第二章 ~いつかカナタの変死体~
続きです、是非読んで下さい! まだまだ続きます!
これからどんどん盛り上げて行きますので是非続きも読んでください!
第二章 ~いつかカナタの変死体~
「カエデ、モーニングコーヒーくれよ。どこにいる?」
カナタはカエデの事務所に滞在することになった。カエデの事務所はカエデの住む家の一階にある。外の錆びれた看板には夏山探偵事務所と書かれてあったから、カナタはカエデに「夏山があんたのセカンドネームか?」と聞いたが違うらしい。
昼間に起きたカナタは喉が渇いたので階段を下りてカエデを探しに事務所に入った。カエデの事務所は壁に飾られた洋風の油絵、棚に置かれたアンティークに、大きな本棚には小難しい本がびっしりつまっている。高級ソファも置いてあり、まるで弁護士事務所のようだ。
事務所の隅にあるデスクトップのキーボードをブラインドタッチするカエデをカナタは見つけた。
「おいカエデ、コーヒー……って、お前何やってんだ? 二次元美少女ゲームやってんのか? なら俺にもやらせてくれよ」
「んなわけないでしょ! 私の本業よ。探偵やってるって言ってたでしょ。これから依頼人と会うからあんたは二階でもひっこんでなさい。」
「……コーヒーは?」
「我慢なさい」
カナタが二階に上がる途中で、事務所の玄関のドアが開いた。入ってきたのは男だ。人相が悪い。服装も黒いスーツに黒のワイシャツ、ネクタイは金色のなりをしている。
(日本のマフィアか?)
○
九月三日 午後二時 夏山探偵事務所
夏山はポケットに入っていたマルボロを口に咥え火をつけ、来客用のソファに腰をかけながら一服する。
「灰皿がないのに煙草吸うのやめてよ」
そう文句を言いながら、夏山に向かいカエデは椅子に座る。
「大丈夫だ。携帯灰皿を持っている」
カエデが夏山の口に咥えられてた煙草を奪い取る。
「ここで吸うなって言ってるの。ここはもうあたしの事務所よ」
「死んだ親父の事務所を貸してやってるだけだろう。はやく先月の家賃をよこせ」
「そんなこと言っていいのかしら。依頼放棄してもいいのよ」
「う……、あいかわらず食えない女だな。家までふんだくったクセに」
「明がこの世界から足洗いたかったから、代わりに跡を継いだだけよ。しかし明が警官なんて世の中終わりね」
夏山は爪をかんだ。
「それより依頼の件だ。どうなってる?」
「大丈夫、順調よ」
そう、夏山はカエデに依頼したのだ、小鳥遊いつかの身辺調査を。夏山は本心ではやりたくなかったからだ。新しい仲間の裏を調べるなど、熊田の前では承諾したが、正直後ろめたかった。できるだけならなるべく自分の手を汚したくない、そんな卑怯心からカエデに依頼を頼んだのだ。
戸籍謄本や住民票、過去の補導歴や犯歴、警察が管理する市民データは揃えてカエデに渡した。依頼自体は簡単な仕事のはずだ。何も不審な点が無ければの話だが。
夏山がカエデに依頼した内容は、
1 現在の居住状況と付近の住民の聞き込み。
2 七歳で渡米し、飛び級というシステムでたった十年間のうちに大学卒業と国家公務員のキャリアを取得したらしいが、七歳で本当に海外に行ったのかの事実の真偽。
3 生後から七歳までの日本に滞在時の居住状況。なお当時は横浜に住んでいた。
頼むから不審点無しという返答が欲しい、面倒事は御免だ、そう夏山は祈った。カエデはニヤニヤしながら書類を読む。
「なかなか面白い依頼内容だったわよ」
と意地悪そうな笑顔を浮かべて机の上に報告書を置く。
「目を通してみて」
夏山は嫌な予感を抱きながらも報告書をめくる。
1 小鳥遊いつかの両親は現在、横浜市の安アパートに二人暮らしをしているが、本人は秦野市にある警察独身寮に居住。居住状況に不審点なし。
2 十年前、横浜の小学校に通い転校した事実あり、渡米したかは不明。
3 小鳥遊いつかは七歳までは現在の横浜市の実家に居住していた事実は判明。
4 今年警察に入るまで、七歳からの消息は不明。
5 不審点として小鳥遊家いつかの両親は低所得者であり、十五年前から生活保護の受給を受けている。当時、子供を海外に留学させることができる家庭ではない。
6 追加料金五十万出せば追加調査してもいいわよ。
「なんだこれ!?」
「ずいぶんな言い草ね、これでも頑張って調査したのよ。だいたいの依頼はクリアしてるでしょう」
「結局海外に行ったことがわかってねーじゃねーか! それより追加調査五十万って何だよ?」
「両親に聞き込みしたんだけど口止め料要求されちゃってさ」
「ってことは料金出せばまだ話は出てくるのか?」
「そういうことになるわね」
悪い予感は的中した。
夏山は思案した。ここまでわかっているのはいつかが完全に白ではないということ。そしてここで依頼を打ち切るのも賢明な判断だが、それではこれから自分が拭えない不安を背負いながら共に働くことになる。
(ヤレヤレ、来週新車買おうと思っていたところでこんな出費をするハメになるとは……)
夏山は痛い出費に頭を押さえながら、
「今月末に払えばいいか?」
「商談成立ね。じゃあ継続調査の報告書よ」
カエデは鞄に隠していた報告書を夏山の前に差し出す。
「ちょっと待て、何だ、これは?」
「もう前金払って両親に聞き込みしちゃったのよ~」
「オレが払わないって言ったらこの報告書はどうなってた?」
「シュレッダー行きよ。けど私は明のこと信じてたわよ~」
夏山は両手で頭を抱えた。やはり食えない女だ、それを痛感した。
「いいから早く読んでみてよ。なかなか面白いわよ」
右手につくった握りこぶしを震わせながら、夏山は報告書に目を通す。
1 十年前、小鳥遊いつかの両親は松原彰という初老の男に法外な金額と引き換えに娘である小鳥遊びいつかの養育を一任して、それ以来娘の消息を知らされていない。娘が警官をやっていることも聞き込み時に初めて知った。
2 松原彰は海外へ留学させると伝えて娘を連れて行ったとは言っていた。それ以来連絡を取っていない。娘のことも固く口止めされている。
3 連れ去られた娘のことを心配に思い、車のナンバープレートを控えてある。
4 松原彰の男の特徴は喪服のようなスーツ姿でまるで暴力団の幹部のような雰囲気があった。左手にトランプのスペードのような刺青があったのを覚えていたと供述。
「松原彰……」
この人物の名前に夏山は心当たりがあった。
松原彰は警察学校時代に公安の教官から、成田闘争で暗躍していた極左暴力集団の幹部で現在消息不明と聞かされていた。
「ナンバープレートのメモを渡してくれ、署に戻ったら車両照会をしてみる」
