レイはすぐにその場から立ち去る。
(……チクショウ。好感度が……)
カナタはすぐにはレイの後を追わず、トラックの運転席から見えるファーストの横顔をじっと眺めていた。
「奴が目標……、ファーストか……」
カナタは異様な既視感にかられた。
(思い出せないが、俺は前に奴に会ったことがある……。間違いない……)
○
十月十一日 午後二時 夏山探偵事務所
「まずはこの録音テープを聴いて」
カエデはそう言って、テープレコーダーを再生させる。雑音が入り混じりながら男達のざわめき声がレコーダーから聞こえてきた。夏山が今聞いているテープレコーダーの内容は以前アジトで流したものと同様のものだ。テープが切れると、夏山は呆れた声で、
「全くどうやって盗聴した?」
「あんたが例の車のナンバー調べてくれたおかげでヤサはすぐ掴めたわ。後は企業機密」
「大方、お得意の錠開けで侵入して盗聴器を仕込んだんだろ?」
「どう思う?」
カエデは悪戯っぽい笑顔で夏山に疑問をなげかける。
「松原はすでに死んでいるな」
「らしいわねぇ」
「その革栄派で内紛が起きている」
「らしいわねぇ」
「前田ってのはこないだの変死体の奴のことだな。そして革栄派のこいつら側の幹部ってことか」
「らしいわねぇ」
「何度も出てくるファーストってのは何だ? 人の名前、もしくは何かの暗号か?」
カエデがファーストの写真を夏山に差し出した。
「こいつのコードネームよ。そして事件の中枢にはそのファースト君が絡んでいるのは間違いなくて?」
カエデが以前渡した変死体のメモ書きをデスクの前に置き、夏山は写真をまじまじと見た。
「チルドレンの決起阻止か……。キーワードはやはりこいつか。革栄派の連中が恐れているチルドレン、いったいどんな集団なんだ?」
「とりあえずヤバイ連中で、テロまがいのことはしそうな感じね」
「……そいつらのアジトは?」
「革栄派の一人を尾行したらヤサがすぐ掴めたわ。箱根よ。……もっとも尾行した奴は戻
って来なかったけど……」
二人は一瞬、沈黙する。
「……さすがのお前も危険を感じてヤサには入らなかったわけか。正解だ」
「どうしようかしら?」
楓はまた悪戯混じりの笑顔で夏山に伺いかけてくる。
「……明朝、奴らのヤサに乗り込む。グロック19の手入れをしておけ。俺もベレッタを
つかう」
「了解よ、ホント楽しい仕事になってきたわ。久しぶりに明のガンマン姿が見れそうね」
「……明日は植樹祭か。前田が死んだのもその会場……。これは偶然か?」
夏山は妙な胸騒ぎがした。カエデが、
「ちょっと偶然で片付けるにはおかしいわね……」
「それと松原についてだ。奴は旧ソ連軍の軍医だったらしい。そして軍で人体実験をやっていたことが判明した」
「どんな実験?」
「さぁな……」
無理矢理その不安を夏山は押さえ込んだ。
「明日の朝のうちにケリをつければいい。そうすれば何も起こらない」
○
十月十一日 午後三時 沢北町信玄温泉
「ふー生き返るぜ。この旅館の温泉は最高だな、ボス」
湯船につかり満足した顔でカナタは鼻歌を始めた。
「おいカナタ! まず身体を洗え! 汚いだろうが! これだから外国人は……」
「硬いこと言うなボス。それにしても気が利くじゃねぇかよ。作戦前に温泉なんざ入れてくれるなんて」
隆々した肉体をタオルで洗いながら
「お前らのおかげで目標のヤサが割れたしな。しかしこんな山奥の診療所に潜んでいたとはな……。明日は派手に暴れるぞ。今のうちに疲れを癒しておけ」
「アイサー、ところでなんでこんな広い温泉に俺ら二人なんだ?」
「貸しきった」
「……こんなガチムチのおっさんと二人きりだと妙な誤解を招きそうな……」
「? なんのことだ?」
「いや、なんでもない。レイはどうしたよ?」
「あいつは女風呂だ」
「混浴にしてくれたら最高だったんだけどな……」
「貴様のような奴にレイを視姦させるつもりはない」
「アイサー、ちょっくら露天風呂に行ってくるわ」
さりげなく、外に出て行くカナタ。しかしその目は獣のようにぎらついていた。
「ククク、ここの風呂場の見取り図はすでにリサーチ済みよ。男湯の隣は女湯! そして進入経路かつ覗きの場所こそ、ここよ。この露天風呂なのだ。しかも貸しきり。すなわち女湯にはレイ一人。さっきまでボスの監視があったが、今の俺は野に放たれた狼。さぁ俺のリボルバーが火を吹くぜ!」
カナタは露天風呂の湯船に潜り込み、風呂の仕切りを隠し持っていたナイフで切り裂く。そして女湯へと潜入した。
湯煙りに紛れながら、近くの岩場へと隠れ潜む。
(もうすぐ、もうすぐ、もうすぐだ!)