「ね、面白い調査になってきたでしょ」
そう言って、カエデはメモを渡す。夏山はカエデに松原彰について知る限りの情報を教えた。
「依頼料は今月末までに振り込んでおいてね~。じゃあ継続……」
「いや、今回は危ない橋になりそうだ。後はオレがやる」
夏山はカエデの言葉を遮るが、逆効果だった。
「嫌よ。さっき追加調査の依頼をしたばかりじゃない。それに今回は私の好奇心をくすぐらせるのよ、久しぶりに面白い仕事になりそうね」
夏山はしまったと思った。カエデは言い出したら聞かない性格だと失念していた。
(しかし、これは不審点なんて問題じゃない、事件。しかも予想よりもずっと大きく裏が潜めいている匂いがするやつだ)
まずい展開になったと夏山は溜息をつく。
「オレが止めてもお前は動くよな?」
「もちろん」
カエデは不敵に微笑む。
「ヤレヤレ、なら元仕事の先輩としてのアドバイスだ。これからはグロック17を携帯しておけ、相手はお前が思っているよりヤバイ奴だ」
「久しぶりに明の始末屋姿も見れそうね」
カエデの言う通りだった。これはまずいヤマになる、夏山はそう感じた。
警察じゃ解決出来ない事件を掃除する、昔の自分に戻ることになるかもしれない、夏山は昔の感覚を取り戻す必要性を直感した。
(昔のオレは自分の正義のために動いてきた。今回もそうだ。初めて人の命を救った時、あの日の少女の笑顔を守るために。そうだった、オレは約束したんだ。いつでも守ってやるとあの娘に……)
夏山は報告書を閉じ、
「約束は守らなくちゃな……」
そう呟いてマルボロに火をつける。煙草の味が普段と違う気がした。そしてソファから立ち上がり事務所の玄関に向かう。
「カエデ、この件は任せるが、あまり深追いするなよ」
「しつこいわね、わかってるわよ。じゃあ連絡待っててね~」
夏山は事務所を出て、再び一服した。煙草の煙を深く肺に入れた。
(そういえば煙草を始めたのも始末屋を辞めてからか……)
夏山は昔を思い出した。この世界から身を引いて警察の道に進もうと思った頃を。
当初は探偵家業のはずが、自分が裏の仕事をこなし、この業界で名が知れるようになった時、いつしか殺しの仕事しか入ってこない時期があった。自分の正義を信じていた夏山はその仕事を次々と成功させてみせた。辞めるきっかけになったのは暴力団からの依頼だった。「みせしめに幹部の家族を殺せ」という依頼内容だった。しかし夏山は任務遂行中に仕事を放棄した。その家族にはいつかのような少女がいたからだ。とても殺せなかった。しかし依頼を放棄した代償は大きかった。依頼主が報復として、今度は夏山の母を手にかけたからだ。当時逆行した夏山は母を手にかけた人間を殺そうとしたが、夏山の母は止めた「このままじゃ復讐の歯車の一つになる。もう死ぬのは私一人でいい、あなたは真っ当な仕事に就いて、平穏に生きて」夏山の母はそう言って息を引き取った。そして母の約束を守り、二度と殺しはしないと誓い。夏山は警察の道に進んだ。どうせなら正義の仕事をしたかったからだ。しかし警察の仕事をこなすうちにここにも正義が無いことに気付いた。だがそれが一番だと今ならわかる。平穏な日常が取り戻せたからだ。せめて自分の身の回りだけでも平和を築いていきたい。それが今の夏山の信念だ。
夏山は煙草を灰皿ケースにしまい。空を見上げた。雲が泳いでいた。
(母さん、ごめんな。約束破るかもしれねーや。昔の約束を大切にしたいんだ)
夏山が事務所をあとにした。それと同時にカナタが二階から下りてくる。
「あいつ、かなりの腕前だな。物腰でわかる」
「流石ね、さっきの依頼人は前に話した元々ここの腕利きの始末屋よ。本来ボスが雇いたかったのも私じゃなくてあいつ。こっちの世界じゃ有名人よ。あんたの歳の頃には人も殺してる」
カナタは愛銃を軽快にさばき、
「俺はそっちのチェリーの卒業は十四の頃だ。しっかしあいつがねー。一度やりあってみたいもんだぜ」
すると事務所の電話が鳴り響く。カエデが受話器を取る。
「カナタ、ボスからよ」
カナタが受話器を受け取ると、ボスが、
『明日、レイと組んで足柄山にハイキングに行け。目標が現れるという情報が入った』
カナタは電話を切ると大はしゃぎをしだした。行き勇んでキッチンに向かいながら、
「ひゃっほう! イベントだ! 好感度を上げるチャンスだぜい! 手作り弁当を作らなくては!」
ハイテンションのカナタをカエデが呆れた顔で見ながら、
「カナタ……。普通手作り弁当を作るのは男の役目じゃないわ。それにレイは料理できないはずよ」
「マジでか!?」
カナタはがっくりと肩を落とす。
○
九月四日 午前十二時 足柄駅
足柄駅の改札を出るカナタとレイ。カナタは今日をデートだと張り切って、服装も夏山のお下がりである黒い革ジャンにヴィンテージ加工デニムを決めて、自分なり格好つけたつもりだった。
しかし相手のレイは普段と変わらない上下黒ジャージにリュックサックとまるで部活に出掛ける女子高生だ。二人の服装のギャップにおそらく誰もカップルとは思わないだろう。
「しっかしずいぶん田舎な町だな。同じ神奈川県とはいえ、横浜と大違いだ。まさしく辺境だぜ。電車なんて一時間に一本だ。ニューヨークじゃ考えられないな」
カナタは大きく背伸びをする。そして駅の周辺を見渡す。
「レイ、カラオケ店があるぞ。帰りに寄らないか?」
「興味ないわ」
「ゲームセンターもあるぞ、ちょっと遊ばねぇか?」
「さっさと行くわよ」
「マケドナルドだ! 日本のバーガー食ってみたいんだよなぁ」
「食欲がないわ」
「なぁレイ」
「今度は何よ」
「足柄山はどうやって行くんだ?」
「バスでしょ」
「どこのバスに乗ればいいんだ?」
二人して沈黙する。
カナタは駅から少し離れた所に交番があることに気付き。
「日本のポリスは親切なんだろう? 案内してもらおうぜ」
そうして二人は足柄交番に入る。中にいたのはいつかであった。いつかの姿を見てカナタは驚く。
(ひょう! ロリータがポリスのコスプレしてるぜ)
いつかの姿を見たカナタは思わず鼻の下を伸ばす。
そんなカナタの表情にムッとしたいつかは不機嫌そうに、
「なにか用ですか?」
「いや、道案内してもらいたいんだよ。警官出してくれよ、コスプレお嬢様」
いつかは持っていた分厚い簿冊を机に思いっきり叩きつける。
「あたしが警官です!」
思わずカナタとレイは目を合わせる。レイもこの幼い少女が警官だとは思いもよらなかった。気まずそうにカナタが、頭を掻きながらいつかに、
「え~と、じゃあ足柄山までどうやって行けばいい?」
いつかが足柄山の方角を指差して、
「あの山ですけど」
「いや、そこまでのバスの乗り方がわからないんだよ」
気を悪くしたいつかは強い口調で、
「なら先に言って下さい。この時間だと駅前にある1番って書いてあるバス停に乗れば、終着点が足柄山ですよ」
すると奥の部屋から聞いたことのある男の声が響く。
「いつか班長、違います。1番じゃなくて3番です。1番だと小田原に行っちゃいますよ」
途端にいつかが顔を赤くする。
「だ、そうよ。早く行きなさい」
自然にカナタはいつかに握手して、
「そうか、サンキュー。デートなのに恥かいちまったよ」
レイがカナタの靴を力強く踏む。
「……デートじゃない任務よ」
「俺にとっては同じことなんだよ!」
二人の妙なやりとりを訝しげに見つめるいつかは、カナタに握られた手をハンカチで拭いた。念入りにごしごしと。
○
九月四日 午前十二時三十分 足柄山行きバス内
いつかの案内通りのバスに乗る二人、走行中のバスからの景色はだんだん市街地から離れ、緑溢れる自然の景色を映していた。しかしカナタの心は自然を楽しむ心など微塵もなく、ピンク色で一杯だった。
「あの娘も可愛かったな~。全くポリ公とは思えねぇな! さすが萌えの国、日本!」
「……あなたは日本を激しく勘違いしてるわ」
レイは無関心そうに読書を始めた。
「レイ、何読んでんだ?」
カナタの問いに、レイは一瞥もせず。
「見てわからないの。本を読んでるのよ」
「だからどんな本だよ」
「あなたには関係ないでしょ」
レイの本の中身が気になり、カナタはこっそりと盗み見た。表紙は白色のブックカバーがされてあるが、中身は漫画だった。
「ひょう! レイもジャパニメーション好きなのか!?」
レイはカナタをきっと睨みつけて、
「あなたと一緒にしないで。あたしは少女漫画を読んでるの!」
「何が違うんだ? まぁ確かに絵柄が俺好みじゃないけどな」
「純粋な女の子向けの漫画よ。 あなたの不純な趣味とは違うわ」
するとカナタがレイから漫画を奪い取り、パラパラとめくり始める。
「これHシーンあるのか?」
「頭の中身がホントにピンク色ね!」
「けど、こいつらチューしてるぜ」
「だからなによ!」
「その後Hするんだろう?」
レイが顔を歪ませる。
「どうしてそういう発想に持っていくの!」
「俺のエロゲーじゃ、キスの後Hシーンだぜ」
レイは絶句した。そして素早い動作でカナタから漫画を奪取する。
「……あなたといるとペース乱されるわ。言っとくけど、好感度はこれでマイナスよ」
「マ、マジかよ!?」
カナタとレイが騒ぎ始めていると、隣の座席から女性に声をかけられる。
「ねぇ君たちデートなの?」
「はい!」
「いいえ」
一瞬沈黙する。
「……まぁいいや、ちょっといいかしら?」
女性の身なりは白衣姿でカナタには医者のように見えた。
(地図じゃ近くに病院なんてなかったはずだが……)
レイが女性に話しかける。
「あなたは山登りって感じじゃないですね」
「ええ、伊吹麻耶って言います。すぐそこの大学の研究室で働いてるの。若いけどれっきとした教授よ」
今度はカナタが質問する。
「? こんな田舎の大学で何の研究してんだ?」
「絶滅した病原体の研究よ。天然痘って知ってる?」
「なんだそりゃ?」
「大昔の凶悪なウィルスよ。日本では江戸時代末期まで不治の病とされていたわ。感染例としてはアメリカのインディアンの九割がこのウィルスで死亡したと記録されてるわ」
「マジかよ!? 俺、予防接種なんてしてないぜ」
「大丈夫よ。WHOのワクチンによる徹底的な掃討作戦で天然痘ウィルスは一九七七年に地球上から死滅したんだから、予防接種も廃止されてるわよ」
レイも話しに興味をもち、伊吹に聞いてくる。
「ウイルスが死滅する? 一体どうやってです?」
「至って簡単よ。患者や接触した人間を隔離して、囲んで種痘ってワクチンを注射するって寸法」
「インフルエンザだって毎年流行してくるんだぜ? そんなんでウィルスが死滅するなんてあんのかよ?」
当然カナタはウィルスの知識は無いが、しかし殺しても、姿を変え、しぶとく人間に感染するイメージが強い。
「WHOがそう言ってるんだし、感染者もいないから事実でしょ。けどね、あたしは幸運にも類似ウィルスをアフリカで発見して、今日本で研究してるのよ」
「なんのために? 物騒だからそんな研究止めてくれ」
「言ったでしょ? 現在世界では予防接種を受けている人間はいないの。当然免疫力もないわ。もし君の不安通りこのウィルスが再発したら深刻な事態になるわ。だからどうしてもワクチンを作るために類似ウィルスの研究が必要なのよ」
「もしそうなったらあんたは二十一世紀の野口英世だな」
「まだ研究途中なんだけどねー。こないだ資金援助してくれる団体さんのおかげでもうすぐ研究の成果が出そうなの……」
伊吹が話しの途中で、バスが大学前に停車する。降りようとするが、振り向き様にカナタとレイに、
「じゃあね、お似合いのお二人さん。デート楽しんでってね」
伊吹が降りると、バスのドアが閉まり、再び走行を始めた。
「変わった女だったな。歳はカエデより5~6歳上かな? 美人だったが俺のストライクゾーンじゃないな」
「あなたよりはマシよ」
レイは平然と言う。カナタは慌てるように、
「あ、もちろんレイの方が断然いいぜ。まさに大和撫子だしな、その綺麗な黒髪とか」
カナタの言葉にレイが反応した。
「そういえばカナタの髪の毛は真っ赤だけど、日本人とアメリカ人のハーフよね? 地毛なの?」
カナタが自分の髪の毛をつまみながら、
「ああこれか、地毛じゃないぜ。染めてるんだ。元は茶髪だ」
レイはカナタの十字のピアスを触り、
「クリスチャンなの?」
「育ちはな。イカレたカトリック施設にぶちこまれた。これは別に俺の趣味さ」
「ふ~ん。両親はアメリカにいるの?」
「いや。お袋は物心ついた頃に死んだよ。親父なんか最悪だ。俺がお袋の腹の中にいる頃に行方くらましやがった。まぁ天涯孤独の身ってやつだな。ハハハ」
カナタが笑いながら、身の上話をしているのを不思議に思ったレイは、
「重たい話をずいぶん陽気に話すものね」
「そういうレイの家族はどうなんだよ?」
レイは俯いて、
「……あたしもあなたと似たようなものよ。両親なんていない。私のたった一人の家族はボスだけよ。ボスが私を育ててくれたの」
カナタは目をつむり、しばらく沈黙した。
「どうしたの? 同情なんていらないわよ」
カナタは真顔でレイを見つめ、
「いや、レイと結婚したら、あのおっさんが義父になるのかと思うと先が思いやられる……」