そう劣情感を高ぶらせているとたちこめる湯気から人影が現れる。レイだ。胸から下をタオルで隠しながら露天風呂へと入ってきた。
カナタは忘れていなかった。いつかおんぶをした時の胸の感触を。レイの胸は大きい。そしてそれは今確信へと変わった。薄い布切れで隠れた薄桃色の二つのメロンは女性を強調していると言っていいぐらいの豊満だった。それは歩くたびに縦ではなく、横に波打つように揺れる。
ごくりと息を飲む。
くびれた身体のラインも素晴らしい。いつか見たミロのヴィーナスを思い出す。
レイが露天風呂の戸を閉めると、桃色の綺麗なヒップが無防備にも二つに割れた姿でカナタの瞳に映し出された。その柔肌の質量感はカナタにはあまりに刺激的だった。
カナタは思わず鼻を押さえた。放っておくと鼻血がでそうだ。
(痩せ型のわりには安産型の尻だな。ケツのでかい女は大好きだ。実に俺好み!)
レイはタオルを脱ぎ捨て、湯船に浸かる。しかし肝心な部分が残酷にも湯煙りで隠されてしまっている。これではメロンの中央にある肝心のチェリーが見えないではないか。
湧き起こる劣情感をセーブしながら、カナタは思案した。
(どうする。このまま安全策でいくべきか? 否、せっかくのイベントだ。もう少し距離を縮め、その裸体を拝もうじゃないか。むしろここで狼になり、あいつの純潔を奪い、晴れてチェリー卒業を果たすか……。まずは接近戦に挑む!)
カナタは湯船に潜り込み、潜水しながらレイへと近づく。
レイのか細く綺麗な両脚が見えた。しかしカナタはふくらはぎなどに興味はない。カナタの欲望はその太ももの奥に隠された未知なる秘境だ。その探索に向かうべくゆっくりと気取られぬように忍び寄る。淡い色の太ももが次第に鮮明になっていった。
そして、そこでカナタは驚愕する。
(レイ……お前まさか生えてな……)
すると突然、巨大な爆音が露天風呂に響き渡る。
そして爆風とともにボスがフルアーマージャケットで登場してきた。
「レイ。無事か?」
「ボス……。どうしたの?」
「カナタがいない。奴に仕掛けた発信機を探知したら、ここの近くに潜んでいることがわかった」
ボスはRDI Striker 12を殺気丸出しで構えている。
「発信機? ああ前にバスであいつのピアスに付けたやつね……。」
水中でカナタは取り乱す。
(そういえばレイが俺のピアスに触ったことがあった! 奴らとんでもねーことしやがる。まずい……。このままじゃボスのストライカーに蜂の巣にされる!)
レイもタオルを巻き、ツリ目を細めた。そして隠し持っていた愛用のスペズナズナイフをタオルから取り出し、凍りつく声色で、
「ボス、できたら生け捕りにして。一度人間ダーツで訓練したいわ」
ボスが優しい声で、
「カ~ナ~タ君、出ておいで。もう居場所はわかってるんだぞぉ」
絶体絶命のカナタは顔を覆いながら、
(誰か、誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)
まもなく丹沢山中に哀れな少年の悲痛な叫び声がこだました。
○
十月十一日 午後五時 沢北町山中診療所前
霧に包まれた沢北町山中の診療所を双眼鏡で監視するレイ達、
「ボス、ファーストが単独で施設から出ました」
ファーストが一人診療所から出て来た。乗用車に乗り込もうとしていた。その様子を見てボスが呟く。
「丸腰か……。大方俺達をエレクトさせる物はトラックから施設に運び出された荷物だろう。」
カナタがボスに、
「施設って……。こんな山奥の廃れた診療所で奴等何やってんだよ?」
ボスがカナタの頭を指でつつき、
「お前は勘がいいが、頭が残念だな。奴等はここで細菌兵器の精製をしてるんだ。例の研究者が入ったのがいい証拠だ。レイ、俺はアジトに戻ってエモノを揃えてくる。それまで二人で張っていろ」
するとボスの携帯電話が鳴る。カエデからだった。
『ボス、始末屋は依頼を了承しました。明朝ヤサにガサ入れを決行します』
「よし。こっちも明け方に突入する。ファーストがカエデの所に来るか、ここに戻るかで勝負が決まるな。ぬかるなよ」
『了解』
通話が終わり、ボスが二人に念をおす。
「じゃあ二人で待ってろよ。くれぐれも俺が戻る前にドンパチは起こすな」
そう告げた後、ボスは車に乗り出した。車が出たのを見送ったカナタがレイに声をかける。
「なぁレイ」
「何? 覗き魔」
レイが嫌悪感丸出しの表情でカナタを見下す。
「うう、罰ゲームの人間ダーツは楽しかったろ……。それより俺を雇った条件、覚えてるよな?」
「ええ、今のところ、好感度ゼロだからバッドエンドね」
「……この任務、皆無事に生き抜いて終らせよう。特にお前に死なれちゃ困るんだ」
「何で?」
「口説くチャンスは生きてりゃ何度もあるだろ」
「……それ死亡フラグよ」
「難しい日本語だな、けど言ってる意味はなんとなく理解できたぜ……」
「それは良かったわ」
カラスの群れが診療所の屋根に集まり、集団で不吉な鳴き声を上げる。カナタはそれが耳障りだった。
これから起こる出来事に不穏な予感を抱かせていた。
本当に最後まで読んで頂きありがとうございます!
これから話もクライマックスへと向かって行きます、現在楽しんで読んでる方は期待してて下さい。飽き始めてきた方はお願いですから、次回作は盛り上がりますから読んで下さい。