レイはうんざりした顔で、
「ホントに馬鹿じゃないの!? そんな妄想抱いてるあなたと任務する方が、先が思いやられるわ」
バスが終着点の足柄山に着く。二人は降車し、周囲の人物を注意深く観察した。レイが、
「怪しい奴はいなそうね」
「いや、あそこの男を見てみろ」
カナタはレイに目配せさせ、土産屋で買い物する男を指した。
「見た目はハイカーだがあの身のこなし、一般人じゃねぇ」
「だから?」
「え? いや、その、怪しくね?」
「ここは日本よ。機動隊のSAT隊員だろうが、自衛官だって山登りするんだから。私達の目標は写真の少年よ」
するとカナタの携帯電話のコール音が鳴る。相手はボスからだった。
『どうだ?』
『到着しました。……今のところ異状無しです』
『ならレイと別行動して山を散策しろ』
『えー! そんなぁ! それじゃ好感度がアップ出来ない……』
『……お前の馬鹿さ加減にはうんざりする……』
ボスはそう告げると一方的に通話を切る。カナタはレイに、
「別行動しろってよ」
「そう。じゃあ念のため、目標が現れた時の合図を決めるわ」
「合図?」
「まず携帯電話はマナーモードにして。バイブレーターのコールには三回目には必ず出るわ。五回目で切ったら異常事態、目標と遭遇か交戦中。通じない時は死んでることにするから。あなたの携帯電話の電源が切れてたら、死んだことにして先に帰ってるわ」
「OKだ。けど何か言い方冷たくね?」
レイはツリ目を細め、
「気のせいよ」
レイはそう言い放つとスタスタと先に進んでいく。カナタはがっくりしながら反対方向へと歩き始めた。
○
九月四日 午後五時三十分 足柄山中
歩き疲れたカナタが野原で大の字になって寝そべる。
「あー、暇だ。合図利用してちょくちょくレイに電話しても冷たくあしらいやがる。こんなんじゃ好感度上がらねーよ」
カナタは空を見上げる。そろそろ夕日が落ちようとしていた。
「こりゃ今回は収穫無しか、そろそろ潮時だろう」
レイに連絡しようとするが、携帯電話のコールに出ない。
(妙だぞ。どんな下らないことでもあいつは電話に出た。それが通じないということは……)
カナタはレイとの合図を思い出し、はっとなって、レイの向かった方角へ走り出した。
息を切らせながら、レイを探す。すると山道に倒れているレイを発見する。
「おい、レイ!」
カナタが急いで駆け寄ろうとすると、レイが呻く。
「……来ちゃダメ!」
すると何かにカナタの足が引っ張られ、身体が上空に舞う。そして空中に逆さ吊りされる。
「餌のおかげでもう一匹釣れたわ」
茂みから金髪をツインテールにした少女が現れる。喪服のような黒い服装をしている。
「なんだロリータ、お前もキュートじゃねぇか。そっちの可愛い娘ちゃんは無事なんだろうな?」
カナタは縛られた足をよく見た。
(糸か……、しかも鉄製のワイヤーじゃないな。釣り糸の類か?)
「サードって呼んでくれる? 安心しなさい。痺れさせてるだけよ、仲間をおびきよせるためにね。あんたを始末したら仲良く天国に連れて行ってあげる」
「なら先に行ってろや」
カナタは躊躇なく、素早い動作でホルスターからSmith & Wesson M500を取り出し、引き金を引いた。
激しい銃声が響くとともに、弾丸が銃口から発射される。
しかしサードは人間とは思えない速さで避けてしまった。
(この俺の銃弾を避けるだと!?)
それでも銃弾はサードの頬をかすめたらしく、サードの綺麗な頬っぺたから血が流れた。サードはそれをぺろりと舐めて、
「やるじゃない」
「そっちもな」
「ずいぶん大きい拳銃ね。威力も凄いんだろうけど、当たらなきゃ意味ないわよ」
「いや命中したさ」
「フフ、強がりは止めなさい。頬にかすったぐらいで」
「振り返ればわかる」
「その手には乗らないわよ」
バキバキと砕けるような音が聞こえていく。
するとサードの真後ろにある枯れ木が倒れてきた。サードはとっさに避けるが、倒れた木でカナタを拘束していた糸が切れる。すかさずカナタは地面に着地した。
不意打ちに焦ったサードはレイにワイヤーを伸ばし、
「こっちにはまだ人質がいるのよ!」
サードはレイを盾にしようとするが、
「構わねぇよ。あの馬鹿でかい銃声だ。じきに人が来る」
「チっ!」
逡巡したサードはレイを倒し、その場を立ち去ろうとするが、
「おい、ちょっと待て」
「何?」
パシャ!
カナタがデジタルカメラで振り返ったサードを撮影した。
「記念写真だ、俺のロリータコレクションにさせてもらう」
「キー! この赤毛ザル! 覚えてなさいよ!」
サードが身を消すように立ち去った。
(また死に損なったか……。ロリータに殺られるのも、なかなかご機嫌な死に様だったんだが)
カナタはレイの元へ駆け寄り、
「レイ、無事か?」
レイに目立った外傷は無い。しかし苦しそうに小刻みに身体を震わせていた。
「くっ……麻酔を食らって身体の自由がきかない……それより」
「何だ?」
「あたしを背負ってこの先にある広場まで行ってほしいの、見せたいものがあるわ……」
カナタは嬉々としてレイをおんぶして歩き始めた。
(ひゃっほう! 背中に胸の感触が……。意外に大きいぞ! ああ、太ももも柔らかいし、なんだか甘い香りが……。やっぱり女の子は最高だぜい!)
「……カナタ」
「何だ?」
「そのスケベ面であたしの好感度は最悪よ、今は任務に集中して……」
「……了解」
レイの案内通りに行くと植樹祭の広場まで辿り着いた。そこでカナタが目にしたものは……。
「この首吊り死体をよく見て、カナタ」
「ああ、山に登る直前に見かけた、土産屋で買い物していた怪しい野朗だな」
カナタが死体を物色する。そしてレイが話しかける。
「こいつを殺したのが、あたしとボスの部隊の仲間を殺した写真の少年とさっきの女よ」
「ここにパイプ椅子が落ちてるぞ、自殺じゃないのか?」
「さっきの糸を見たでしょう? 同じ手口よ。縄で吊らされたのよ。こいつで身体を麻痺させてね。あたしもこいつにやられたわ」
レイが麻酔針をカナタに見せる。
「奴等……まだ遠くへは行ってないはずよ。あたしのことはいいから奴等を追って」
「いや、お前を放ってはおけない。ここは一旦帰還する。目標の情報が入っただけでも収穫だ。それにもう陽が落ちる。闇夜での単独散策は危険だ。第一、奴等の目的がこいつの始末ならもう姿を消しているだろう」
「カナタ……」
真剣な表情をするカナタだが下心では、
(なんてな、ここで好感度アップ+あわよくばお姫様抱っこして山を下りてやるぜ!)
レイは溜息をついて、
「あなた……。今ろくでもないこと考えていたと思うけど、あたしはもう歩ける程度には回復してるわ」
「……そうか」
途端にカナタが残念そうな顔に豹変する。
「まぁカナタの意見も一理あるわ。目標が遠くへ行った可能性も高い、ここはやはり帰還してボスに報告するのが賢明ね」
「……せめて肩を貸そうか? 下山は辛くないか?」
「遠慮しとくわ、どうせやましいこと考えてるんでしょう?」
夕日が落ちた。そしてカナタのレイへの好感度バロメーターも夕闇のように落ちていった。
○
九月七日 午前十一時 松山署 地域課司令室
「以上が報告内容だな」
熊田が報告書を閉じ、夏山を見据える。
「はい」
夏山は熊田にいつかに不審点無しという報告をした。つまり虚偽の報告をしたのだ。
夏山は内心、今はなるべく事をできるだけ荒立てるべきではないし、熊田からいつかの懸念が払拭することがベターだと判断した。この件は自分とカエデの秘密にしておきたかった。
「わかった。すまなかったなナツ、余計な仕事をさせて」
「構いません。私自身も不安がなくなって、熊田班長同様にほっとしております」
嘘を見抜かれないように、夏山は熊田から視線をそらす。
「では引き続き勤務に入ってくれ。今、岡山が万引きを扱っているからその応援を頼む」
「小鳥遊班長は?」
「もう手伝いに行っている。刑事課の取調べ室にいるはずだ」
「了解しました」
夏山は熊田に敬礼した。
○
九月七日 午前十一時十分 松山署 刑事課取調べ室
取調べ室は不快な圧迫感と閉塞感があり息苦しい。狭い個室に机とパイプ椅子が置かれ、窓はあるが逃走防止の鉄製の格子が備えつけてある。そんな窮屈な空間の中にいつかともう一人万引きの被疑者がいる。見た目はどこにでもいるような主婦で歳は四十歳前後に見える。この個室の奥に置かれた椅子に座り下を向いてすすり泣いている。
いつかは話しかけようとしたが、言葉が出てこなかった。何を話せばいいのか思い浮ばなかった。
(泣いてるからって、この主婦は万引きの被疑者なんだ。下手に同情しちゃいけないわ)
だがこの主婦の盗品は安物シャンプーに歯ブラシの二つだけ。盗んだ主婦もたったこれだけ盗んだくらいで、警察署の刑事課の取調べ室に連れて行かれるとは思わなかったであろう。
しかし店は万引きした人間は警察に通報する。そうなれば警察は窃盗事件の被疑者として扱うことになる。そして窃盗事件として処理するためには署に連行しなければならない。
「小鳥遊班長は被疑者を見張ってて下さい」
と言い残して岡山交番の佐々山と山中は事件処理の書類作成のために取調室を出て行った。
いつかはかれこれ一時間近く監視をしていたが、どうも部屋の空気が重くて嫌になる。主婦のすすり泣きは次第にむせび泣きに変わっていった。こうなるとますますいつかは気まずくなる。こんな態度をされれば主婦が犯した悪事の説教もできない。
もっとふてぶてしい態度をとってくれれば叱りつける気もするが、いつかは弱い者いじめしている気がしてならない。むしろ茶の一杯も出せずに申し訳ない気さえしてくる。
無言のまま息苦しい時間が過ぎていった。しばらくしてから山中が元気一杯にいつかに声をかける。
「お疲れ様です、班長。後は代わりますよ」
と選手交代した。疲れた思いで取り調べ室をでると、いつかは仰天する光景を目にした。
いつの間にか夏山がいて、佐々山と楽しそうにジャンケンをしていたのだ。
(仕事してたんじゃないの!?)
夏山がガッツポーズをして、
「おっし、オレの勝ちです。今日の調書はオレの番ですね」
佐々山がばつの悪そうな顔をして、
「まいったな、女房役かぁ。あんまり向いてないんだよな」
いつかが二人に話しかける。
「あんた達何やってんの?」
すると夏山が、
「あっ、いつか班長、お疲れ様です。どうでした被疑者の様子は?」
「泣き出して始末におえなかったわよ」
「じゃあ、これから私がお父さん役やりますから、是非見てて下さいよ」
「とほほ、実況見分書いた後に、供述書も作成しなきゃならんのか……」
夏山とは正反対に意気消沈している佐々山。夏山は嬉々とした笑顔を見せてから、取調室の扉を開け、三人で入る。中にいるのは山中とむせび泣く主婦だ。夏山は被疑者を冷たく見据えてから、
「いつまで泣いてんだ、ババァ!」
と部屋が揺れるような怒鳴り声を上げた。
「お前はもうお終いなんだよ、ここをどこだと思ってやがる。今さら泣いて謝ったって手遅れなんだよ!」
そう怒声を放ちながら、手荒に机を叩く。万引き主婦は怯えのあまり泣き止んでしまった。いつかも驚きを隠せなかった。
(なんて乱暴な言葉づかいなの……)
いつかは鬼のような形相をする夏山を見て印象をすこぶる悪くした。
「山中、ボケっとしてんな! さっさとパソコン持ってこい。今から調書取るぞ!」
夏山の荒々しい態度に山中の表情もこわばり、一目散に部屋を出て行く。
「おい! これからお前の身柄受けの相手呼び出すぞ。誰がいい? 旦那か? 連絡先教えろよ!」
主婦は俯いて口を閉ざす。自分が罪を犯したことを身内に知らされたくないのだろう。
「おいおい、こっち向けよ! 何だぁ、言いたくねぇのか? だったら小田原行くか? うちの留置所じゃ女入れらんねーからなぁ。護送車に乗せっから、腕出せよ。今から手錠かけてやっからよぉ!」
そう脅しながら夏山は手錠を取り出し、主婦の腕を乱暴に掴んだ。もはや万引き主婦は恐怖で血の気が失せてしまっている。すると佐々山が夏山の肩に手を置き、
「まぁまぁナツ、やりすぎだ。ほら怯えているじゃないか」
佐々山が夏山を制し、
「なぁ奥さん、こっちも正直ことを荒立てたくないんだ。旦那さんじゃなくてもいいから、家族の誰かに連絡取って、奥さんを迎えに来て欲しいだけなんだよ。そうすれば簡単な手続きをとって、すぐに奥さんは家に帰れるんだよ」
佐々山は優しく、穏やかな口調で主婦に語りかける。この主婦にとって警察署に来て初めて親切に接してくれたのがこの佐々山なのだろう。主婦は佐々山を自分の味方と感じたらしく、説得に答え、家族の名前と連絡先を告げた。
その様子を眺めるいつかに夏山がそっと耳元で囁く。
「これで完落ちです」
万引きの手続きが終わり、いつかと夏山は署を出て、ミニパトで警らに出掛けていた。運転席で機嫌よさそうな夏山に向かい、いつかは、
「ナツ、あんたやりすぎよ。問題になるわよ。あんな脅迫まがいの自供させるなんて」
「自供に導いたのは佐々山部長ですよ」
「そうしむけたのはナツでしょ」
「さすがいつか班長、嬉しいですね。わかってくれましたか。やっぱり自供させるには飴と鞭が一番だということを」
「万引き犯を護送車なんてひどい嘘つくものね」
「あれぐらい脅しとけば再犯することもないでしょう」
夏山はへらへらとしたやる気のない顔をしている。先ほどまでの乱暴な態度などまるで嘘だったかのようだ。いつかは拍子抜けした。
「今日はどこへ行くの?」
「来月植樹祭があるんですよ。その会場の下見に行きます」
「植樹祭って?」
「ああ、そこからですか。足柄山はご存知ですね」
「ええ、足柄市の山奥でしょ。よくハイキングに行く人を道案内したわ」
「そこのふれあい広場で、今月うちの署でビッグイベントが開催されるんですよ」
「イベント?」
「ええ、毎年秋に県に一回開催される、国土緑化運動の中核的行事です」
「それのどこがビッグなの?」
「大会式典に国のお偉いさんとか、天皇陛下をはじめ、皇太子、皇太妃が出席するんですよ。もし惨事何かあったら本部長の首が飛ぶんで、県下の警察官が総動員して会場警備に当たります」
夏山が溜息をつきながら続ける。
「そして運が悪いことに管轄がうちの署なんです。今年最大の仕事は殺人事件なんかより、このビッグイベントを無事に終らすことでしょうね」
「ふ~ん、なんか警備だけならつまんなそうね」
「そうですね、事件があった前例なんてありませんから大丈夫ですよ。まぁ自然がいっぱいのいい所ですから」
「ふ~ん、そう言えばハイキングって最近流行ってるの?」
「いや、わかりませんが、どうしてです?」
「こないだ妙な若いカップルに足柄山までの地理教授したのよ」
「まぁ山登りの名所ですけど、デートコースには選びませんね……」
いつかはうんざりした顔で、
「いるのよね、女心わかってない男って、爺さんじゃないんだから、もっと華やかな所に連れて行くべきだわ。あー思い出したくもない! 赤毛のチャラ男が軽々しく私の手を握ってきたのよ。ホント最悪」
「はぁ。いつか班長はデートとかよく行くんですか?」
夏山の言葉にいつかは気分を害する。
「うるさいわね、付き合ったことなくたって! それとも知ったかぶりじゃいけない?」
「ヤレヤレ、失言でしたね、以後気をつけます」
「さっさと行くわよ」
いつかに催促されるがまま、夏山はアクセルを踏みこむ。
植樹祭会場は足柄山中の山奥だ。まだ陽も落ちていないのに、雑木林が生い茂ってやたら薄暗い。夜道を走るかのようだ。道路はアスファルト舗装されてはいるが、ひび割れており、ガードレールもなく、まさに山道だ。いつかは助手席から緑溢れる光景に見とれる。
「そろそろ会場が見えますよ」
夏山が会場の方角を指差す。そこは先ほどまで豊かだった緑の木々がきれいに伐採されていた。広さは小学校のグラウンドぐらいの面積だ。植樹するためのイベントのために森林が伐採される、という矛盾した光景にいつかは違和感を覚えた。夏山は会場に着くと降車し、いつかに、
「せっかくだから広場の管理人に挨拶していきましょう。お茶の一杯ぐらいはご馳走になれますよ」
ナツがご機嫌な顔を見ていつかは心の中で、
(本音はサボりたいだけじゃないのかこいつは……)
「わかったわ。けどあたし達は会場の巡視に来たんだから、仕事だって忘れないで」
「わかってますよ」
夏山はいつかに忠告されて、あからさまにヤレヤレといった仕草をする。
(上司に向かって何て生意気な態度とるの、こいつは!)
いつかは機嫌を悪くし、夏山に並んで歩かないように、早歩きで管理人室に向かう。そして施設に近づくと、人影が姿を現す。そして、
「おまわりさーん!」
と叫びながら初老の男性がいつかに向かって走り寄ってくる。
「し、死体だぁ、首吊りが向こうに……」
いつかは一瞬この男性が何を言ってるのか理解できなかった。戸惑ういつかに夏山がそっと肩に手を置き、呟く。
「変死です。いつか班長、残念ながら夕飯はまたおあずけのようです」
夏山の言葉でいつかは我に返る。事件が起きたことを認識した。
夏山は刑事課に連絡を入れて、現状保存と発見者の事情聴取をいつかに依頼した。死体の場所を眺める。
(よりにもよって植樹祭の会場で首吊りかよ、縁起でもない)
首吊り死体は会場の隅に立つ檜の枝にロープで首から吊らされた状態だった。刑事課の捜査員が到着するのは1時間以上かかる。夏山は現場付近にあった車のナンバープレートを車両照会した。所有者は前田和也という男と判明した。車内を調べると、免許証と遺書らしきものを発見する。次に変死体を物色した。
(硬直具合から死後二日以上は経過しているだろう)
死体の足元には倒れたパイプ椅子が倒れている。顔を観察すると免許証の顔写真と一致した。夏山はさらに衣服を物色する。ジーンズのポケットから車のキーと財布、さらに胸ポケットにメモ紙を発見した。
メモ紙には『チルドレンの決起阻止』と意味不明な文面が書かれてあった。死体の状況から夏山は事件性のない、単なる首吊り自殺と推測した。仕事を終えて一服しようとすると、後ろから声をかけられる。
「おまわりさん」
振り返ると少年が立っていた。少年は髪の毛をオレンジ色に染めて、色白の肌で女の子のような顔立ちだった。歳はいつかと同じくらいに思えた。ハイキングの格好をしている。
「何かあったんですか?」
(ヤレヤレ、野次馬か、こういうのは追っ払うに限る)
「見ての通りだよ。事件だったら今夜のニュースでも報道されるだろう。こっちは忙しいんだ。邪魔しないでくれ」
「そうですか、せっかくのハイキングなのに自殺なんて嫌なもの見ちゃいましたよ」
気の毒そうな顔をして少年は立ち去って行く。夏山ははっと気がついた。
(今、あいつ自殺って言ったか? 何故断定した? まぁ首吊り見れば誰でも自殺と思うか……。深く考えるのは悪い癖だな)
夏山は首を横に振り、死体の物色の続きを始めた。上着を脱がして検視する。見たところ目立った外傷はなかった。しかし、夏山に目を引く物があった。左肩に刺青がされていたのだ。
(こいつ、暴力団か?)
だがその刺青は暴力団特有の龍紋等ではなくて、あえていうならトランプのスペードの形をしていた。それが真っ赤に染められて彫られている。夏山はカエデの報告を思い出す。
(確かいつか班長を連れ去った松原はスペードの刺青をしていたな。まさかこいつ……)
夏山は先ほどのメモをポケットにしまいこむ。
(念のためにカエデに報告しておくか)
○
九月七日 午後十一時 足柄交番
夜になり、足柄交番で夏山はいつかと夕飯を食べていた。メニューは焼肉だ。しかしいつかは肉に箸をつけようとしない。
「いつか班長、ご飯しっかり食べないと体力持ちませんよ」
「うるさーい! あんたの神経疑うわよ。死体扱った後に平気で焼肉食べるなんて」
「大丈夫ですよ。そのうち慣れてレバ刺しも食えるようになります」
先の変死体は刑事課の捜査員が来て、事件性無しの自殺変死体として処理された。ただ本格的な検視と捜査書類の作成で時間が潰れてしまい、いつか達は深夜の夕飯になってしまった。
「そういえばいつか班長、男の裸見るのってこれが初めてですか?」
「馬鹿じゃないの! 何言ってるの! セクハラよ!」
「だって霊安室で裸の死体を検視した時、顔真っ赤にして出て行っちゃったじゃないですか」
「うるさいわね! だったら何だっていうのよ!」
夏山はニヤニヤしながら、
「いやぁ、同情してるんですよ。初めて見る異性の裸が死体なんてあんまりにも可哀そうで」
「あんなのは例外よ!」
「まぁ憂さ晴らしに少年補導でもして、ガキ共でもいじめていきましょうか」
夏山が料理を片付け、外に出る仕度をした。
「どこに行くの?」
「バンかけ(職務質問の古い暗語)に行きましょう。初めてでしょう?」
いつかと夏山は深夜のコンビニを中心に夜の警らに廻っていた。いつかは職務質問の経験が無いので緊張を隠せないでいる。すると夏山がカモを見つけたようで、
「お、ちょうどいいのを発見しました」
夏山達のミニパトが走る対向車線の正面に原付のバイクが二台併走して走行している。夏山が車載マイクを使い。
『そこの原付止まりなさい!』
いきなりマイクで叫ばれて驚いたせいか、原付は減速して車道の横に停止した。それと同時に夏山達のミニパトも原付の横に停車し、
「降りますよ」
と、素早く夏山が車から飛び出す。いつかも負けじと急いで降車する。外では少年たちが待ち構えていた。しかしいつかの姿を見るやいなや、
「なんだ、女おまわりか」
と言い。少年達はあざけ笑う。その反応に気分を害したいつかは、
「……なんですって!」
「俺ら二十歳だぜ。夜中にツーリングしてただけで止めんじゃねーよ」
「免許証を見せなさい」
「や~だね。拒否しま~す。つーか手帳見せろよニセおまわりじゃねぇのか? お姉さ~ん」
「いい加減にしなさいよ、あんたたち!」
いつかは思わず少年の胸倉を掴もうとする。すると夏山が、
「ヤレヤレ、お前らも一丁前の口きけるようになったじゃねぇか、シュン、リョウ」
夏山を見るや少年達の態度は豹変する。
「げ、夏山さん……」
「お前らいつの間に二十歳になったんだよ。そんな童顔な二十歳いねーぞ」
「じょ、ジョークっすよ……」
「いいからシートの下見せろ!」
少年達は渋々原付のシートの下に入れてあった煙草を取り出した。
「おい、二択させてやる。自分の手で煙草握り潰すのと、オレに没収されるのとどっちがいい?」
少年達は苦渋の思いで夏山に煙草を手渡す。夏山が煙草をポケットにしまうと、
「もう失せろ!」
夏山がそう言い放つと一目散に少年達はその場で退散した。夏山は少年達から奪った煙草を旨そうに吸いながら、
「これが少年補導ですよ」
「……勉強になったわ。けどなんであんた、何のんきに一服してんのよ!」
「いや戦利品の味見を……」
「今は勤務中よ! 禁煙!」
「せめてこの一本吸い終わるまで待って下さいよぉ」
いつかに煙草を奪われまいと逃げるように夏山はいつかから離れていく。そんな夏山の後ろ姿を見ながらいつかは落胆し、
(とんでもない部下だ。職務中に制服着たまま煙草を吸うなんて。けどあたしもまだまだだなぁ。部下はおろか少年にまで舐められるなんて……。この間の事故の件といい……)
いつかは自分の不甲斐無さを痛感した。意気消沈としながら夏山をほっといて車に戻ろうとすると、後ろから妙な気配を感じた。
「婦警さ~ん、おいらを見て~」
気味の悪いダミ声に振り返ると、いつかの前にコートを羽織ったでっぷりとした体格の中年の男が立ちはだかっていた。そしていつかに見せびらかすようにコートを広げる。
男のコートの下は全裸だった。それだけでなく、男の股間からは不愉快なものが竹の子のようにそそり立っていた。
それを直視してしまったいつかの頭は硬直する。
「婦警さ~ん」
中年の男はそのままいつかに抱きつこうとした。思わずいつかは絶叫する。
「きゃあああああああああああああああ!」
その場から離れていた夏山はいつかの悲鳴に反応して、急いで車の元へ戻る。するといつかが見慣れた中年男に絡まれていた。
(あいつは浜崎だ。しまった! 間に合うか!?)
夏山が警棒を取り出しいつかを助けようとする。
だが、いつかは浜崎に豪快な一本背負いをくらわせていた。
受身もできずにアスファルトに叩きつけられる浜崎。技は完全に極まっており、浜崎は悶絶していた。それを見た夏山は唖然とする
(あんな小柄な身体で……。浜崎は百キロ以上あるぞ……。すげぇ……)
しかしそれでもいつかは気が治まらないらしく、すでにのびている浜崎に腕固めをして手錠をかけた。
「ナツ、猥褻物陳列罪並びに婦女暴行の現行犯の逮捕よ。応援を呼んで!」
夏山はそっと胸を撫で下ろして、
「いや気持ちはわかりますけど、それは駄目です」
「なんでよ!?」
「そいつは近所で有名なMD(精神異常者の暗語)なんで逮捕できないんですよ」
「こんな奴等をのさぼらせておくなんて日本の法律は間違ってるわ!」
夏山はいつかを無視して、腕にかけられていて手錠をはずし、
「とりあえず、後で報告しておきますんでこの場は退散しましょう。いや~それにしても見事な一本でした」
いつかは腑に落ちないらしく、乱暴に助手席のドアを閉める。夏山も車に戻り、エンジンをかけた。
「ヤレヤレ、けど安心しましたよ」
「何が?」
「いつか班長強いんですね。あんな体重差で一本背負いとは……」
「前に柔道三段のやつを秒殺したことがあるわ。柔道に体格は関係ないわよ」
「……最近のジョケイは強いなぁ」
「ナツもやっとわかったのね」
「じゃあさっきの続きでガキ共蹴散らしに行きますか」
「そうね、次は言い負かされないわよ。さっさと車出して」
「了解」
夏山はアクセルを踏み込んで、ミッドナイトの県道の暗闇を走り抜ける。今までとは違い、夏山の胸は踊っていた。
(オレの相勤者は強い)
いつかをお荷物のように思っていたが、今は違う。頼もしさを感じ、不思議と自分のことのように夏山は嬉しく思っていた。
「いつか班長」
「何?」
「私も入り始めの頃は、いつか班長みたいなもんでしたよ。みんなそうです。右も左もわからないもんなんです」
「そうなの?」
「だからいつか班長はさっきのことを誇りに思って下さいね」
「どういう意味?」
「さっきも言ったでしょ。ジョケイは強い、それを自信にして下さい」
きっといつかは、強気を挫き、弱きを助ける、そんな警察官になれるだろう。そう夏山は確信した。
夏山は不思議とミニパトを加速させていく。いい相棒に出会えた、もっといつかと仕事をしていきたい、夏山はそう思った。
いつかの行動は、夏山の眠っていた使命感を目覚めさせようとしていたのだ。
○
九月八日 午後一時 夏山探偵事務所
「これが例の変死体の写真ね」
「ああ、鑑識からくすねてきた」
夏山がそう答えると、カエデはまじまじと写真を見つめた。
「警察はこれを単なる自殺と処理したの?」
「ああ、遺書もあったしな。動機は生活苦だそうだ」
「遺書は手書き? ワープロ?」
「ワープロだ」
「ちょっと臭うわね。ちょっとした私の勘だけど」
「待てよ、死体の状況からどう見ても一人で首を吊ったとしか考えられない。司法解剖までしたんだ。こっちだってプロだぜ。検視の結果からみて自殺は間違いない」
「だから、勘って言ったでしょ。身元の資料ちょうだい」
「ああ、それと死体のポケットに妙なメモ書きがあった。それも渡しておく」
カエデは報告書をざっと読んでから、メモ紙に注目した。
「……チルドレン、子供たちか……」
「それより死体には赤いスペードの刺青があった。松原彰と何か関係があるのか?」
「……こっちも調べておいたんだけど、赤のスペード刺青は極左暴力集団の革栄派の幹部の印よ。松原彰はそこのドン。つまりは関係大有りよ」
夏山は困惑する。まさか死体の人物がこの国でテロを起こそうとしている人物とは予想していなかった。
「しかも発見場所はテロの格好の標的の植樹祭の会場なんて意味深ね。ただの自殺として片付けるなんて早計じゃない、あんたの署」
「小鳥遊いつかとこの変死体は関係があるってことか? なんで今さら? 十年前の話だぞ」
「やっぱり私の好奇心をくすぐらせる面白い仕事になりそうね。明、死体に手書きで書かれたのはこのメモだけなんでしょ」
夏山は頷いた。
「私の勘じゃ、これが本当の遺書ね」
「どういうことだ?」
「明、きっとこれはダイイングメッセージよ」
夏山は頭を抱えた。
(おいおい、最初の依頼の話が大分斜め上の方向に向いてきてるぞ……)
「さぁ楽しい仕事の続きしなくちゃ」
夏山は険しい表情をしていた。事態がまずい方向に進んできているためだ。
(十七歳の女の子の身辺調査がいつの間にか極左のテロまで臭わせる話になってきてやがる。わかっていることは、いつか班長がこのままだと妙な事件に巻き込まれる可能性があるということだ)
夏山は十年前のいつかの笑顔を思い出した。
「……約束は守らなくちゃな」
「何? 一人言? キモ!」
「うるせーよ。じゃあ調査は……放っておいても一人でやりそうな勢いだな。おい?」
「わかってるじゃない。それとも心細くて、久しぶりにコンビ組みたくなっちゃった?」
「馬鹿言うな、お前と組むなんてもうこりごりだ」
「あら、残念。あの頃の明はけっこう気に入ってたのに」
「もう、こういう仕事はしねーって決めたんだ」
「……まだお母さんのこと気にしてんの?」
「遺言だからな……。だからこの世界から身を引いた」
「けど、あの頃の明は自分の正義を貫いてて、格好良かったわよ」
「今はなんだ?」
「サラリーマンみたい。警察なんて正義でもなんでもないのに、よく続けられるわね」
「ふん、死ぬ心配はないし、給料も安定してるから続けてるんだ」
夏山は冷めたコーヒーを一気飲みした。少し間を置いて、
「革栄派について調べたんだが、秩父山荘の立てこもり事件を知ってるよな?」
「ええ、三十年以上前の事件だけど、知ってるわ。過激派の連中が人質連れて立て篭もった事件よね? けど人質は救出、犯人はみんな抵抗して射殺されたんでしょ?」
「ああ、あの事件じゃ本庁の機動隊が五隊出動、千人以上の警察官がその山荘で篭城戦を繰り広げ、殉職者も出たんだが……。ちょっと妙な点があったんだ」
「妙な点?」
カエデが眉をひそめた。
「革栄派に殺された警官は殆どが隊長、現場指揮官だったんだ。俺みたいな下っ端は全員無事だった」
夏山の話に、カエデの好奇心がくすぐられる。
「……手口は?」
「長距離からライフルでズドンさ。しかし調べても妙なんだ。配置された位置と山荘の距離じゃ、まず狙い撃つなんてことは不可能なんだ。現代みたいな照準性能がいいライフルを使用していたわけでもないし。かといって、奴等が射撃の訓練を受けていたというわけじゃない……」
夏山は片目を閉じ、手を銃のような形にしてカエデに向ける。
「俺の腕でもワンホールショットは十五メートルが限界だ。だが奴等は防弾盾の隙間から、一キロ以上離れていた現場の大隊長や連隊長の額を狙い撃ちした……。おかげで現場は混乱し、救出作戦は遅延するハメになったのさ。当時はたまたま当たってしまった、で片付けられたがどうも腑に落ちない……」
二人が沈黙する。
「奴等は一体何者なんだろうな……」
「……危険な組織ってことは確かね」
「ああ、奴等が何を企んでいるかはわからないが、得たいの知れない連中だ。今回の件に関わるかもしれない。十分注意しておいてくれ」
カエデに危険な事件になるから、ヤバイと思ったらすぐに手を引けと釘をさし、夏山は事務所を後にする。
帰路を向けて、夏山は車のアクセルを普段より強く踏み込んで疾走した。ふとバックミラーを覗くと夕焼け空が映っている。その夕日の周りに黒色の雲が不気味に漂っていた。
夏山それ見て、妙な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。気を紛らわせようと煙草ケースを取り出したが中身は空だった。
「ヤレヤレ、とことんついてねぇ」
最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。まだまだ続きます! 連載形式ですが、すでに完結した作品を投稿していますので。
読んで頂いた方には本当に感謝していますし、筆者も喜ばしいです!